2024年4月2日(火)
昨年の9月4日に私は、湯村温泉の「井づつや」さんで、最澄さまの掛け軸の姿を前にして講演をしました。
それから不思議なことが連続的に起き、導かれて円仁さまの墓を教えられ、そして又、最澄さまのお墓をフェニックスコードで教えられました。
円仁と最澄と吉備真備の墓は直角二等辺三角形を画いています。その三ヶ所ともコアロッドで石室を捉えました。
彼らが行ったことが今、この時代に表にでるのではという予感がする私です。
2024年4月2日(火)
昨年の9月4日に私は、湯村温泉の「井づつや」さんで、最澄さまの掛け軸の姿を前にして講演をしました。
それから不思議なことが連続的に起き、導かれて円仁さまの墓を教えられ、そして又、最澄さまのお墓をフェニックスコードで教えられました。
円仁と最澄と吉備真備の墓は直角二等辺三角形を画いています。その三ヶ所ともコアロッドで石室を捉えました。
彼らが行ったことが今、この時代に表にでるのではという予感がする私です。
2023年11月16日(木)
そしてその遺骨は、白毫寺(青星)へ安置された。そしてそして、なんと!綏靖天皇の嫡子の墓もあった!!(赤星)
このことは、空海と円仁も知っていた! いえいえ、知っていたどころか、吉備真備も空海も「私のルーツだ!」と言っているのです。
これで、18日のツアーに行くことができる。
新たなフェニックスコードが浮かび上がりました。
2023年10月6日(金)
何かが気になって仕方が無いので、綏靖天皇の墓と白毫寺とを結んで、そのラインを遥か西へとラインを伸ばしてみました。
そして今度は、天王山と再度山大龍寺とを結んで、そのラインを遥か西へと伸ばして二つのラインが交わるポイントを見つめると・・!
するとそこに、『天道法師塔』という文字が浮かび上がりました。
私が初めて目にする文字でした。天道法師という名も初めて知りました。
便利な世の中ですねぇ、・・いつも感心しっぱなしです。その地点をグーグルマップで調べると、そこの写真も沢山出てきます。
その塔は、行基の土塔や玄昉の頭塔、そして吉備真備の熊山遺跡などと同じように石を積み上げて塔を形成しています。
・・と言うことは、重大で大きな意味を持っていることは確かです。
・・それで、中心ラインはどこから延びているのかを求めると、草壁皇子の墓が浮かび上がりました。そしてそこから西へと行くと、姫路の「随願寺」が浮かび上がります。
これらの情報から、天道法師は・・、三国時代高句麗出身で「日本世紀」を著した僧侶、『道顯(ドヒョン・どうけん)』ではと思う私です。
日本と朝鮮半島との古代史が浮かび上がってくるようです。
2023年1月31日(火)
空海は高野を開いてからも、月に一度は荒神岳に登っていたという話を最初に聞いたとき、全くもって謎でした。
でも・・、やっとここに至ってその謎が解けました。荒神社の東には空海さまのお祖父さんにあたる道鏡の墓があって、そこから直角に北に行ったところに道鏡の父にあたる葛野王の墓があります。全くこの図形を反転した場所に行基の墓があって、荒神社 道鏡の墓 葛野王の墓 これに対して荒神社 道鏡の墓 行基の墓は全く同面積で同じ角度のシンメトリーな直角三角形を描いています。
このようなことって・・、もう驚くばかりです。まだこれ以外に荒神社から父にあたる吉備真備の墓や、光明皇后や空海さまの母の墓など沢山描けます。あまりにも・・なのです。
空海さまにとって、荒神岳の荒神社は、特別で大切な場所だったのがよ~~く理解できた今日この頃です。
2022年9月21日(水)
台風14号は、17日未明に芦北を通って北上し、18日午後9時頃、空海さまのお墓を巻き込んで出雲の方に向いた。
ちょうどそのころ、佐伯市蒲江で最大瞬間風速は、50・4メートル(18日午後9時14分)を記録したとのニュース。
そして台風は鼻高山へと到達して向きをやや南下させた。
この台風は、意思を持っていたと私に思えて仕方ありません。
・・というのは、空海さまの石室の配置は、通路の位置からしてコンパスグラスで110度方向から入って290度方向に意味を持たしています。
290度方向には対馬のハナタカ山。そして台風が教えた鼻高山。
これはもう偶然ではありえない話です。
それで私は、鼻高山とハナタカ山とを結んで、いつも通り空海コードから重要拠点を割り出す作業を行いますが、その時、最大瞬間風速50.4メートルのニュースが目に入りました。
その場所こそ空海コードで浮かび上がった二等辺三角形を描く「佐伯市」でした。
空海さまを預かり育てた佐伯氏の存在を台風は私に教えたようです。
「佐伯の方々、鼻が高いでしょう」と空海さま。・・じゃなくて、「佐伯に育てられてハナガタカイでしょう」と佐伯氏。
んん~~ん、どちらでしょう。・・どちらとも正解のように思われます。
その時代、部族としての佐伯氏は、少なくとも西日本全土を支配していたような形跡があります。もちろん海外との交易も牛耳っていたことでしょう。
台風14号が空海さまの墓を通る二日前に初めて地表からは見えない地下の石室の向きを知り得た訳ですから、私の動きと台風14号は間違いなく連動しています。
しかも芦北を通って空海さまの墓を通過して出雲の鼻高山まで行って、そこから進路を変えたのですから・・。そして最大瞬間風速50.4メートルのニュース。
そしてもう一つ・・、墓掃除にきていた人の中に、「私の旧姓は、佐伯です」という女性の方が居られて、「世が世であれば、御姫様ですね」と私は話していました。
