昨日夜のことです。
以前の職場の後輩からメールが来ました。
メールは転送メールで、タイトルは「終わったよ。」 あとは写メ一枚。
写真には、凄い気合が入ったボロッボロの黒いランドセルを背負った、スーツ姿の男の子。
なんか背中に蝉がとまったようなランドセルに、後輩から小さな添付。
<T君、今日卒業式だったそうです。>
・・・なんでしょうね。自分のことじゃないのに、結構涙が出ました(ノД`)・゜・。
6年前の3月11日―――
未曽有の大震災が東日本を襲って、行政勤めのかもしたは、当然土日返上で市民の皆さんの被害確認に追われていました。
そして3日後。緊急指令が下りました。
『福島からの避難者を市内施設に一斉に受け入れろ』
原発で取るものもとりあえず、着の身着のまま状態で、行く先も定まらないなか、ただ南に向かってバスで避難してきた人たち。彼らを迎え入れる準備をし、食事を配り、健康チェックをし、継続治療の必要な方は、医療受け入れ先を整えたり・・・やることはとにかくいっぱい。
そんな中、今年小学校に入学するという3人の子供さんがいました。
去年いわきまで行って、ピカピカのランドセルを買ってもらって、凄くウキウキしていたとのこと。
でもこの震災で当然貴重品以外、何も持ってきていない。原発だけでなく、津波で家も損壊して、何一つ持っていないに等しい。
でも必死に耐える子供たちに、ボランティアの方が提案。
「・・・うちの子、今年で小学校卒業するから、ボロボロで申し訳ないけれど、うちの子のランドセル、よかったら使う?」
そして、次の日までに集まったランドセルが3つ。丁度その子たちと同じ分(奇跡的に男女3人分揃った)。
正直(うわ~~・・・ちょっとこれは嫌がるかも・・・)と思わすにはいられない。流石は男の子。使いが結構荒かった。
だけど・・・
「「「あーー!!ランドセルだぁ!」」」
3人ともすごく喜んでボロボロのランドセルを背負って見せ合いっこ。
その時ふと思いました。
子どもたちも実は滅茶苦茶気を使っているんじゃなかろうか。
かもしたの友達の娘(当時2歳)もめっちゃ泣き虫で、お母さんから毎日離れなれなくって大変だったんです。
が、あの震災で母親は帰宅難民。保育所の先生は迎えに来られない親御さんの子を、その日だけ自宅に引き取られたそうなんですが、あの人見知り場所見知り、ギャン泣きのお嬢は一声も泣かなかったそうです。
たった2歳。でも何かすごく大変なことが起きた、ということは、ちゃーんと分かるんです。
窮地が子供たちを一瞬にして大人にしちゃう。
この3人の新一年生も、震災が一気に大人にしてしまった。考え方が凄く大人。かもしたなんて逆立ちしたって敵わないくらい。
そして彼らは4月1日にこの地を離れました。といっても自宅はないうえに立ち入り禁止区域なので、全く違う土地にアパートを借りての生活が始まった、と。
―――それから6年目の昨日、メールが写真付きで送られてきたそうです。
「終わったよ。」
普通だったら「卒業しました」なんでしょうが、この写真のT君は、祖父母さんが「新しいランドセルを買ってあげる」といったにもかかわらず、6年間、あのいただいたランドセルを背負って登校していたそうです。
そしてようやくそのランドセルは役目が「終わりました」。
更にボロボロさに磨きがかかって(笑)いるのがありありでしたが、6年間、ちゃんとそのランドセルはT君を見守ってきてくれたようです。そしてその大任をようやく終えました。
お母さんが卒業式後に写メ撮って、こちらに当てて送ってくださったそうです。
ちゃんとボランティアさんにも送ってくださったようで(近況報告をメールしあっていたらしい)。
6年間…長いようで短い6年間です。
その年に生まれた子が今年小学校1年生になります。
そして小学校1年生になった子たちは卒業です。
一入感慨深い6年目の今日でした。
(追伸)
後輩ちゃん「それでね、Bさん(ボランティアさん)の息子さんは、今年大学1年生だって!」
こっちもこっちで「おめでとう」!
