怒りのメゾフォルテ

娘を奪われました。二度と帰ってきません。奪った人たちの対応に怒りが募ります。

1月11日  お気楽な公務員

2012-01-11 10:16:39 | 学校に対して
昨夜は、うちに預かっていた交換ノートを取りに、教頭が来た。

教頭が取りに来る前に、文庫上に設置させてもらっていた、心配していたゆみんぽさんの絵の、その後の説明があるだろうか?と主人と言っていた。      
12/30の金曜弔問時も、弔問に来た校務主任からは、その話がなかなか出ず、心配の私から問うと、すっかりその報告を忘れてましたと、丁寧に謝られてしまったという始末。

交換ノートを取りに、玄関にいる教頭からは、絵の話はまるでなく (12/30の報告でOK?)、
「学校のHP(ホームページ)に、先日設置した学校で作成の、文庫上のプレート載せてもよいか?」と聞かれた。
リビングに居る私は、その質問を聞きに来た主人に、
「○○(娘の名)の写真は、顔がわからないようにぼかして、とお願いして!」と即答した。    

プレートへの、生徒の顔の見分けもつかない新聞記事の写真にまで、神経質に心配した中学。
死んだ生徒の写真なんか、気にもならないというのだろうか?
事故が起き、多くのマスコミから、娘の写真を要求された。
ありがたいことに生徒さん達は、しっかり娘の写真を守ってくれ、紙面やニュースで流れたのは、娘の小学校卒業アルバムの運動会写真位だった。

私にとって、娘を知る方々だけの、大切な娘の写真が、一般の人にまで広く公開されるのは、現実の事故を直視させられるようで、胸が潰れそうになる。
遺族への、そんな配慮もない学校
今後、国交省の事故報告が発表されたら、どうなるんだろう?

*****
だが、もっと驚かされたのは、HP掲載について、
「今パソコンの調子が悪くて・・・」 という教頭の言葉。
12月も先生から、「パソコンを新しい物にしたので、その時、HPのソフトも一緒に捨てしまったようで、HP掲載が遅れる。」 と、平然と言えるお気楽さ
民間企業だったら、今やPCは、企業の死活問題。
そのを、平然と理由にできる、中学入試の波のない豊橋の教師、公務員のお気楽くさ
実際に実技の授業で、生徒にPCを教えている中学。
何年後かに、社会に出ていく生徒達を思うと、この中学に、また不安を覚える・・・

1月9日  名前も知らなかった隣県の知事

2012-01-09 17:03:23 | 学校に対して
今日は2週間振りに、いつもの静岡側の弔問に加え、小プロ執行役、東海事業所の代表者、計5人の弔問があった。

1年前の昨日1/8も、年が明け、静岡側の弔問を受けていた。

その時の弔問の内容は、事故が起き、静岡側からの再発防止のマニュアルや訓練の報告を受ける中、静岡県知事肝いりで進められていた、浜名湖に設置する娘の像の除幕式6/26を、知事の1月に決定する年間計画に組み込む、というものだった。

昨年1/5の静岡県知事の年頭の抱負に、浜名湖のボート事故での娘の死を二度と起こさないことをトップに挙げたことが、静岡のA新聞に掲載されたていた。


突然の事故で、現実を直視できず訳がわからないまま、肩書ある多くの人の謝罪の嵐。
その中、葬儀の前のわずかな時間に駆けつけ、車椅子の私と主人の前で低い姿勢で、
      「  375万の静岡県民を代表して、誤りに参りました 。 」
と言った、K知事の言葉だけは私の脳裏に残っている。

*****
昨年の初めての娘の命日から、1週間後に行われた、6/26の像の除幕式。
 ← 作成途中の娘の像

K知事は、出席した同級生達の前で、
「 この像は、まだ未完成です。 
皆さんが自分の夢を、花菜さんに送って、完成させていって下さい。 」 と言った。


政治家出身ではなく、大学の教授だった、K知事。

事故から1年、娘の死と駅前のアーケードの落下事故を、同程度にしか認識していない豊橋のトップの市長。
事故が起きてもなにひとつ、自ら再発防止を形にしようともしない、豊橋の教育者達。

幻滅していた私に、名前も知らなかった川勝知事が、ようやく、教育者の姿 を見せてくれた。


1月7日  生徒のために残ったS先生

2012-01-07 15:05:58 | 学校に対して
昨夜の金曜弔問時に、1ヶ月以上振りに、中学との交換ノートを置いていってもらった。
先週12/30の、年内最後の交換ノートに綴られた、S先生の手紙を もう一度読みたかったからである。

○○(娘の名)さんへ
 早いもので今年もあと少しで終わりをつげようとしています。
この一年を振り返ってみると、考えさせられることがたくさん
ありました。その中で、自分として何ができるのか?どうしたら
いいのか?どうやっていくのかということを強く意識するように
なりました。正しいと思ったこと、どんな小さいことでも
自分なりに結論づけてそれを貫くことで、後悔のないようにする
ことを心がけるようになりました。
 最初のころ、ここで、友達が笑顔でいられるようにということを
約束しました。それがこの一年、少しは果たせたのかなぁと感じて
います。でも まだまだやれたのかもしれないという思うことは
たくさんあります。
 自分としてできること、それを考え、来年も実践していきたいです。
 今年も一年 ありがとう。来年もまたよろしくお願いします。



