自燈明

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五十番 藤原義孝

2014年05月31日 | 百人一首
君がため 惜しからざりし 命さへ 長くもがなと 思ひけるかな

君のためには惜しくなかった命でさえ、結ばれた今となっては、長くありたいと思うようになったよ。

君がため 「君」は、恋人の女性。「が」は、連体修飾格の格助詞。「君がため」で、「彼女のため」の意。『後拾遺集』の詞書に、義孝が「女のもとより帰りてつかはしける」とあり、この歌は、逢瀬をとげて帰宅した後に詠まれた後朝の歌であることがわかる。
惜しからざりし命さへ 「し」は、過去の助動詞「き」の連体形。「惜しからざりし」は、「惜しくなかった」の意。「さへ」は、添加の副助詞で、「~までも」の意。
長くもがなと 「もがな」は、願望の終助詞で、「~であればいいなあ」の意。「と」は、引用の格助詞。
思ひけるかな 「ける」は、詠嘆の助動詞「けり」の連体形で、初めて気づいたことを表す。今までは、彼女のためなら命さえ惜しくないと思っていたが、恋愛が成就してみると、この状態を永続するために長生きしたいと願っていることに初めて気がついたということ。

ふじわらのよしたか(954~974)
平安中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。伊尹(謙徳公)の子。行成(三蹟の一人)の父。天然痘により兄挙賢と同日死去。
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四十九番 大中臣能宣朝臣

2014年05月28日 | 百人一首

みかきもり 衛士(ゑじ)のたく火の 夜は燃え 昼は消えつつ 物をこそ思へ

皇宮警備の衛士の焚く火が、夜は燃えて昼は消えることをくり返すように、私の恋の炎も夜は燃えて昼は消えることをくり返しながら、物思いにふける日々が果てしなく続くのだ。

みかきもり 「御垣守」は、宮中を警護すること。
衛士のたく 「衛士」は、諸国から毎年交代で召集される宮中警護の兵士。「の」は、主格の格助詞。
火の 「の」は、比喩を表す格助詞。「火が…するように」の意。ここまでが序詞。
夜は燃え昼は消えつつ 「は」は、区別を表す係助詞。「夜は燃え」と「昼は消え」が対句になっている。「つつ」は、反復を表す接続助詞。かがり火が燃えては消えることをくり返す風景に、作者の恋心が燃えては消える心情を重ねて表現している。
物をこそ思へ 「こそ」と「思へ」は、係り結び。「物を思ふ」は、恋の物思いをする意。

『古今六帖』に、「みかきもり 衛士のたく火の 昼は絶え 夜は燃えつつ 物をこそ思へ」が、読み人知らずの歌として載っているため、この歌は、大中臣能宣の作ではないとする説が有力。

おおなかとみのよしのぶあそん(921~991)
平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。梨壺の五人の一人として『後撰集』を編纂。伊勢大輔の祖父。神官。
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四十八番 源重之

2014年05月23日 | 百人一首

風をいたみ 岩うつ波の おのれのみ 砕けて物を 思ふころかな

風が激しいせいで岩を打つ波が、自分だけで砕け散るように、私だけが砕け散るような片思いにふけるこのごろだなあ。
風をいたみ 「AをBみ」で原因・理由を表す。「AがBなので」の意。Aは名詞、Bは形容詞の語幹。「いたし」は、程度がはなはだしいことを表す形容詞。「風をいたみ」で、「風が激しいので」の意。
岩うつ波の 「の」は、比喩を表す格助詞。「岩をうつ波が…するように」の意。作者の思いを全く意に介さない女性の心を不動の岩にたとえている。ここまでが序詞。
おのれのみくだけて物を思ふころかな 「のみ」は、限定の副助詞。波が岩に当たって砕けるという力強い風景描写に、自分の気持ちだけが粉々に打ち砕かれ、悩み苦しむ心理描写を重ねることで、一人ではどうすることもできない絶望的状況を表現している。

みなもとのしげゆき (?~1000?)
平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。清和天皇の曾孫。地方官を歴任。陸奥守に左遷された藤原実方とともに陸奥に下って没した。
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四十七番 恵慶法師

