ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

松村克己『ヨハネ福音書講釈』再話(13)<18:1~19:42>

2015-06-26 08:32:48 | 松村克己関係
松村克己『ヨハネ福音書講釈』再話(13)<18:1~19:42>

第18章

18章と19章はいわゆるイエスの「受難物語」で、イエスの捕縛・審判・死が語れている。この部分の叙述は共観福音書とかなり異なるので、先ずその点について触れておく。
(1)   ここにはゲッセマネの苦悶の祈りがない。著者がもし使徒ヨハネであるとすると、これに触れていないのはおかしい。ここに著者問題の一つの鍵を見ようとする人々も少なくない。
(2) 大祭司の審判の記事がなく(訊問の記事はある)、ピラトの審判について述べているだけである。著者は11:47~53で既に実質的な審判は行われたと考えたのであろうか。
(3) その代りピラトの審判の場面の叙述は共観福音書よりもかなり詳細である。著者の興味はギリシャ・ローマの文化世界が神の子イエスをどのように見ているのかということを示そうとしているようである。
(4) イエスの死の日付けについて共観福音書と1日の食い違いがある。後者ではイエスが弟子たちと過ぎ越しの食をした後、翌日十字架に懸かったことになっているが、これは祭りの日でニサンの月の15日に当たる。祭りの日に処刑が行われるとは考えられないために、これはヨハネ福音書の方が事実に合致するものと思われる。ここでは弟子たちとの最後の晩餐は過越の食卓ではなくその前日になされて居り、処刑は祭りの前日ニサンの14日に当たる。
(5) この記事は目撃者から出ていることを主張している(19:35)し、彼はイエスの「み胸に近く」座っている愛弟子(19:26)であるように記されていて、そこから使徒ヨハネ著者説が出るのであるが、これは著者が理想的な弟子を描いているので特定の使徒ではないと見たい。

1.捕縛 (1~14)

「これらのことを語り終えて、弟子たちと一緒にケデロンの谷の向こうへ行かれた。そこには園があって、イエスは弟子たちと一緒にその中にはいられた」。この園はいわゆる「ゲッセマネの園」(マルコ14:32)であるが著者はあえてこの名を明らかにしていない。「ケデロンの谷」は神殿の建っているシオンの山とオリブ山との間を距てる谷であるが、雨の時だけ川になるといわれている。「ケデロン」とは「暗い」という意味である。ルカ福音書は捕縛の場所をオリブ山と記している。「イエスと弟子たちとがたびたびそこで集まった」というのはルカ福音書の「イエスは昼のあいだは宮で教え、夜には出で行っててオリブという山ですごしておられた」(21:37)とあるのに対応している。「イエスを裏切ったユダは、その所をよく知っていた」ので、ユダはイエスを捕縛する一団を手引きして来る。一団のものは「一隊の兵卒と祭司長やパリサイ人たちの送った下役ども」である。一隊の兵隊とはローマの守備隊で普通は約600人、ゆわゆる千卒長の部下である。祭の期間は海岸のカイザリヤに駐屯するローマの総督と軍隊とは、エルサレムの治安維持のために出張し、宮殿の西北隅にあるアントニアの塔(要砦)に軍隊は駐留する。
恐らくその分遺隊であろう。イエスの捕縛のためにローマの軍隊が出動するとは考え難いが、共観福音書もこれについては何ら言及していない。ヨハネは劇的・象徴的に叙述を進めるために、また前述のように、イエスの審判を専らピラトによるものと見ているところから、これを付け加えたのであろう。彼らは「たいまつやあかりや武器を持って」来たとあるが、イエスを縛るためにはこれらはすべて不用であった。イエスは「イエスは、自分の身に起ろうとすることをことごとく承知しておられ、進み出て彼らに言われた、「だれを捜しているのか」と問い、「わたしが、それである」とて名乗りを挙げて自らを彼らの手に渡そうとした。「イエスを裏切ったユダも、彼らと一緒に立っていた」とあるが、彼は傍観者として立っているだけで、何の役割をも果たさなかった。「わたしが、それである」は実は例の神秘的な表現「われあり(エゴーエイミ)」である(8:24、28、13:19)。だからこの語をきいて捕縛吏たちは「彼らはうしろに引きさがって地に倒れた」という。神的存在に直面したときの薄気味悪さを感じたからであろう。著者はここに詩篇27:2の成就を見ているのであろう。イエスは再び「だれを捜しているのか」と問い「ナザレのイエスを」という同じ答えを得て、弟子たちを指して、それならば「この人たちを去らせてもらいたい」と言った。9節は記者の註・解釈である。10節、11節両節は共観福音書からとったものと思われるが(マタイ26:51)、何かこの場面にそぐわない不自然さを感じる叙述である。ペテロに剣にて「その右の耳を切り落さ」れた「大祭司の僕」の名は「マルコス」と記されている。共観福音書にも出てない名を留めているところから見ると、この部分は目撃者の証言から出ているものであり、そこから大祭司の家の事情も明らかにされたものかとも考えられるが、断定はできない。イエスはペテロをとどめて言った。「父がわたしに下さった杯は、飲むべきではないか」と。「杯」とは運命を意味する。
イエスを捕らえた一団はイエスを縛り上げて、「まずアンナスのところに引き連れて行った」。この人は紀元6年から15年まで大祭司の職にあり、その後は何人かの人が僅かの年限で交代させられた。アンナスの勢力は大きく、時の「大祭司カヤパの舅」として実権を握っていたらしい。その住居はオリブ山の一角にあってイエスの捕えられた場所から近かったので、一先ずここにサンヘドリンの議員は集められて非公式の緊急議会が開かれたものと考えられる。14節は11:50に言及した著者の註である。

