「三位一体論」といえば、松村克己というのが、当時の日本キリスト教界の定評だったらしく、あちらこちらのいわゆる、キリスト教事典等に、先生の文章が掲載されている。その内でも、最もよくまとまっているのが、1963年度版のキリスト教大事典で、ここに先日このブログに掲載した「三部作」をまとめた論考と言えると思いますので、ここに掲載しておきます。もし、三位一体論について論じるとしたら、まずこれだけは押さえておきたいと思います。しかし、これは私の意見ですが、三位一体論は初期のキリスト教界がギリシャ文化に接し、なんとかギリシャ思想によって解明しようとした、「不幸な出会い」で、それはあくまでも「神学」での話で、信仰とは一応一線を引いておいた方が良さそうに思う。先生も、この論考で「信仰」における概括的な「三一の神」について触れておられるように、信仰においては、あくまでも「キリスト論中心」という立場に立っておられる。
キリスト教大事典(教文館、1963年版)
三位一体 Trinitas (ラテン語)、 Trinity (英語)
聖書の神は父・子・聖霊という3つの位格(ぺルソナ)と1つの実体(スプスタンティア)において存在する、という重要な教理を言表す語。
<三一神の信仰>
信仰とその言語的・概念的表現または説明としての教理とは、区別して理解する必要がある。聖書には三位一体という語はなく、この教理はのちの教会の生んだものである。神・キリスト・聖霊を<tritas>という語で呼んだのはアンテオケのテオフィロス(180年頃)で、この語から<trinitas>という語を作りだしたのは テルトゥリアヌスだといわれいる。しかしこの教理の土台となろ三一神の信仰は新約聖書の宗したがってキリスト教における救の経験の特色だといえる。神はイエス・キリストをとおし聖霊によってみずから を啓示し救のわざをなす。したがって3者は啓示と救の働きにおいては分ちがたい、ひとつのものとして受けとられ、一が語られる時には必ず他のものがそれに伴って語られなくてはならぬところから,新約聖書でもすでに3者が相並んで記されている個所がいくつかある(マタイ28:19、1コリント12:4~6、2コリント13:13、その他)。マタイ福音書の「父と子と聖霊の名」とある「名」が単数形になっているのは、洗礼が当初イエス・キリストの名によって行われたなごりだと解釈されうるにしても、注目すベき問題を含んでいるといえる。コリント書における「霊・主・神」と「主イエス・キリスト、神、聖霊」はマタイ福音書よりも古く、明らかに3者の並称である。使徒信条もキリスト告白を中心として前後に神と聖霊に言及した3項目的告白である。救の体験とそれに基づく原初的信仰告白としては当然の形だといえる。この場合にlと3とがどういう関係で考えられるかという思惟にとっての困難な問題は,最初にはなかった。
<教理>
キリスト論の発展であり、その要請として生れたものであるが、その当面する問題は再びキリスト論に向って問い返されたといってよい。問題は、東方教会でギリシア教父たちの間から始り、西方教会の中で落着を見た。浮動していた表現に、<3つの位格、1つの実体、 tres personae, una substantia >という明確な定式を与えたのはアウグスチヌスであるが、この表現はすでにテルトゥリアヌスにさかのぼる。東方と西方との差を一口に大まかにいえば、内在的三位一体諭と経綸的三位一体論の区別として示される。前者は神それ自身の存在(本質)における三位一体を問題とし、後者は神が世界と人間とに対する関係の上からの三位一体、つまり啓示と救の働きにおける三一性を主張する。17世紀の古プロテスタント神学は両者をば神の内ヘのわざ( opera ad intra ) と外ヘのわざ( opera ad extra )とに対応するものとした。1つは理論的興味を他は実際的観点を主とするが、前者は後者の地盤を離れずその要請としてのみ意味をもつことができる。三位一体論の固有にして困難な問題は前者にあり、後者においては必ずしも三一をば位格とか実体とかいう概念によって語ることを必要とはしない。ニカイア総会議(325)以来のこの教理の主要形態とそれをめぐる論争は主として前者に属する。
<教理史的瞥見>
