2024年4月7日(日)
2021年9月・10月に特許出願がされている「空洞探査器」と「金の探査器」である「コアロッド」が今、特許庁で早期審査がなされています。
・・
「上森さん、一つでも古墳が見つかれば、特許が下りると思いますが、そうでなければなかなか難しいでしょうねぇ」と特許事務所の先生。
それはそうだと私も思っていて、私の発明がいくら科学の先端を行っていると思っていても、実証を示さなければ世の科学者先生たちは頭から否定してしまっています。
今その一つの実証がなされようとしています。そして実証例が一つから二つになったらどうでしょう・・。今のところピンポイントで石室とその入口を確実に捉えています。
古墳の位置情報と石室の平面図形を捉えた数は、数十カ所はあります。お城での探査を含めれば、はるかにその倍以上はあります。
このことは、地球の構造と磁力線と電子の流れを知ることで可能になります。
・・でも、人間の脳との連動がなければ、それは不可能のようです。
2023年7月15日(土)
亀山駅から天王山へと調査に行った、その後の出来事を大西さんが報告してくれました。
別紙エピソードⅡ【野村一里塚 :ムクノキの巨木 】 R5.7.8(土) 14 30頃
そろそろ。。と三宅神社を後に亀山駅に向かうタクシーの中で、またまた 運転手さん 。
『亀山を訪れる多くの人が立ち寄る 樹齢 600年と言われる大木がある。 遠く東京や関西方面からも。。、今も生きている大木の姿に皆さん 圧倒され て帰られますね~ 。私は、金儲けの観光施設は嫌いだが 、その大木は手つかずで凄いもんですよ。 』
なんて言い出した。
降り出していた雨も、もうワイパーが必要ないくらいに上がっていた。
不思議に 時間はたっぷりとあった。
もう、こうなると。。寄らない理由が見つからない。
案の定、上森社長は、
『そこに寄って行きなさい。と、あちらの世界が言ってるんですね~』
なんて言い出して、『じゃあ、運転手さん 、 お願いします。』 となった。
三重県亀山市野村3 26 11。 JR関西本線亀山駅から歩いても 20分くらいか?
そこは、旧東海道沿いの“野村一里塚”。その塚を、“抱く”ようにム クノキの巨木が 根を張っている。
説明によれば、“慶長 9年( 1604年)に徳川家康が二代将軍徳川秀忠に命じて諸国の街道に一里塚を築かせたとき、この塚も築かれ たもの”で、 三重県下で唯一原形をとどめるもの 。
現在は国史跡に指定されている。
目の前の巨木は、
この塚ができた時に植えられたムクノキ ということだ。
塚の前は、当然、旧東海道。西を望んで 遠くに霞むのは鈴鹿山脈、その反対、今来た道を引き返せば亀山城址を通り名古屋に向かう。
なるほど、この巨木は、約
400年間に渡りこの街道の歴史を見守ってきたのか 。。
なんて 思う ところだが、あいにくそんな 感傷 に浸りたくてここまで来た我々 ではない。。
残念ながら(。。?)、観光旅行 や物見遊山が目的じゃあない 。
歴史のロマン(思えば、 佐用町の 地蔵堂の地権者の奥様に言われた)。。 とか言われ、 良い気になって、その言葉に 浸ってる場合じゃないのだ。
求めているのは、歴史の現実 であり 、真実。
リアルな歴史を復興、掘り起こし、蘇らせるために、亀山まで 来たのだ!
だから。。。
タクシーを降りるなり、ごく自然に、当然のように、上森社長はコアロッドを準備し 、塚の周りを探査し始めた。
タクシーの運転手さんは、それを 、不思議そうな顔をして見守っていた。
さて、その結果は、
塚上部から、その直下約 6.6m(道路点からだと約5 5m)を土間天(金底)として、周囲 6mx6mの金をコアロッドは捉えた。
まるで大きなムクノキの根に抱かれるようにして、黄金は地下に眠っている。
それは、未だ見つからない徳川の埋蔵金なんだろうか?
これはロマンではない。
現実なんだ。
また雨粒が降ってきた。椿さんが待つ亀山駅に戻ることにした。
以上
・・
・・と言うことで、亀山駅からタクシーで3メーターほどの所に、莫大な黄金を抱きかかえるように守っている巨木が在りました。
そう言えば、あれから売り上げが増えだしたようですよ大西さん。御参りすると大変なご利益がありそうですねぇ。
2023年6月8(木)
5月28日、阿蘇から熊本駅まで帰って、帰りの新幹線さくら570号の出発時間18時4分まで時間があるので、熊本地震跡の熊本城を見ることにした。
あちらこちらに地震の爪痕は残っていました。全体を地震前の状態に修復するには時間と莫大な金額を要するだろうとの思いに至りました。
それで、コアロッドで城内のどこに埋蔵金があるかを探ってみました。ロッドはすぐさま黄金の反応を示しました。その場所は、宇土櫓横から18mの幅で天守閣の方まで凡そ50mもの黄金の位置を教えました。数十兆円もの金塊が眠っていそうです。一カ所でもボーリング調査を行えば、ハッキリするでしょう。
今、黄金の国ジパング立証プロジェクトで支援金が集まっていますから、熊本城修復工事に役立てられるのであればこれも有りではと思う私ですが・・。
2023年5月13日(土)
どうも・・、
埋蔵及び管理に携わった者や一族の遺した文書からは、瓢箪間歩、新千石間歩など5箇所の坑道が示唆されています。それで秀吉の埋蔵金は、瓢箪間歩や台所間歩などのある当時全盛を誇った銀山町(現在の猪名川町銀山付近)内の豊臣家直轄又はゆかりの坑に秘匿されたと想像されてきたのです。
私には実に妙です!
