2024年4月2日(火)
昨年の9月4日に私は、湯村温泉の「井づつや」さんで、最澄さまの掛け軸の姿を前にして講演をしました。
それから不思議なことが連続的に起き、導かれて円仁さまの墓を教えられ、そして又、最澄さまのお墓をフェニックスコードで教えられました。
円仁と最澄と吉備真備の墓は直角二等辺三角形を画いています。その三ヶ所ともコアロッドで石室を捉えました。
彼らが行ったことが今、この時代に表にでるのではという予感がする私です。
2024年4月2日(火)
昨年の9月4日に私は、湯村温泉の「井づつや」さんで、最澄さまの掛け軸の姿を前にして講演をしました。
それから不思議なことが連続的に起き、導かれて円仁さまの墓を教えられ、そして又、最澄さまのお墓をフェニックスコードで教えられました。
円仁と最澄と吉備真備の墓は直角二等辺三角形を画いています。その三ヶ所ともコアロッドで石室を捉えました。
彼らが行ったことが今、この時代に表にでるのではという予感がする私です。
2023年1月31日(火)
空海は高野を開いてからも、月に一度は荒神岳に登っていたという話を最初に聞いたとき、全くもって謎でした。
でも・・、やっとここに至ってその謎が解けました。荒神社の東には空海さまのお祖父さんにあたる道鏡の墓があって、そこから直角に北に行ったところに道鏡の父にあたる葛野王の墓があります。全くこの図形を反転した場所に行基の墓があって、荒神社 道鏡の墓 葛野王の墓 これに対して荒神社 道鏡の墓 行基の墓は全く同面積で同じ角度のシンメトリーな直角三角形を描いています。
このようなことって・・、もう驚くばかりです。まだこれ以外に荒神社から父にあたる吉備真備の墓や、光明皇后や空海さまの母の墓など沢山描けます。あまりにも・・なのです。
空海さまにとって、荒神岳の荒神社は、特別で大切な場所だったのがよ~~く理解できた今日この頃です。
2022年9月5日(月)
2022年11月19日(土)13:30~16:50
開催場所は、 岡山国際交流センター です。
岡山の責任者は、大西さんです。
これから岡山の隠された歴史を表に出す作業をやりながら、健康に暮らす情報も伝えていけたらと思います。
岡山の歴史に私は大いに興味をそそられます。 もっと岡山の空気を吸える時間が増えたらと思うのです。
天神山や熊山遺跡、イエス終焉の地やマリアの墓、そして最近は、吉備真備の墓など、地元の人達に知ってほしいことが沢山あります。
もっともっと、岡山に眠るご先祖様達のことを知りたいと思います。
サポーターの方々が集まって来られることを望みつつ、定期的に開催できればと願います。
2022年8月15日(月)
空海の墓は、山口県周南市大字湯野にある望海山(616m)にあります。
可愛い可愛い魚のコンターラインを描いていて、東を向けて造営されています。
東には、真魚ちゃんのお母さんの墓と妹の墓がコンパスグラスで74度の方角に在ります。ほぼこの方向に父である吉備真備の墓も在ります。
お母さんの墓は兵庫県ですが、空海さまの墓との間には、一切遮る山がありません。マオちゃんの墓とお母さんの墓とは光通信ができます。
お母さんの墓に上られた岩元さん、この話をどう思われますでしょうか。 これは凄い!計画です。
そしてそのお母さんの墓の先に御祖母さん(孝謙天皇)の墓もあります。一度ほどの違いですから、同じ目線の先に、父母、妹、お祖母さんが眠っている様相です。
そして、6度南へ視線を下げると、祖母にあたる光明皇后の墓と、光明皇后の生母である橘三千代の墓もあります。
もう6度南へ視線を下げると、空海さまの娘の墓(島)とその生母である橘嘉智子の墓があります。
マオちゃんのお魚さんは、いつもご先祖様方の墓を見つめるように造営されていま~~す。
マオちゃん、グッジョブ!
