Action is my middle name ~かいなってぃーのMorrisseyブログ

かいなってぃーのMorrissey・The Smithsに関するよしなしごと。

モリッシー London The O2 Arena(2014.11.29)公演観てきました 3

2014-12-05 23:49:57 | Morrissey Live


“The Queen is dead”のワウワウギターで脳みそ撹拌されたところにあのイントロ…

2曲目は“Suedehead”!!会場の皆さんのシング・アロングは序盤から絶好調。

そんな訳でレポート、先続けます。


まわりの人もわたしも…老若男女、いろんな顔の色のいろんなところから来た人々が

一体になって、ひとつひとつの歌詞をすべて一緒に歌っています。


モリッシーのこのライブですごいなあ、と思ったのは本当にありとあらゆる人種、年代、

性別の観客が来ているということ。小さい女の子(モリッシーTシャツ着用)もいたし

おじいさんもいた(親子連れが多くてほほえましい)。白人も黒人も黄色人種もいた。

物販でわたしの後ろにいた女の子は「パパの誕生日にTシャツを買って行くの。

スミスからモリッシーを教えてくれたのはパパで、今日は本気でうらやましがってた」と

言っていました。普通「往年のスター」のライブの客層って偏ると思うのですが、

この観客の層の厚さはモリッシーが「現役スター」であることの表れだと思います。


“Suedehead”でモリッシーが歌う。

 

Why do you come here?


…って決まってる!!満場一致であなたに会いに来たんです!!って思って歌っている感。

そんな観客のウェルカムにモリッシーは


“Thank you. You're humankind-ness”


「ありがとう。あなたたちはお優し人間です」

(human kindnessは「人間味」、ですがhumankind「人間」とkindness「優しさ」

を掛けて言っているのかなと解釈w)


と丁寧に謝辞を述べていました。モリッシーは本当に、ファンからの愛や寛容を

「当然だろ」とは思わないところが謙虚…というか基軸がぶれなくて、ある程度の「距離感」

を保っているところがいい意味でよそよそしくていいなあといつも思います。


そして、3曲目は“Staircase at the university”。まわりの少し年配ぽい方々は座ったので、

あまり新譜は聞いていない節もあるのかな、と思いましたw ライブで聞いたらきっともっと

聞いてくれるでしょう~。もちろん聞きこんでいるお客さんは


“Crammin' jammin' pack-em-in rammin(パンッパン)”


とお約束のような手拍子を入れていたのですが、練習もしてないのに

ばっちり。ここからほぼ新譜から押していくのであります。


4曲目は“World Peace is none of your business”、さすが新譜表題作、いきなり座った

方もまた立ち上がり「ワ~ピーシーズノンオブユアビジ~ス♪」と歌い始めていました。

モリッシーにライトが当たっているはずなのに、この歌を歌う時なんてほとんど発光体の

よう…モリッシーが光を発しているみたい。最後の芸達者グスタヴォのコーラスに合わせ、

両手を上に上げ天を仰ぎ、モリッシー自ら手拍子を始め、観客もそれに合わせました。

そして、ひと言言わずには終わらないモリッシー…


“That was a title track from our last CD album,

which was immediately deleted by a very clever record label...”


「これはわたしたちの最新のCDアルバムのタイトル曲です。

とても賢いレコードレーベルによってただちに闇に葬られてしまった

アルバムですが…」


…と嫌味な皮肉たっぷりの紹介をw 

このことはメディアでも記事になっていました。

「モリッシー、O2アリーナにおける感動的ギグで、

ハーヴェストレコードをディスる」

(GIGWISE)

 

待ってましたとばかりにディスりをニュースにされる男www

 

この歌の終わりにバックドロップが20世紀初頭の詩人、音楽家、批評家、

T・S・エリオットと並んで、20世紀初頭の詩におけるモダニズム運動の中心的人物のひとり

であったエズラ・パウンドに変わりました。彼のマン・レイ撮影(1923)によるこのポートレート

写真は、新しいTシャツにも使われています。

かなりのハンサムですね。 

 
モリッシーはギリシャメディアに対するこのインタビュー

「エズラ・パウンドが『GQ』表紙を飾ることは決してない、それは憂うべきことだと思う」


と語っています。詩人としてもファンなのでしょうが、この美しいビジュアル好きなのでしょうね。

モリッシーのライブ…音楽活動…その生き方のすべてにおける、ものを選ぶ基準、センス、視点、

「これじゃなきゃあり得ない」という独自の美学がずば抜けてすごいので、世界で一番

見習いたいといつも思うのであります。


そしてとてもエモーショナルな“Kiss me a lot”、スペイン語にすると「べサメ・ムーチョ」の

抒情的なラッパが始まりフラメンコそれにしてもこの曲に対するグスタヴォの活躍

すごすぎる…キーボード、オルガン、シンセ、トランペット、アコーディオン、フラメンコ・ギター、

ディジュリドゥディジュリドゥ(何じゃそりゃ…アボリジニの金管楽器らしいです…)、

スズキQコード(電子ギター?)、そしてバックコーラスもうまいうまい。。。

ステージ上でも本当に忙しそう。グスタヴォ5人くらいいそう。

MOZサウンドもラテンフレイヴァ―の要ですね。


(すご過ぎる彼のバックグラウンドに興味があり過ぎて後でこのインタビュー読もうw)


抒情路線をひた走り、続く6曲目は“I'm Throwing My Arms Around Paris”


“Nobody wants my love, nobody needs my love, nobody wants my love”


という刺さるような歌詞が痛い、ヒリヒリしました。

こんなに多くのオーディエンスの愛を前にしても、絶対満たされないモリッシーの渇望、

わたしたちの渇望が湧きあがってくるようでした。

人生とは、無数の一方通行の愛と愛のレーザービームが交錯し合う戦場。

喪失と孤独は慰め合って共有するものではなく、寄り合って癒し合うものではなく、

ただそこに「ある」とわかるもの、勝手に、ひとりで。


“Only stone and steel accept my love…”


そこでまたグスタヴォがラッパでいい仕事するよ~。泣ける!!

この歌が終わり、やっとモリッシー「ひと息ついた」感。


“Well, I think we know each other slightly better now,

which is the nice beggining. Off we go”


「えーっと、お互いのこと少しだけわかってきたみたい。いい感じの始まりだね

よし、どんどん行こう!」


…とご機嫌…かなりご機嫌。すごく調子の良いまま7曲目“Istanbul”になだれこみます。

一瞬声が裏返るところはあったものの、本当に良い声で、ひとつひとつの音程を歌詞を

確かめながらのように、慎重に、丁寧に歌っていました。とても真面目に。


「ホーム」である英国に、帰ってきたのはモリッシーなのに、いる人すべて、ひとりひとりの顔を、

のぞきこんで、迎えるように。“Istanbul”は、父親が茶色の目の息子をイスタンブールで探しまわ

る歌。モリッシーはその歌のごとく、そこにいるわたしたちひとりひとりの行方を、ひとつひとつ探し、

確かめるくらい丁寧に歌っていた。ライブを観るとか、歌を聞くとか通りこして…

モリッシーの表現の持つ力にのみこまれていくのを感じました。


れでもまだライブの半分も終わっていないなんで信じられない充足感。

…続きます。


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