2022年9月5日(月)
2022年11月19日(土)13:30~16:50
開催場所は、 岡山国際交流センター です。
岡山の責任者は、大西さんです。
これから岡山の隠された歴史を表に出す作業をやりながら、健康に暮らす情報も伝えていけたらと思います。
岡山の歴史に私は大いに興味をそそられます。 もっと岡山の空気を吸える時間が増えたらと思うのです。
天神山や熊山遺跡、イエス終焉の地やマリアの墓、そして最近は、吉備真備の墓など、地元の人達に知ってほしいことが沢山あります。
もっともっと、岡山に眠るご先祖様達のことを知りたいと思います。
サポーターの方々が集まって来られることを望みつつ、定期的に開催できればと願います。
2022年7月14日(木)
聖武天皇の墓に手を合わす場所には、2011年11月2日に突然、連れて行かれました。
二回目は2017年1月22日でした。
そこから一気に不思議な体験を私はし始めました。
天神山 2016年4月24日(日)初めての登頂。
兵庫県養父市の光明山(光明皇后の地下神殿)2020年8月2日8(日)に初登頂。
大仙山・吉備真備の墓 2022年7月3日(日)初めての墓参。
こうやってつづってくると、誰の御霊の爆発だったのか分かりました。聖武天皇の御霊でした!!
どうしてか!?って・・、これだけでは皆さんにはまだ理解はできませんね。 続けなくてはなりません。 つづく
2022年7月13日(水)
出口王仁三郎は、聖武天皇の生まれ変わりでした。
聖武天皇の墓は、某宗教団体の禁足地に在ります。
イエス王家の墓である天神山と聖武天皇の墓と、安倍元総理が運ばれた奈良県立医科大学付属病院は、直角三角形を描きます。
病院の屋上には、白十字が描かれています。
んん~ん、偶然にしてはあまりにも・・ですが、皆さんは『赤十字山』という山があるのをご存じでしょうか。
その赤十字山と白十字と京都御所は、直角三角形を描きます。
そして、安倍元首相が銃弾に倒れた西大寺は、京都御所とドクターヘリで搬送された白十字の場所とを結んだライン上に位置しています。
歴史を辿れば、藤原京 平城京 そして平安京の流れです。
これらの都を築いた天皇たちの思いとその御霊が眠るお墓を祀らずしてどうします。
安倍元首相の銃撃事件は、日月神示 神一厘の仕組みの霊魂の所作である。
この世をつかさどる主は、「身魂を清く絶え間なく磨いていなければ・・」というのである。
下記の図形は、天皇や親族の墓を教える空海コードですが、安倍元首相銃撃事件が、
霊魂の所作であることを説明していきたいと思います。 つづく
2022年7月10日(日)
7月8日午前11時半頃、安倍晋三元首相が選挙演説中に銃撃された。
現場は、奈良県、近鉄大和西大寺駅北側のロータリー。
ドクターヘリで奈良県立医科大学付属病院へ運ばれたが、夕方5時3分に死亡が確認されたという。
奈良市在住の山上(やまがみ)徹也(41)=奈良市大宮町3丁目が容疑者のようだ。
これらのことは、全て意味ある情報でありメッセージだといつも以上に私は強く感じたので、地理院地図を開いてその場所をプロットした。
すると・・すぐさま図形が描かれた。
銃撃された場所と吉備真備の墓と京都御所は直角三角形。搬送先の病院とも直角三角形を描いている。
吉備真備の墓とイエス王家の墓である天神山と安倍氏襲撃の場所は直角三角形を描く。
吉備真備の墓と天神山と搬送先の病院も直角三角形を描いている。
襲撃された場所そばの西大寺と光明皇后の地下神殿と天神山も直角三角形を描く。
搬送先の病院と、聖武天皇の墓と天神山も直角三角形を描いている。
また、搬送先の病院に隣接している藤原京と藤原不比等の墓と、光明皇后の墓は直角三角形を描いている。
そして、容疑者の住所地とイエス・キリストの陵墓を結んだライン上にピタリと襲撃現場が位置している。
これらのことは、この世に生きた先人たちのお墓の場所を見事に証明して見せてくれたようだ。
安倍元首相が銃撃された場所と搬送先の病院の場所には重大なメッセージが込められていました。
今回の事件は、この世に生を受け向こうの世界に逝った人と、この世に生きている人とが織りなす世界であることを私たちに教えている。
2021年3月12日(金)
生野の小人さんと出会ったところで、とうりゃんせの唄を自然と口ずさんでいた。
そして一気に忘れかけていたことを思い出した。
天神様を祀る地下神殿から天神山(岡山)までと桓武天皇の墓までは共に80㎞で三点は二等辺三角形を描いている。
ここにきて桓武天皇の亡霊がふたたび現れた!
