自燈明

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九十二番 二条院讃岐

2014年11月30日 | 百人一首

わが袖は 潮干に見えぬ 沖の石の 人こそ知ら かわく間もなし

私の袖は、干潮の時にも海に没して見えない沖の石のように、人は知らないが、涙に濡れて乾く間もない。

わが袖は 「が」は、連体修飾格の格助詞。「袖」を「沖の石」にたとえている。
潮干に見えぬ沖の石の 「潮干」は、引き潮。「に」は、時を表す格助詞。「見え」は、ヤ行下二段の動詞「見ゆ」の未然形。「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「石の」の「の」は、比喩の格助詞。
人こそ知らね 「こそ」と「ね」は、係り結びの関係。「人」は、世間の人。「こそ」は、強意の係助詞。「ね」は、打消の助動詞「ず」の已然形で、「こそ」の結び。「こそ…已然形」で、逆接を表す。
かわく間もなし 「も」は、強意の係助詞。

にじょういんのさぬき (1141?~1217?)
平安末期・鎌倉初期の歌人。源頼政の娘。二条天皇、後鳥羽天皇中宮任子に仕えた。
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九十一番 後京極摂政前太政大臣

2014年11月24日 | 百人一首

きりぎりす 鳴くや霜夜の さむしろに 衣かたしき ひとりも寝

こおろぎが鳴く霜の降りた夜の寒々とした筵の上に、衣の片袖を敷いて、一人寂しく寝るのだろうか。

きりぎりす コオロギ。
鳴くや霜夜のさむしろに 「や」は、詠嘆の間投助詞。「霜夜」は、霜のおりた夜。「さむしろ」は、接頭語「さ」+「筵」。また、「寒し」との掛詞。
衣かたしき 当時、男女が同衾する場合は、互いの衣の袖を重ねて寝たことから、「衣かたしき」は、一人寝を表す。
ひとりかも寝む 「か」と「む」は、係り結びの関係。「か」は、疑問の係助詞。「も」は、強意の係助詞。「む」は、推量の助動詞「む」の連体形で「か」の結び。

ごきょうごくせっしょうさきのだいじょうだいじん (1169~1206)
藤原〔九条〕良経 (ふじわらのよしつね,くじょうよしつね)  平安末期・鎌倉初期の貴族・歌人。兼実の子。摂政、太政大臣を歴任。歌を藤原俊成に学んで歌壇の中心人物の一人になったほか、漢詩や書画にも優れていた。『新古今和歌集』の仮名序を執筆。
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九十番 殷富門院大輔

2014年11月21日 | 百人一首

見せばやな 雄島のあまの 袖だにも 濡れに濡れ 色はかはらず

あなたにお見せしたい。あの雄島の漁師の袖さえ濡れに濡れても色が変わらないのに、私の袖は涙で濡れて色変わりしてしまいました。

見せばやな 「見せ」は、下二段の動詞「見す」の未然形。「ばや」は、願望の終助詞。「な」は、詠嘆の終助詞。「見せばやな」で、見せたいものだなあの意。初句切れ。
雄島のあまの袖だにも 「雄島」は、宮城県の松島湾にある島。歌枕。「あま」の漢字は、「海人・海女」であり、漁師のこと。「だに」は、軽いものを取り上げて重いものを類推させる副助詞で、~でさえもの意。「も」は、強意の係助詞。
ぬれにぞぬれし 「ぞ」と「し」は、係り結びの関係。「ぬれ」は、ラ行下二段の動詞「ぬる」の連用形。「に」は、同じ動詞の間に入れて表現を強調する格助詞。「ぞ」は、強意の係助詞。「し」は、過去の助動詞「き」の連体形で、「ぞ」の結び。四句切れ。
色はかはらず 「色」は、袖の色。「は」は、区別を表す係助詞。「漁師の袖の色は変わっていない」が、「私の袖の色は血の涙のせいで変わった」ことを表す。

この歌は、本歌取の歌であり、本歌は、源重之の「松島や 雄島の磯に あさりせし あまの袖こそ かくはぬれしか」である。その現代語訳は、「松島の雄島の磯で漁をしていた漁師の袖が、私の袖が涙で濡れているのと同じように、ひどく濡れていた」である。