2.ペテロの否認  (15~27)

この部分の順序はかなり混乱している。このままでは15節にペテロは既に大祭司の庭に入って居り、19節では大祭司の審問が始まっているのに、25節に到ってイエスは縛られて大祭司の許に送られて来た事になっている。そしてペテロの否認の出来事は19節から24節を間において行われた事になっている点に疑問があるというのである。そこで解決の方法としては4つの提案が為されている。

(1) 15節から18節を、19節から24節の後に置いて25節に続けて読む。(モハット)。
(2) 上と大体同じであるが14節を24節の後におく(シュピッタ)。
(3) 24節、14節から15節、19節から23節、16節から18節、25節以下(これはシナイ地方から出たシリア訳写本の順序)。
(4) 14節から27節を編者が後から挿入した為に不自然さが起こったとする。

何れにしても解釈の根本に触れる重要な問題とは考えられぬので単に右の点を参照までに記するにとどめる。
「シモン・ペテロともうひとりの弟子」とがイエスについていった。「もうひとりの弟子」が「愛された弟子」であり目撃者、伝承の出処であることを暗示し、ペテロと並立させているのは既に述べたようにヨハネ福音書の立場を示している。そしてペテロが大祭司の庭に入ることができたのはりこの弟子が大祭司と知り合いであったと説明している。しかしその時「門番の女」が「あなたも、あの人の弟子のひとりではありませんか」と問うたので、ペテロは「いや、そうではない」と答えた。そして「下僕や下役どもは、寒い時であったので、炭火をおこし、そこに立ってあたっていた」。それでペテロもその傍らで素知らぬ顔をして「彼らに交じり、立ってあたっていた」。
屋敷の中では大祭司がイエスに、弟子たちのことやイエスの教のことを尋ねた。この大祭司は恐らくカヤパではなくアンナスを指しているのであろう。イエスは悪びれる風もなく素直に、淡々とありのままに答えている。「わたしはこの世に対して公然と語ってきた。すべてのユダヤ人が集まる会堂や宮で、いつも教えていた。何事も隠れて語ったことはない。なぜ、わたしに尋ねるのか。わたしが彼らに語ったことは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。わたしの言ったことは、彼らが知っている」。その時、大祭司に対する口の利き方が悪いということで、「平手でイエスを打った」。イエスはこれに抗議して、「もしわたしが何か悪いことを言ったのなら、その悪い理由を言いなさい。しかし、正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか」と反駆し、右の頬を打たれて左をも向ける、というあの自らの言葉を実行していない。このことは彼の言葉は律法として与えられたものでなく、福音として聞かるべきことを示している。アンナスはイエスを引き出して訊問しただけ、彼を当の責任者であるカヤパのもとに送った。
大祭司の庭に入って人々と共に暖を取っていたペテロは再び「あなたも、あの人の弟子のひとりではないか」と問われて、また「いや、そうではない」と言った。「大祭司の僕のひとりで、ペテロに耳を切りおとされた人の親族の者が「あなたが園であの人と一緒にいるのを、わたしは見たではないか」執拗に追求した。ちょうどその時、「鶏が鳴いた」。甚だ劇的な叙述である。