2021年3月12日(金)
天神様を祀る地下神殿は、兵庫県朝来市生野町の絶峯御林の地中に存在しています。
ここの絶峯御林から岡山県にある天神山と、神護寺(京都)の上に位置する高雄山(428,4m)に葬られた第五十代桓武天皇の墓までは共に80㎞と同距離です。
綺麗な二等辺三角形を描きます。
絶峯の地下にある天神を祀る地下神殿の関係を教えています。
2020年11月30日(月)
巨大な金魚のコンターラインで造られた橘嘉智子の墓への遥拝の山は、墓から北東の方向にある286mの山である。
この場所からお墓に向かって祈るその先に、ピタリと龍田大社がある。
それで23日(日)、嘉智子さんのお墓へ行ってから、龍田大社へと行った。
社は私には、どこか人々を寄せ付けないような重苦しいような感じに思えた。そしていつものようにコンパスグラスで神社の角度を計測して帰った。
そしてその角度から分かったことは、社で手を合わす先には、イエスの墓を教える大事なベンチマークの島である、「上島」。
そしてその先には、イエス終焉の地である備前の」「穂波」、そしてその先がイエス王家の方々の陵墓である岡山市瀬戸町にある」「天神山」でした。
そして、龍田大社と天神山と徳島市の忌部神社の上にある妙見山の三点が、正五角形の一部をなす36度54度90度の直角三角形を描く配置になっていることには強い計画的配置であることが推測できる。
龍田大社を見てから、藤本さんに送ってもらった最寄りの駅は、私には初めてとなる王寺駅だった。
なぜか気になる『王寺』の文字でしたが・・。
2020年7月28日(火)
光明皇后と言えば聖武天皇。そして東大寺大仏殿。
満願寺( 兵庫県三木市志染町三津田20)から光明皇后の墓までと大仏殿がある東大寺までは、共に71.8㎞と同距離である。
東大寺の近くには、聖武天皇陵もある。
そして、満願寺と天神山と光明皇后の墓は、1ラジアンを用いた直角三角形で位置決めされている。
満願寺は、間違いなく光明皇后の墓を教えている。
天神山のコンターラインは、葬送の船の形を描いて造成されている。
そしてその船は、光明皇后の墓を向いている。
天神山という名の山は、隠された天皇たちの墓を教える重要な山である。
2019年7月16日(火)
稗田阿礼を祀る賣太神社(奈良県大和郡山市稗田町)の真北に隣接する下三橋町が、私が社会に出て働き始めた最初の赴任地でした。
私はそこで住宅1000戸の分譲住宅建設に携わりました。
その住宅地の南北のメイン道路を南に抜けたところが環濠で囲まれた稗田でした。
でもその時代、一度も稗田に足を踏み入れることはありませんでした。
それが数年前、やっと行く機会が来て何か感慨深いものがありました。
そしてその時コンパスグラスで計測してきましたが、賣太神社で手を合わせる先は、四天王寺でありイエス王家の陵墓である岡山の天神山であることや、境内にのこされていた方位石からいろいろと教えられました。
そして今ここにきて、稗田阿礼が何かを訴えているようです。
蘇我入鹿と稗田阿礼と行基。
この三人は特別な関係があることを綺麗な直角三角形は物語っているようです。
2018年11月30日(金)
素戔嗚尊はモーセのことです。
そのモーセ生誕の地が米子の大山麓にある大神山神社奥宮あたりで、終焉の地が大田市の三瓶山が西南西に見える山でした。
場所は、大田市山口町山口と島根県飯南町角井の境界にある山でした。
モーセ終焉の地からイエス終焉の地である備前の穂波までと、空海さまの亡骸を高野山から移し替えた山口県にあるコンターラインが可愛い魚をした真魚の山(空海様の墓)までは、互いに149㎞と同距離です。
三点は綺麗な二等辺三角形を描いています。 見事です!