三位一体論論争といわれるものの中核は、種々な用語の間の浮動とその概念内容の混同によると見られる。
(1)古代。
キリスト論の根本問題はイエス・キリストの人格を神性・人性のいずれを主として理解するかにあり、ニカイア総会議で父と子との同質(ホモウシオス、homousios)が確定されてか らは、人性論的主張が拒けられて問題は三一論に移された。ロゴス・キリスト論(イエス・キリストをロゴスの受肉と見る)は東西両教会で正統的立場と認められてきたが、東方ではホモウシオスという用語は神とキリストとの同一を直接的に主張しロゴスの媒介性を危くするという理由でさきには異端とされてきたのである。またサベリゥスの様態論(Modalism、父・子・聖霊の三者を同じ神の異った顕現様式とする)は、すでに3世紀において1実体( hupostasis )に3顕現様式( prosopon )があると説き、これは形式の上からは年代的にもほぼ同じであるテルトゥリァヌスの「una substantia,tres personae」に対応するものでありながら、1に傾いて3の現実的区別を暗くするものとして斥けられてきた。ニカイア、カルケドンとつづく会議決定の線は、一方にサベリゥスの様態論を斥け、他方にキリストの神性を危くするアリウス主義と、聖霊の神性を否定すろマケドニオス説とを抑えて、三位一体の教理を確立した。これは西方教会の東方に対する優位を意味し、この教理表現を受入れるためには東方にとって多くの困難があったが、これを克服したのがいわゆる「カパドキア三教父」であった。その解釈によれば「Mia ousia, trei hupostaseis」におけるウシアは共通の本質・性質を、ヒュポスタシスは個性的実体を意味する。父・子・聖霊なる3つのヒュボスタシスは1つのウシアにあずかってこれを共有し(これを神性、theothesと呼ぶ)、ヒュポスタシス相互の関係は、父は生れない者、子は生れた者、聖霊は父から出たもの<西方ではトレドー会議(989)で、「および子から filioque」を付加した>として区別された。三一論の発展は東方では3から1ヘの方向をとり3の現実が三神諭となる危険を思弁によって超えようとしたのに対して、西方では1から3への方向をとり、1なる神が様態説におちいることなしにどうして3の現実を保持しうるかに腐心した。アウグスティヌスはペルソナをば内在的三位一体論における関係概念であると規定して三神論ヘの危険を防ぎ、神の働きは外に向っては分たれぬ(inseparabilis opertio trinitatis)として経綸的三位一体論の立場を本来のものと考えた。
(2) 中世。
キリスト論的ぺルソナと三位一体論的ペルソナとの混同が起る。アウグスティヌスの強い影響のもとに成立したアタナシオス信条(アタナシオスのものではなく、もっと後代のもの)が基礎となるのであるが、三位一体論的信条といわれるその第1部には「1つなる神を3位(trinitas) において、3位を1体(unitas)において礼拝する」とあり、キリスト論的信条といわれる第2部には、1つなるキリストにおいて神(性)と人(性)との両者はスブスタンティアの混同のためではなくペルソナが1つであるために結合されている、とある。これはキリスト両性論と呼ばれる立場であって、ここではキリスト論的ペルソナであるロゴス・キリストがヒュポスタシスと解され神性・人性の性( phusis、natura ) は個性的実体に対する通性、従って見方によっててはその属性( idiotes )と解されるようになった。ここにヒュポスタシスのスプスタンティアヘの接近・混同とともにナトウラのウシアヘのそれが見られ、そこからキリストのペルソナにおける両性のウニオ・ヒュポスタティカによって属性の融通( communicatio idiomatum )という ことが語られ、更にキリストにおける両性の交互内在を経て神における三位相互内在性( circumincessio、perichoresis ) という考え方が現れてくる。このような慨念の複雑、混乱と形式的な論理操作とが三位一体論を、ますます理解困難な神秘的なものにしていった。
(3) 近世。
