ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

松村克己『ヨハネ福音書講釈』再話(14)<20:1~21:24>

2015-06-26 08:40:17 | 松村克己関係
松村克己『ヨハネ福音書講釈』再話(14)<20:1~21:24>

第20章

イエスは安息日の始まる日暮れにあわただしく埋葬された。安息日が終わって夜となり再び日の光を見るまで、3日間、1昼夜余りの時は沈黙と空白の時である。人間の世界での虚脱のこの間に、神の奇しき秘密がやがて人々を驚かすべく動いていた。復活の朝が訪れる。天使(実は「主」)によって与えられる新しい告知は次から次へと散り、散りになった弟子たちを追いかけて、「主は復活された」との確信へと導く。復活は弟子たちに聖霊を受けさせるための行為である(22節)。復活経験は聖霊経験に他ならないということが、ヨハネの教える真理である。それは様々な姿で示される。
30節、31節は本書の結語である。

1.空虚な墓 (1~10)

「一週の初めの日に、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリヤが墓に行くと」という言葉によって復活の物語は始まる。復活の告知を最初に受けた者として、またイエスとの個人的・人格的な交わりを最初に回復した者として、マグダラのマリヤは特別な地位を占める。それは共観福音書の場合も同じである。2節から10節に到る9節は編集者の挿入であるという見方が多く、1節は11節に続けて読むと自然でスムーズである。
「墓から石がとりのけてあるのを見」て、何か異変があったと彼女は気付いた。不安を感じながら、「シモン・ペテロとイエスが愛しておられた、もうひとりの弟子」のもとに走り、事態を報告して、言った。「だれかが、主を墓から取り去りました。どこへ置いたのか、(わたしたちは)わかりません」と。口語訳では省略されているが、「わかりません」の主語に「わたしたちは」があるので、墓を訪れたのは彼女1人ではなかったと思われる(マルコ16:2)。マリヤの知らせを受けて墓に駆けつけた2人の中「もうひとりの弟子の方が、ペテロよりも早く走って先に墓に着き、そして身をかがめてみると、亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、中へははいらなかった」という。怖かったのだろうか。遅れて着いたペテロの方が先に墓穴に入り、中を確認したところ、「亜麻布がそこに置いてあるのを見たが、イエスの頭に巻いてあった布は亜麻布のそばにはなくて、はなれた別の場所にくるめてあった」。もし墓が何者か外部からの侵入者によって荒らされたのであるなら、もっと乱雑になっているだろうし、また弟子たちが秘かに死体を盗んだのであれば、布も手拭いも一緒に持ち去ったであろう。この辺りの描写はユダヤ人たちの反対論を想定して慎重な叙述である。イエスの復活を弟子たちの虚構として否認しようとする様々な理由が流布されていたからである。「先に墓に着いたもうひとりの弟子もはいってきて、これを見て信じた」。何を信じたのか。イエスの復活か、マリヤの告げたことか。恐らく両方を含んで、直接的には後者を前面に出していると思われる。次の叙述がこのことを示している。「彼らは死人のうちからイエスがよみがえるべきことをしるした聖句を、まだ悟っていなかった」。聖書とはヨナ書2:1、ホセア書6:2、詩篇16:10、使徒13:35、列王下20:5等を指す。恐らく不審と不安とを抱いて、2人の弟子たち現場を離れ帰宅した。彼らは真相を把握していなかった。

2.マリヤへの顕現(11~18)