3.ピラトの前のイエス(1)  (28~40)

この場面は19:16まで続く。その内、18章では3つの場面が取り上げられている。
    
  (1)  訴え及び予審(28~32)
     (2)  第一の問答(33~38)
     (3)  釈放の失敗(39~40)

(1)  訴え及び予審(28~32)
「それから人々は、イエスをカヤパのところから官邸につれて行った」。総督の「官邸」はかつてのヘロデ大王の宮殿である。「時は夜明けであった。彼らは、けがれを受けないで過越の食事ができるように、官邸にはいらなかった」。その日の夕方には過越の羊を屠むって食べ、翌日から始まる祭の準備のために身を潔める。律法厳守を大切にするパリサイ派の人々ははイエスを引き立て、総督の官邸に来たが中に入ろうとはしない。異邦人の家に入ると汚れると考えていたからである。官邸に入らずに群がっている群衆を前にピラトは出てきて訴訟の内容を問う。「あなたがたは、この人に対してどんな訴えを起すのか」。その問いかけに答えて、「もしこの人が悪事をはたらかなかったなら、あなたに引き渡すようなことはしなかったでしょう」と述べる。この言葉には気負い立った人々の空気が感ぜられる。老練な総督はその場の空気や集まっている人々の階層から判断して、この訴訟がどんな種類のものかの見当をつけることが出来た。政治的なまた刑事上の問題ではなく、ユダヤ人特有の宗教的な問題、律法違反の問題であるに違いないと見てとった彼は、俺の関与すべき事柄ではなさそうじゃないか、「あなたがたは彼を引き取って、自分たちの律法でさばくがよい」と言う。彼に引き込まれては彼らの方が引っ込みがつかなくなる。宗教上の事柄、民事の問題はサンヘドリン(ユダヤ人議会)と長老たちに自治権が与えられていたが、仮令律法違反といえども死刑の執行は、総督の判決なしには許されなかった。人々はイエスを死刑にするために総督に訴えに来たのである。そこで彼らは言った「わたしたちには、人を死刑にする権限がありません」。32節は著者の解説であろう。