三位一体論に対する興味の喪失、反対の機運が強い。宗教改革者たちはアウグスチヌスの線に沿って、これを主要教理として取り上げたが、17世紀になるとポーランドのリッチェニに始まるユニテリアン主義やオランダのアルミニウスに発する近代主義的な考え方によって揺るがされ、シュライエルマハーの『信仰論』では巻末の付録のようにして触れられているだけである。方法論的にも内容的にももはや古い三位一体論はそのままの形では支持されず、さまざまな解釈の試みがなされている。ペルソナとかヒュポリタスとかいう概念が根本的に問われるし、ことにペルソナはカント的な人格概念と混同する場合には新しい混乱を引き出す。
<教義学的理解>
「trinitas」は厳密には三一または三一性であって、三位一体という訳語が既に特定の教理的立場を示していることは上に見たとおりである。ニカイア信条におけるウシアは実体(substanntia)であるとともに、本質(essentia)でもあった。しかも前者は本来ヒュポスタシスの訳語であった。ゆえにアタナシオスは父と子とが同じウシアなる1つのヒュポスタシスであり、父・子・聖霊のおのおのをヒュポスタシスと呼ぶのは3神論になると避難した。さらにペルソナは元来法律用語で法人格を、これを宗教的領域に移されては権限様式を意味した。これらの用語によって表現されようとする救済者の信仰における現実が、ギリシャ的存在論の枠内でのいろいろな概念規定によってその可否の争われてきた過程に三位一体論の歴史があるとすれば、混に日の教義学の課題はギリシャ的存在論を越える根本的な新しい存在論の立場に立ってこの教義の再検討・再解釈を行うにある。
その最も大胆な試みをティリッヒに見ることができる。人間の存在と理解とを超える神を、啓示と救済の現実から遡って把えようとするとき、その原票は象徴として成立つほかはない。アウグスチヌスの三位一体論は既にこのことを明らかにし、一つの試みとして、神の生命が子として現れ、聖霊として働く過程と姿を人間の自己認識や愛の類比を持って理解しようとした。神の三一性は秘儀であって啓示と信仰なくしては理解されないが、これらの下にあっても理性はこれを十分に把える出来ないとし、祈りを持って論究を終わっているのははなはだ示唆敵である。今日、K.バルトのように三位一体論を神学の方法論として再評価しようとする試みも、ティリッヒのようにキリスト論を中心として神の存在そのもの、存在の根拠、ちからとし、聖霊を生命・愛として存在論の立場で徹底的な再解釈を試みるのもともに非教理化の道と言えよう。ペルソナを存在の仕方、スブスタンティアを存在の実質的内容と解するのが現代に共通な理解である。(松村克己)
キリスト教大事典(教文館、1963年版)
三位一体 Trinitas (ラテン語)、 Trinity (英語)
聖書の神は父・子・聖霊という3つの位格(ぺルソナ)と1つの実体(スプスタンティア)において存在する、という重要な教理を言表す語。
<三一神の信仰>
信仰とその言語的・概念的表現または説明としての教理とは、区別して理解する必要がある。聖書には三位一体という語はなく、この教理はのちの教会の生んだものである。神・キリスト・聖霊を<tritas>という語で呼んだのはアンテオケのテオフィロス(180年頃)で、この語から<trinitas>という語を作りだしたのは テルトゥリアヌスだといわれいる。しかしこの教理の土台となろ三一神の信仰は新約聖書の宗したがってキリスト教における救の経験の特色だといえる。神はイエス・キリストをとおし聖霊によってみずから を啓示し救のわざをなす。したがって3者は啓示と救の働きにおいては分ちがたい、ひとつのものとして受けとられ、一が語られる時には必ず他のものがそれに伴って語られなくてはならぬところから,新約聖書でもすでに3者が相並んで記されている個所がいくつかある(マタイ28:19、1コリント12:4~6、2コリント13:13、その他)。マタイ福音書の「父と子と聖霊の名」とある「名」が単数形になっているのは、洗礼が当初イエス・キリストの名によって行われたなごりだと解釈されうるにしても、注目すベき問題を含んでいるといえる。コリント書における「霊・主・神」と「主イエス・キリスト、神、聖霊」はマタイ福音書よりも古く、明らかに3者の並称である。使徒信条もキリスト告白を中心として前後に神と聖霊に言及した3項目的告白である。救の体験とそれに基づく原初的信仰告白としては当然の形だといえる。この場合にlと3とがどういう関係で考えられるかという思惟にとっての困難な問題は,最初にはなかった。