それは、15尺から30尺下の間歩ではないでしょうか秀吉さま。
それとも本当に、瓢箪間歩や台所間歩などのある銀山町に眠っているのでしょうか。
今日のセミナーは、徳川幕府の貨幣制度と庄屋制度の話になるのか・・、別の話になるのか・・。
天正長大判金(てんしょうながおおばん)って楯17センチ以上の大判って、見てみたいものです!
2023年4月24日(月)
4月15日(土)に私は初めて大濠公園へと行きましたが、コアロッドで地底空間がスキャンできるほど正確に金探査と空洞探査ができました。
皆さんはこのことを理解することができますでしょうか。
平坦な場所だったら、tanθ=BC/AB で金の底部までの深さが読み解ける。
金の深さを計測する一つの例です。
2023年4月19日(水)
15日(土)の大濠公園の天気は小雨が降ったり上がったりの不安定な天気だった。島から観月橋を引き返して休むことなく、三の丸跡から西へ120~130m地点へと急いだ。
そしてコアロッドはすぐさま反応を示した。反応を示した場所は、下の地図に黄色い線で書き入れた場所だった。
金は、32.2m×33.8mと広い面積である。反応する磁南から磁北への距離は22.7mで伏角48度で金の底までの深さHは、22.7×1.11で凡そ25.2mである。そして石室までの通路は幅5.8mと広く濠の方まで一直線に伸びていた。
いくら城跡の古地図や資料を調べてもこの場所に重なるものには出会わない。私の推測では潮見櫓跡ではないかと思いますが、いかがなものでしょう・・。
2023年4月18日(火)
4月15日(土)私は大濠公園(福岡市中央区大濠公園)へと行った。
先ず最初に公園北にあるボート乗り場横にあるカフェショップのテラス前からコアロッドで探査を開始した。
すると観月橋先にある島に向いてコアロッドの先端は閉じた。 金の反応です!
そしてそれから、城跡がある左手方向にコアロッドを回転させていくと・・、これも先端が閉じました。 金の反応です!
それで、先ずは観月橋を渡り切る前からコアロッドが指し示す方角へと歩いて行きました。そして、コアロッドが開く瞬間を歩きながら待ちました。そして開いた瞬間に立ち止まり、靴でラインを書き、そこでターンして来た方向へと逆もどりです。 そしてまた、ロッドの先端が開く瞬間を歩きながら注意深く待ちます。 そしてすぐさまコアロッドは金の境界を教えてくれました。
そこから本格的に平面的な金の位置だしを行いました。金は1.5m×1.5m。念の為に銀も探査すると・・、銀は1.5m×4.3mで、銀は金の上に載っている様でした。それで・・、金の底までの深さを計測することにしました。金の淵から磁南の反応位置までの距離を計測すると6.2mでした。福岡市の伏角は48度のようですから、tan48=1.11・・6.2m×1.11=6.88m。地表面から金の底までは、6.88mです。 では、銀の底までは4.3m×1.11=4.77 金の高さHは、6.88-4.77=2.11m。黄金の量は、1.5×1.5×2.11=4.75㎥ 黄金の重量は、4.75×20=95t
純度や体積を勘案すると時価400億円ほどの埋蔵金でしょうかぁ。 雨も降りそうなので、福岡城へと急がなければなりませんでした。 つづく
立和田さん、大濠公園の伏角は48度でした。大発見でしたねぇ!
2023年3月30日(木)
21日(火・祝)は、東京駅からタクシーで北桔橋門(きたはねばしもん)前で降ろしてもらった。そして早速コアロッドを取り出して門に向かって試した。するとすぐに門の右手に反応した。それで門から入場して確かめることにした。警備員の人にも配慮しながら密かに試す場所を選んだ。先ずは天守台跡に上って上からコアロッドを試すとすぐに天守台の北角下(乾二重櫓(いぬいにじゅうやぐら)跡の方角を示した。素早く計測を終えて、タクシーに乗り込み東京駅へと急ぎ、そして静岡駅へと急いだ。そして・・駿府城へ。 つづく
金の反応は32m×32m。(東京駅前からの調査の43mはちょうど対角線を計測したことになる)
天守台の北西角の下(乾二重櫓(いぬいにじゅうやぐら)跡)に大量の埋蔵金!