2014年05月20日 | 百人一首

八重葎 しげれる宿の 寂しきに 人こそ見え 秋は来にけり

幾重にも葎が生い茂った屋敷で、ただでさえ寂しい所に、持ち主だった人は姿を見せないが、それでも秋はやって来たことだなあ。

八重葎しげれる宿の寂しきに 「八重」は、何重にもの意。「葎」は、ツル性の雑草の総称。「しげれ」は、ラ行四段の動詞「しげる」の命令形。已然形とする説もある。「の」は、同格の格助詞。「に」は、場所を示す格助詞。順接の確定条件を表す接続助詞や逆接の確定条件を表す接続助詞とする説もある。
人こそ見えね 「こそ」と「ね」は、係り結び。「人」は、訊ねてくる客。「こそ」は、強意の係助詞。「ね」は、打消の助動詞「ず」の已然形で「こそ」の結び。「こそ~ね、…」という形で下に続く場合、逆接の関係を表し、「~ないが、…」の意となる。
秋は来にけり 「人こそ…」と並列。「は」は、区別を表す係助詞。「けり」は、今初めて気づいたことを表す詠嘆の助動詞。

えぎょうほうし (生没年不詳)
恵慶。平安中期の歌人。中古三十六歌仙の一人。播磨国の講師(国分寺の僧)と伝わる。
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四十六番 曾禰好忠

2014年05月16日 | 百人一首

由良の門を 渡る船人 かぢを絶え ゆくへも知らぬ 恋の道かな

由良の海峡を漕ぎ渡る舟人が櫂を失って漂うように、私の恋はこれから先どうなるのか解らないことだなあ

由良のとを 「由良」は、作者が丹後掾であったことから、丹後国(京都府)の由良川と思われるが、日本各地に由良という地名があり、それらも歌枕として用いられた例があるため、定かではない。この歌の場合、「由良」は、特定の場所であることは重要ではなく、かぢがなくなった舟が“ゆらめく”さまを表現するたに用いられている。「と」は、水の流れが速くなる場所。瀬戸。「を」は、経由点を表す格助詞。
かぢを絶え 「かぢ」は、操船に用いる道具。櫓(ろ)や櫂(かい)。舵ではない。「を」は、間投助詞。「絶え」は、ヤ行下二段の動詞「絶ゆ」の連用形。「絶ゆ」が自動詞であるため、「を」は格助詞ではなく、間投助詞とする説が有力。「かぢを絶え」で、「かじがなくなって」の意。ここまでが序詞。
ゆくへも知らぬ恋の道かな 「ゆくへ」は、(恋の)行く先。「恋の道」は、これから進んで行く恋の道筋。

そねのよしただ (生没年不詳)
平安中期の歌人。丹後掾。中古三十六歌仙の一人。自信家で奇人と伝わる。
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四十五番 謙徳公

2014年05月13日 | 百人一首
あはれとも いふべき人は 思ほえで 身のいたづらに なりぬべきかな

私のことを可哀想にと言ってくれるはずの人は思い浮かばず、はかなく死んでいくのだろうなあ。

あはれとも 「あはれ」は、感動詞で、「ああ、かわいそうに」の意。「と」は、引用の格助詞。「も」は強意の係助詞。
いふべき人は思ほえで 「べき」は、当然の助動詞「べし」の連体形で、「…はずの」の意。「人」は、恋人。「思ほえ」は、ヤ行下二段の動詞「思ほゆ」の未然形。「で」は、打消を表す接続助詞で、「…ないで」の意。
身のいたづらになりぬべきかな 「いたづらに」は、無駄だの意を表すナリ活用の形容動詞「いたづらなり」の連用形。「身のいたづらになり」で死ぬの意。とくに、はかなく無駄な死に様を表す。「ぬ」は、強意を表す完了の助動詞。「べき」は、推量の助動詞「べし」の連体形。「ぬべき」で「きっと…にちがいない」の意。「かな」は、詠嘆の終助詞。

※ 『拾遺集』の詞書によると、付き合っていた女が冷たくなり、ついには、相手にしてもらえなくなったという状況で詠まれた歌とある。

けんとくこう (924~972)
藤原伊尹 (ふじわらのこれただ・これまさ)  平安中期の貴族、歌人。『後撰集』の撰者にして和歌所別当。摂政・太政大臣を歴任。正二位・贈正一位。謙徳公は諡号。容姿端麗と伝わる。
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四十四番 中納言朝忠

