断想:復活前主日
イエスの埋葬 マルコ15:1~47 (2018.3.25)
<テキスト、私訳>
◆墓に葬られる(15:42~47)
さて、すでに夕がたになっていた。その日は過ぎ越の準備の日、すなわち安息日の前日であったので、アリマタヤ出身のヨセフが大胆にもピラトの所へ行き、イエスのご遺体の引取り方を願い出た。彼は地位の高い議員であって、彼自身、神の国を待ち望んでいる人であった。ピラトは、イエスがもはや死んでしまったのかと不審に思い、百卒長を呼んで、もう死んだのかと尋ねた。そして、百卒長から確かめた上、死体をヨセフに渡した。
そこでヨセフは亜麻布を買い求め、イエスをとり降ろして、その亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納め、墓の入口に石をころがしておいた。マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスのご遺体が納められた場所を見とどけた。
<以上>
1.復活前主日
とにかく 復活前主日の福音書は長い。もしフルに読もうと思うと、A年はマタ26:36~27:66である。B年でもマルコ14:32~15:47で、C年はルカ22:39~23:56で、これらをそのまま聖餐式の中で読むとなると、説教の時間がなくなってしまう。事実、この主日では説教をしないという司祭もいるくらいである。また、これを独りの福音書朗読者(通常は執事あるいは司祭)が読むとなるとそれだけでへとへとになるほどである。その対策として、登場人物毎に朗読者を選び、朗読劇のように読む教会もある。バッハの有名な「受難曲」もこの日に福音書朗読の代わりに演奏されたのだと思われる。
まぁ、ここは実際の聖餐式ではなく、文書による「断想」なので、その範囲の中で私が取り上げたい個所だけを取り上げる。それでここでは、マルコ15:42~47を読む。イエス埋葬の記事である。
2.イエスの遺体は埋葬された
どの福音書でも、十字架から復活までを一連の出来事として描かれている。そのストーリーの中で十字架と復活という超ビッグな出来事に挟まれて、埋葬の記事の影が薄い。実はほとんどの人たちは気が付かないか、無視しているのか、十字架と復活については語るが、埋葬のことについて触れようとしない。ところが、初期の教会においてはイエスの遺体を埋葬したということは、十字架や復活と同じレベルに重要視されている。
1コリント15:3~5に以下のような文章がある。
《最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。》
この言葉は、パウロ自身も「最も大切なこととして受けたもの」であると告白している最初期の信仰告白文である。ここでは「葬られたこと」が「死んだこと」と「復活したこと」と同じレベルの事柄として述べられている。使徒信経でも「十字架につけられ、死んで葬られ」と唱えられる。しかしイエスの埋葬ということについてじっくり考えることが少ない。
また、4つ福音書ともイエスの埋葬についてかなり詳細に述べている。(下記参照)
なぜ、初代の信徒たちはイエスの埋葬にこれほどこだわったのだろうか。もちろん、「復活物語」を語る際に「墓から」という言い方は重要であっただろう。特に復活物語において「墓」という大道具がないと、ストーリーが成立しない。しかし、仮に「埋葬」というエピソードがなかったとしたら、それなりの復活物語が形成されたであろうということも否定できない。たとえばヨハネ福音書21章のガリラヤ湖畔での出来事は、「墓」なしの復活物語である。あるいは、ルカ福音書におけるエマオの途上でのイエスの「顕現物語」(ルカ24:13~35)も墓なしの復活物語である。初期の信徒たちの内の多くは、実際に「イエスの墓」まで出かけていない。中ではあわてて墓まで見に行った人もいるだろうが、その墓はもぬけのからであって、墓がもぬけだからイエスの復活を信じたわけではない。
彼らがキリスト者として立ち上がった時にはもう既にイエスの復活を経験していたはずである。イエスの復活を信じている人々にとってイエスの墓がどういう意味を持つのだろうか。その意味では極論するとイエスの墓は世界で唯一の無駄な墓である。葬られた遺体がない墓、それがイエスの墓である。
3. もし、イエスが埋葬されなかったなら