黄金は32m×32m。H1.5mとして・・300兆円。
2022年10月3日(月)
宮司さんから有難い言葉を聞いて、タクシーに乗り込みました。
翌日はもう時間がないことは予想されるので、今日しかないので行けるところには連れて行ってもらうと、運転手さんにお願いしました。
先ず行ったのは、新宮城跡でした。城跡には今まで100%、金の反応がありましたから、ここでも楽しみがありました。駐車場から一度上りきったところでコアロッドを取り出して調べると、4m×4mの反応がありました。石室も通路も捉えることができました。金を置いている石室への入口は熊野川に向いた石垣であることを推測することができました。
そして阿須賀神社の境内で金をとらえた角度から丁度直角方向になる場所から蓬莱山を計測するとまた、3mの幅で金の反応を捉えました。
ですから、蓬莱山の徐福の墓には、翌日山頂に上がれば、3m×3mの金の反応と石室の反応があることが予測されました。そして城跡から熊野速玉大社へと行って、コンパスグラスで神社の向きを計測し、そこから神倉神社の入口まで連れて行ってもらいました。 上に上がるには時間的なものと、それ以上に急な石段を上るのに、「もう止めとこ」と・・上るのは明日の蓬莱山だけに集中することにして、ホテルまで送ってもらいました。
「すみません、明日朝8:50頃に迎えにきてもらえますでしょうか、阿須賀神社に9時前には行かないとなりませんので・・」と・・、その日の目まぐるしく慌ただしい時間は終わりました。さぁ!明日です。
2021年12月14日(火)
11日(土)~12日は、岐阜での黄金探査へと出かけました。
岐阜羽島駅に9:46着の新幹線で行きました。
改札口を出て北へと出ると、石子さんが目の前に車を寄せてくれました。
そして、出発!
岐阜での目指す第一目的地へ行く途中、お城が見えました。
それで、「石子さん、左に停めてください」と、お願いしました。
私の頭には一切、予定されていないものでした。
でも、「見て行ってください、調べてください」と誰かが言ってるようにも思えて、コアロッドを持って車を降りました。
そして、首に下げたコンパスグラスでお城の方向を見て、南の方に東西に架かる橋が見えたので、「ラッキー!」と私は嬉しくなり、橋の方へとコアロッドを両手に握りしめて歩きました。
その日の目指すポイントまでは、何度も南から北に向かって調査する計画でコアロッドを調節していましたから、本当にラッキーなのでした。
・・
結論は、金が東西1mの幅で、南北に5mほどでした。推測Hは1mの埋蔵金です。
館内が見学できるようになっていましたから、平面的に正確に位置情報を調べることができました。
推計埋蔵金0.7🦋円でした。
埋蔵金がある深さは、川の面ほどでしょうから、城の周囲を詳しく空洞探査すれば入口を探すことができると私は思いますがねぇ。
築造された当時、現在の天守らしきものの有る無しの論議があるようですが、金の反応があることは間違いありませんから、この場所に砦であれ城であれ存在したことは確かでしょう。
現在のRC造での城を建築するにあたり、基礎工事の杭打ちで、偶然にも金が置かれた石室をうまく外して工事が成されたと私は推測します。
間違いなく平面的にはハッキリしていますから、金が収められた石室への入口を開けてみたいものです。
石組というよりある程度の厚みで石をコンクリートに張り合わせているようですが、遊び心が見えましたね。
2021年11月18日(木)
やっと私も金鳥山に登る時がきたようです。
23日に武部さんが案内してくれると言うことで、初めて登ります。
保久良神社までは行ったことはあるのですが、それから上へは私には禁じられていたようでした。
でも、「来てもよろしい!いえいえ、おいで願えましたら・・」と、言うことかもしれません。
金鳥山は、重要なベンチマークマウンテンで、沢山の空海コードもありますし、下の図形は間違いなく円仁コードです。
金鳥山から円仁の横川中堂までと、高野山の円通寺までは見事に二等辺三角形を描きます(赤の図形)。
また、金鳥山から正福寺までと経ケ岬までも二等辺三角形を描きます(黄の図形)。そして下の図形には他に直角二等辺三角形が4つ描かれています。
金鳥山がいかに中心的ポイントになっているか分かります。分かった上で、そのポイントの上に私が立つことを要求されているように思います。その目標地点に黄金が埋められているようです。
武部さんによれば、待合せ場所は阪急・岡本駅改札口に10時集合とのことです。雨天の場合は中止で、下山後、直会も予定されているとのことです。
皆さんが行かれる場所と、私が立たなければならないポイントとは少し離れているようです。
埋蔵金、推定10🦋円ですがどうでしょうかねぇ。
金鳥山 正福寺 横川中堂は、2:1:√3
金鳥山 正福寺 宮ノ前も 2:1:√3
横川中堂 正福寺 宮ノ前も 2:1:√3