2014年05月09日 | 百人一首

逢ふことの 絶えてしなくは なかなかに 人をも身をも 恨みざらまし

男女関係が絶対にないのであれば、かえって、あの人に相手にされないことも自分自身の不甲斐なさも恨むことはないのに。

逢ふことの 「逢ふ」は、男女関係を結ぶこと。この場合、作者個人の男女関係(あの人との関係がないならば…)とする説と男女関係の存在自体(男女関係がこの世に存在しないならば…)とする説がある。「の」は、主格の格助詞。
絶えてしなくは 「絶えて」は、下に打消の語をともなう呼応の副詞で、「絶対に…ない」の意。「し」は、強意の副助詞。「なく」は、ク活用の形容詞で、係助詞「は」をともなって、「なくは」となり、「…ないならば」という反実仮想を表す。「逢ふことの絶えてしなくは」で、「男女関係が絶対にないならば…」の意。「逢うことが絶えて、しなくなったのは」ではない。
なかなかに 副詞で、かえって・むしろの意。
人をも身をも 「人」は、恋愛の対象女性。「身」は、自分自身。「も」は、並列の係助詞。
恨みざらまし 本当は恨みたくないのに、恨まずにはいられない。「ざら」は、打消の助動詞「ず」の未然形。「まし」は、反実仮想の助動詞。「もし…ならば、…のに」という現在の事実と反することを仮に想像する。この場合は、男女の関係があるという事実に反すること、すなわち、男女の関係がない状態を仮に定め、「男女関係がなければ、相手の女性の態度もそれに一喜一憂する情けない自分も恨みに思うことはないのに」という想像を展開している。

ちゅうなごんあさただ (910~966)
藤原朝忠 (ふじわらのあさただ)  平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。定方の子。笙の名手。大食による肥満であったと伝わる。
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四十三番 権中納言敦忠

2014年05月06日 | 百人一首

逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔は物を 思はざりけり

あなたに会った後の恋心に比べれば会う以前は物思いなどしていなかったも同じだなあ

逢ひ見ての 「逢ふ」と「見る」は、ともに男女の関係を結ぶことを表す。この歌の作者は男なので、「逢ひ見」で、女を抱くという意。「て」は、接続助詞。「の」は、連体修飾格の格助詞。「逢ひ見て」を体言に準じて用いている。
のちの心にくらぶれば 「のちの心」は、男女の関係となった後、すなわち、今の心境。「くらぶれば」は、「バ行下二段の動詞“くらぶ”の已然形+接続助詞“ば”」で順接の確定条件を表す。比べるとの意。
昔は物を思はざりけり 「昔」は、男女の関係となる前。「は」は、区別を表す係助詞。「物を思ふ」は、恋の物思いをする意。「ざり」は、打消の助動詞「ず」の連用形。「けり」は、今初めて気づいたことを表す詠嘆の助動詞。「昔は物を思はざりけり」で、「以前の恋の物思いなどは、何も思ってないのと同じであったなあ」の意。

ごんちゅうなごんあつただ  (906~943)
藤原敦忠 (ふじわらのあつただ)  平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。時平の子。管弦の名手。
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四十二番 清原元輔

2014年05月04日 | 百人一首
契りきな かたみに袖を しぼりつつ 末の松山 波越さじとは

約束しましたよね。お互いに涙で濡れた袖をしぼりながら、末の松山を波が越えないように、決して心変わりはしますまい、と

契りきな 「契り」は、約束するの意を表すラ行四段の動詞「契る」の連用形。「き」は、体験的回想を表す過去の助動詞。男女の関係にある者同士が、互いの愛が永遠であると約束したことを回想している。ただし、『後拾遺集』の詞書によると、この歌は、女に振られた男に代わって元輔が詠んだ歌であり、元輔本人の体験ではない。「な」は感動を表す終助詞。以上で切れる、初句切れ
かたみに袖をしぼりつつ 「かたみに」は、互いにの意を表す副詞。「袖をしぼり」は、涙で濡れた袖をしぼること。「つつ」は、反復・継続を表す接続助詞。
末の松山 歌枕。現在の宮城県多賀城市周辺の地名。どれほど大きな波も末の松山を越すことはないとされた。 ところで、末の松山を普通名詞とみる考え方もある。
波越さじとは 「波」は、気持ちの変化のたとえ。「波越す」で気持ちが変わること。浮気。「じ」は、打消推量の助動詞「じ」の終止形で打消の意志を表す。「と」は、引用の格助詞で、「末の松山波越さじ」を受ける。「…とは」は、意味上、初句に続く。倒置法