「しかし、マリヤは墓の外に立って泣いていた」。彼女は現場から離れることが出来なかった。先生を思うえば、涙が自然に流れる。悲しみの涙は時には人に霊的な幻を見せてくれる。彼女は「泣きつつ屈みて、墓の内を見」ようとした。虚しいことだと思いながら、泣きながら墓の内を除き見る。そこに先生の余香にでも触れることが出来るかもしれない。ところがイエスの死体の置かれた場所に白い衣を着た2人の天使が、「ひとりは頭の方に、ひとりは足の方に、すわっているのを見た」。天使は常に神の告知を携えて人を訪れ人に現われる。墓が、人生の望みの終わる場所が、今や神の力と恵み、栄光の啓示の場所となる(11:38)。天使はマリヤに語り掛けた。「女よ、なぜ泣いているのか」と。マリヤはペテロたちに語ったのと同じ言葉を繰り返して言った、「だれかが、わたしの主を取り去りました。そして、どこに置いたのか、わからないのです」。途方に暮れる彼女にとって口から出てくる言葉は、誰に対しても同じであった。マリヤは夢うつつで彼女に問い掛けるその声を天使の声だと思っていた。しかし声は前の方からではなく後ろの方から聞こえる。実は彼女の背後に何者かが立っている。後を振り返って、彼女はそこに1人の人が立っているのに気付いた。それはイエスの姿であったが、彼女はそれがイエスであることを知に気付かない。再び首を元に返えすと、その声の主は再び「女よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」と語りかける。マリヤは園の番人だと思って、「もしあなたが、あのかたを移したのでしたら、どこへ置いたのか、どうぞ、おっしゃって下さい。わたしがそのかたを引き取ります」と言った。彼女は今は亡き恩師の遺骸を求めていたのである。声は再び響いたが、その声は意外にも懐かしい恩師の声であった。「マリヤよ」、それは何回か耳に聴いて彼女の心にその都度消しがたい印象を刻んだあの声である。羊がその牧者の声を聴き間違えることはない(10:4)。この声を間違えるはずがない。彼女は思わず、振り返って、「ラボニ」と言う。「ラボニ」とは「私の先生」という意味で「ラビ(先生)」よりも敬愛の情をこめた言葉である。「マリヤよ」―「ラボニ」、この響き合う2つの言葉ですべての思いは満たされている。失われもぎとられたマリヤと先生との人格的な交わりはいま回復されたのである。真の交わりは、あらゆることにおいても、真の価値は、ひとたび失われ、再び見出されることによって生きて把えられる。マリヤはもう何をも言う必要がない。すべては満たされている。至福・忘我の経験である。
しかしイエスは、我に返って近ずこうとする彼女を抑えて言った。「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。「さわる」という単語は、「しがみつく」という意味である。復活のイエスは肉の体を持って触れてはいけないのであった。また復活の彼を知った者は、もはや人を外観により、肉体的に知ることをしなくなる。パウロは復活の主に会って後は「かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方をすまい」(2コリント5:16)と言った。マリヤに現われたイエスは父のもとに昇るべきもので、再び地上の生活を弟子たちを共にすることは出来なかった。新しい関係が結ばれ、弟子たちの間では新しい生活が始まらなければならない。つまり霊による交わりの生活が。霊を受け霊に歩むことによって、イエスの父は彼らの父となり、イエスの神は彼らの神となる。またそのことによって彼ら互いの間に兄弟の交わりが固くされる。この復活の祝福がマリヤを通して弟子たちに伝えられねばならない。マリヤとイエスとの新しい交わりの確立、信仰の新段階・新展開が弟子たちの間に拡げられて行かなくてはならない。この命令をマリヤは復活の主から与えられたのであった。マリヤはこの命令に従い「自分が主に会ったこと、またイエスがこれこれのことを自分に仰せになったことを、報告した」。
イエスがマリヤに現われたのは特別な啓示のため、それを伝達するという任務のためであった。が、ここで示されたことが一般的となるためには、つまり聖霊が与えられるためには昇天がなければならない。イエスが復活しただけでは足りないのであって、父の許に行く、つまり昇天ということがなければ助け主(聖霊)は降らない。聖霊の降下、霊を弟子たちが受けるのでなければ、イエスと弟子たちとの結合・交わりは確保されない。「上って」の語が現在形であるのも暗示深い。このように語りながら、イエスはマリヤの前から姿を消したものと思われる。これはヨハネ福音書における昇天を意味する。共観福音書(使徒1:9、マルコ16:19)は11弟子たちに語り命じ終えて彼らの見る前でイエスは天に上ったと報じているが。そこで19節以下の他の弟子たちとの顕現はマリヤの場合とは異なるものが感じられる。ヨハネ福音書の理解するところでは、死(十字架)・復活・昇天・顕現は栄化、つまり子が父の栄光をあらわし、父が子の栄光を示すという一つなる過程の4つの現われ方、契機であり、後の3つはまた1つとなって死と復活という対照をなしている。

3.弟子たちへの顕現  (19~23)