<教理>
キリスト論の発展であり、その要請として生れたものであるが、その当面する問題は再びキリスト論に向って問い返されたといってよい。問題は、東方教会でギリシア教父たちの間から始り、西方教会の中で落着を見た。浮動していた表現に、<3つの位格、1つの実体、 tres personae, una substantia >という明確な定式を与えたのはアウグスチヌスであるが、この表現はすでにテルトゥリアヌスにさかのぼる。東方と西方との差を一口に大まかにいえば、内在的三位一体諭と経綸的三位一体論の区別として示される。前者は神それ自身の存在(本質)における三位一体を問題とし、後者は神が世界と人間とに対する関係の上からの三位一体、つまり啓示と救の働きにおける三一性を主張する。17世紀の古プロテスタント神学は両者をば神の内ヘのわざ( opera ad intra ) と外ヘのわざ( opera ad extra )とに対応するものとした。1つは理論的興味を他は実際的観点を主とするが、前者は後者の地盤を離れずその要請としてのみ意味をもつことができる。三位一体論の固有にして困難な問題は前者にあり、後者においては必ずしも三一をば位格とか実体とかいう概念によって語ることを必要とはしない。ニカイア総会議(325)以来のこの教理の主要形態とそれをめぐる論争は主として前者に属する。
<教理史的瞥見>
三位一体論論争といわれるものの中核は、種々な用語の間の浮動とその概念内容の混同によると見られる。
(1)古代。
キリスト論の根本問題はイエス・キリストの人格を神性・人性のいずれを主として理解するかにあり、ニカイア総会議で父と子との同質(ホモウシオス、homousios)が確定されてか らは、人性論的主張が拒けられて問題は三一論に移された。ロゴス・キリスト論(イエス・キリストをロゴスの受肉と見る)は東西両教会で正統的立場と認められてきたが、東方ではホモウシオスという用語は神とキリストとの同一を直接的に主張しロゴスの媒介性を危くするという理由でさきには異端とされてきたのである。またサベリゥスの様態論(Modalism、父・子・聖霊の三者を同じ神の異った顕現様式とする)は、すでに3世紀において1実体( hupostasis )に3顕現様式( prosopon )があると説き、これは形式の上からは年代的にもほぼ同じであるテルトゥリァヌスの「una substantia,tres personae」に対応するものでありながら、1に傾いて3の現実的区別を暗くするものとして斥けられてきた。ニカイア、カルケドンとつづく会議決定の線は、一方にサベリゥスの様態論を斥け、他方にキリストの神性を危くするアリウス主義と、聖霊の神性を否定すろマケドニオス説とを抑えて、三位一体の教理を確立した。これは西方教会の東方に対する優位を意味し、この教理表現を受入れるためには東方にとって多くの困難があったが、これを克服したのがいわゆる「カパドキア三教父」であった。その解釈によれば「Mia ousia, trei hupostaseis」におけるウシアは共通の本質・性質を、ヒュポスタシスは個性的実体を意味する。父・子・聖霊なる3つのヒュボスタシスは1つのウシアにあずかってこれを共有し(これを神性、theothesと呼ぶ)、ヒュポスタシス相互の関係は、父は生れない者、子は生れた者、聖霊は父から出たもの<西方ではトレドー会議(989)で、「および子から filioque」を付加した>として区別された。三一論の発展は東方では3から1ヘの方向をとり3の現実が三神諭となる危険を思弁によって超えようとしたのに対して、西方では1から3への方向をとり、1なる神が様態説におちいることなしにどうして3の現実を保持しうるかに腐心した。アウグスティヌスはペルソナをば内在的三位一体論における関係概念であると規定して三神論ヘの危険を防ぎ、神の働きは外に向っては分たれぬ(inseparabilis opertio trinitatis)として経綸的三位一体論の立場を本来のものと考えた。