(2)  第1回審問(33~38)
「さて、ピラトはまた官邸にはいり、イエスを呼び出し」とあるのは、審判の座が開かれたことを示す。ローマ人ピラトの訊問はいきなり問題の中核に触れて「あなたは、ユダヤ人の王であるか」と問うた。イエスはユダヤ人の王であると称し民衆を扇動してローマ帝国に反抗しようとしているというのがユダヤ人の指導者たちの訴えの主旨であったからである。これに対してイエスは反問する、「あなたがそう言うのは、自分の考えからか。それともほかの人々が、わたしのことをあなたにそう言ったのか」と。「ユダヤ人の王」という言葉はキリストであるということをローマ人に分かりやすく意訳した言葉であろうが、微妙な問題を含み、非常に誤解されやすい。この言葉がローマ人の口から出る場合には政治的な意味となり「反逆者」と見なされるおそれが十分にあった。イエスはそういう意味であるならば、「ユダヤ人の王」であることを否定する。しかし彼を信じるユダヤ人の口からキリストという言葉が用いられる場合には、その政治的意味を多少は含んでいるとしても、その宗教的意味の故にこれを拒否してはならない。従ってこの語がローマ人の口から出たかユダヤ人によって語られたかは、明瞭に区別されなければならない。またピラトの個人的関心からの問いであるのか、職責上の問いであるかも明白にしなければならない。共観福音書では、イエスはこの点に関する訊問に限り、簡単にそうだと答えているが、その他の様々な訴因については沈黙するので、ピラトは困惑する(マルコ15:23)。
イエスの反問に対してピラトは噛んで吐き出すように答えた、「わたしはユダヤ人なのか。あなたの同族や祭司長たちが、あなたをわたしに引き渡したのだ。あなたは、いったい、何をしたのか」。
ピラトは冷静に職務上の訊問を行う。イエスが問題にしているような微妙な点には興味はない。イエスは王であることを承認しょうとする。キリストは昔から神の国の支配を地上にもたらすものと考えられ、神の国はキリストの国とも言われるからである。しかし「国」(語義的には「支配」という意味)の意義こそ問題の焦点であって、神の国とは愛によって支配することであり、その支配は通常の政治的支配ということでは理解できない、人々の内面的人格的結合、共同の樹立と発展である。そこでイエスは言う。「わたしの国はこの世のものではない。もしわたしの国がこの世のものであれば、わたしに従っている者たちは、わたしをユダヤ人に渡さないように戦ったであろう。しかし事実、わたしの国はこの世のものではない」。性格的にこの世における国と異なるだけでなく、その成立の仕方も違う。ピラトにとってこれは苦手な問答である。「それでは、あなたは王なのだな」と再び駄目を押す。但し書きや色々の説明はともかく、結局は王だと言うんだね、との意味である。イエスはその駄目押しの質問に答えて、「あなたの言うとおり、わたしは王である」と認め、さらにこれに続けて、「わたしは真理についてあかしをするために生れ、また、そのためにこの世にきたのである。だれでも真理につく者は、わたしの声に耳を傾ける」言われた。キリストの国、キリストが王であることは外観でわかることではないが、信じる者の間、彼らにとっては否定することの出来ぬ絶対的現実とも言うべき事実である。「真理」とはこのことを意味する。イエスがこの世に来た理由はこの現実を指し示し、これに向かって人々の眼を開き、これに参加させるためである。この真理に属する者、この国に属するように選ばれ召された人々はイエスの声をきく。ローマの世界支配を背後に、わたしはあなたを殺すことも生かすことも出来ると豪語する権力者を前にして、一歩も退かない。立場は一囚人にすぎないが、自分の本質に関してはいささかも曖昧な点を残さず、自分自身の使命を明らかにして独自な世界の存在を主張するイエスの姿は、次章の第2回目の問答にも更に明瞭にあらわれているように、心ある人々の心を打たずにはいないであろう。裁く者と裁かれる者との地位はここでは逆転している。「真理」という言葉を聞いて、ピラトはおおむ返しに「真理とは何か」と反問するが、彼にとってこの種の事柄ほどに縁遠いものはない。だから、一旦は問うが、その問いをさらに展開することもなく、ただイエスが宗教的な問題についてユダヤ人たちの反感・嫉妬・猜疑の的となっているということは理解出来た。それでピラトはイエスをいかにして無罪釈放するべきかということを考える。

(3)  釈放の失敗(39~40)
官邸の外に立って待つユダヤ人群衆の前に再び現われたピラトは裁判の結果を明瞭に告げて「わたしには、この人になんの罪も見いだせない」と宣言した。それは過越の祭りに際して行われる例となっている特赦のことを思いつき、宗教的理由が訴訟の原因であるなら、今この人を釈放するのが適当であろうと問いかける。しかしこれはユダヤ人たちの心を知らない総督の失敗であった。宗教的理由によるものだからこそ赦してはならないと彼らは考える。赦すならば「その人ではなく、バラバを」と彼らは叫ぶ。強盗は釈放しても神の子は赦してはならならないというのである。共観福音書は「十字架につけよ」と叫び狂う群集の背後に祭司長らの教唆があったと述べている(マルコ15:11)。


