自燈明

Enjoy life !
It's not a competition !

オルダス・ハクスリーからのメッセージ

2014年08月31日 | L'inglese
Experience is not what happens to you.
It is what you do with what happens to you.

- Aldous Huxley

経験というものは、あなたに起こったことそのものではない。あなたに起こったことに対して、あなたがどうしたかということだ。

オルダス・ハクスリー:イギリスの作家
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今日は書けない

2014年08月29日 | お知らせ
昨日はキーボードが使えたのに
今日は入力ができない
PC中枢部に事件が起きないことを祈ります。
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七十二番 祐子内親王家紀伊

2014年08月27日 | 百人一首
音に聞く 高師の浜の あだ波は かけじや袖の 濡れもこそすれ

噂に名高い高師の浜のいたずらに立つ波は、かけないように気をつけましょう。袖が濡れると困りますから。 ― 噂に高い浮気者のあなたの言葉なんて信用しませんよ。袖を涙で濡らすことになるのは嫌ですから。

音に聞く 「音」は、噂・評判。
高師の浜 「高師」は、大阪府堺市から高石市にある高師浜と評判が高いことを表す「高し」を掛けたもの。
あだ波は いたずらに立つ波。「は」は、強調を表す係助詞。
かけじや袖の 「じ」は、打消意志の助動詞で、~まいの意。「かけじ」は、「あだ波は」を受けて、「あだ波をかけまい」を表し、また、あなたの言葉を「気にかけまい」ということを表す。「や」は、詠嘆の間投助詞。
ぬれもこそすれ 「こそ」と「すれ」は、係り結びの関係。「ぬれ」は、波で濡れることと涙で濡れることを掛けている。「も」と「こそ」は、強意の係助詞。「もこそ」で、懸念や困惑を表す。「すれ」は、サ変の動詞「す」の已然形で、「こそ」の結び。

ゆうしないしんのうけのきい (生没年不詳)
平安後期の歌人。平経方の娘で紀伊守重経の妹か。後朱雀天皇の皇女祐子内親王に仕えた。
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無理かもしれません。

2014年08月26日 | お知らせ
ノートPCのキーボードにアイスコーヒーをこぼしてしまい、
書き込みが困難になりました。
今、ソフトキーボードで書いています。
回復を待ちます。
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七十一番 大納言経信

2014年08月20日 | 百人一首
夕されば 門田の稲葉 おとづれて 葦のまろ屋に 秋風ぞ吹く

夕方になると、家の門前の田の稲葉に音を立てて、葦ぶきの小屋に訪れる秋風が吹きつける。

夕されば 「されば」は、移動するを意味するラ行四段の動詞「さる」の已然形+接続助詞「ば」で順接の確定条件。「夕されば」で、夕方になるとの意。
門田 家の周辺にある田
おとづれて 音を立てるの意。
芦のまろやに 芦で葺いた粗末な小屋。この場合は、金葉集の詞書から、源師賢の山荘。
秋風ぞ吹く 「ぞ」と「吹く」は、係り結びの関係。「ぞ」は、強意の係助詞。「吹く」は、カ行四段の動詞「吹く」の連体形で「ぞ」の結び。

だいなごんつねのぶ (1016~1097)
源経信 (みなもとのつねのぶ)平安後期の公卿・歌人。俊頼の父。三船(詩・歌・管弦)の才を合わせ持ち、有職故実にも通じた。
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七十番 良暹法師

2014年08月16日 | 百人一首
寂しさに 宿を立ち出でて ながむれば いづこも同じ 秋の夕暮れ

寂しさに耐えかねて家を出て辺りを見渡すと、どこも同じ寂しい秋の夕暮れだ。

さびしさに 「に」は、原因・理由を表す格助詞。
宿を立ち出でてながむれば 「宿」は、自宅の草庵。「ながむれば」は、動詞の已然形+接続助詞“ば”で順接の確定条件であり、見渡すとの意。
いづこも同じ 「も」は、強意の係助詞。
秋の夕暮れ 体言止め。余韻を残し情緒を持たせる表現方法として用いられている。

りょうぜんほうし (生没年不詳)
良暹。平安中期の歌人。祇園別当。
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セクシー過ぎるオリックス2軍のウグイス嬢

