2022年12月14日(水)
高雄山(428.4m)の桓武天皇の墓の石室の向きから奇麗なシンメトリーの図形が浮かび上がりました。
石室の向きは、鎌足公古廟と京都御所に向けて造営されていましたが、シンメトリーを描くブルーの星の地点には、私の目にはお墓の存在を教えています。
桓武天皇が愛した女性なのか・・「どうしてるか、行ってみたいものじゃのぅ・・」と言って居られますかねぇ。
母上様(高野新笠)のお墓はちゃんとありますからねぇ・・。
北から ★京都府京都市北区雲ケ畑出谷町
2022年12月14日(水)
高雄山(428.4m)の桓武天皇の墓の石室の向きから奇麗なシンメトリーの図形が浮かび上がりました。
石室の向きは、鎌足公古廟と京都御所に向けて造営されていましたが、シンメトリーを描くブルーの星の地点には、私の目にはお墓の存在を教えています。
桓武天皇が愛した女性なのか・・「どうしてるか、行ってみたいものじゃのぅ・・」と言って居られますかねぇ。
母上様(高野新笠)のお墓はちゃんとありますからねぇ・・。
北から ★京都府京都市北区雲ケ畑出谷町
2022年7月13日(水)
出口王仁三郎は、聖武天皇の生まれ変わりでした。
聖武天皇の墓は、某宗教団体の禁足地に在ります。
イエス王家の墓である天神山と聖武天皇の墓と、安倍元総理が運ばれた奈良県立医科大学付属病院は、直角三角形を描きます。
病院の屋上には、白十字が描かれています。
んん~ん、偶然にしてはあまりにも・・ですが、皆さんは『赤十字山』という山があるのをご存じでしょうか。
その赤十字山と白十字と京都御所は、直角三角形を描きます。
そして、安倍元首相が銃弾に倒れた西大寺は、京都御所とドクターヘリで搬送された白十字の場所とを結んだライン上に位置しています。
歴史を辿れば、藤原京 平城京 そして平安京の流れです。
これらの都を築いた天皇たちの思いとその御霊が眠るお墓を祀らずしてどうします。
安倍元首相の銃撃事件は、日月神示 神一厘の仕組みの霊魂の所作である。
この世をつかさどる主は、「身魂を清く絶え間なく磨いていなければ・・」というのである。
下記の図形は、天皇や親族の墓を教える空海コードですが、安倍元首相銃撃事件が、
霊魂の所作であることを説明していきたいと思います。 つづく
2022年7月10日(日)
7月8日午前11時半頃、安倍晋三元首相が選挙演説中に銃撃された。
現場は、奈良県、近鉄大和西大寺駅北側のロータリー。
ドクターヘリで奈良県立医科大学付属病院へ運ばれたが、夕方5時3分に死亡が確認されたという。
奈良市在住の山上(やまがみ)徹也(41)=奈良市大宮町3丁目が容疑者のようだ。
これらのことは、全て意味ある情報でありメッセージだといつも以上に私は強く感じたので、地理院地図を開いてその場所をプロットした。
すると・・すぐさま図形が描かれた。
銃撃された場所と吉備真備の墓と京都御所は直角三角形。搬送先の病院とも直角三角形を描いている。
吉備真備の墓とイエス王家の墓である天神山と安倍氏襲撃の場所は直角三角形を描く。
吉備真備の墓と天神山と搬送先の病院も直角三角形を描いている。
襲撃された場所そばの西大寺と光明皇后の地下神殿と天神山も直角三角形を描く。
搬送先の病院と、聖武天皇の墓と天神山も直角三角形を描いている。
また、搬送先の病院に隣接している藤原京と藤原不比等の墓と、光明皇后の墓は直角三角形を描いている。
そして、容疑者の住所地とイエス・キリストの陵墓を結んだライン上にピタリと襲撃現場が位置している。
これらのことは、この世に生きた先人たちのお墓の場所を見事に証明して見せてくれたようだ。
安倍元首相が銃撃された場所と搬送先の病院の場所には重大なメッセージが込められていました。
今回の事件は、この世に生を受け向こうの世界に逝った人と、この世に生きている人とが織りなす世界であることを私たちに教えている。
2018年11月20日(火)
大国主命は我が国の初代大王である。
その初代大王は実はイエス・キリストである。
・・笑うことなかれ!
