自燈明

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八十五番 俊恵法師

2014年10月28日 | 百人一首
夜もすがら 物思ふころは 明けやらで 閨のひまさへ つれなかりけり

一晩中、つれないあの人を恨んで、物思いに沈むこのごろは、なかなか夜が明けなくて、寝室の戸の隙間まで、冷たい仕打ちをすると思ってしまうわ。

夜もすがら 「すがら」は、最初から最後までの意。「夜もすがら」で、一晩中。
物思ふころは明けやらで 「物思ふ」は、恋の物思いをする。「ころ」は、状態が継続していることを示す。「明けやら」は、下二段の動詞「明く」の連用形+“すっかり~する”の意を表すラ行四段の補助動詞「やる」の未然形。「で」は、打消の接続助詞。「明けやらで」で、なかなか明けきらないでの意。
閨のひまさへ 「閨」は、寝室。「ひま」は、隙間。「さへ」は、添加の副助詞。
つれなかりけり 「つれなかり」は、冷淡だ、そっけないを表すク活用の形容詞「つれなし」の連用形。

しゅんえほうし(1113~?)
俊恵  平安後期の歌人。源俊頼の子。経信の孫。東大寺の僧であったが、経歴の詳細は不明。鴨長明の歌の師。僧坊の歌林苑で歌会を開催。平安後期歌壇の中心人物の一人。
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八十四番 藤原清輔朝臣

2014年10月21日 | 百人一首

長らへば またこのごろ 忍ばれ 憂しと見し世 今は恋しき

この先、生きながらえるならば、つらいと感じているこの頃の世の中もなつかしく思い出されるのであろうか。つらいと思っていた昔のことも、今では恋しく思い出されるのだから。

長らへば 下二段の動詞「長らふ」の未然形+接続助詞「ば」で順接の仮定条件を表し、「もしも、生きながらえるならば」の意。
またこのごろやしのばれむ 「や」と「む」は、係り結びの関係。「や」は、疑問の係助詞。「しのば」は、バ行四段の動詞「偲ぶ」の未然形で、懐かしく思うの意。「れ」は、自発の助動詞「る」の未然形。「む」は、推量の助動詞「む」の連体形で「や」の結び。
憂しと見し世ぞ今は恋しき 「ぞ」と「恋しき」は、係り結びの関係。「憂し」は、つらい。「と」は、内容を示す格助詞。「し」は、過去の助動詞「き」の連体形。「ぞ」は、強意の係助詞。「は」は、区別を表す係助詞。「恋しき」は、シク活用の形容詞「恋し」の連体形で、「ぞ」の結び。

ふじわらのきよすけあそん (1104~1177)
藤原清輔 平安後期の歌人・歌学者。顕輔の子。藤原俊成とならぶ平安後期歌壇の双璧。二条天皇の勅命により『続詞花集』を撰進したものの、天皇崩御により勅撰集とはならず。歌論書『奥義抄』『袋草紙』、家集『清輔朝臣集』などを著した
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正妹教�胃如何抵抗H7N9

2014年10月19日 | 動画
正妹教�胃如何抵抗H7N9
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八十三番 皇太后宮大夫俊成

2014年10月15日 | 百人一首
世の中よ 道こそけれ 思ひ入る 山の奥にも 鹿鳴くなる

世間から逃れる道はないものだなあ。思い詰めて分け入ったこの山の奥でも、悲しげに鹿が鳴いているようだ。

世の中よ 「よ」は詠嘆の間投助詞。
道こそなけれ 逃れる方法はないものだ。「道」はここでは手段、方法などの意味。係助詞「こそ」は意味を強める働きをする。「こそ」を受けて、「なけれ」は形容詞「なし」の已然形で結んでいる。二句切れ。
思ひ入る 深く思い詰める。深く考え込むことと、山に入ることを掛けている。
山の奥にも 山の奥もまた、世間と大差なかったという気持ち。「山の中にも」とする本もある。
鹿ぞ鳴くなる 鹿が鳴いているようだ。鹿は雄が雌を慕って鳴くといわれていて、秋のもの悲しさを表現する場合に多く用いられる。「なる」は推定の助動詞「なり」の連体形で、強意の係助詞「ぞ」の結び。

こうたいごうぐうのだいぶしゅんぜい (1114~1204)
藤原俊成。父は俊忠、定家は息子。「千載集」の選者で、著書に「古来風体抄」など。
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八十二番 動因法師

2014年10月12日 | 百人一首
思ひわび さても命は あるものを 憂きに堪へぬは 涙なりけり

つれない人を慕い悩んで、それでも命だけはつないでいるのに、そのつらさに耐えきれないで涙ばかりが溢れることだ。

思ひわび  「思ふ」+「侘ぶ」で、思い悩む。この場合は、自分の思うようにならない恋の悩み。
さても命はあるものを 「さても」は、それでも。「思ひわび」ている状態を表す。「は」は、区別を表す係助詞。「ものを」は、逆接の接続助詞。
憂きにたへぬは 「憂き」は、ク活用の形容詞「憂し」の連体形で、つらさの意。「に」は、動作の対象を表す格助詞。「ぬ」は、打消の助動詞「ず」の連体形。「は」は、区別を表す係助詞。「命はある」と「たへぬは涙」を区別し、対比している。
涙なりけり 「けり」は、初めて気付いたことを表す詠嘆の助動詞。

どういんほうし (生没年不詳)
藤原敦頼 (ふじわらのあつより) 。平安後期の歌人。高齢に至るまで歌道に精進したものの、歌合で藤原清輔に敗れるなど、その評価は低かった。
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八十一番 後徳大寺左大臣