そして・・、まだ教えられます。
岡山県に熊山遺跡がありますが、そこからモーセの墓までとモーセ終焉の地までの距離は、共に141.2㎞と同距離です。 三点は綺麗な二等辺三角形を描いています。
偶然でしょうか。
謎と言われ続けてきた熊山遺跡は、イエス王家の陵墓である天神山をみつめ守っていましたが、モーセ終焉の地とモーセの墓を教えていました。
我が国の先人先輩諸氏は、モーセやイエスの終焉の地から葬られたお墓の位置までも全て知っていたということです。
そして、その地を崇め祀ってきていました。
それがどうでしょう・・、間違いなく明治維新が行われる幕末まで祀り守られてきていた天との誓約が今、完全に行われていません。
神との誓約は、だれがやらなければならないかは当然至極です。
目に見えない世界は常にそこに焦点を合わせています。
そして物事には限度というものがあります。
限度を超えるとどうなるのか・・、地震や山崩れや異常な台風など今年は特に不思議現象を皆さんに見せつけましたが、山火事や難民の移動など世界を見れば終末の様相は誰でも分かります。
心せねばなりません。
・・
神戸 サラ・シャンティでのセミナーは明後日2日日曜日です!
この国は凄すぎる!! ・・というお話です。
終わってから懇親会といいますか忘年会と言いますか・・ワイワイガヤガヤのようです。
2018年11月15日(木)
先日、武部さんが西宮市にある夫婦岩を見に連れて行ってくれました。
帰って地理院地図と照らし合わせたりすると、それはもう見事にイエス王家の墓である天神山やイエス終焉の地やイエスの陵墓、モーセの墓、マリアの墓の位置と見事に符合しました。
その角度が教える先に見える目印の山も、マリアの墓とイエス・キリストの墓の方角を教えていました。
そして、夫婦岩を中心点としてイエス・キリストの墓までの半径で円を描くとそのライン上には高野山や修験道の本山である吉野の金峯山寺など、山岳信仰にゆかりのある山々や磐座、神社寺院などが存在しています。
姫路の市川の河口に甲山がありますが、夫婦岩の東にある甲山とイエス・キリストの墓は、2:1:√3の直角三角形を描きますが、その姫路のベンチマークの山である甲山をキッチリと教えています。
そして、もっとも驚く事実は、夫婦岩のすぐ近くにある甲山と、モーセの墓と、播磨灘に浮かぶ家島諸島の西島の山頂にある頂ノ岩(コウナイの石)の三点を結ぶと、ほぼ 3:4:5の大矩を描きます。
厳密には、90度 54度 36度の直角三角形を描きます。
この直角三角形は、正五角形の一部となる三角形です。
正五角形の一部となると、そこから正五角形を求めなくてはなりません。
・・・!? 描いていくと・・ 偶然にしてはあまりにも・・です。
こんな偶然はあるのでしょうか。
知ってはいけない秘密の扉を開いてしまったようです。驚愕!!します。(つづく)
聖地巡礼ツアーぎりぎりまでモーセの墓の秘密を教えられますねぇ。
下の写真は西島の頂ノ岩です。武部さんのブログより拝借しました。
夫婦岩と頂ノ岩とのライン上に、見事に上島の人面岩もあります。
これも武部さんのブログより拝借です。
厳密に言えば、夫婦岩と武部さんが見つけているモーセの墓の近くのドーム状の山と頂ノ岩。
頂ノ岩とモーセの墓と甲山(西宮)の直角三角形です。
武部さんは全ての重要ポイントに立っていますね。
2018年11月3日(土)
高野山 神野山 交野山 神於山 向麻山 ・・ 皆 コウノヤマ と読みます。
イエスの陵墓から神野山までと高野山までの距離は全く同じです。 偶然でしょうか。
神野山から交野山を通ってラインを延長すると地下神殿がある絶峯へと行きます。
高野山から神於山を通ってラインを延長すると、同じく絶峯に行きつきます。 偶然でしょうか。
絶峯から高野山までの距離と向麻山まで距離は全く同じです。 偶然でしょうか。
イエスの陵墓の横にあるハートの丘は、鶴と亀の巨大な地上絵が造られている絶峯御林・古城山御林を向けて造営されています。
ハートの丘は、モーセやイエスを祀る地下神殿があることを教えています。
この不思議な物語の始まりは、「穴を掘れ!」と言われて、いろんな人たちが登場してその場所へとたどり着きマジに穴掘りを始めたのが、ハートの丘が指し示す生野でした。
不意義な不思議な物語なのです。
イエス王家の陵墓がある天神山から絶峯までの距離と向麻山までの距離は全く同距離です。
コウノヤマが教えるこれらのことは、偶然で起こり得るものでしょうか。
もう8年が経過しましたが、巨大な地上絵を発見し、その情報がイスラエルに住む古代ユダヤの12部族の行方を研究している教授に届いて、ほどなくしてグーグルの地図にフィルムをかけられて見えなくされ、時間が経ってフイルムがとられたと思ったら、もう見えないように改ざんされていました。
これらのことも含め、このコウノヤマが教える場所こそが、「かごめかごめ」の唄であり、「とうりゃんせ」の唄の舞台でした。
空海様は今も生き続けていますね。
役行者や行基、和気清麻呂や桓武天皇、最澄、円仁ら高僧たちも、この日本の本当の歴史が今、表にでることを願っています。
「成就」。
忌部氏は古代天皇家の秘密と神宝の在処も知っていますね。
忌部氏のDNAを受け継ぐ人たちは、世界の平和の為に今こそ決意していただきたいと願います。
2018年10月31日(水)
忌部山を車で走ってから次に立ち寄ったのが岩戸神社でした。
何があるのか事前に調べて行ったわけでなく、途中、鎮守の森に引き寄せられるように境内まで入って、そこで初めて立派な磐座があることを知りました。
もうほどなくして、磐座の切欠いた凹部分に大きな意味があることが理解できましたので、近寄って行くと巨石の裏に予測通りの人が腰かける三角の石がありました。
「どうぞここに座って凹の部分を眺めてくださいな」と言ってるようなので、座ってみると・・、なんと座り心地の良い石なのでしょうかぁ。
腰と背中のピッタリ感が何ともいえない感触でしたねぇ。 グッド!!