イエスは現在のキルギス生まれで、気品高い渡り鳥である「鶴」で表現される大王である。
その初代大王イエス・キリストの四男が第四代懿徳天皇である。
第四代懿徳天皇はイエス・キリストの64歳の時の子供であり四男で兵庫県加古川市生まれ。
天皇在位は3年で、この方は128年8月20日暗殺。享年67歳、 身長170cm 血液B型。
大阪城天守閣の外壁には大きな鶴が装飾されています。
渡り鳥の鶴なのです!
威徳森神社ほど鶴の彫り物が施された神社を私は見たことがありません。
鶴 ツル つる 鶴 なのです! そして小さいけど鳥の王様と言われるミソサザイも彫られています。
これらは、イエスとイエス王家の子供たちを表現しています。
我が国の隠されてきた古代史の謎を解き明かす重要な神社にやっと辿り着きました。
五三桐は菊の御紋と並んで、天皇家の専用の紋章として使用されてきました。
アレ~ッ、昨日出雲から神様を連れて来られた西岡さんと山口さんの家紋と同じですよぉ。
三つ巴 五三桐 ・・ 両方とも王家の家紋ですね。
んん~~ん、18日ツアーで行った丹後の竹野神社は菊花紋と五三の桐でしたね。
国内の野鳥の中でも最小種の1つである「みそさざい」は、古事記や日本書紀にも登場する由緒ある鳥です。
ミソサザイは鳥の王様と呼ばれ、イエス王家の方々を表現しています。
遥拝所で手を合わす先は京都御所です。
日岡神社で手を合わせると、神河町南小田山頂にある懿徳天皇の墓に手を合わせるようになっている。
近くにはイエスの陵墓もあります。
威徳森神社で手を合わす方向にお墓らしきものがありますが、懿徳天皇陵からそこまでの距離と、神河町南小田の山頂にある懿徳天皇の墓まではほぼ同距離です。
三点は二等辺三角形を描きます。
又、威徳森の中心部には、200mほどの魚も造られています。そしてその魚の真北に懿徳天皇の墓は在ります。
魚のコンターラインは重要な意味を持っています。
妙見のマークは十字です。
妙見さんが祀られていることは、いかに重要な神社であるかを物語っています。
2018年10月25日(木)
歴代の天皇の中でも、思い半ばでこの世を去った第50代桓武天皇と第96代後醍醐天皇浮かんできます。
後醍醐天皇陵は、奈良県吉野にありますが、桓武天皇の墓は定かでないようです。
でも私には、桓武天皇の墓は京都府にある高雄山(428.4m)だと教えます。
現在の神護寺の上になります。
空海さまが長安から帰って太宰府庁に隣接する観世音寺にいて、公に京の都に最初に入った場所が高雄山寺でした。
どうしてか・・!? これを考えれば答えは当然至極なのです。
そこには、和気清麻呂の墓もありますし、桓武天皇も眠っていますから、当然としてこの2人に指導された空海さまが、2人の御霊の供養をしたわけです。
この国の大王たちは、この世で最後の務めとして、亡骸をどこに置くかによって連綿と続く王家の人達が眠るお墓や陵墓でこの国の歴史を教えていました。
高雄山のお墓の場所にも行かされました。
最近、武部さんがしきりに吉水神社のことを書かれていますが実は、台風で荒れ狂う宗像大社へ行って不思議なことが始まった2010年8月11日から数日後の8月16日、千ヶ峰の麓に居られる有名な女性霊能者のところへと連れて行かれました。