イエスの「死」の近辺にはイエスの近親者、弟子たちは「姿」を見せない。彼らは「逃げ去った」と述べられている。ヨハネが描く、十字架の足下での母マリアと弟子ヨハネのエピソードは、実話ではないであろう。つまり、イエスの場合、「もし埋葬されなかったなら」という仮説は、むしろそちらの方が可能性としては大きい。何しろ、ここではイエスは犯罪者として処刑されているのであるので、犯罪者の遺体として処理されたであろうと思われる。
実際に十字架上で死んだイエスの姿を目の当たりにして、なんとかしなければならないと考えた人物が2人いた。いや、2人しかいなかった。それが「アリマタヤのヨセフ」と「ニコデモ」である。彼らは心の中はともかくとして、外面的にはいずれもイエスの側の人間というよりも「権力側」の人間である。ともかく福音書はこの2人がイエスの遺体を引き受けて埋葬したと述べている。これには後日談が12,13世紀頃の作品である「ニコデモ福音書」(聖書外典偽典6、教文館)に出てくる。
この福音書の中に、アリマタヤのヨセフとニコデモとがイエスの埋葬後ユダヤ人たちから追われ、捕まり、つるし上げに合っている場面がある。その場面でアリマタヤのヨセフはユダヤ人たちから「お前は(死んでも)墓にはいることもできない、ということは心得ておけ。お前の死骸は空の鳥に食わせてやる」(12:1)と罵られている。この記録の重要な点は、もし、アリマタヤのヨセフによる墓地と埋葬とがなかったとしたら、十字架後のイエスのご遺体のどうのように処理されたのかを予想させる。要するに、当時の犯罪者の遺体処理の問題である。ここでは「犯罪者イエス」を埋葬したヨセフもまた「犯罪者」として追求されている。ユダヤ人たちは犯罪者イエスは埋葬されてはならないと考えていたようである(ニコデモ福音書12章)。
イエスの処刑は金曜日で、翌日は安息日、通常ならイエスの遺体は安息日が明けるまで野ざらしにされたであろう。つまりそれは鳥の餌食になるということを意味した。そもそも十字架刑とは、処刑された者の死体が、あるいは生きながらにして、禿鷲やカラスの餌とされるのを見せしめとする刑でもある。放っておけば当然そういう結果になる。
これが十字架刑の本当の意味である。つまり、十字架刑は人間としての死ではない。しかし、内心イエスを尊敬していたアリマタヤのヨセフがイエスの遺体がそうなることに堪えられなかったのであろう。そしてまさに「異例中の異例」としてローマの責任者に遺体の取り下げの許可を得て、イエスの遺体は一人の人間として丁重に埋葬された。彼らの行為によって、イエスの遺体は守られ、イエスの死は「人間の死」になった。
4. イエスの埋葬観
イエスは自分の葬儀・埋葬について、どう考えていたのか。自分の苦しみと死については繰り返し予告しているが、自分の葬儀・埋葬について何も語っていない。ただ一個所、それとなくそのことに触れておられると思われる個所がある。それは最後の晩餐の直前にベタニヤのシモンの家で食事の席で一人の女がナルドの香油をイエスのために使った。その時イエスは「これはわたしの埋葬の準備である」と述べられた。この言葉はいろいろに解釈されるが、要するにイエスがご自分の埋葬について述べられたほとんど唯一の個所である。イエスはご自分の埋葬について関心がなかったわけではない。ただ、それは期待できないことであったに違いない。それは墓地についても同様である。イエスにとって墓地に埋葬されるということはほとんど期待できなことであった。当時、エルサレムの西側に「トペテ」というしたい処理場があり、そこでは常に火が燃えていたと言われている。ここで重要なことは、犯罪者は火葬にされたという点で、火葬とはその人の来世を末梢することで復活できないようにする処理であった。
元々のマルコ福音書には16:1~8はなく、15章47節で終わっていたという説もある。そうすると、最後の言葉は「マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスのご遺体が納められた場所を見とどけた」である。ここでの「見とどける(セオレオー)」は単純に「見ていた」とは異なる。ただ目で見ていたというよりも「頭で見る」である。そうすると、彼女たちはどういう気持ちで何を「見とどけた」のだろう。ここでは彼女たちはイエスの遺体ではなく、「遺体を納めた場所」を見とどいていたといわれている。それよりも何よりも、何故マルコはそれをここに記しているのだろう。
6.まとめ
私たちにとって「十字架」とは、あくまでも死へのプロセスであり、決して死そのものではない。「十字架」に注目することによって「生の苦しみ」を思い浮かべ、より豊かな生を求める。「十字架」を受け入れると言うことは、必ずしも「死」を受け入れていることではない。それに対して「イエスの墓」は、死そのもの、生きたイエスがそこにいないということを受け入れ、味わうことである。