切欠いた凹部分に大きな意味がありますよ。
座りやすいイスです。空海様も座ったことでしょう。
下の写真は、すえドンのフォト日記から拝借させてもらいました。
岩戸神社から北に向かって左手に飛び出した伊笠山の先にはイエス王家の陵墓である天神山です。
右手の高い山である城王山の先にはイエス マリアの陵墓を教える大聖寺があります。
二つの山とは逆に一番低い谷の部分の先にはイエス終焉の地である備前の穂波があります。
岩戸神社から卑弥呼の陵墓やマリアの墓、イエス終焉の地に手を合わす八十八番大窪寺の場所を教える山々が存在していることでしょう。
石の鳥居横にあった三角の石の椅子に腰を下ろして、目の前の岩の窪みが教える中心のポイントは、谷合の一番低い場所でした。
大国主命=イエス・キリストが住んでいた場所を遠くからいつも祈っていたのかもしれませんねぇ。
下は、地理院地図を3Dにして高さ方向を強調したものですが、イエス終焉の地は谷の低いところ(赤ライン)で教えていることが分かります。
聖地巡礼ツアーの空席、二名分あります!
沖縄から来られる方も居られますよ!
2018年10月26日(金)
後醍醐天皇が亡くなった後、足利尊氏が後醍醐天皇を弔って京都に造営したのが天龍寺。
その天龍寺の磁北に桓武天皇の亡骸をいれた高雄山(428.4m)があります。
そして真北には、嵯峨天皇(第52代)陵があります。
この天龍寺と後醍醐天皇陵とほぼ2:1:√3という直角三角形を描く場所に、イエス・キリスト終焉の地があります。
偶然でしょうか。
後醍醐天皇陵と桓武天皇の墓と、イエス王家の陵墓である天神山も同じような三角形を描いています。
偶然でしょうか。
これらの事実から足利尊氏も、桓武天皇の墓も、イエス王家の陵墓も、イエス終焉の地も知っていたということが言えるのではないでしょうか。
後醍醐天皇の時代これらは既知の事実として、天神山でも桓武天皇の墓でも皆が、弔い祀っていたとうことでしょう。
いつの世も天皇は、国民を代表してご先祖の御霊を護り、そのサポート役として天皇の代わりを果たすのが、政権の長の務めなのです。
間違いなく徳川政権の世までは確実に引き継がれてきました。
でも・・今はどうなのでしょう。
卑弥呼は、大王イエス・キリスト(大国主命)の陵墓や、王家の方々の墓守が女王としての務めでした。
国事国体は播磨国風土記に記された埴岡の里(現在の生野、神河町)で、政治政体は奈良纏向でした。
もうそろそろ邪馬台国論争の呪縛から目を覚まさなければ、皆さんの立派なご先祖様たちが嘆き悲しまれることでしょう。
先人先輩諸氏が幾何千年もの時をかけてこの大地に残したものを現代の世は途絶えさせようとしています。
先日、女子駅伝での壮絶なシーンを見せつけられましたが、スポーツとしてのマラソンではストップさせるべきでしょうが、国事国体としての代々の大王、天皇の御霊を祀り崇めることは途絶えさせてはなりません。
西欧の一神教とのかかわりで、その事実を隠ぺいしてはなりません。
もし今のようにタスキを渡すことを止めるのであれば、二度とこの国が、人類が立ち上がることのできないような状況はもうすでに用意されていることでしょう。