そこで、「今日は後醍醐天皇の命日です。ほらっ、目の前に後醍醐天皇が居られます・・」と、まあ不思議なドラマがあったりして、それからほどなくして、私が信頼する友人の実家が吉野だということで連れて行かれたのが吉水神社でした。
そこでまた、後醍醐天皇の存在を知ることになり、ほどなくして綾部の大本教本部に突然連れて行かれたり、笠置山に連れて行かれたりして・・。
もう何が起きているのか、どこかの世界に引き込まれたのか、ドギマギする日々が加速していきました。
その後、「隠岐の島へ行って一番高い大満寺山へ登れ! 昔は摩尼山と呼ばれていた」と言うことで、大急ぎで隠岐の島へと行ったりして、ここでも後醍醐天皇をより強くしることになったりしました。
もうどこまでも不思議な世界にどっぷりと浸かってしまた8年間です。
もちろん吉野の後醍醐天皇陵にも行かされました。
そして、桓武天皇の墓と後醍醐天皇陵の二点から、二等辺三角形を描くポイントが、「とうりゃんせ」の唄の舞台であり、地下神殿の在処だと教えられて居ます。
なにも分からない状態から、「穴を掘れ!」と言われて穴掘りを開始した場所が、どのような祀り場所であるのかの根拠を時間をかけて教えられているようです。
実は、隠岐の島の大満寺山と後醍醐天皇陵の二点を結ぶラインに、この地下神殿の場所は見事に位置しています。
そして最近、武部さんがしきりに後醍醐天皇に関する吉野と隠岐の島のことをブログで書かれておられるので、
後醍醐天皇陵と桓武天皇の墓とを見つめて浮かび上がるのが、イエス王家の人達を祀る、岡山にある天神山です。
天神山と言えば、その山を守るように配置されていた日蓮宗不受不施派弾圧の歴史の謎も教えらえましたね。
天神山~熊山遺跡~京都御所~東京の御所~から、日月神示が下された千葉県の麻賀多神社までは見事に一直線であることも浮かび上がりました。。
そしてそこから、麻賀多神社が向いている方角に、本当に岩山を「日と月」に造り上げた山を発見し、その日月の山(岐阜県)へも行かされました。
そして、後醍醐天皇陵と日月の山と、イエス・キリストの墓が綺麗な2:1:√3にほぼ近い綺麗な三角形を描くようになっているなど、関係性がある場所場所を教えられました。
後醍醐天皇陵と桓武天皇の墓は、大事な大事なベンチマーク的な意味を秘めていることを教えられます。 重要な二点です!
そして今回、不思議な図形を描かされました。もうこれは、どう見ても簡易式の住居となるテントに見えてしまいます。
古代ユダヤの王たちの住まいである幕屋、ユダヤの秘宝アークを安置する幕屋の図案を描いています。
そしてその場所の位置こそが地下神殿であることを古代ユダヤの大王の血を引き継ぐ桓武天皇とご後醍醐天皇が教えています。
後醍醐天皇と桓武天皇の亡霊が動き出したようです。
武部さん、綺麗なセーマンが現れましたよ。
・・それにしても、綺麗な図形ですねぇ。
2017年7月27日(木)
「大聖寺さんには、是非とも牡丹の花を植えていただきたいと住職様にお伝えください」と言って、本坊を後にして門をくぐり出て振りかえって上を見ると・・・!!