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<参照>
マタイは次のように語る。「夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくるように願い出た。そこでピラトは渡すようにと命じた。ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に彫った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口に大きな石を転がしておいて立ち去った。マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた」(マタイ27:57~60)。
ルカもほとんど同じである。「さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。この人がピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出て、遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に彫った墓の中に納めた。その日は準備の日であり、安息日が始まろうとしていた。イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様を見届け、家に帰って、香料と香油を準備した」(ルカ23:50~56)。
ヨハネはもう少し丁寧であるが基本的にはほとんど変わらない。「その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。そこへかつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香をまぜた物を百リトラばかり持ってきた。彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた」(ヨハネ19:38~42)。
イエスの埋葬 マルコ15:1~47 (2018.3.25)
<テキスト、私訳>
◆墓に葬られる(15:42~47)
さて、すでに夕がたになっていた。その日は過ぎ越の準備の日、すなわち安息日の前日であったので、アリマタヤ出身のヨセフが大胆にもピラトの所へ行き、イエスのご遺体の引取り方を願い出た。彼は地位の高い議員であって、彼自身、神の国を待ち望んでいる人であった。ピラトは、イエスがもはや死んでしまったのかと不審に思い、百卒長を呼んで、もう死んだのかと尋ねた。そして、百卒長から確かめた上、死体をヨセフに渡した。
そこでヨセフは亜麻布を買い求め、イエスをとり降ろして、その亜麻布に包み、岩を掘って造った墓に納め、墓の入口に石をころがしておいた。マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスのご遺体が納められた場所を見とどけた。
<以上>
1.復活前主日
とにかく 復活前主日の福音書は長い。もしフルに読もうと思うと、A年はマタ26:36~27:66である。B年でもマルコ14:32~15:47で、C年はルカ22:39~23:56で、これらをそのまま聖餐式の中で読むとなると、説教の時間がなくなってしまう。事実、この主日では説教をしないという司祭もいるくらいである。また、これを独りの福音書朗読者(通常は執事あるいは司祭)が読むとなるとそれだけでへとへとになるほどである。その対策として、登場人物毎に朗読者を選び、朗読劇のように読む教会もある。バッハの有名な「受難曲」もこの日に福音書朗読の代わりに演奏されたのだと思われる。
まぁ、ここは実際の聖餐式ではなく、文書による「断想」なので、その範囲の中で私が取り上げたい個所だけを取り上げる。それでここでは、マルコ15:42~47を読む。イエス埋葬の記事である。
2.イエスの遺体は埋葬された
どの福音書でも、十字架から復活までを一連の出来事として描かれている。そのストーリーの中で十字架と復活という超ビッグな出来事に挟まれて、埋葬の記事の影が薄い。実はほとんどの人たちは気が付かないか、無視しているのか、十字架と復活については語るが、埋葬のことについて触れようとしない。ところが、初期の教会においてはイエスの遺体を埋葬したということは、十字架や復活と同じレベルに重要視されている。