19節
マリヤに顕われた朝と同じ日の夕方、イエスは弟子たち一同に顕われた。「その日、すなわち週の初めの日の夕方」とこの記念すべき日を印象づけている。ここでは弟子たちの数も明示されてはいない。例のヨハネの手法に従って理想的な弟子たちの集まりがここに考えられているようである。これがイエスを信じる弟子たち、すなわちキリスト者の最初の日曜日であった、ということが言いたかったのであろう。キリスト者がユダヤ人の安息日、つまり土曜日に集まることを止めて、日曜日に集会をするようになったのは、この日が復活の日であったから、そして復活が教会の基礎であったことに基づく。しかし、最初の弟子たちはユダヤ人であったので、土曜日と日曜日とをそれぞれ「安息日」と「主の日」として両方守っていたらしい。
また史実的には、エルサレムに11弟子たちが集まったのはしばらくたってからのことで、ガリラヤに散り散りになっていた弟子たちはそれぞれの場でイエス復活の顕現に接し、その後にエルサレムに集まったと思われるが、ヨハネ福音書は最初から弟子たちはエルサレムを離れなかったということを前提している。「弟子たちはユダヤ人をおそれて、自分たちのおる所の戸をみなしめていると、イエスがはいってきて、彼らの中に立ち、『安かれ』と言われた」(19節)。この「安かれ」という祝福の言葉は、訣別に際して繰り返し約束し、語られた言葉の成就であり、それを想い起させるものである(14:18以下、27、16:16以下、22)。「しばらくすればわたしを見なくなる、またしばらくすればわたしに会えるであろう」(16:19)と言われた。その「しばらく」の時、憂いに閉ざされたしばらくの時、産みの苦痛の時は過ぎた。「ひとりの人がこの世に生れた、という喜びがあるためである」(16:21)と、今は「安かれ」と告げられる。そう言って、「手とわきとを、彼らにお見せになった」。このように現れ、このように語る者が紛れもなく十字架につけられて死んだ彼らの先生であることを示す。「弟子たちは、主を見て喜んだ」。復活の経験が与える、情緒的基調は喜びである。

20節
20節以下23節までは、29節の後ろに続けて読むとよいという示唆がある(ストラカン)が、この位置でもそれ程不自然さは感じない。イエスは「安かれ」と重ねて弟子たちを祝福して「父がわたしをおつかわしになったように、わたしもまたあなたがたをつかわす」という命令を与える。この部分はマタイ福音書の結尾、ガリラヤにて11弟子たちに顕われたイエスが、「すべての国民」への伝道を命じ委任した箇所に相当する(マタイ28:16以下)。弟子たちがもっている平安とはイエスとの交わりの結果与えられた平安である。それは「世が与える」(14:27)ような平安ではない。彼に仕え、彼と共に神に仕え人に、仕えることにおいて与えられる積極的能動的な平安である。イエスとの交わりが固定した静的なものではなく、絶えず更新され展開されて行く生の共同である限り、それは弟子たちにとっては同時に常に課題でなければならない。キリスト者の平安と完全とは、祝福であると共に課題である。「そう言って、彼らに息を吹きかけて仰せになった、『聖霊を受けよ』」。派遣と宣教の使命を果たすためには聖霊を受けなくてはならない。否、それにもまして真の彼の弟子となり、彼との交わりの中に生き、彼に居るためには彼の霊を受けなくてはならない。既に述べたように、イエスは弟子たちに聖霊を与え、交わりを樹立するために顕われたのである。それが彼の復活であり、これは弟子たちの信仰の復活と表裏の関係にある。ヨハネ福音書におけるこの場面は使徒言行録のペンテコステの記事に対応する(使徒言行録2:1以下)。
続いて、イエスは弟子たちに重要な権能を与えた。これは先の委任を果たすためには、なくてはならないものである。「あなたがたがゆるす罪は、だれの罪でもゆるされ、あなたがたがゆるさずにおく罪は、そのまま残るであろう」。イエスの宣教が罪を赦す権能を父から与えられて遂行されたように、今弟子たちの派遣に際しても同じことが明らかにされる。罪とは遣わされた者を受け入れないこと、信じないことであり、不信そのものに他ならない。イエスを神より遣わされた者、神の子として受け入れる者には罪の赦しが与えられる。しかし、このことを拒否し、否定する者には罪は残る(8:24、9:41、マタイ16:19、18:18)。「あなたがた」とは11弟子たちだけではない。聖霊を受けてイエスとの交わりを与えられた者は、同時に兄弟との交わりを与えられる。イエスの愛によって互いに相愛するとき、彼らは一つとなる。一つ霊に生かされて互いに連なる身体として一つの体を形成する。これがキリストの体と呼ばれる教会である。宣教は教会の任務であり、罪の赦しの権能もまた教会に与えられている。使徒たちはその基(土台)であり、キリストは隅の首石である。「あなたがた」は一人の弟子を指すのではない。

4.トマスへの顕現  (24~29)