(2) 中世。
キリスト論的ぺルソナと三位一体論的ペルソナとの混同が起る。アウグスティヌスの強い影響のもとに成立したアタナシオス信条(アタナシオスのものではなく、もっと後代のもの)が基礎となるのであるが、三位一体論的信条といわれるその第1部には「1つなる神を3位(trinitas) において、3位を1体(unitas)において礼拝する」とあり、キリスト論的信条といわれる第2部には、1つなるキリストにおいて神(性)と人(性)との両者はスブスタンティアの混同のためではなくペルソナが1つであるために結合されている、とある。これはキリスト両性論と呼ばれる立場であって、ここではキリスト論的ペルソナであるロゴス・キリストがヒュポスタシスと解され神性・人性の性( phusis、natura ) は個性的実体に対する通性、従って見方によっててはその属性( idiotes )と解されるようになった。ここにヒュポスタシスのスプスタンティアヘの接近・混同とともにナトウラのウシアヘのそれが見られ、そこからキリストのペルソナにおける両性のウニオ・ヒュポスタティカによって属性の融通( communicatio idiomatum )という ことが語られ、更にキリストにおける両性の交互内在を経て神における三位相互内在性( circumincessio、perichoresis ) という考え方が現れてくる。このような慨念の複雑、混乱と形式的な論理操作とが三位一体論を、ますます理解困難な神秘的なものにしていった。
(3) 近世。
三位一体論に対する興味の喪失、反対の機運が強い。宗教改革者たちはアウグスチヌスの線に沿って、これを主要教理として取り上げたが、17世紀になるとポーランドのリッチェニに始まるユニテリアン主義やオランダのアルミニウスに発する近代主義的な考え方によって揺るがされ、シュライエルマハーの『信仰論』では巻末の付録のようにして触れられているだけである。方法論的にも内容的にももはや古い三位一体論はそのままの形では支持されず、さまざまな解釈の試みがなされている。ペルソナとかヒュポリタスとかいう概念が根本的に問われるし、ことにペルソナはカント的な人格概念と混同する場合には新しい混乱を引き出す。
<教義学的理解>
「trinitas」は厳密には三一または三一性であって、三位一体という訳語が既に特定の教理的立場を示していることは上に見たとおりである。ニカイア信条におけるウシアは実体(substanntia)であるとともに、本質(essentia)でもあった。しかも前者は本来ヒュポスタシスの訳語であった。ゆえにアタナシオスは父と子とが同じウシアなる1つのヒュポスタシスであり、父・子・聖霊のおのおのをヒュポスタシスと呼ぶのは3神論になると避難した。さらにペルソナは元来法律用語で法人格を、これを宗教的領域に移されては権限様式を意味した。これらの用語によって表現されようとする救済者の信仰における現実が、ギリシャ的存在論の枠内でのいろいろな概念規定によってその可否の争われてきた過程に三位一体論の歴史があるとすれば、混に日の教義学の課題はギリシャ的存在論を越える根本的な新しい存在論の立場に立ってこの教義の再検討・再解釈を行うにある。
その最も大胆な試みをティリッヒに見ることができる。人間の存在と理解とを超える神を、啓示と救済の現実から遡って把えようとするとき、その原票は象徴として成立つほかはない。アウグスチヌスの三位一体論は既にこのことを明らかにし、一つの試みとして、神の生命が子として現れ、聖霊として働く過程と姿を人間の自己認識や愛の類比を持って理解しようとした。神の三一性は秘儀であって啓示と信仰なくしては理解されないが、これらの下にあっても理性はこれを十分に把える出来ないとし、祈りを持って論究を終わっているのははなはだ示唆敵である。今日、K.バルトのように三位一体論を神学の方法論として再評価しようとする試みも、ティリッヒのようにキリスト論を中心として神の存在そのもの、存在の根拠、ちからとし、聖霊を生命・愛として存在論の立場で徹底的な再解釈を試みるのもともに非教理化の道と言えよう。ペルソナを存在の仕方、スブスタンティアを存在の実質的内容と解するのが現代に共通な理解である。(松村克己)