なんとそこには、鳳凰と牡丹の花がハッキリと彫られていました。
私は本当に嬉しくなりました。
牡丹の花はマリア様を表現しているのです。
愛染明王は、マリア様のことなのです。
鳳凰は不死鳥です。
大聖寺さんで愛染明王に手を合わせることは、マリア様に手を合わせているのです。
そして祈る方向の先には、マリア様の故郷でありイエス・キリストの故郷でもあるキルギスに手を合わせるように見事に設計、配置されています。
又、不動明王に手を合わせると、イエスの遺体が運び込まれた兵庫県の中央部に位置する神河町のイエス・キリストの墓に手を合わせるようになっています。
これらの配置には凄さを感じずにはいられません。
そして、京都御所の西手前に位置する護王神社で本殿向かって手を合わせると、なんとこの大聖寺に手を合わせるようになっています。
護王神社は、和気清麻呂公を祀っていましたね。
もうこれらの設計と配置にはおどろくばかりです。 先人達が残したこれらの遺産を世に広め、大事に大事に末永く祀っていかなくてはならないと思います。
そのことが世界市民が望んでいる世界の平和をもたらすこととなります。
先人達がこれほどまでのことをして願ったことをスピードを持って成就させなくてはなりません。
世界の平和は、お一人お一人、皆様に託されています。
2017年6月14日(水)
蘇我入鹿は、モーセ、イエス(神武天皇)、第四代 懿徳天皇(イエスの四男)、女王卑弥呼、応神天皇、仁徳天皇・・の血を受け継いでいる。
これだけの王統を受け継いだ人がこの世にいるだろうか。
もう、堂々と聖徳太子は蘇我入鹿だったと言うことにしようではありませんか。
法隆寺の西円堂で手を合わせると、松尾寺にある蘇我入鹿の墓に手を合わせるようになっています。 そこが聖徳太子の墓です。
政府が聖徳太子の名を歴史から消そうとしていますが、これは抹消させてはなりません。
そして、第四代懿徳天皇のお墓は、神河町にある卑弥呼の陵墓を、こと座のベガにした琴を形成する一つの星の位置にありました。
その懿徳天皇の墓と、蘇我入鹿の墓と、モーセの陵墓の3点は、見事に3:4:5の大矩の直角三角形を描きます。 基本形です。
兵庫県神崎郡神河町にあるイエス王家の丘は、800mから1000mほどの山頂にありますが、この一帯には女王卑弥呼の陵墓をはじめ、我が国の初代大王イエス・キリストの親族のお墓が沢山祀られています。
峰山高原の名称も、そのことを教えています。
ミネとはヘブライ語でお墓のことなのです。
スキー場や太陽光発電など、むやみやたらに乱開発していたら、大変なことになります。
事業計画に対して云々言えた立場ではありませんが、王家のお墓は守る必要があるのではと危惧します。
この世は神々の営みの世界だからです・・。
意図的に隠されたイエス王家の人達と、その真実を知っていた人達のお墓がどんどんと、自分が眠っている場所を教えだしたようです。
「小さな嘘はすぐバレルが、大きな嘘は時間がかかって必ずバレル」と神様が言っていましたが、その時に来たと言うことのようです。
バレル・・と言えば、そうですそうです。ヘブライ語でも全く日本と同じ意味でしたねぇ。
いくら時代時代の為政者がこの国の本当の歴史を隠ぺいし続けてきたことでしょうが、この我が国の大地に、遺体を入れた場所の一点一点に意味をもたせた三角法で、歴史の真実を残していました。
邪馬壹国の女王卑弥呼は、イエス王家の墓守と祀りごとが仕事でした。
政治政体が現在の奈良で、国事国体が現在の兵庫県の中央部、播磨国風土記に記された「埴岡の里」でした。
そろそろ日本国民が目覚めなければならないときに来たということです。
ここまでくれば、歴史の真実の立証はさほど難しくはなさそうです。
高野山の弘法大師霊廟と桓武天皇の遺体を入れた高雄山との関係や、京都御所との関係などなど、偶然ではありえない確率での三角図法。
先人達の御霊が教えてくれることには偽りがありませんから・・、立証できます!