「イエスがこられたとき」とは前段の時と場所とを指す。「十二弟子のひとりで、デドモと呼ばれているトマス」はその席にいなかった。このトマスについては既に11:16、14:5に出ている。「わたしたちは主にお目にかかった」という他の弟子たちの言葉に対して、彼は「わたしは、その手に釘あとを見、わたしの指をその釘あとにさし入れ、また、わたしの手をそのわきにさし入れてみなければ、決して信じない」と言った。彼はしばしば懐疑家だと言われるが必ずしもそうではないだろう。自分が経験したことでなければ、軽々しく信じようとしない、というだけである。「八日ののち」は次の日曜日である。日曜日は主の復活の日である。その時はトマスも弟子たちも共に居って、「戸はみな閉ざされていた」。ユダヤ人を恐れてであろうか(19節)。そこへ「イエスがはいってこられ、中に立って」、先のように「安かれ」と呼びかけた。トマスに対しては特に「あなたの指をここにつけて、わたしの手を見なさい。手をのばしてわたしのわきにさし入れてみなさい。信じない者にならないで、信じる者になりなさい」と言う。トマスはその手をのべてイエスの手に触れ、釘の痕を見ようとはしなかったし、またそのわき腹に手を差し入れて槍の痕を確かめようともしなかった。その声をきき「信じない者にならないで、信じる者になりなさい」という言葉を聞くと直ちに「わが主よ、わが神よ」と呼びかけて信仰を告白した。先の日の言葉を悔い、それを主に聴かれたことを恥ずかしく思っていた。彼の呼びかけの言葉には赦しを乞う思いが込められている。彼はイエスに会い、彼を見たことによってすべての問題は消えた。イエスの方から彼を追い求め、彼に自分自身を顕わされたことを知ったからである。これはパウロの場合と同じであった(使徒9:1以下、ガラテヤ1:15~16)。戸を閉じた室に自由に入ってきて弟子たちに現われたイエス、彼を見、その言葉によってイエスの声であることを疑い得なかった彼、しかも「主よ」と呼びかけてその神的存在であることを表しているトマスの態度、それらは何れも、ここに現われたイエスが霊的存在であることを示している。トマスの言葉を受容しなお励ますかのようにイエスは言った。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである」と。しかし、信じさせるために、その幸福を与えるために、イエスは自己を見せ、自己を顕すことを惜しまない。

5.結語  (30~31)

イエスが行なった行為、ヨハネによれば、それらはすべて「しるし」であった。行為だけではなく、その言葉も、否、彼の存在そのもの、その生涯そのものが「しるし」であった。神の国と神の愛、その意志を指し示す「大いなる出来事」であった。そのことはヨハネ福音書だけでなく、福音書一般に共通な前提である。イエスはそれを人々の前に、また特に「弟子たちの前で」行なった。しかし、この書にはそれらのことすべてを記録していない。もし、「その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう」(21:25)と、このことを力説している。この書に記載したものはそれらの一部である。特に重要と思われるもの、重大な意義を持つと思われるものを選んで「これらのことを書いた」。それは復活のことを除けば、7つのしるし(奇跡)とその意味を明らかにすることであった。7は完全数である。それは次の目的のために、ぜひとも必要であり、またそれで十分であると考えたからである。「あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである」。
著者はここに本書編述の目的と、既にあるものに加えて彼がなおこのような形で福音書を書かねばならなかった理由を述べている。

第21章

この部分は著者のものではなく後の編者によって付加された部分と見るのが普通である。前段の結びの言葉がそのままになっていることがそう考えさせる。もしこの部分が著者によるものであるならば、前の結語を削って本章を加えたであろう。24節以下の結びは二重になっている。2節の「ゼベダイの子」という言葉も1回も出て来なかった表現である。それではこの付加はどんな理由、また意図から行なわれたのか、恐らく次のように考えられる。福音書はそれぞれ成立した場所を異にし、従ってそこに予想される読者の違いによって、その叙述の仕方が規定される。マルコ福音書がローマで成立しローマ人のために書かれたのに対してマタイ福音書がシリヤでユダヤ人信徒を対象として書かれ、ルカ福音書は同じくローマで書かれながら、ギリシア人のため、世界的観点の下にすべてのことを順序を正して記そうとしている。
ところでヨハネ福音書の成立は小アジヤの中心地エペソ辺りと考えられているが、2世紀を通じてローマの教会の指導権は次第に強化されていった。ヨハネの指導下にあった教会で読まれていたこの福音書がローマの教会の人々にも読まれ親しまれるようになった時、この福音書が暗に主張する立場、著者の権威、目撃者の証言による記述というものに対して、ペテロの地位、使徒の筆頭だという立場が否定されるのではないかということが心配され、そうではないことを読者に改めて知らせると共に、この福音書が、ペテロを重んずるローマの教会の流れに従う人々の群れで拒否されることのないようにと、この付録は作られたものだと思われる。しかしそのこととこの物語が虚構であるということとは別である。恐らくこの物語もま何らかの伝承に基づきつつ、かなり自由に再構成したものと思われる。