ようやく、学校での出来事を綴った生活綴り文ではなく、先生個人の生徒に対する気持ち綴った手紙が、S先生からもらえた。

4月の異動の際、教育長に事故で傷ついた生徒達が、卒業するまで見届けたいと言ってくれたS先生。

事故で引率した8人の教師の中、学校に残った2人のうち、唯一の娘が知る、娘の学年の先生である。


事故当初、ボート訓練の実行を生徒達に告げたのが S先生。  
雨天で驚く生徒達・・・。
その姿を写した写真を学校からもらい、写りは小さいが同じように、驚く娘の顔 を見つけた時、私はS先生を憎んだ。

昨年の1月の月命日の弔問時、私は教員の人事権のある教育長に
「引率した教師を全員、生徒達が卒業するまで、傷ついた生徒達のために 学校に残して欲しい。」とお願いした。
しかし、
「章南中の先生達はボロボロだ!」と大人の教師を守ろうとする教育長に、もう保護者でもない私の声は届かなかった。

今年の1月、市教委の月命日の弔問時に、主人と私はもう一度、お願いしてみるつもりだ。
        「学校ではベテランの、唯一事故を知る娘の学年の、S先生を異動させないで下さい。」 と。
保護者ではないけれど・・

1月5日  奇妙な偶然

2012-01-05 14:04:03 | 学校に対して
6/18の事故が起きてから、悲しみの中、訳のわからない悲しすぎる 偶然? が多くあった。

***
先ず、教育長の息子さんも、20年近く前に大学の部活動中、突然死されていたことだ。
そのこともあってか、親が子供を突然失う 悲しみはよくわかる という話しぶりを何度となくされた。
教育長の息子さんは納得できる自然な死である。
 
が、      うちの娘は、教育現場 で、これほどまでという程の 残酷な殺され方 をした。

わかるという言葉や、命の日なんかの口触りのいい言葉で、片づけて欲しくない。

***
次に、夏頃には文庫寄贈を考えていたのは、奇遇にも私が、木工所さんの依頼を受け、学校等の多くの家具図作成の仕事をしていたことである。
生徒数増加で、娘の小学校への追加のロッカーを、娘にランドセルの大きさ等を聞きながら私が作図した物件が、現物となって自分の小学校で見た娘は、とても喜んでくれた。
だから娘の中学に、私の設計で、書籍だけでなく書棚も寄贈したいと思った。
が、パソコンの中の、いつもの仕事の物件名に、自分の娘の名の書棚を見る度に、涙で一杯だったあの頃。

***
文庫と同時に、命日のコンサートも企画していた。
たまたま娘が会員だったムースタジオのDMが、娘の死を知らず郵送されてきて、脱会のメールをいれるついでに命日のコンサートを、娘を連れて聞きに行った3人の演奏者 に打診し、OKをもらったのだ。
その後、代表のOさんからも、娘が在籍していた能楽子供教室の保護者の方達からも、Oさんのお父さんが飛行機事故で亡くなられいること、
請願で紹介議員になってもらった市議さんから、Oさんのお母さんが、元市教育委員長だったという、
奇妙な偶然 を また知った。

***
そしてこれで終わりか と思っていたら、
請願で紹介議員になってもらった、別の市議さんの所に相談に来た人が、なんと数年前に 元校長 から家を買ったという話が飛び込んできた。
古い家を処分して、駅近くの公園も目の前の一等地に、アウディの車を駐車し、新築していた元校長。

市教育長が奥さんも交え、依願退職 を薦めても、重度ウツ病と夫婦で理解できないふりまでして、退職金が欲しかった 教育者の校長

しかも、我が家が署名活動等の相談をしていた弁護士事務所の、目と鼻の先に その豪邸があった という、奇妙過ぎる偶然・・

1月3日  残念なN本元市議

2012-01-03 13:30:43 | 私のつぶやき
今日のA新聞の、衆院選立候補予定者 愛知15区に N本元市議 の名前があった。

娘と同じ小学校、娘と同じ中学校出身のN本元市議。
地区のバーベキューなど、必ず顔を出し、「力になりますよ。」と親しげにしゃべる彼。
私は市会議員と身近にしゃべることなどなく、ただ助けてくれる人がいるんだ、という認識だった。

彼こそ、彼の出身校でのボート事故、しかも 娘が命を落とし 多くの生徒が命の危険にさらされたこのあってはならない事故に対し、市議として真っ先に、我が家に来てくれると思っていた。
心ある4人の市議達が、我が家に弔問に来て、事故について質問していく中、いっこうに現れない彼。
反対に保護者の方が、助けてくれるように頼んでも断られた、とか
「今は事故の報道が大きい為、市議会での質問は避けている。」という彼の弁が伝わってくるありさまだった。

あげくの果て、うちが1万6000名を超える市民の声を持ってまでした、市議会への請願に、彼の自民党は非採択であった。

        なぜなの?  

議会は原因追究の場ではなく、再発防止の場という論理?
正確な原因がわからなければ、再発防止なんてできないじゃないの?

私は会って、彼に意見が聞きたかった。
でも市議に直接電話するほどの勇気もなかったし、
現市議であった元地元の彼から、事故を無関心にした説明に 直接来るのが、彼の仕事であり誠意だと思った。
でもあまりにもの、知らぬ存ぜんに、実は一昨年暮れ、彼の事務所に娘の喪中ハガキを郵送した。
もちろん彼からは、何の返事も無かった・・

この春の市議選への彼の立候補はなく、中央を狙っているという話がきこえていた。
夏頃から地区の至るところに、ベタベタと何枚も張られたままの、彼のポスター。
元設計事務所に勤めていて、1級建築士として、街の景観にも関心のある私。

道の両脇に張られている彼の「ブレない」というポスターに、「ドライバーの車のハンドルが、ブレちゃうよ」と、怒りと同時に、
彼に15区を託していいのか?という不安の混じった、複雑な感情が生まれている。