かたみに」は「片身」からくる言葉で、それぞれ別に、かわるがわる、互いに、といった意味です。
「片身」は、背中を中心にして胴体を二つに分けた左右の半分のことで、魚の切り身や着物にも使う。

袖をしぼる」は、涙を流すことの慣用表現

末の松山」は宮城県多賀城市の海岸近くにある丘で、海に近いところから順に本の松山・中の松山・末の松山と並ぶ一種の防風林です。
どんな高い波も越えないとされることから、「末の松山を波が越す」というのは、あり得ないことが起きることを意味します。

この歌は「君をおきてあだし心をわが持たば 末の松山波も越えなむ」(古今和歌集)をふまえています。
あなたをさしおいて私が浮気心を持ったなら、末の松山を波が越えてしまうだろう、という内容で、末の松山を波が越すはずがなく、つまり私は心変わりしませんよと誓っています。
このように、古い歌の語句や題材を取り入れる手法を「本歌取り」と言います。

きよはらのもとすけ (908~990)
平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。深養父の孫。清少納言の父。梨壺の五人の一人として『後撰集』を編纂。
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四十一番 壬生忠見

2014年05月01日 | 百人一首
恋すてふ わが名はまだき 立ちにけり 人知れずこそ 思ひそめしか

恋をしているという私の噂が早くも立ってしまったのだよ。他人に知られないように思いはじめていたのに。

恋すてふ 「てふ」は、「といふ」がつづまった形。直前には会話文・心内文などがあり、伝聞を表す。
わが名はまだき立ちにけり 「名」は、噂・浮き名。「まだき」は、早くもの意を表す副詞。「立ちにけり」は、平兼盛の歌(40番)の「出でにけり」と同じ用法で、今初めて気づいたことを表す詠嘆の助動詞。この場合、誰にも知られないように恋心をいだきはじめたのに、気がついたら早くも噂が立っていたことを表す。
人知れずこそ思ひそめしか 「こそ」と「しか」は、係り結び。「知れ」は、下二段の動詞「知る」の未然形で、知られるの意。「ず」は、打消の助動詞「ず」の連用形。「知れず」で、知られないようにの意。「こそ」は、強意の係助詞。「思ひそめ」は、「思ひ初め」で、思いはじめるの意。「しか」は、過去の助動詞「き」の已然形で「こそ」の結び。この場合は、倒置法が用いられているため、「~たのに…」という逆接の意を表し、上の句にかかる。

「まだき」という言葉に、時が経てば自然世間に漏れることもあろうが、思い始めて間もないのに早くも、という気持ちが込められている。

※ 三句切れ・倒置法
※ 『拾遺集』の詞書によると、この歌は、40番の平兼盛の歌とともに、天徳4年(960年)に村上天皇の御前で行われた歌合、いわゆる、天暦の御時の歌合(天徳内裏歌合)で、「恋」を題として優劣を競った歌である。しかも、この歌合の最後の勝負、いわばエース対決として戦った歌であり、判者の藤原実頼も優劣つけがたく、持(引き分け)にしようとした。しかし、天皇が「しのぶれど」と口ずさまれたことから勝敗は決し、兼盛の勝ちとなった。この敗戦が原因で、忠見は、拒食症に陥り病死したと『沙石集』は伝えている。この逸話の真偽は定かではないが、当時の人々の歌合に対する思い入れが並々ならぬものであったことは、うかがい知ることができる。ちなみに、天徳内裏歌合の二人の直接対決は、2勝1敗で忠見の勝ち、団体戦でも忠見が属する左方が10勝5敗5分(そのうち忠見は、2勝1敗1分)で勝っている。対する兼盛は、4勝5敗1分で負け越し、右方の勝利に貢献することはできなかった。

みぶのただみ (生没年不詳)
平安中期の歌人。三十六歌仙の一人。忠岑の子。
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