第19章

19章の16節までは18章のピラト審判の場の続きである、17節以下はイエスの最後、十字架の場面と埋葬のことが描かれている。

1.ピラトの前のイエス(2) (1~16)
この部分は更に3つの部分に分けられる。第1は釈放の提案に反対されたピラトがイエスを群集の前でむち打ちさせ、こんな哀れな人間を処刑しても仕方があるまいと人々の良識に訴えて釈放しようと努力していること示し(1~7)、第2の部分は群集から恐喝されたピラトがト官邸に戻りイエスを再び審査する第2回目の問答(8~12)、第3は遂に群集の圧力に負けたピラトが、イエスを死刑に処する決審する場面(13~16)である。

(1) イエスのむち打ち(1~7)
「そこでピラトは、イエスを捕え、むちで打たせた」。共観福音書によれば十字架刑が確定してからこのことがなされているが(マルコ15:16以下)、ここに見られるように判決前にむち打つことは違法である。ヨハネ福音書はこの鞭打ちを別な観点から物語っていると思われる。つまりピラトがもしこういう行為に出たとすれば、それはイエスを赦すためのジェスチュアー、芝居なのである。この場面(18:39~19:6)はバラバの事件を記したため引き続いて共観福音書と合致させるために挿入されたものかも知れない。兵卒たちが茨の冠を作ってイエスの頭にのせ、紫色の上衣を着せ、「ユダヤ人の王、ばんざい」と言い、さらに王位を示す「紫色の上衣」を着せたのは言うまでもなく嘲弄である。兵卒たちはイエスを嘲弄したあげく、「平手で打ちつづけた」という。そのようにしてイエスをさんざん痛めつけてからピラトが再び官邸から出て来て、人々に呼びかけた。「見よ、わたしはこの人をあなたがたの前に引き出すが、それはこの人になんの罪も見いだせないことを、あなたがたに知ってもらうためである」。イエスではなくバラバを釈放せよという群集の声にしばらく水を入れておいてピラトは今度は彼の決定を群集に押し付けようとする。イエスはまだ官邸にいる。異様な姿をして兵士たちに引き立てられて出てきたイエスを指してピラトは人々に言う「見よ、この人だ」。つまり、どうだこんなだらしない男だぞ。王に立てるような人間ではないではない。道化役者のような憐れなこんな人間は釈放しても害はなかろう。しかし「祭司長たちや下役どもはイエスを見ると」、ますます「十字架につけよ」を連呼して止まらない。常軌を失した彼らの行動にピラトは腹を立てたか、「あなたがたが、この人を引き取って十字架につけるがよい。わたしは、彼にはなんの罪も見いだせない」と言い放った。ユダヤ人たちの主張はローマ人である総督にはわからないかも知れないが、自分を神の子とするかれは、なす彼は、わたしたちの律法によれば、「彼は自分を神の子としたのだから、死罪に当る者で」どうしても生かしてはおけない、と言う。

(2) 第2回審問(8~12)

