Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

「モリッシーは私たちに必要なロックンロールの反逆者だ」by Brendan O’Neill / THE SPECTATOR

2022-10-28 12:31:35 | Morrissey News

9月24日のアイルランド・キラーニー公演を皮切りに10月14日のブライトン公演まで、モリッシーはアイルランド&UKツアーを行い、元気な姿を披露していました。

ちょうどこのお彼岸くらいから10月半ば、激務で魂が死にかけていました。それでもSNSや各報道でモリッシーの姿と情報にすがるように追う中、「こ、これは!」という記事がありました。Morrissey Centralでも紹介されていたので、モリッシーもご満悦な内容なのではないかと思います。

読みながら、感動で泣いちゃった。冷静と情熱の深いところにある思いと、それを支える鋼のような筆力!!すぐにライブ映像で“Bonfire of Teenagers”歌うモリッシーを確認してみたらまた、泣いちゃ…いそうになったけど、かなり考えちゃって泣かず、「ブログに書かなきゃ」と思ったのでした。アギオに「ブログ書かないかいなってぃーなんて存在価値ない」(←とは言っていない)くらいのプレッシャーを受けたからではなく。書く時は突然来るのです。だからこのgoo blogも「60日間ログインないから、ブログトップに広告表示しますからね」とかうるさいこと言わないでほしい。

で、この文章読んだ後、かなり「考えさせられた」って書いてると、「おいおい、『考えさせられた』って便利なキラキラ感想ワードだよね!考えるだけかよ!」と自分の中のもうひとりの自分に突っ込まれるんだけど、「いや、マジで考えさせられるんだもん、そんな考えさせられることって日常によくある!?貴重なモーメントだよ!!」と反論しながらまだ考えているので(うるさい)、とりあえずまずは内容を紹介しますね。

THE SPECTATORのチーフ政治ライターBrendan O’Neill の記事です。そんな長くないので、全文翻訳。でも長くなったので、考えさせられたことは次回に続く。

「モリッシーは私たちに必要なロックンロールの反逆者だ」by Brendan O’Neill

 

昨夜、ロンドンのパラディアムのモリッシーのライブで、かなりビビビッと衝撃の走る瞬間があった。モズは新曲“Bonfire of Teenagers”を紹介していた。22人が死亡したマンチェスター・アリーナの爆弾テロ事件を題材にした曲だ。彼は観客を見渡しながら、私たちに問うた。

マイラ・ヒンドリー(60年代にマンチェスターで起きた「ムーア殺人事件」の犯人)という名前は知っていても、マンチェスター・アリーナを爆破した男の名前を知らない人が多いのはどうしてか?

観客は唖然とした表情を浮かべた。少し恥じているように見える人もいたと思う。モリッシーのコンサートで静寂が訪れるのは極めて稀なことだが、その時はそうだった。

それは、答えを求める質問だ。少し感情的になりながら、モリッシーは2017年のアリーナ爆破事件を、故郷であるマンチェスターで起きた最悪の出来事のひとつと表現した。5人を殺害した毒毒カップル、ヒンドリーとイアン・ブレイディ(同じく「ムーア殺人事件」の犯人)が行ったものよりも、さらに悲惨なマンチェスターの若者たちに対する虐殺だった。サルマン・アベディという名前は、今では多くの人の記憶から不思議と消えてしまっている。しかし彼は、ムーアの殺人の4倍の人数を殺したのである。最年少は8歳の少女、サフィー・ルーソス。ヒンドリーとブレイディの最年少犠牲者、レズリー・アン・ダウニーよりも幼い。ダウニーの名前も、もちろんルーソスよりよく知られている。

爆破事件から5年、モリッシーは今もなお、そのことに怒り続けている。そして、犯人や被害者の名前がほとんど出てこないほどの、この事件を取り巻く記憶喪失の文化について。彼の新曲は"Bonfire of Teenagers(ティーンエイジャーたちのかがり火)"という荒々しく不穏なタイトルだ。シングルとしてリリースされれば、タブロイド紙やガーディアン紙でまで、多くの「モリッシー叩き」を誘発しそうな曲だ。しかし、この曲は信じられないほど心に響く、感動的な曲だ。モリッシーは、マンチェスター・アリーナでの野蛮な行為に対する社会の、気持ち悪いほど受動的な反応についてこう歌っている。