1.テベリヤ湖畔での顕現  (1~14)

「そののち、イエスはテベリヤの海べで、ご自身をまた弟子たちにあらわされた」。「テベリヤの海べ」とはガリラヤ湖畔である。この湖は時代によって3通りの名を持つ。古くは「キンネレテの湖」と呼ばれ一般にはガリラヤ湖と呼ばれていたが2世紀以後はしばしばテベリヤ湖として現われている。皇帝ティベリゥスのために立てられた湖畔の町テベリヤによる呼び名である。
この名が用いられていることは、この部分が少し後代に属していることを示している。「そのあらわされた次第は、こうである」。この物語はルカ福音書5:4~11のそれと情況においても用語の上からも似ている。改作かあるいは別の伝承かとも思われる。そして後半の部では数千人を養ったあの給食物語を思わされ。「シモン・ペテロが、デドモと呼ばれているトマス、ガリラヤのカナのナタナエル、ゼベダイの子らや、ほかのふたりの弟子たちと一緒にいた時のことである」とあるが、十字架に直面して散った弟子たちは恐らく途方に暮れ、失意と混乱の中でガリラヤに逃げたのではなかろうかと考えられる。だとすると、この場面は落ち込んだ心を癒したいと思い、自分たちの古い生活へと戻り、湖畔に立ってイエスと共に過ごした日々を思い起こしていたのであろう。「シモン・ペテロは彼らに『わたしは漁に行くのだ』と言うと、彼らは『わたしたちも一緒に行こう』と言った」。漁業はかつての生業、舟に乗って漁をすればス少しでも心が休まるであろう。しかしその夜は何の収穫もなかった。夜が明けた頃、漁を終えて、戻ろうとして岸に近づくと1人の人の立っているのを見る。弟子たちはそれがイエスだとは気が付かなかった。彼の方から声が掛けられた。「子たちよ、何か食べるものがあるか」、弟子たちは「ありません」と答える。ここでの「子たちよ」という呼びかけの言葉は、働いている人々への普通の呼びかけの言葉で、特別な含みはない。別に獲物を求めての漁ではなかったかも知れないが、やはりそれは寂しかったろう。むしろ漁業も彼らの心の傷を癒してくれなかったということで、かえって彼らの寂しさは深まったと言えるだろう。岸の男はまた語りかけた。舟の右の方に網を下ろしてごらん、そうすれば獲物があるかも知れないと。彼らは黙って催眠術にかかったかのように指示に従ってその通りした。ところが、このことが全身に電気が流れるような出来事となった。数え切れないほどの魚が網にかかり網を曳き上げることが出来ない。その時、もっと驚くようなことが起こった。「イエスの愛しておられた弟子が、ペテロに『あれは主だ』と言った。シモン・ペテロは主であると聞いて、裸になっていたため、上着をまとって海にとびこんだ」。岸までは「五十間ほど」、つまり90メートルほどで、他の弟子たちは網を曳き上げることができないので、そのまま曳きずって舟を岸につけた。
岸に上がって見ると、炭火が起こしてあり、その上には魚がのっており、パンも用意されている。イエスは用意を整えて弟子たちを待っていたのだ。そして言う「今とった魚を少し持ってきなさい」と。
10節から11節にかけては叙述が混乱していて、不自然さがある。イエスは食事の用意をして待っており、魚もあるのに、更にとった魚をもって来いと命じ、ペテロだけで網を引きあげるなど、一貫性に欠けている。むしろ9節から12節へにつなげると、文脈がなだらかに続く。おそらく10~11節は何らかの必要のための挿入されたと思う。「百五十三びきの大きな魚でいっぱいになっていた」とは何を意味するか。4世紀のヒエロニムスによれば、ギリシアの博物学者は魚の種類を153と数えたという、福音の網はあらゆる人々(民族)を集め、しかも網は裂けず、1つとなっているとのカトリック教会の真理を象徴的に示すものだとしている。
イエスは「さあ、朝の食事をしなさい」といわれた。この部分はルカ福音書の24:36~43と対応する。「弟子たちは、主であることがわかっていたので、だれも「あなたはどなたですか」と進んで尋ねる者がなかった。イエスはそこにきて、パンをとり彼らに与え、また魚も同じようにされた」。まさにこれは第1の聖餐(6:61)に対して第2の聖餐である。「イエスが死人の中からよみがえったのち、弟子たちにあらわれたのは、これで既に三度目である」とは20:19と26に次苦という意味である。