今までの話は黄色い三角形の話でした。
これからはブルーの三角形です。
地表面で祈る先は今までとは真逆で、徳島県海陽町穴喰浦にある二子島です。
空海さまの墓と二子島と、もう一点で2:1:√3の直角三角形になる地点を求めるとそこに、空海さまの父である吉備真備が創建した廣峯神社が在るのは偶然とは私には思えません。
「空海は双子で生まれました」と私は教えられていましたから・・ここにもその証明です。
んん~~ん、あまりにも不思議な話です。地底の石室の状態と台風の意思など目には見えませんが、間違いなく意思をもった何者かと連動して動いていると私は確信できます。
空洞と黄金を探査できるコアロッドは、空海コードが教える古代天皇たちの埋め墓に正確に今まで反応を示してきましたが、意思をもった何者かは新たな世を創造しだしたように私には感じられます。
新たなステージは、霊性を高める努力を惜しまない人だけに特別な台本をあたえるように思えてなりません・・。
2022年9月5日(月)
2022年11月19日(土)13:30~16:50
開催場所は、 岡山国際交流センター です。
岡山の責任者は、大西さんです。
これから岡山の隠された歴史を表に出す作業をやりながら、健康に暮らす情報も伝えていけたらと思います。
岡山の歴史に私は大いに興味をそそられます。 もっと岡山の空気を吸える時間が増えたらと思うのです。
天神山や熊山遺跡、イエス終焉の地やマリアの墓、そして最近は、吉備真備の墓など、地元の人達に知ってほしいことが沢山あります。
もっともっと、岡山に眠るご先祖様達のことを知りたいと思います。
サポーターの方々が集まって来られることを望みつつ、定期的に開催できればと願います。
2022年8月15日(月)
空海の墓は、山口県周南市大字湯野にある望海山(616m)にあります。
可愛い可愛い魚のコンターラインを描いていて、東を向けて造営されています。
東には、真魚ちゃんのお母さんの墓と妹の墓がコンパスグラスで74度の方角に在ります。ほぼこの方向に父である吉備真備の墓も在ります。
お母さんの墓は兵庫県ですが、空海さまの墓との間には、一切遮る山がありません。マオちゃんの墓とお母さんの墓とは光通信ができます。
お母さんの墓に上られた岩元さん、この話をどう思われますでしょうか。 これは凄い!計画です。
そしてそのお母さんの墓の先に御祖母さん(孝謙天皇)の墓もあります。一度ほどの違いですから、同じ目線の先に、父母、妹、お祖母さんが眠っている様相です。
そして、6度南へ視線を下げると、祖母にあたる光明皇后の墓と、光明皇后の生母である橘三千代の墓もあります。
もう6度南へ視線を下げると、空海さまの娘の墓(島)とその生母である橘嘉智子の墓があります。
マオちゃんのお魚さんは、いつもご先祖様方の墓を見つめるように造営されていま~~す。
マオちゃん、グッジョブ!
2022年7月15日(金)
774年7月16日は、空海生誕の日です。 どこにも書いてないと思います。
私にはどんどん教えてくる何者かがまとわりついています。 そして空海さまのルーツもほぼ分かりました。
その過程での安倍元首相銃撃事件です。 それは、空海誕生秘話を知った聖武天皇の御霊がショックを受けてから数日のことでした。
聖武天皇にはあまりにものショックでしたね。
自分の娘と思っていた阿倍内親王(孝謙・称徳天皇)が自分の娘でなかったというショック。
しかも・・、自分の子供と思っていた娘は、光明皇后と吉備真備の子だった・・というショック。
空海さまは父不見山(ててみずやま)という名の山を国土に遺して、弘法大師廟から空海の墓までと父不見山までとを同距離とする二等辺三角形を形成することで、「父親の顔を見たことがない」と教えていました。
大仙山は吉備真備の墓ですが、そこから八祢宜山までの距離と空海の墓までは同距離で二等辺三角形を描きます。
そして・・、孝謙天皇の墓から吉備真備の墓である大仙山までと父不見山までとが同距離で二等辺三角形を描きます。
弘法大師廟と八祢宜山と孝謙天皇の墓は、直角三角形を描きます。
空海さまも孝謙天皇も、吉備真備の墓である大仙山と『父不見山』を使って、「私は父親の顔を見たことがないのです」と語っているのです。
お二人が、吉備真備という同一人物にたいして言って居られるのです。どういうことか理解ができますでしょうか皆様。
「吉備真備!どういうことなんだ!!」
「光明皇后!どういうことなんだ!!」
「阿倍内親王!お前までもが・・」と、聖武天皇は大変なショックで大激怒なのでした。
初対面の時にも私に、「それは本当か!」と言われて、「本当です」と応えると大変に大喜びされていましたが、
今回もまた私に、「それは本当か!」と言われるので、前回同様冷静に、「本当です」と応えると、大変ショックなご様子でした。 つづく
2022年7月14日(木)
聖武天皇の墓に手を合わす場所には、2011年11月2日に突然、連れて行かれました。
二回目は2017年1月22日でした。
そこから一気に不思議な体験を私はし始めました。
天神山 2016年4月24日(日)初めての登頂。
兵庫県養父市の光明山(光明皇后の地下神殿)2020年8月2日8(日)に初登頂。
大仙山・吉備真備の墓 2022年7月3日(日)初めての墓参。
こうやってつづってくると、誰の御霊の爆発だったのか分かりました。聖武天皇の御霊でした!!
