先日、写真の整理が進まないと書きましたが、11月12日(土)11時から14時まで
北鎌倉浄智寺で、1年に1度写真のお焚き上げ、写真供養感謝祭が執り行われます。
浄智寺は鎌倉五山第四位、北鎌倉駅から徒歩7分あまりです。
詳しくは「写真供養感謝祭」を検索してください。
先日、写真の整理が進まないと書きましたが、11月12日(土)11時から14時まで
北鎌倉浄智寺で、1年に1度写真のお焚き上げ、写真供養感謝祭が執り行われます。
浄智寺は鎌倉五山第四位、北鎌倉駅から徒歩7分あまりです。
詳しくは「写真供養感謝祭」を検索してください。
寒くなってきました。ダウンコ-トを引っ張り出しました。
去年のこの時期、このコ-トを着たあの時間がよみがえりました。
いっぱい我慢しましたね、なじみのレストランも映画館も劇場も閉まっていて、家に居ることを強いられ、閉塞感でいっぱいでした。「しごと」とパソコンで打って変換したら「死事」と出て泣いたことがありました。仕事ができない、私の会社「鎌倉今村」なんて、もう忘れられてしまうのではないか、真剣に思い・・・、苦しかった。
身動きのできない、明日の見えなかった毎日、どう過ごしていたのかあまり思い出せません。
年が変わり春が来て夏が来て、少しづつ身も心も解放され、今、町には人があふれています。嬉しいです、有難いです。でも忘れません。不自由と言う時間が教えてくれた「自由」の大切さ、忘れません。
どちらも好きです、柿・・・のほうが好きかな、いや、梨のあのみずみずしさも好き、やっぱり、同じくらい好きです。
いつも買う時迷います。当たりハズレがあるのはどっちも同じ。
ご近所に、もうミカンがたわわになっている木を見つけました。あっ、みかんも好きです。
結局、果物みんな好き。嫌いな人なんていませんね。
でも、小さい頃は、バナナなんて今みたいにざぶざぶ食べてませんし、食後に果物が出る日も少なかった。おかずも、そんな何品も食卓に並びませんでした。昭和のちゃぶ台はとても小さかったです。
温かいご飯にお味噌汁、煮物、焼き魚ぐらいです。天ぷらなどはいつも精進揚げで、海鮮物は「跳ねるから怖い」と母が言ってましたが、それだけの理由ではない気がします。
そのてんぷらの美味しかったこと!菜箸で揚げたてのさつま芋を取り出し「やけどしないようにフーフ-して」と、時々こっそりくれました。
母の料理の思い出をたどると、いつもこのさつま芋の天ぷらに行き着きます。
30代の頃、銀座の、中々予約の取れないという有名な天ぷらのお店に、ご招待されたとき、難しい名前のさつま芋の天ぷらが何種類か出されました。でも、あの母の天ぷらにはかないませんでした。
単純に、私の舌が庶民感覚になっているだけのことでしょう。理由は、そのお値段にありました。びっくりするような・・・。でも、海老もアナゴもそれはそれは美味しかったです。
何十年前ことなのに、食の思い出って、結構残ります。
明日は、天ぷらです!精進揚げです!
秋晴れの土曜日ですもの、鎌倉、大変な人出でした。
私共の商品も並ぶ「大河ドラマ館ミュ-ジアムショップ」のスタッフによると、平日も土、日並みの賑やかさで、地方からのお客様も日に日に増えているようです。
政策キャンペーン、人を動かしています。機能しているという事です。
鎌倉幕府の置かれたこの地は、東国武士団の足跡が至る所に残っている。
歴史に疎く「吾妻鏡」もコミックで読んだ私だが、今、永井路子著「相模のもののふたち」にはまっている。鎌倉に越してきたころ、永井路子著書、直木賞受賞作「炎環」「北条政子」なども、むさぼるように読んだ記憶が。
永井路子の筆で、歴史がぐっと近づいてきて、神社仏閣にも興味を持つようになった。その神社仏閣なのだが、その「鎌倉に越してきたころ・・・」私は朝、ジョギングをしていた。
3,4キロぐらいの距離で週3のぺ-スでした。最初の頃、神社の前、お寺の前を通過する時、軽く頭を下げていくようにしていた。ところが次々と「神社仏閣」が表れ、その忙しい事と言ったら。やがて私は、頭を下げるのをやめ、軽く手を挙げるあいさつに替えた。しかしこれも、何か、やんごとなきお方の挨拶のようで、どうも調子が狂った。
しばらくしてジョギングそのものをやめてしまったので、挨拶の悩みもなくなった。
今は、お隣の神社を私の「守り神社」として、とにかく通るたびに手を合わせています。
ちなみに、鎌倉の神社仏閣の数は、110から120と言われています。
「相模のもののふたち」永井路子 有隣堂新書 ¥1200+税