1コリント15:3~5に以下のような文章がある。
《最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。》
この言葉は、パウロ自身も「最も大切なこととして受けたもの」であると告白している最初期の信仰告白文である。ここでは「葬られたこと」が「死んだこと」と「復活したこと」と同じレベルの事柄として述べられている。使徒信経でも「十字架につけられ、死んで葬られ」と唱えられる。しかしイエスの埋葬ということについてじっくり考えることが少ない。
また、4つ福音書ともイエスの埋葬についてかなり詳細に述べている。(下記参照)
なぜ、初代の信徒たちはイエスの埋葬にこれほどこだわったのだろうか。もちろん、「復活物語」を語る際に「墓から」という言い方は重要であっただろう。特に復活物語において「墓」という大道具がないと、ストーリーが成立しない。しかし、仮に「埋葬」というエピソードがなかったとしたら、それなりの復活物語が形成されたであろうということも否定できない。たとえばヨハネ福音書21章のガリラヤ湖畔での出来事は、「墓」なしの復活物語である。あるいは、ルカ福音書におけるエマオの途上でのイエスの「顕現物語」(ルカ24:13~35)も墓なしの復活物語である。初期の信徒たちの内の多くは、実際に「イエスの墓」まで出かけていない。中ではあわてて墓まで見に行った人もいるだろうが、その墓はもぬけのからであって、墓がもぬけだからイエスの復活を信じたわけではない。
彼らがキリスト者として立ち上がった時にはもう既にイエスの復活を経験していたはずである。イエスの復活を信じている人々にとってイエスの墓がどういう意味を持つのだろうか。その意味では極論するとイエスの墓は世界で唯一の無駄な墓である。葬られた遺体がない墓、それがイエスの墓である。
3. もし、イエスが埋葬されなかったなら
イエスの「死」の近辺にはイエスの近親者、弟子たちは「姿」を見せない。彼らは「逃げ去った」と述べられている。ヨハネが描く、十字架の足下での母マリアと弟子ヨハネのエピソードは、実話ではないであろう。つまり、イエスの場合、「もし埋葬されなかったなら」という仮説は、むしろそちらの方が可能性としては大きい。何しろ、ここではイエスは犯罪者として処刑されているのであるので、犯罪者の遺体として処理されたであろうと思われる。
実際に十字架上で死んだイエスの姿を目の当たりにして、なんとかしなければならないと考えた人物が2人いた。いや、2人しかいなかった。それが「アリマタヤのヨセフ」と「ニコデモ」である。彼らは心の中はともかくとして、外面的にはいずれもイエスの側の人間というよりも「権力側」の人間である。ともかく福音書はこの2人がイエスの遺体を引き受けて埋葬したと述べている。これには後日談が12,13世紀頃の作品である「ニコデモ福音書」(聖書外典偽典6、教文館)に出てくる。
この福音書の中に、アリマタヤのヨセフとニコデモとがイエスの埋葬後ユダヤ人たちから追われ、捕まり、つるし上げに合っている場面がある。その場面でアリマタヤのヨセフはユダヤ人たちから「お前は(死んでも)墓にはいることもできない、ということは心得ておけ。お前の死骸は空の鳥に食わせてやる」(12:1)と罵られている。この記録の重要な点は、もし、アリマタヤのヨセフによる墓地と埋葬とがなかったとしたら、十字架後のイエスのご遺体のどうのように処理されたのかを予想させる。要するに、当時の犯罪者の遺体処理の問題である。ここでは「犯罪者イエス」を埋葬したヨセフもまた「犯罪者」として追求されている。ユダヤ人たちは犯罪者イエスは埋葬されてはならないと考えていたようである(ニコデモ福音書12章)。
イエスの処刑は金曜日で、翌日は安息日、通常ならイエスの遺体は安息日が明けるまで野ざらしにされたであろう。つまりそれは鳥の餌食になるということを意味した。そもそも十字架刑とは、処刑された者の死体が、あるいは生きながらにして、禿鷲やカラスの餌とされるのを見せしめとする刑でもある。放っておけば当然そういう結果になる。
これが十字架刑の本当の意味である。つまり、十字架刑は人間としての死ではない。しかし、内心イエスを尊敬していたアリマタヤのヨセフがイエスの遺体がそうなることに堪えられなかったのであろう。そしてまさに「異例中の異例」としてローマの責任者に遺体の取り下げの許可を得て、イエスの遺体は一人の人間として丁重に埋葬された。彼らの行為によって、イエスの遺体は守られ、イエスの死は「人間の死」になった。