青い丸の地点が懿徳天皇の墓です。
赤い丸の位置が蘇我入鹿の墓がある松尾寺です。
2017年4月11日(火)
9日(日)、アネモネさんでのセミナーが始まる前に、亀戸天神社(亀戸天満宮)へと行きました。
亀戸は、岡山県岡山市東区瀬戸町南方にあるイエス王家の陵墓である天神山~熊山遺跡~京都御所~東京御所~亀戸~麻賀多神社~神栖・・と、カーナビの精度で一直線に並ぶ霊ライン上にあります。
正に神様方が居られる住まいへの戸であります。 亀は神を表現していますから、それで・・亀戸。 納得します。
一度はその亀戸へと行ってみたい、・・いえいえできるだけ早いうちに行かなければと思っていた場所でした。
亀戸がある江東区に私の弟は住んでいました。 そして・・、江東区の墨東病院で平成20年6月24日に帰らぬ人となりました。享年51歳だったのかな・・。
亀戸天満宮の境内を歩きながら、弟のことを思い返していました。 「そうかぁ・・神の戸から堂々と神様達の元に行ったのかぁ・・」と。
亀戸は七福神さまたちも祀っている地域のようですね。 当然と言えば当然と、案内板を見て思ったりもしました。
時間があれば、その神社やお寺も廻ってみたいと思っています。
池の中の遠くの亀さんを撮ろうとすると、頭をこちらに向けてジ~~ッと見ていましたねぇ。 私の頭の中まで亀さんに見られてしまったようですぅ・・!
この世の全ての生き物たち、それらは動物や植物、微生物も含めて神様のレンズのように思う私です。
きっとそうだと思います・・。
「おお~~、やっと意味が分かった上で、亀戸天満宮へとやって来たかぁ・・待ってたぞ!」と、亀さん。
「鴨族の皆様がこの国の礎を築いたことを思い出してください・・」と、カモさんも。
揚羽蝶さんは、小雨が降っているので、木陰で雨宿りのご様子でしたぁ。 ホント!?
2017年3月1日(水)
今日の新聞で、江戸初期の絵図「江戸始図」発見のニュースがありました。
この江戸城の大天守が向けられた方角を今に教えているのは、皇居の造りがその方角を意識して造ってあるようにも思えますが・・。
ただただ広い敷地にお城を建設するとき、
「お殿様、どちらに向けて造ったらよいのでしょうか」と・・、こんなことを聞いたら怒鳴られそうですねぇ。
皇居を設計した時は、富士山のように思えますが、
家康様は・・・、
「生まれ在所に向けて造れ!」と・・な。
んん~~ん、どうも家康様がお生まれになった岡崎城を向けて造ってあったのではと、・・・上森一級建築士。
ちなみに、岡崎城はマリア様の陵墓に向けて造ってありましたねぇ。
イエス王家の陵墓である岡山の天神山から熊山遺跡、京都御所、そして江戸城大天守は一直線で結ばれていましたね。
そしてそこから、麻賀多神社へもそのラインは伸びていましたねぇ。
2016年12月19日(月)
12月17日(土) 川辺さんに日月神示が下ろされた麻賀多神社へと連れて行ってもらいました。
麻賀多神社には大きな大きな秘密が隠されていました。
そこで皆さんが拝む方角は101度の方角で、それは銚子市猿田町にある猿田神社に手を合わせるようになっていました。
そしてその真逆は281度ですが、この方角にはキッチリ「日月の山」が造営されていました。
日月の山と、麻賀多神社と卑弥呼の黄金比率の十字架の交点近くにある「石ノ宝殿」とは見事に二等辺三角形を描きます。
謎はどんどん解けて行くようです。
銚子市猿田町にある猿田神社で手を合わせると・・・、なんとその御神体山の名前には・・・驚きです!!