2014年08月14日 | 動画

応援しちゃう
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六十九番 能因法師

2014年08月13日 | 百人一首
嵐吹く 三室の山の もみぢ葉は 竜田の川の 錦なりけり

嵐吹く  山から吹きつける激しい風。
み室の山の 「み室の山」は、本来は、神のおわす山という意味の普通名詞であり、同名の山が複数あるが、この場合は、竜田川の付近にある神南備山(奈良県生駒郡斑鳩町)。
もみぢ葉は竜田の川の錦なりけり 「竜田の川」は、奈良県の川で紅葉の名所。「錦」は、彩色の鮮やかな厚地の絹織物。もみぢ葉を錦に見立てている。「けり」は、今初めて気づいたことを表す詠嘆の助動詞。

のういんほうし (988~?)
橘永 (たちばなのながやす) 平安中期の歌人。橘諸兄の後裔。藤原長能に和歌を学ぶ。文章生となった後に出家。
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六十八番 三条院

2014年08月10日 | 百人一首
心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな

心ならずも、つらいこの世に生きながらえるのならば、恋しく思い出されるのだろう、美しい夜中の月よ

心にもあらでうき世にながらへば 「心」は、本心・本意。「に」は、断定の助動詞、「なり」の連用形。「で」は、打消の接続助詞。「心にもあらで」で、心ならずも・本意ではなくの意。「うき世」は、浮世・憂き世で、はかない世・つらい世の意。「ながらへば」は、動詞の未然形+接続助詞“ば”で、仮定条件を表し、生きながらえたならばの意。
恋しかるべき 「べき」は、当然を表す推量の助動詞で~はずだの意。
夜半の月かな 「夜半」は、夜中・夜更け。「かな」は、詠嘆の終助詞。

後拾遺集の詞書によると、この歌は、三条天皇が眼病で失明寸前、かつ、藤原道長によって皇位を奪われる前年に詠まれた歌ということである。また、目以外の体調もすぐれず、内裏が二度も炎上するなど、絶望的な状況に陥られていた。そのため、「心ならずも生きながらえていたならば…」などという悲劇的な御製を残されることとなり、この歌を詠まれた翌年に譲位され、さらにその翌年崩御された。

さんじょういん (976~1017)
三条天皇。 在位1011~1016 第67代天皇。冷泉天皇の第二皇子[居貞(おきさだ・いやさだ)親王]。多病と藤原道長の専横により、後一条天皇に譲位。
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六十七番 周防内侍

2014年08月06日 | 百人一首
春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなく立たむ 名こそ惜しけれ

春の夜の夢ばかりなる 「春の夜」は、秋の夜(長)の対義語で、短い夜を表す。「春の夜の夢」は、短い夜に見る、すぐに覚める浅い夢の意。「ばかり」は、程度を表す副助詞。
手枕に 「手枕(たまくら)」は、腕枕。千載集の詞書によると、二条院に人々が集まって物語などをして夜を明かしたときに、周防内侍が、「枕がほしい」と静かに行ったところ、御簾の下から藤原忠家が腕を差し出してきた。その誘いをかわすために、この歌を詠んだという。
かひなく立たむ名こそ惜しけれ 「こそ」と「惜しけれ」は、係り結びの関係。「かひなく」は、腕(かいな)と甲斐・詮・効(かい)の掛詞。「む」は、仮定を表す助動詞。「名」は、浮名。「こそ」は、強意の係助詞。ほんの短い時間、腕枕で寝ただけで、意味のない浮名が立ったら口惜しいということ。

すおうのないし (生没年不詳)
平安後期の歌人。周防守平棟仲の娘か。仲子。後冷泉天皇から堀河天皇まで4代約40年にわたり女官として仕えた。
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六十六番 前大僧正行尊

2014年08月02日 | 百人一首
もろともに あはれと思へ 山桜 花よりほかに 知る人もなし

私と一緒にしみじみと懐かしんでおくれ。山桜よ。花であるお前のほかに分かり合える友はいないのだ

もろともに 一緒にの意を表す副詞。
あはれと思へ 「あはれ」は感動を表す形容動詞の語幹。この場合は、“愛しい”の意。「思へ」は、ハ行四段の動詞、「思ふ」の命令形で、ここでは、“思ってくれ”という依頼を表す。
山桜 “山桜よ”という呼びかけを表し、山桜を擬人化している。金葉集の詞書によると、行尊が大峰山(現在の奈良県吉野郡)において、思いがけず山桜を見て詠んだ歌とある。
花よりほかに知る人もなし 「花」は、山桜。「より」は、限定を表す格助詞。「知る人もなし」は、大峰山で修行中の孤独な自分にとって、誰も知っている人がいないということを表している。

さきのだいそうじょうぎょうそん (1055~1135)
平安後期の僧、歌人。源基平の子。天台座主、大僧正。
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