4. イエスの埋葬観
イエスは自分の葬儀・埋葬について、どう考えていたのか。自分の苦しみと死については繰り返し予告しているが、自分の葬儀・埋葬について何も語っていない。ただ一個所、それとなくそのことに触れておられると思われる個所がある。それは最後の晩餐の直前にベタニヤのシモンの家で食事の席で一人の女がナルドの香油をイエスのために使った。その時イエスは「これはわたしの埋葬の準備である」と述べられた。この言葉はいろいろに解釈されるが、要するにイエスがご自分の埋葬について述べられたほとんど唯一の個所である。イエスはご自分の埋葬について関心がなかったわけではない。ただ、それは期待できないことであったに違いない。それは墓地についても同様である。イエスにとって墓地に埋葬されるということはほとんど期待できなことであった。当時、エルサレムの西側に「トペテ」というしたい処理場があり、そこでは常に火が燃えていたと言われている。ここで重要なことは、犯罪者は火葬にされたという点で、火葬とはその人の来世を末梢することで復活できないようにする処理であった。
元々のマルコ福音書には16:1~8はなく、15章47節で終わっていたという説もある。そうすると、最後の言葉は「マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスのご遺体が納められた場所を見とどけた」である。ここでの「見とどける(セオレオー)」は単純に「見ていた」とは異なる。ただ目で見ていたというよりも「頭で見る」である。そうすると、彼女たちはどういう気持ちで何を「見とどけた」のだろう。ここでは彼女たちはイエスの遺体ではなく、「遺体を納めた場所」を見とどいていたといわれている。それよりも何よりも、何故マルコはそれをここに記しているのだろう。
6.まとめ
私たちにとって「十字架」とは、あくまでも死へのプロセスであり、決して死そのものではない。「十字架」に注目することによって「生の苦しみ」を思い浮かべ、より豊かな生を求める。「十字架」を受け入れると言うことは、必ずしも「死」を受け入れていることではない。それに対して「イエスの墓」は、死そのもの、生きたイエスがそこにいないということを受け入れ、味わうことである。
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<参照>
マタイは次のように語る。「夕方になると、アリマタヤ出身の金持ちでヨセフという人が来た。この人もイエスの弟子であった。この人がピラトのところに行って、イエスの遺体を渡してくるように願い出た。そこでピラトは渡すようにと命じた。ヨセフはイエスの遺体を受け取ると、きれいな亜麻布に包み、岩に彫った自分の新しい墓の中に納め、墓の入り口に大きな石を転がしておいて立ち去った。マグダラのマリアともう一人のマリアとはそこに残り、墓の方を向いて座っていた」(マタイ27:57~60)。
ルカもほとんど同じである。「さて、ヨセフという議員がいたが、善良な正しい人で、同僚の決議や行動には同意しなかった。ユダヤ人の町アリマタヤの出身で、神の国を待ち望んでいたのである。この人がピラトのところに行き、イエスの遺体を渡してくれるようにと願い出て、遺体を十字架から降ろして亜麻布で包み、まだだれも葬られたことのない、岩に彫った墓の中に納めた。その日は準備の日であり、安息日が始まろうとしていた。イエスと一緒にガリラヤから来た婦人たちは、ヨセフの後について行き、墓と、イエスの遺体が納められている有様を見届け、家に帰って、香料と香油を準備した」(ルカ23:50~56)。
ヨハネはもう少し丁寧であるが基本的にはほとんど変わらない。「その後、イエスの弟子でありながら、ユダヤ人たちを恐れて、そのことを隠していたアリマタヤ出身のヨセフが、イエスの遺体を取り降ろしたいと願い出た。ピラトが許したので、ヨセフは行って遺体を取り降ろした。そこへかつてある夜、イエスのもとに来たことのあるニコデモも、没薬と沈香をまぜた物を百リトラばかり持ってきた。彼らはイエスの遺体を受け取り、ユダヤ人の埋葬の習慣に従い、香料を添えて亜麻布で包んだ。イエスが十字架につけられた所には園があり、そこには、だれもまだ葬られたことのない新しい墓があった。その日はユダヤ人の準備の日であり、この墓が近かったので、そこにイエスを納めた」(ヨハネ19:38~42)。