いんぷもんいんのたいふ (生没年不詳)
平安末期の歌人。藤原信成の娘。後白河天皇の第1皇女殷富門院亮子内親王に仕えた。
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八十九番 式子内親王

2014年11月16日 | 百人一首
玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば 忍ぶることの 弱りもぞする

我が命よ、絶えるならば、絶えてしまえ。このまま生きながらえれば、(恋心を表さないように)耐え忍んでいる意思が弱ると困るから

玉の緒よ 「玉の緒」は、玉を貫き通す糸。ここでは、自分の命。「よ」は、呼びかけの間投助詞。
絶えなば絶えね 「絶えなば」は、ヤ行下二段の動詞「絶ゆ」の連用形+完了の助動詞「ぬ」の未然形+接続助詞「ば」で、順接の仮定条件を表し、「絶えるならば」の意。「ね」は、完了の助動詞「ぬ」の命令形。「絶えね」で、絶えてしまえの意。二句切れ。
ながらへば ハ行下二段の動詞「ながらふ」の未然形+接続助詞「ば」で、順接の仮定条件を表し、「生きながらえるならば」の意。
忍ぶることの  「忍ぶる」は、我慢する・耐え忍ぶの意。「の」は、主格の格助詞。
よわりもぞする 「ぞ」と「する」は、係り結びの関係。「も」と「ぞ」は、強意の係助詞。「もぞ」で、~すると困るの意。「する」は、サ変の動詞「す」の連体形で、「ぞ」の結び。「よわりもぞする」で、弱ると困るの意。

しょくしないしんのう (?~1201)
平安末期・鎌倉初期の歌人。後白河天皇の第3皇女。賀茂斎院をつとめた後に出家。歌を藤原俊成に学んだ。
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八十八番 皇嘉門院別当

2014年11月12日 | 百人一首

難波江の 蘆のかりねの ひとよゆゑ みをつくして 恋ひわたるべき

難波の入り江の蘆の、刈り根の一節のように短い、旅先の仮寝の一夜のために、これから先ずっと私は、難波にある澪標のように、身を尽くしてあなたを恋し続けることになるのでしょうか。

難波江の芦のかりねの 「難波江」は、摂津国(現在の大阪市)の湾岸地域で、芦が群生していた。歌枕。芦・かりね・ひとよ・みをつくしの縁語。「難波江の芦の」は、「かりねのひとよ」を導く序詞。「かりね」は、「刈り根」と「仮寝」の掛詞。
ひとよゆゑ 「ひとよ」は、「一節」と「一夜」の掛詞。
みをつくしてや恋ひわたるべき 「や」と「べき」は、係り結びの関係。「みをつくし」は、「澪標」と「身を尽くし」の掛詞。「や」は、疑問の係助詞。「べき」は、推量の助動詞「べし」の連体形で、「や」の結び。

こうかもんいんのべっとう (生没年不詳)
平安末期の歌人。源俊隆の娘。崇徳天皇の皇后、皇嘉門院聖子に仕えた。
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八十七番 寂蓮法師

2014年11月10日 | 百人一首

村雨の 露もまだ干ぬ 真木の葉に 霧立ちのぼる 秋の夕暮れ

村雨が通り過ぎて、まだそのしずくも乾かない真木の葉のあたりに、霧がほの白く立ち上っている、物寂しい秋の夕暮れだ。

村雨の 「村雨」は、にわか雨。秋から冬にかけて、急に激しく降る通り雨。「の」は、連体修飾格の格助詞。
露もまだひぬ 「露」は、雨露。「も」は、強意の係助詞。「ひ」は、ハ行上一段の動詞「干る」の未然形。「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。
真木の葉に 「真木」は、檜・杉・松などの常緑樹の総称。とくに、良質の木材となる檜をさす。「に」は、場所を表す格助詞。
霧立ちのぼる 「霧」は、細かい水滴が立ちこめて煙のようになったもの。平安時代以降は、春に立つものを霞、秋に立つものを霧と区別するようになった。
秋の夕暮れ 体言止めにより、感動を表す。