2014年10月10日 | 百人一首
ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば ただ有明の 月残れ

ホトトギスが鳴いている方を眺めると、そこにはホトトギスの姿はなく、ただ有明の月が残っているだけである。

ほととぎす カッコウ科の鳥。日本には初夏に飛来し、冬は東南アジアに渡る。托卵の習性があり、ウグイスなどの巣に卵を産む。
鳴きつる方をながむれば 「つる」は、完了の助動詞「つ」の連体形。「つ」は、意思的・作為的な動作の完了に用いられる助動詞であり、ほととぎすを擬人化している。「ながむれば」は、マ行下二段の動詞「ながむれ」の已然形+接続助詞「ば」で、順接の確定条件を表し、ながめるとの意。
ただ有明の月ぞ残れる 「ぞ」と「る」は、係り結びの関係。「有明」は、陰暦で、16日以後月末にかけて、月が欠けるとともに月の入りが遅くなり、空に月が残ったまま夜が明けること。「有明の月」は、その状態で出ている月。「ぞ」は、強意の係助詞。「る」は、存続の助動詞「り」の連体形で、「ぞ」の結び。

ごとくだいじのさだいじん  (1139~1191)
藤原実定 (ふじわらのさねさだ)  平安後期の公卿・歌人。右大臣公能(きんよし)の子。定家の従兄弟。漢詩・今様・管弦などに優れていた。
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百人一首 (61~80)まとめ

2014年10月06日 | 百人一首
いにしへの奈良の都の八重桜 けふ九重に匂ひぬるかな 伊勢大輔
夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関は許さじ 清少納言
今はただ思ひ絶えなむとばかりを 人づてならでいふよしもがな 左京大夫道雅
朝ぼらけ宇治の川霧たえだえに あらはれわたる瀬々の網代木 権中納言定頼
恨みわび干さぬ袖だにあるものを 恋に朽ちなむ名こそ惜しけれ 相模
もろともにあはれと思え山桜 花よりほかに知る人もなし 前大僧正行尊
春の夜の夢ばかりなる手枕に かひなく立たむ名こそをしけれ 周防内侍
心にもあらで憂き夜に長らへば 恋しかるべき夜半の月かな 三条院
嵐吹く三室の山のもみぢ葉は 竜田の川の錦なりけり 能因法師
寂しさに宿を立ち出でてながむれば いづくも同じ秋の夕暮れ 良暹法師
夕されば門田の稲葉訪れて 蘆のまろ屋に秋風ぞ吹く 大納言経信
音に聞く高師の浜のあだ波は かけじや袖のぬれもこそすれ 祐子内親王家紀伊
高砂の尾の上の桜咲きにけり 外山のかすみ立たずもあらなむ 前権中納言匡房
憂かりける人を初瀬の山おろしよ 激しかれとは祈らぬものを 源俊頼朝臣
契りおきしさせもが露を命にて あはれ今年の秋もいぬめり 藤原基俊
わたの原漕ぎ出でて見ればひさかたの 雲居にまがふ沖つ白波 法性寺入道前関白太政大臣
瀬をはやみ岩にせかるる滝川の われても末に逢はむとぞ思ふ 崇徳院
淡路島通ふ千鳥の鳴く声に いく夜寝覚めぬ須磨の関守 源兼昌
秋風にたなびく雲のたえ間より 漏れ出づる月の影のさやけさ 左京大夫顕輔
ながからむ心も知らず黒髪の 乱れてけさはものをこそ思へ 待賢門院堀河

もう少しで完走だ。健康に気を付けて頑張ろう。
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「般若心経 100分de名著」佐々木閑

2014年10月05日 | 釈尊
この本を読んで、今までモヤモヤしていた部分がスッキリしました。
「般若心経は釈尊の教えではない」という事です。
釈尊入滅後、数百年後に大乗仏教が作った経典だということです。

釈尊の教えを否定するために「空」という得体のしれない概念を持ち込んだのです。
観自在菩薩も架空の人物。

読経で金を稼ぐ大乗仏教を、私は信じません。
原始仏教を知りたいという気持ちを更に強くしました。
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八十番 待賢門院堀河

2014年10月02日 | 百人一首
長からむ 心も知らず 黒髪の 乱れて今朝は 物をこそ思へ

末永く愛してくださるというあなたのお心も確かなものかわからず、お別れした今朝は、黒髪が寝乱れているように、私の心も乱れて、物思いに沈んでいます。

長からむ心も知らず 「長からむ」は、「黒髪」の縁語。「長からむ心」は、永久不変の愛情。「も」は、係助詞。「知らず」は、信じがたいの意。「ず」は、打消の助動詞の終止形で、二句切れ。
黒髪の乱れて今朝は物をこそ思へ 「こそ」と「思へ」は、係り結びの関係。「の」は、比喩を表す格助詞。「乱れて」は、「黒髪」の縁語で、「黒髪の」を受けて黒髪が乱れることを表し、「今朝は物をこそ思へ」に続いて心が乱れて物思いにふけるばかりであることを表す。これらが「の」によって結ばれ、黒髪が乱れる“ように”心も乱れて物思いにふけるばかりであることを表す。「今朝」は、後朝、すなわち、男女が結ばれた翌朝の意。「は」は、区別を表す係助詞で、この日の朝が特別であることを示す。「こそ」は、強意の係助詞。「思へ」は、ハ行四段の動詞「思ふ」の已然形で「こそ」の結び。

「知らず」の「ず」を連用形とし、「信じがたく、…」と解釈する説もある。

たいけんもんいんのほりかわ (生没年不詳)
平安後期の歌人。源顕仲の娘。待賢門院に仕えた。
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