驚き、桃の木、山椒の木・・この言葉も、秘密を教えているような気もしますが・・。
いずれにしても・・、 今年の干支は「猿」でしたが、これらのことを最後にして教えられましたねぇ。
「猿」の秘密を。
・・つづき・・ます。
・・・
麻賀多神社は、イエス王家の陵墓である天神山~熊山遺跡~京都御所~皇居の御所~麻賀多神社へと霊ラインが一直線に並んでいたんでしたね。
麻賀多神社へと行かれましたら、必ず入ってきた鳥居の方へも手を合わせてください。 日月の山へと手を合わせます。
そしてちょっと左へ13~16度の方角へも意識してもう一度御参りしましょう。
左へ13~14度がイエスの墓、マリアの墓がある方向です。
そして左へ16度がイエス王家の墓へと延びる霊ラインです。 皇居の方角です。コンパスグラスで265度の方向です。
皆様のご先祖様が眠る方角にもキッチリと手を合わせましょう。
2016年8月30日(火)
台風10号、あたかも何かをけん制しているかのようです。
ギリギリの攻防のように私には写ります。
その台風の進路にあたる鹿島灘沖に向かう霊ラインがあります。
台風はそこから塩釜へと向かう様子です。
昨日、日月神示が降ろされた麻賀多神社の存在を、千葉のHさんから教えられました。
それで私の脳裏には、「まさか・・・!」と思って国土地理院地図を開いてその神社の場所にポイントを打って、
イエス王家の陵墓である岡山県の天神山にポイントを打って、点と点を結んでみました。
なんと、「まさか・・・!」が的中です。
天神山から東へ熊山遺跡、京都御所そして東京の御所を通って麻賀多神社が見事に一直線です。
このような偶然はありえません。
オリオン座もさそり座もそろい、突然、岡本天明に日月神示が下された麻賀多神社の存在とその位置関係を教えられました。
いよいよ日月神示の神一厘の仕組みの始まりの時が近づいているのかもしれません。
藤原君は、自分のご先祖様がとてつもなく大きな神であることを知らなければ、大変な間違いを冒すことになります。
そして王家の方々は、初代大王イエス・キリストの事、その血を引き継いだ女王卑弥呼の事、そのルーツの方であるマリアの事を世の人々に語り、
世界の為に彼らが何を成したかを知らしめなければなりません。
一刻も早くそれぞれの陵墓に出向き手を合わせ、又、イエス王家の陵墓にも早く行って手を合わせなくてはなりません。
それが責任あるものの務めです。
「一筋のマコトを通して呉れよ!」と、龍神様も言って居られる御様子です。
麻賀多神社の社務所で天明が最初に自動書記で書かされた原文は下のようなものであった。
「二二八八れ十二ほん八れ ㋹の九二のま九十の㋹のちからをあら八す四十七れる」 これは次の通りに読めると言われている
「富士は晴れたり日本晴れ 神の国のまことの神の力を現す世となれる」
続いて
「卍も十も九も八きりたすけて七六かしい五くろうのない四かくるから 三たまを二たんにみかいて一すしのま九十を十四て九れ四 いま一十九十六あるか 九の九六八三たまを三かいておらぬ十こせぬ 九の四八まって二十十七一九六てある」 これについても読み方は
「仏もキリストも何もかもハッキリ助けてシチ難しい御苦労の無い世がくるから ミタマを不断に磨いて一筋のマコトを通して呉れよ 今一苦労あるが この苦労はミタマを磨いておらぬと越せぬ この世始まって二度とない苦労である」
解釈としてはマコトの神が世に出現して神の力を現して、すべてを助け何の苦労もない理想的な世界に立て直していくが、その前には人類は未だかつてなかったほどの大災厄や大試練を迎えなければならない。助かるためには身魂[9](心、精神、身体)を絶え間なく磨き、鍛練しつつ備えよ。磨いていなければ助かることが出来ない。という内容だと考えられている。
麻賀多神社は日月の山に向けて造られていることが後日分かりました。
2016年7月8日(金)
「大事なものがバラバラに置いてあるのが、国造りがうまくいかない理由だ。一か所に移し替えよ!」と桓武天皇。
・・と指示を受けて空海さまが剣山から大事なものを下ろして、生野、神河に移し替えたと。
・・
20日~21日と、マリア様の命日に和気清麻呂、最澄、空海氏ら平安京の主だった人達の頭の中に常にあった大事な場所へと聖地巡礼ツアーに行きますが、
それらの場所の位置関係を見ていると・・、なんとぉ! 剣山系に巨大なピラミッドを発見!