2022年7月15日(金)
774年7月16日は、空海生誕の日です。 どこにも書いてないと思います。
私にはどんどん教えてくる何者かがまとわりついています。 そして空海さまのルーツもほぼ分かりました。
その過程での安倍元首相銃撃事件です。 それは、空海誕生秘話を知った聖武天皇の御霊がショックを受けてから数日のことでした。
聖武天皇にはあまりにものショックでしたね。
自分の娘と思っていた阿倍内親王(孝謙・称徳天皇)が自分の娘でなかったというショック。
しかも・・、自分の子供と思っていた娘は、光明皇后と吉備真備の子だった・・というショック。
空海さまは父不見山(ててみずやま)という名の山を国土に遺して、弘法大師廟から空海の墓までと父不見山までとを同距離とする二等辺三角形を形成することで、「父親の顔を見たことがない」と教えていました。
大仙山は吉備真備の墓ですが、そこから八祢宜山までの距離と空海の墓までは同距離で二等辺三角形を描きます。
そして・・、孝謙天皇の墓から吉備真備の墓である大仙山までと父不見山までとが同距離で二等辺三角形を描きます。
弘法大師廟と八祢宜山と孝謙天皇の墓は、直角三角形を描きます。
空海さまも孝謙天皇も、吉備真備の墓である大仙山と『父不見山』を使って、「私は父親の顔を見たことがないのです」と語っているのです。
お二人が、吉備真備という同一人物にたいして言って居られるのです。どういうことか理解ができますでしょうか皆様。
「吉備真備!どういうことなんだ!!」
「光明皇后!どういうことなんだ!!」
「阿倍内親王!お前までもが・・」と、聖武天皇は大変なショックで大激怒なのでした。
初対面の時にも私に、「それは本当か!」と言われて、「本当です」と応えると大変に大喜びされていましたが、
今回もまた私に、「それは本当か!」と言われるので、前回同様冷静に、「本当です」と応えると、大変ショックなご様子でした。 つづく
2022年7月14日(木)
聖武天皇の墓に手を合わす場所には、2011年11月2日に突然、連れて行かれました。
二回目は2017年1月22日でした。
そこから一気に不思議な体験を私はし始めました。
天神山 2016年4月24日(日)初めての登頂。
兵庫県養父市の光明山(光明皇后の地下神殿)2020年8月2日8(日)に初登頂。
大仙山・吉備真備の墓 2022年7月3日(日)初めての墓参。
こうやってつづってくると、誰の御霊の爆発だったのか分かりました。聖武天皇の御霊でした!!
どうしてか!?って・・、これだけでは皆さんにはまだ理解はできませんね。 続けなくてはなりません。 つづく
2022年7月11日(月)
先週の3日、日曜日、先ずは吉備真備の墓である大仙山に上った。
そしてそこから武部さんの車で一時間ほど走行し、兵庫県相生市にある光明山(260.6m)に上った。
事前に光明山に行っていた大西さんの情報は大いに役にたった。
この光明山は、光明皇后の墓であることを空海コードで教えられていたので先に吉備真備の墓にお参りして、それから光明皇后の墓へとお参りした次第でした。
お墓では、またまた武部さんたちに歌を歌ってもらいましたが、歌い終わったらなんとも言えない清らかなひんやりした風が体に吹き寄せてきました。
そして・・その後、雲といいますか霧といいますか、山を抑えるように光を閉ざしていたのに、光が私たちに降り注ぎました。
不思議な不思議な光景を見せてくれました。間違いなく私たちに神様が応えてくれているのがわかりました
2022年7月10日(日)
7月8日午前11時半頃、安倍晋三元首相が選挙演説中に銃撃された。
現場は、奈良県、近鉄大和西大寺駅北側のロータリー。
ドクターヘリで奈良県立医科大学付属病院へ運ばれたが、夕方5時3分に死亡が確認されたという。
奈良市在住の山上(やまがみ)徹也(41)=奈良市大宮町3丁目が容疑者のようだ。
これらのことは、全て意味ある情報でありメッセージだといつも以上に私は強く感じたので、地理院地図を開いてその場所をプロットした。
すると・・すぐさま図形が描かれた。
銃撃された場所と吉備真備の墓と京都御所は直角三角形。搬送先の病院とも直角三角形を描いている。
吉備真備の墓とイエス王家の墓である天神山と安倍氏襲撃の場所は直角三角形を描く。
吉備真備の墓と天神山と搬送先の病院も直角三角形を描いている。
襲撃された場所そばの西大寺と光明皇后の地下神殿と天神山も直角三角形を描く。
