企業のトップが不祥事を起こしたりすると、末端は「知らなかった」「隠蔽体質」「慣れあい」と非難する。
隠蔽…でも悪の権化のようなそれの、対局のような指摘や暴露がきれいな正義というとまた違う。
そういう人が、いざ身内やお仲間やシンパ相手にそれを見た時には、その勢いはどこへやら。
「言いにくい」「とても言えない」「居場所と居心地よさを失う」をケロッ通過して言える人の方がはるかに少ない。
何でもそうだけど、自分がそんな立場にならないとわからないもんである。
「隠蔽」「慣れあい」と批判する人も、言ったら言ったで
「事実としても、何でもペラペラしゃべる信用のおけない奴」「手の平返し」「家族が可哀想」「売名行為」…また新たな批判を言ってくる。
追求すると「粘着」で、忘れると「甘い」
叩かれ方講座。
何を言っても賛否。
殊更ネットってそういうもの。
隠蔽…でも悪の権化のようなそれの、対局のような指摘や暴露がきれいな正義というとまた違う。
そういう人が、いざ身内やお仲間やシンパ相手にそれを見た時には、その勢いはどこへやら。
「言いにくい」「とても言えない」「居場所と居心地よさを失う」をケロッ通過して言える人の方がはるかに少ない。
何でもそうだけど、自分がそんな立場にならないとわからないもんである。
「隠蔽」「慣れあい」と批判する人も、言ったら言ったで
「事実としても、何でもペラペラしゃべる信用のおけない奴」「手の平返し」「家族が可哀想」「売名行為」…また新たな批判を言ってくる。
追求すると「粘着」で、忘れると「甘い」
叩かれ方講座。
何を言っても賛否。
殊更ネットってそういうもの。
いやいや性格と思います。
闇だのトラウマだのに、キョトンとしてしまう私がデリカシーかもしれないけど。
言い方わるいかもしれないけど「好きで?」「わざと?」忘れないようにしてるんだろうか?と思うことも。
だってわざわざ思い出して何度も書くと、記憶ってどんどん強化されますよ。
本当は書きたくないのに、皆のため?うーん、ホントにそうかな?
人って本当に嫌なことはやらないと思いますけどね。
話すとスッキリはわかるけど「何度も」はお勧めしません。
はい無痛分娩でも無痛人間でもないつもりだけど、あくまで個人的意見です(__)
下手したら10年20年非活だったりして、そうなってからは実質何の被害もない。
それ、めちゃくちゃわかります。
でも、そういう人は私にはわからない2世ゆえの心の闇?とかがあるのかな??とも解釈してましたけど、それにしても・・・とも思う事もありました。
「足るを知るものは富む」という諺がありますが、今現在、充分幸せであるはずなのに、「あれも足りない、これも足りない」・・・と足りない、満たされていないものを常に欲する傾向が、覚醒した一部の人にあるように感じます。
誰にでもそういう気持ちはあるけれど、覚醒した人は失ったものを取り返したいがゆえに、その傾向が強くなるんじゃないのかなぁと。
これは、覚醒したばかりの頃の自分を鑑みてもそうです。
でも、そんな事をしている間に年をとってしまうんですよね。
過去の失ったものや足りないものを数えているより、今を大切に前に進んでいきたいな~と思う今日この頃。
https://www.youtube.com/watch?v=LozxA_hC1RU
やっぱりこの歌が響きます
こんなことができると思ってる人がいたら「相手の命を斬っていくんです!!」とか何とか刷り込まれた名残でしょうか。
自分は何十年間も聞く耳をもたなかったのに、相手には数時間で変わらないと「人としておかしい」
そりゃないよね。
私自身、これも2018年に遅ればせながらよく考えました。
ついでにいうと面白いのが、体験談がやたら古い話ばっかりの人。(若い時とか子ども時代とか)
下手したら10年20年非活だったりして、そうなってからは実質何の被害もない。
でもそうなると叩くことがない。
思い切りこき下ろすには、昔話や、会ったこともないタレントなんかを持ってくるしかなくて、要するに「状況が酷ければ酷いほどいい」
口では「撲滅」と言いながら、もうとっくに撲滅してる「神社の鳥居をくぐれない」などを永遠にもってくる人。
ホントに撲滅を願ってるの?
だって「これは無くなったよねえ。ホントなくなったよねえ。よかったよねえ」って声はまず聞かないからね。
撲滅したら叩けなくなるよ?
アンチって正直、「撲滅させたいのか」「思い切り叩きたいのか」実際のところどっちなんだろう?と思ってしまうこともありますね。
質のいい心豊かな暮らしをしているなぁ~と、blogのちょっとした内容から感じます。
2018年。
覚醒して4年目にして、やっと今のような気持ちへと落ち着いてきました
相手を自分の思い通りにさせようなんて、例えS信者を覚醒させる話であっても、乱暴すぎる。
覚醒して数年は、盲信な身内を覚醒させようと、上がったり下がったりと心をジェットコースターのようにしながら躍起になっていたのが嘘みたい。
覚醒した人からみたら、「沈みゆく泥船から早く逃げて」と思うのはよくわかる。
私もずっとそう思っていたから。
でも、それはあくまでも「覚醒したからそう思う事」
信じきっている人からみたら、余計なお世話でしかない。
気が付いた時や疑問を持った時にしか、覚醒者の言葉なんて耳にはいってこない。
そんな当たり前の事に、今更ながら気が付きました。
変わらない相手に、カリカリしていて一体何になる?
きっと信者と暮らしている外部の人は、そんな感じなんじゃないのかな。
疑問をもったときに、力になれる存在でいたい。
それと、名前を出さない人が、名前を出してコメントしている人に対して「00はこういった、だからこういう人だ」と言ったところで、誰が真摯に耳を傾けようと思うんでしょうか。
自分は名前をださずして、誰かを攻撃したり侮辱する卑劣な人。
私も財務の体験を話した時に「そういう人はエスカレートしたら人殺ししかねない」と書かれましたが、本当に言いたい放題。
間違っても、そんな事はSシンパは言わない言葉。
こんな言葉を吐く人が、同じアンチなんですよね。
私はこれからも、ずっとアンチなのは変わらない。
でも、アンチという狭い括りの中でS叩きだけをしていると、人として本当に大事なものまで見失いそうな気さえしてきました。
「自分はSによって傷ついて心に闇を抱えているんだ。だから、何を言ってもいいんだ!!」という気持ちが、そのように攻撃心を剥き出しにするのでしょうか。
シンパからアンチに立場が変わっても、やることは同じ。
だとしたら、それってすごく怖いこと。
そんなことを考えさせられた1年でもあります。