明らかに周辺の状況からみて、山頂に人工的な等高線ラインです。
このピラミッドと、重要ポイントである第二の高野山と呼ばれた岡山県美作市にある大聖寺と京都御所西前にある護王神社が綺麗な二等辺三角形を描きます。 偶然ではないでしょう。
そして大聖寺がある重要なポイントから、イエス王家の陵墓である天神山までと、イエスの遺体を入れた神河町のイエス・キリストの墓までと、イエスの長男の山である岡山の王山までの距離は、全て同距離です。
このような偶然が起こり得る確率は、必然としか言えないでしょう。
2016年5月8日(日)
「どうしてサミットが伊勢志摩の賢島で行われるのでしょうか」という問いに、明確に答えられる人がいるのでしょうか。
伊勢の大王崎から、聖地神河町のイエスの陵墓、しかも遺体が埋められた前方部とを結んだ初代大王イエス・キリストの霊ライン上に、会場となる志摩観光ホテルクラッシックの555㎡の真珠の間がピタリと位置しています。
これも偶然でしょうか。
そして・・・、これも偶然でしょうかね。
藤原鎌足を主祭神とする奈良の春日大社もこのライン上です。 偶然でしょうか・・。
これは、皇居御所を本殿としたとき、東京駅は拝殿にあたります。 奥宮はどこでしょうか・・。
奥宮は長野県の諏訪大社の御神体山である守屋山です。
ユダヤの人達が神と崇める山がモリヤ山です。
東京駅、御所、守屋山が見事に一直線です。 ・・ これは偶然でしょうか。
東京駅から皇居に向かって手を合わせると、ユダヤの人達が神と崇める守屋山に手を合わせているという構図です。
日本へ、東京へと来られる方、帰られる方は、必ず東京駅に立ちますから、自然と霊ラインに立つように都市設計されています。
京都御所から東京の御所のラインを東へ伸ばすと、亀戸(かめいど)・・神様への戸(入り口)ですね。 そして空の玄関口成田駅がドンピシャリです。
偶然でしょうか。
最近でこそ東北からの乗り降りは東京駅になりましたが、ず~~っと上野駅でしたね。
徹底的に東北の人達を聖なる神殿を崇める拝殿である東京駅に立たせないようにしていました。 ・・なぜですか!?
蘇我氏と藤原氏との日本の歴史的確執がここにも見え隠れしていました。
伊勢志摩サミットは、大王イエス・キリストを意識した霊ライン上に先進7ヶ国の首脳が座して行われるということの演出です。
誰の演出でしょう・・。 それは初代大王 イエス・キリストのDNAを色濃く受け継ぐ藤原家の演出であります。
そろそろイエス・キリストの再臨の合図のようです。
7日、又また教えられました。 新たな偶然の確率が加わりましたぁ・・・!!
2016年5月6日(金)
東京の御所と京都御所を結んで西へとそのラインを伸ばした所に岡山の熊山遺跡があり、それをもう少し先へと伸ばしたところに天神山と言う山があります。
実は、神武天皇を祀る奈良の橿原神宮(かしはらじんぐう)で手を合わせて御参りすると、見事にその先がなんと、この天神山にあたります。 橿原神宮はこの天神山を意識して建築されています。
本殿は、コンパスグラスで108°を向いて建っていました。
ですから人々は、288°に向かってお祈りするようになっていました。
岡山の王山(第二代綏靖天皇=ヤマトタケルの山)とイエス様の母マリアの墓とを結んだラインがこの天神山に集まり、島根県大田市の物部神社の御神体山と大峯山山上ヶ岳を結んだラインにこの天神山があります。
私が王家の私的な陵墓と言っている天神山にこれら大事な霊ラインが集まる確率ってどのような確率なのでしょうか。
これは偶然ではありえませんよ。
この我が国の礎を築かれた王家の陵墓が荒んだ状態で放置されていること自体、異常な状態です。
この国の礎を築かれた王家のDNAをだれより色濃く引き継がれている方は、誰よりもこの重大さを知り、この山をいち早くお祀りしなくてはなりません。
遠方より手を合わすだけなら、一般国民は誰でもやっています。知らないうちにではありますが・・。
もしその事実を知っていてただ遠方より祈っているようでは、国民の謗りを免れないでしょう。
でも迅速に対処されることで、国民の信頼性は今以上に増大することでしょう。