人様のお子さんの成長は早い・・・(*‘ω‘ *)
以前の職場の後輩からメールが来ました。
メールは転送メールで、タイトルは「終わったよ。」 あとは写メ一枚。
写真には、凄い気合が入ったボロッボロの黒いランドセルを背負った、スーツ姿の男の子。
なんか背中に蝉がとまったようなランドセルに、後輩から小さな添付。
<T君、今日卒業式だったそうです。>
・・・なんでしょうね。自分のことじゃないのに、結構涙が出ました(ノД`)・゜・。
6年前の3月11日―――
未曽有の大震災が東日本を襲って、行政勤めのかもしたは、当然土日返上で市民の皆さんの被害確認に追われていました。
そして3日後。緊急指令が下りました。
『福島からの避難者を市内施設に一斉に受け入れろ』
原発で取るものもとりあえず、着の身着のまま状態で、行く先も定まらないなか、ただ南に向かってバスで避難してきた人たち。彼らを迎え入れる準備をし、食事を配り、健康チェックをし、継続治療の必要な方は、医療受け入れ先を整えたり・・・やることはとにかくいっぱい。
そんな中、今年小学校に入学するという3人の子供さんがいました。
去年いわきまで行って、ピカピカのランドセルを買ってもらって、凄くウキウキしていたとのこと。
でもこの震災で当然貴重品以外、何も持ってきていない。原発だけでなく、津波で家も損壊して、何一つ持っていないに等しい。
でも必死に耐える子供たちに、ボランティアの方が提案。
「・・・うちの子、今年で小学校卒業するから、ボロボロで申し訳ないけれど、うちの子のランドセル、よかったら使う?」
そして、次の日までに集まったランドセルが3つ。丁度その子たちと同じ分(奇跡的に男女3人分揃った)。
正直(うわ~~・・・ちょっとこれは嫌がるかも・・・)と思わすにはいられない。流石は男の子。使いが結構荒かった。
だけど・・・
「「「あーー!!ランドセルだぁ!」」」
3人ともすごく喜んでボロボロのランドセルを背負って見せ合いっこ。
その時ふと思いました。
子どもたちも実は滅茶苦茶気を使っているんじゃなかろうか。
かもしたの友達の娘(当時2歳)もめっちゃ泣き虫で、お母さんから毎日離れなれなくって大変だったんです。
が、あの震災で母親は帰宅難民。保育所の先生は迎えに来られない親御さんの子を、その日だけ自宅に引き取られたそうなんですが、あの人見知り場所見知り、ギャン泣きのお嬢は一声も泣かなかったそうです。
たった2歳。でも何かすごく大変なことが起きた、ということは、ちゃーんと分かるんです。
窮地が子供たちを一瞬にして大人にしちゃう。
この3人の新一年生も、震災が一気に大人にしてしまった。考え方が凄く大人。かもしたなんて逆立ちしたって敵わないくらい。
そして彼らは4月1日にこの地を離れました。といっても自宅はないうえに立ち入り禁止区域なので、全く違う土地にアパートを借りての生活が始まった、と。
―――それから6年目の昨日、メールが写真付きで送られてきたそうです。
「終わったよ。」
普通だったら「卒業しました」なんでしょうが、この写真のT君は、祖父母さんが「新しいランドセルを買ってあげる」といったにもかかわらず、6年間、あのいただいたランドセルを背負って登校していたそうです。
そしてようやくそのランドセルは役目が「終わりました」。
更にボロボロさに磨きがかかって(笑)いるのがありありでしたが、6年間、ちゃんとそのランドセルはT君を見守ってきてくれたようです。そしてその大任をようやく終えました。
お母さんが卒業式後に写メ撮って、こちらに当てて送ってくださったそうです。
ちゃんとボランティアさんにも送ってくださったようで(近況報告をメールしあっていたらしい)。
6年間…長いようで短い6年間です。
その年に生まれた子が今年小学校1年生になります。
そして小学校1年生になった子たちは卒業です。
一入感慨深い6年目の今日でした。
(追伸)
後輩ちゃん「それでね、Bさん(ボランティアさん)の息子さんは、今年大学1年生だって!」
こっちもこっちで「おめでとう」!
人様のお子さんの成長は早い・・・(*‘ω‘ *)
そのランドセルを使い続けたお子さん達、とても気遣いのできる優しい子達ですね。
恐らく祖父母さんから新しいランドセルをもらうよりボランティアさんたちの善意を忘れないためにボロボロのランドセルを使い続けたのでしょうね。
避難者である事やボロボロのランドセルで苛められなかったか心配です。
もう6年、まだ6年。
色々感慨はあると思いますが、そのお子さん達の未来が幸せであるようにお祈りいたします・・・
こんばんは。
その通り、本当に自分たちだって大変なのに、何一つ不満も口にせず、みんなとっても頑張っているお子さん方でした。
今いじめの問題が明らかになってきて、子ども同士どころかいい大人でさえ「冗談のつもりで」と、傷口に塩を刷り込むような発言をしている人もいたようですが、この子たちは絶対そんなことしないだろうな、いい大人に成長するだろうな、って思ってます。
もう六年、まだ六年。
みんな少しずつ忘れていってしまっているところもありますけれど、やっぱり伝えていきたいですね。
そんなわけで、また筆頭のお膝元に行って、募金(という名の観光)をしてきたいです(笑)