そしてバカどもは歌う、"Don't Look Back in Anger"
そしてバカどもはスイングしながら言う、"Don't Look Back in Anger" 
私は死ぬその日まで怒りを込めて振り返る、そう請け負うよ

この曲は、何度も繰り返される“Go easy on the killer(「殺人犯に手加減してやれよ」)という歌詞で終わるが、イスラム教徒のテロについて率直に、公けに語ろうとしない我々の背後にある、奇妙な道徳的な臆病心を見事にとらえている。

2,000人の観客が、この歌詞と、マンチェスター・アリーナでの残虐行為を集団意識に留めておけない現代のイギリスを叱責するモリッシーの言葉に合わせて体を揺らすのを見て、奇妙で不安な気持ちになった。しかし、高揚感も覚えた。ついに、マンチェスターの犠牲者たちに敬意が払われた。ついに、死者たちに代わって怒りが表わされたのだ。

私は“Bonfire of Teenagers”が素晴らしいプロテスト・ソングであることに気づかされた。まさに今、私たちが必要としているプロテスト・ソングだ。モズがイスラム教徒に扇動された大量殺人行為についてあえて歌ったという事実は、アンチたちから、彼が今や「ガチ右翼」であることのさらなる証明として掲げてくることは間違いないだろう。どうやら、イスラム過激派を懸念するというのは、右翼的であり、さらにイスラム恐怖症の可能性があるようだ。かつて世俗主義的な左翼たちは、宗教的ヒステリーによる殺人行為を非難する最前線にいたはずだ。ところが今やそんな左翼たちが、イスラム過激派について語りすぎる人たちに対してイライラするすることが多くなった。「前へ進もうぜ、怒りで振り返らずに」

アリーナでの虐殺に対する怒りを音楽に乗せることで、モリッシーはあの恐ろしい日の記憶のために立ち上がった。しかしそれだけでなく、イスラム教徒の暴力問題を取り囲む、あまりにも頻発する、冷ややかで検閲的な風潮にも狙いを定めているのだ。

でも、これからやるモリッシーのショーのチケットを持っていても、心配無用だ。これはギグであって、モリッシー講演会ではないから!マンチェスター・アリーナのことばかり言ってるわけではないから。モリッシーは、確かに、かつてないほどいい声を聞かせていた。スミスやソロの名曲を演奏し、観客は熱狂した。この数年、教養気取りペラペラお喋り層が、モリッシーがブレグジット支持で、右翼で、移民に関する発言などをするからと、彼を排斥しようとしてきたことが、新たな自己認識と活力を与えたように感じられる。モリッシーに関しては、キャンセル・カルチャーは裏目に出た。ターゲットを手なずけることはできず、道徳的なアドレナリンを与えてしまい、ザ・スミスの時代以来最高のパフォーマンスをさせることになったのだ。

モリッシーは、現代に必要なロックンロールの反逆者だ。多くのポップやロックのスターが一律の、魂を揺さぶるような政治的台本から歌う中、モズはその流れに逆らっている。彼はブレグジットを「お見事」と表現し、“Fuck the Guardian”と書かれたTシャツを着用し、広く「ウォークネス」(社会的不公正、人種差別、性差別などに対してする高い意識を持っていること)と呼ばれるもの、特に言論の自由や代替的な考え方に対して不寛容なものを嫌悪している。

「私は言論の自由の厳格な信奉者だ。しかし私の場合、言論の自由とは、私に同意する人たちだけでなく、すべての人のためのものだ」

と、モリッシーは述べている。

すごい人だ。これこそ、我々がポップスの世界に取り戻すべき文化的自由の精神だ。どんより目をした糾弾野郎たちがモリッシーを追い回すのは勝手だが、我々を彼から背かせることはできやしない。

国宝は、見ればわかるのだ。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« It's the 63rd birthday of M... | トップ | 「モリッシーは私たちに必要... »
最新の画像もっと見る

Morrissey News」カテゴリの最新記事