寂蓮法師には、この歌の他に、秋の夕暮れを詠んだ代表作があり、他の二人の作品と併せて三夕の歌という。
さびしさは その色としも なかりけり 真木立つ山の 秋の夕暮れ (寂蓮法師)
心なき 身にもあはれは 知られけり 鴫立つ沢の 秋の夕暮れ (西行法師)
見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ (藤原定家)


じゃくれんほうし (?~1202)
寂蓮 俗名は、藤原定長 (ふじわらのさだなが)  藤原俊成の甥。はじめ俊成の養子であったが、俊成に実子定家がうまれたため、出家。『新古今和歌集』の撰者の一人となったが、完成前に没した。
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Vatican official condemns American woman's assisted suicide

2014年11月07日 | L'inglese


A Vatican official on Tuesday condemned the assisted suicide of an American woman with terminal brain cancer, calling the decision to end her life reprehensible.

condemn(動詞):非難する
suicide(名詞):自殺
terminal(形容詞):末期の
reprehensible(形容詞):非難に値する、とがむべき

A Vatican official on Tuesday condemned the assisted suicide
= ローマ法王庁の高官が火曜日にほう助自殺を非難した

「Vatican」はそのまま「バチカン」としてもOKですが、ここでは
「ローマ法王庁」と訳しています。直後の名詞「official」を修飾する
形容詞となっています。

米国人女性ブリタニー・メイナードさんの薬物服用による死亡は「安楽
死」といわれ、「euthanasia」「mercy killing」「comfortable death」
などの英訳があります。

が、今回の件についてメディア報道では「自殺(suicide)」という単語
が広く用いられているため、それに基づいて「ほう助自殺(assisted
suicide)」としています。


calling the decision to end her life reprehensible.
= 彼女自身の命を絶つ決定を批判に値すると呼んで。

「call A B = AをBと呼ぶ」という構文です。Aが目的語、Bが補語となり
ます。ここでは「A=the decision to end her life」「B=reprehensible」
ですね。

分詞構文の現在分詞「calling」の主語は冒頭の「A Vatican official」です。

バチカン(ローマ法王庁)のイグナシオ・カッラスコ・デパウラ生命アカデミー会
長は4日、末期の脳腫瘍を患っていた米国人女性ブリタニー・メイナードさんが薬
物を服用して自殺したことについて、「(生命の)尊厳と自ら命を絶つことは別問題だ」と非難した。
ANSA通信によると、デパウラ会長は「人物については判断しないが、(自殺と
いう)意思表明は批判されるべきだ」と指摘。
ほう助を受けた自殺は「ばかげている」と言い切った。
メイナードさんはインターネットで「尊厳死」を宣言し、1日にオレゴン州の自宅
で自ら命を絶った。生前に雑誌などに取り上げられ、尊厳死をめぐる議論を呼んだ。

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八十六番 西行法師

2014年11月04日 | 百人一首
嘆けとて 月やは物を 思はする かこち顔なる わが涙かな

嘆けといって月が私に物思いをさせるのだろうか。いや、そんなことはない。にもかかわらず、まるで月のせいであるかのように、こぼれ落ちる私の涙であるよ。

嘆けとて 「と」は、内容を示す格助詞。「嘆けとて」で、嘆けと言っての意。月を擬人化した表現。
月やは物を思はする 「やは」と「する」は、係り結びの関係。「やは」は、反語の係助詞。「する」は、使役の助動詞「す」の連体形で、「やは」の結び。「月やは物を思はする」で、月は(私に)物思いさせるだろうかの意。三句切れ。
かこち顔なる 「かこち顔」は、恨みに思う顔つき。「かこち顔なる」で、「(月に)恨みを持つかのような」の意を表す形容動詞。
わが涙かな 「かな」は、詠嘆の終助詞。

さいぎょうほうし (1118~1190)
西行。俗名は、佐藤義清(さとうのりきよ)  平安後期の歌人。北面の武士として鳥羽院に仕えた後に出家。日本各地を行脚しながら歌を詠んだ。新古今集には最多の94首が入撰。家集『山家集』。
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何度見ても癒される

2014年11月03日 | 動画
Cute kids dance
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