搬送先の病院と、聖武天皇の墓と天神山も直角三角形を描いている。
また、搬送先の病院に隣接している藤原京と藤原不比等の墓と、光明皇后の墓は直角三角形を描いている。
そして、容疑者の住所地とイエス・キリストの陵墓を結んだライン上にピタリと襲撃現場が位置している。
これらのことは、この世に生きた先人たちのお墓の場所を見事に証明して見せてくれたようだ。
安倍元首相が銃撃された場所と搬送先の病院の場所には重大なメッセージが込められていました。
今回の事件は、この世に生を受け向こうの世界に逝った人と、この世に生きている人とが織りなす世界であることを私たちに教えている。
2022年7月9日(土)
吉備真備は孝霊天皇の血統である。
その孝霊天皇の墓は孝霊山である。
姫路市にある廣峯神社は、吉備真備の創建である。
吉備真備の墓である大仙山から孝霊天皇の墓である孝霊山までと光明皇后の地下神殿がある光明山までは同距離で二等辺三角形を描いている。
また、吉備真備の墓と廣峯神社と光明皇后の地下神殿は、直角三角形を描いています。
また、吉備真備の墓と孝霊天皇の墓と亀石は、直角三角形を描き、吉備真備の墓と廣峯神社と亀石は二等辺三角形を描いています。
吉備真備の墓を中心とする下の図形は、二つの直角三角形と二つの二等辺三角形の組み合わせでできています。
吉備真備の墓である大仙山には、いくつもの三角形の一点が重なってきます。
2022年7月7日(木)
吉備真備の墓は、大仙山(岡山県美作市鳥渕)。
3日(日)ホテルを8:30にチェックアウトを済ませ、少しくつろいでから出発した。
ホテルからは武部さんの車で、大仙山を目指した。 10分ほどで登る地点へと着いた。
着くと、多くの村人たちが共同作業を終えたところなのか、これから始まるのか道路に大勢の人達がスイカを食べながら居てたので、武部さんが山への登り口を聞いた。
そして車をターンさせて山へと続くコンクリートの階段の下にあるスペースに車を停めた。
山へ入る準備をしていたら、村人の集団からこちらへ1人の男性が近づいて来られたので私が、「会長さんですか」と尋ねると「そうです」と言われます。
それで、私の名刺を渡して、山へ登る目的を話して山へ登る道があるのかなど様子を教えてもらった。
「30分ほどでのぼれるでしょう」と聞きましたが、まぁ道らしい道も神社から上は無くて、ただ稜線らしきところをひたすら頂点を目指すだけでした。
ゆっくりゆっくり歩いて言われた倍ほどの時間を要しました。とにかく蒸し暑く、頂上に着いたときはもう全身がビショビショ汗だらけの状態でした。
昔、城があったとのことですが、私の思いは1200年前の状況を確かめるのが目的でしたから、雨が降り出したら地中探査ができなくなるので急いでコアロッドを取り出して、先ずは金探査を試みました。
早速ヒットしました。5m×7mほど金の反応がありました。そしてチェーンを取り換えて空洞探査を行うと、金より1mほど外へ空洞は広がっていました。
これでこの大仙山が普通の山でないことが分かりました。この大仙山の意味と場所を教える空海コードは、奈良の海龍王寺の五重塔から手を合わす先に造営された岡山の熊山遺跡や光明皇后の地下神殿や光明山などから吉備真備の埋め墓であるということで、確かめに登った次第でした。
そして間違いなく円仁もこの場所に立って祈ったと私は思います。
天気予報では昼頃に向かって雨模様となる予測でしたから、武部さんのいつもの祈りの歌を歌ってもらって急いで山を下りることにしました。
いつも体験することですが、歌い終わった後にその時も清らかな風が吹いてくるのが分かりました。いつも見えない世界の何者かが見ている、聞いているというのが私の実感です。
仕事が忙しい武部さんに無理を聞いてもらって、日程を決めましたが、当日の天気予報は、「雨模様ですから雨具を忘れないように・・」と武部さんのアドバイスに私は、「向こうの世界とこちらの世界の約束事ですから、粗相がないような神計らいとなるでしょう」と下山して車に乗り込むまでは大丈夫だと思いつつも、急いで下山しました。
実際に朝方は打ち水がされた状態で、季節が狂ったようなそれまでの真夏日和の太陽も遮られた状態の日和に雨にも祟られることなく無事に下りて来れました。
丁度12時前には車に無事に戻れました。さぁ~ここから1時間ほどかかって目指す山は、光明山です! ・・つづく
沼さん、よくもまぁ1人で上られましたねぇ!恐れ入りました。