2.ペテロへの信任  (15~17)

「あなたのために命も捨てます」(13:37)とまで忠誠を誓ったペテロは、先生が捕縛されたとき、いとも簡単に3度イエスを知らないといってしまった。その彼も泣いて罪を悔いたことによって赦されたのであろう(ルカ22:61~62)。しかし、それで処分は済んだのであろうか。使徒団の筆頭として活動したペテロの姿はそれだけでは説明できない秘密が隠されているように見える。この物語はこの疑問に応えようとしているのであろうか。罪を犯して落ち込むペテロに対するイエスの態度はまことに行き届いた大牧者の姿である。
 
15節
「かくて食したる後イエス、シモン・ペテロに言い給う」。この食事は最後の晩餐を想い起こさせる。「ヨハネの子シモンよ」と人を略称や通称ではなく、正規の姓名で呼ぶのは厳粛な時であることを示している(マタイ16:17)。シモン又ペテロと呼ばず「ヨハネの子シモンよ」と呼んでいる。「あなたはこの人たちが愛する以上に、わたしを愛するか」。これはかつてのペテロの思い上がった自信、気負い立った時の自覚のない言葉、他の人のことは知らないが、わたしこそは、と言ったあの言葉を思い出させる(13:37、マルコ14:29、ルカ22:33)。「この人たち」は必ずしも人間とは限らない。「これらのもの」とも訳せる。舟・網、その他のものと解する人もある。ペテロは答えて「主よ、そうです。わたしがあなたを愛することは、あなたがご存じです」。イエスの「愛するか」という問いの言葉(agapao)とペテロの「愛する」と答えた言葉(phileo)との違いを強調して、神の愛(アガペー)と人の愛(フィレオー)とを区別、使い分けをここに見ようとする人もあるが、これは神学の形式的理解を聖書に持ち込もうとする読み方で、好ましくない仕方であると思われる。2つの語は当時普通には必ずしも区別して用いられず、又程度や質的な差を含まず、互いに交換しうる言葉として用いられている。ヨハネ福音書においても特別な区別はしていない(13:23と20:2、11:3、5、36)。また「あなたがご存じです」とペテロはイエス自身を証人として呼び出し、もはや自分の思い上がり、自信に頼って「愛する」とは言わない。イエスはそこで「わたしの小羊を養いなさい」との委任を与えた。これは信任の表明であり、彼の悔い改めの承認を意味する。ペテロのイエスへの愛、このイエスの愛の信任に応える道は、兄弟たちに仕えてこれを愛することである、イエスはそれを求めておられる。このイエスの言葉から10:1~16が想い起さなくてはならないであろう。

16節
「またもう一度彼に言われた」。イエスは再び同じ言葉の問いを繰り返した。言う迄もなくペテロの答えを確かめようとのこころであることはわかる。ペテロもまた、恐らく力を入れて、同じ言葉で答えを繰り返した。主は同じ信任と委託の語を繰り返して与えた。しかしそれでもイエスの追及は止まらなかった。