どうしてか!?って・・、これだけでは皆さんにはまだ理解はできませんね。 続けなくてはなりません。 つづく
2022年7月12日(火)
昨日、大西さんからのメールです。
上森社長
おはようございます。
安倍元首相の事件には正直驚きました。
安倍元首相銃撃事件発生時、岡山にも西大寺があるので気になって
調べてみたら大和西大寺は孝謙天皇(安倍内親王)の発願で、道鏡も
関係してるようで、何か関係してるのか?と想ってました。
犯人の山上も、貧窮問答歌の山上憶良か?と考えてみたり...
しかし、昨日日曜日のブログで、これほどの三角形が描かれるとは。
特に、事件現場と安倍氏が亡くなった場所と、藤原京ー平城京ー平安京
(御所)の南北のラインが重なるのにも少々ゾッとしました。
現実社会では、どこまでが本当か分かりませんが、宗教がらみの個人的
な私怨が背景にあるような報道も目にします。
参議院選挙も終わり国民はひとつの選択をしたことになりますが...
これが何かの終わりになるのか、それとも新たな始まりになるのか。
私としてはここから4年なり未来にむけての始まりだと考えたいです。
何とかメッセージを受け取り、自分ができることで、それを形にして
いきたい(そうせねば)と考えた週末でした。
決して暗い気持ではありませんが、久しぶりに少々重い、週末でした。
「ゼロリスト外して寝ると、足がひきつって夜中に何度か目が覚める...
付けて寝ると、足がひきつらない。不思議じゃな~」
とは、母親の一言です。
今週も明るくやって行きます。
大西
山上憶良ですか・・、安倍内親王ですかぁ・・。
孝謙天皇(称徳天皇)がお怒りになっておられますかぁ・・。
近くにそなたの天皇陵もありますよ。
いえいえ、吉備真備と光明皇后と藤原家の皆様がお怒りになっておられましたご様子にて・・。 これは・・ああ〜〜恐ろしか〜〜!!
・・・
今日の朝一番の大西さんのメールです。
上森社長
おはようございます。
今朝ブログを見ました。ありがとうございます。
ただ、一点お詫びがあります。
孝謙天皇の即位前のお名前の漢字を間違えてました。
正式には、”安倍”ではなく”阿倍”でした。
改めてお詫びします。
尚、おなじ”あべないしんのう”と読みますが”安倍”内親王だと、
第47代の淳仁天皇の皇女で斎王にいらっしゃいました。この方、
父親が即位前には山於女王(やまのうえのじょおう)とよばれていた
そうです。
淳仁天皇の前後は第46代孝謙天皇と重祚した第48代称徳天皇です。
いずれにしても、本来なら岡山から長野に行くはずが急遽奈良に行く
ことになって...という現実を偶然ですませれば簡単ですが。
あの場所に呼ばれたんですかね。
常ならば目には見えない世界の扉が、あの時、あの場所で、それこそ
みんなが見ている目の前で、一瞬だけですがガバッと開いたという
ことなんでしょうね。
お詫びまで...でした。
大西
・・
上記のメール、ますます興味が湧きますねえ。(うえもり)
2022年7月11日(月)
先週の3日、日曜日、先ずは吉備真備の墓である大仙山に上った。
そしてそこから武部さんの車で一時間ほど走行し、兵庫県相生市にある光明山(260.6m)に上った。
事前に光明山に行っていた大西さんの情報は大いに役にたった。
この光明山は、光明皇后の墓であることを空海コードで教えられていたので先に吉備真備の墓にお参りして、それから光明皇后の墓へとお参りした次第でした。
お墓では、またまた武部さんたちに歌を歌ってもらいましたが、歌い終わったらなんとも言えない清らかなひんやりした風が体に吹き寄せてきました。
そして・・その後、雲といいますか霧といいますか、山を抑えるように光を閉ざしていたのに、光が私たちに降り注ぎました。
不思議な不思議な光景を見せてくれました。間違いなく私たちに神様が応えてくれているのがわかりました