17節
「イエスは三度目に言われた」。流石に2度目、3度目は1度目とは少し違う。「ヨハネの子シモンよ、我を愛するか」と。2度めからはもはや「この人たちが愛する以上に」とは言わない。愛の真実を確かめるためとはわかっていても、同じ問いが3度繰り返されることにペテロは不安と憂いとを感じた。しかし直ちに彼の心に甦ったであろうことは、彼が先に3度主を否んだ不覚である。いま主を愛するという心が果たしてもはや変わることがないかどうかは自分自身にも不安がないわけではない。「男心は秋の空」と言われるが、変わり易いのは男の心だけではない。フランスには女心はという同じ諺があるという。人間の心は男も女も当てにはならない。時が変わり環境が変わると先の決意も愛も揺らぐ。自信と思い上がりがいかに頼りにならないか、少しでも信仰の生活において戦いの経験を持った者にはわかる。ペテロはもう「主よ、そうです」と直ちに答えるわけには行かなかった。3度目では、ペテロの答えが違ってくる。ペテロは恐らく主をまともに見上げながら、声は低く「主よ、あなたはすべてをご存じです」といい、続いて畳み掛けるように「おわかりになっています」と繰り返し、その上で、「わたしがあなたを愛していることを」と言った。
ここでのペテロの答え方に注目しなければならない。初めの「ご存知です」という言葉と続いて言う「おわかりです」とは異なる単語が用いられている。よくご存知の筈、心の隅まで見ておいでになる、との意味であるが「お分かりです」では「わたしという人間の心のひだに隠れている弱さ」を知るという意味である。ペテロがいま頼りするのは、そういうわたしのことを「わかった」上で、わたしの愛を受け止めて下さる方である。それで最後に「わたしがあなたを愛していることを」という言葉が出てくる。イエスもそれに応え「わたしの羊を養いなさい」という委任を与えた。

3.イエスの予言(18~23)

続いてイエスは重大な発言をする。「よくよくあなたに言っておく」と。「羊をやしなう」ということが具体的にはどういう生き方をするのかということを、象徴的なイメージで示そうとしているようである。「あなたが若かった時には、自分で帯をしめて、思いのままに歩きまわっていた。しかし年をとってからは、自分の手をのばすことになろう。そして、ほかの人があなたに帯を結びつけ、行きたくない所へ連れて行くであろう」と。「若かった時」「年をとってから」は「今までは」「これからは」という風に考えてみいいであろう。復活の主に出会ってペテロは新しい人間となった。かつての彼は頼もしくはあったが、その性急な性格・自信はことに当たって砕かれ破れた。今や霊において新しくされ、そして固い交わりの中で、彼の真実が試練に堪えて証しされて行かねばならない。「自分で帯をしめて」と「ほかの人があなたに帯を結び」と、「思いのままに歩きまわって」と「行きたくない所へ連れて行く」と、対照的な表現が今後の生き方を特徴づけている。「ほかの人があなたに帯を結び」とは老いた姿を描いていると同時に、客観的な奉仕の姿でもある。キリストに仕え神に仕える道は客観的には人々と時代の要求に聴くという面を外すことが出来ない。「自分の手をのばす」とは他人に帯を結んで貰う姿勢であるが、同時に十字架にかかる姿を示している。「神の栄光をあらわす」とは後の教会では主として殉教の意味に用いられた。ペテロは紀元64年ネロ帝の迫害の際に殉教の死をとげた。
19節はこの部分を語る著者の解説であると共に、恐らく事後預言の典型的なものと言ってよい。「こう話してから、『わたしに従ってきなさい』と言われた」。
先きには「主よ、どこへおいでになるのですか」というペテロの質問にイエスは答えられた、「あなたはわたしの行くところに、今はついて来ることはできない。しかし、あとになってから、ついて来ることになろう」(13:36)と言ったが、今は「わたしに従ってきなさい」と命じて励ました。かつてのペテロではいかに気負い立っても出来なかったが、復活の主に見えてその交わりが回復され、愛の共同を保証された今のペテロにはそれが出来る。「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい」(マルコ8:34)と言ったイエスの語を想い起す。彼に従おうとの志、決心と共に、自分自身が重荷となり十字架となる。このことに堪えこの道を突破することなしには、現実に彼に従うわけには行かない。ペテロは今このことをはっきりと知ったに違いない。今までは「自分の十字架」というイエスの言葉をききもらし、あるいは誤解していた。イエスのように直ちに、他の人の重荷を、あるいはイエスの重荷を、自分が負うべき重荷として負い得るかのように思っていた。
この信仰に立って初めて彼に従うことが出来る。

20節
「ペテロはふり返ると、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのを見た」。この弟子は既に主に従って歩いている。既にしばしば述べたように、これは理想的なイエスの弟子の姿である。ペテロはこれを見てイエスに「主よ、この人はどうなのですか」と問うた。この弟子の運命はどうなるのかという問いである。イエスはこの問いに「たとい、わたしの来る時まで彼が生き残っていることを、わたしが望んだとしても、あなたにはなんの係わりがあるか。あなたは、わたしに従ってきなさい」と答えられた。人のことをかまうな、気にするな、お前は私に伴いて来い、ということであろう。信仰は厳密に、究極においてはイエスと私との関係、愛の契りである。いかなる他人の介入をも許さないものがそこにはある。だからまた、他人のことを考慮し、周囲の動向によってイエスへの態度を考えることを、イエスは厳しく拒否する。この純粋な関係が保持されて初めて他人との関係が彼の信仰において開かれ保たれ展開され結実する。これは1つのパラドックスの真理である。

22節
「わたしの来る時まで」とはイエスの再臨まで地上に残るとの意である。彼に対してはそういうことをイエスが欲しているとしても、それはあなたが質問すべき問題ではない、との意味である。「たとい」というこの言葉は2つの可能を示す曖昧な語である。事実の反対を予想する場合と、事実を前提している場合と。前者の意味では、この句はヨハネの早期殉教説を暗示するものとなり、後者の意味にとればこれは彼の晩年に至るまでの活動を語る伝説と合致するものとなる。歴史的事実としては前者の方に可能性が多いとされている。その根拠はパビアス(2世紀中頃のヒエラポリスの監督)の「主の言の講解]第2巻の断片であって、そこには「神学者(聖)ヨハネとその兄弟ヤコブとはユダヤ人に殺された」とあり、同時に「彼らに関するキリストの預言はかくて実現された」と記されてある、この預言とはマルコ福音書10:39を指し、このヤコブはユダヤでヘロデ王によって殺されている(使徒12:2)。とすればヨハネはいわゆる使徒会議の時にはなお生存していたが ―49年―(ガラテヤ2:9、使徒15:6)、おそくとも70年のエルサレム陥落前には殉教していたことになる。
第2の使徒ヨハネ長寿説の根拠は、イレナイオス(同じく2世紀後半の人)の「異端駆論」の中で「主の弟子たるヨハネはトラヤヌスの時代(98~117年)まで生存し、アジヤのエペソに滞留中に、自分の福音書を書いて、これを公にした」という記事である。
血をもって主の証しをなした前者の場合を「赤き殉教」と言い、老いてなお言葉で証しを死ぬまで止めなかった後者の場合を「白き殉教」と呼ぶ。

23節
「こういうわけで、この弟子は死ぬことがないといううわさが、兄弟たちの間にひろまった」と著者は言っている。ヨハネ不死の伝説というものが当時流布されていたことを物語っている。そしてそれに対してこれが右の主の御言によって訂正されることを読者に求めている。ヨハネ長命説との連関を窺わせ、時代の進んでいることを示す。

4.結び  (24~25)

付録の部の結びである。これを付加した編集者は本書全体の結尾として改めて「これらの事についてあかしをし、またこれらの事を書いたのは、この弟子である」と言い、「彼のあかしが真実であることを、わたしたちは知っている」と裏書きをしている。つまり彼は「わたしたち」と言って編集者であることを述べ、録された事実の目撃者、経験者としての証人と、これを書いた福音書著者とを共に「イエスに愛せられし」「この弟子」であると言う。この弟子が理想的な弟子を描いているものとすれば当然とも言うべき主張である。
本書の著者を使徒ヨハネとする伝承は今日では学問的にはほとんど承認できない。しかしそのことは、本書が使徒的な伝承を伝えるものであり、特にヨハネ的という特色ある信仰と思想とを伝えるものなることを否定するのではない。このヨハネについては使徒ヨハネではなく長老ヨハネと同一人か、別人かは解釈の微妙な点に触れることになり決定することは出来ない。たとえ別人だったとしても、また使徒ヨハネだったとしても、「ヨハネ的」と名づけられる信仰・思想の特色はいわゆるヨハネ文書の示すところによって成り立っているのであって、実質的にはこのことが大事で、形式的な著者問題のためにこれを軽視することは出来ない。
そして実質的にヨハネ文書の特色を取り上げるならば、それは既に本書を通読された方には明らかなように、共観福音書とはかなり論点が異なり、むしろ共観福音書を前提にして、ある意味でそれを訂正しようとする意図を伺える。理想的なイエスの弟子、イエスに愛せられイエスを愛し、彼の言葉を守ってその交わりの中に生きる生命の経験を読者に教え、またそこに導こうとして、著者は霊のキリストとの交わりの基礎を、この世で実際に生きられたイエスと弟子たちとの交わりの日々にまで遡り、現在の経験を過去に投影してその信仰をイエスの口によって語らせ、教えさせている。わたしたちはこの貴重な体験に注目しさえすれば、それで十分である。
25節は20:30の繰り返しであり強調である。「世界もその録すところの書を載するに耐えざらん」とはユダヤ的な誇張法である。

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