「彼は自分を神の子としたのだから」というユダヤ人たちの言葉を聞いてピラトは「ますますおそれ」とある。彼はこの言葉から何をおそれたのであろう。彼はこの被告に対して密かにある種の畏れを感じていた、に違いない。いま争点となっている宗教的な問題が「神の子」うんぬんであることを聞かれて、改めてこの人に対する取り扱いを考え直して見る必要を感じた。そこで群集から離れ、「もう一度官邸にはいって」イエスに対して再訊問を試みる。「あなたは、もともと、どこからきたのか」という問いは、お前は神の子ななのか、どうか」という意味である。「ユダヤ人の王」という問題は形式的に取り扱かってもたいした問題ではないが、神の子かどうかということになると、慎重に判断する必要がある。しかしイエスはこの問いに答えようとしない。既に尋問は済んでいるという姿勢である。ピラトはいらいらして「何も答えないのか。わたしには、あなたを許す権威があり、また十字架につける権威があることを、知らないのか」と迫るが、イエスはこの世の権威以上の権威の前で行動をしている。これを認めることができずに、この世の権力の操り人形になっている一官僚の当惑している姿に、憐れみを感じつつも、かかる者を利用し謀略と敵意とをもって自分の実現しようとしている連中の罪を批判して、「あなたは、上から賜わるのでなければ、わたしに対してなんの権威もない。だから、わたしをあなたに引き渡した者の罪は、もっと大きい」と言う。この言葉は常識的な行政官には、宗教的狂信に酔うて神の子を夢みる一人の善良で無知な人間の言葉としか思えなかった。ピラトはますますイエスを釈放しようと決意し、群衆を説得しようといろいろと試みる。しかし暴動化している群集の圧力はさすがの総督の力でもどうにもならなかった。彼の断乎とした決意はかえって群衆を刺激し、火に油を注ぐ結果となった。自分を神の子と称し、ユダヤ人の王になろうとしている「この人を」釈放したら、「あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王とするものはすべて、カイザルにそむく者です」と逆に彼を脅迫した。「カイザルの味方」と訳されている語は文字通りには「友」である。当時官吏の栄称として用いられて居たものだと言う。  群集の狂乱を眺めつつ処置なしと見た彼は、自他の平安のために正義と良心とに反して罪のない一人の人を群集の強要に委ねることに方向転回した。

(3) 結審(13~16a)
「イエスを外へ引き出して行き、敷石(ヘブル語ではガバタ)という場所で裁判の席についた」。群衆の前にイエスを引き出しての決審、最終審である。「ついた」という動詞は自動詞・他動詞どちらにも用いられるので、イエスを審判の座に座らせた、とも解されるし、ピラト自身が審判をするためにその座に座ったとも読める。前者は古い解釈でこの方が次節の「見よ、これがあなたがたの王だ」の句がよく効いてくる。「その日は過越の準備の日であって、時は昼の十二時ころであった」と解説されている。
イエスの姿を見て人々は「十字架につけよ」と狂い叫ぶ。ピラトは「あなたがたの王を、わたしが十字架につけるのか」と駄目を押した。お前たちの王を十字架につけようと言うんだね、「つけても、いいのか」という意味である。ここには皮肉の調べがある。祭司長ら答う「わたしたちには、カイザル以外に王はありません」。イエスを排除しようとして、ユダヤ人たちはとうとう口にしてはならない言葉を言ってしまった。彼らにとってはヤハウェとキリスト以外には王はない筈であった。「そこでピラトは、十字架につけさせるために、イエスを彼らに引き渡した」。

2.十字架と埋葬 (17~42)

(1) 十字架への道(16b~22)
「彼らはイエスを引き取った」。「イエスはみずから十字架を背負って」、進んで十字架の道を行く彼の態度がここにも示されている。クレネ人シモンが代わったのは途中からであり、イエスの弱々しい姿を見て兵卒が通りすがりのこの人に賦役として命じたものである(マルコ15:21)。死刑囚は十字架を負って刑場に行くことになっていたが、この場合負って行くのは横木のみで柱は刑場に立てられている。アブラハムがイサクをモリアの山にて献げよと神から命じられ、自分自身を燃やす薪を負って山を登るイサクの姿を読者は思い出しているにない(創世22:6)。刑場はエルサレムの北面城壁の外、ゴルゴタと呼ばれる丘上である。そこでイエスは2人の人と共にその真ん中の十字架につけられた。共観福音書(マタイ、マルコ)はこの2人を盗賊だという。ルカ福音書はこの姿を「とがある者と共に数えられた」(イザヤ53:12)の預言に従ったものと見ている(22:37)。ピラトがイエスの十字架の上に揚げさせた「罪状書き」には「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と記されてある。ヨハネは特にこの罪状書きに興味を示し、「イエスが十字架につけられた場所は都に近かったので、多くのユダヤ人がこの罪状書きを読んだ。それはヘブル、ローマ、ギリシヤの国語で書いてあった」と解説している。アラマイック、ラテン、ギリシャの3国語で併記されていたことを言う。これを見て祭司長らから訂正の申し出があった。「『ユダヤ人の王』と書かずに、『この人はユダヤ人の王と自称していた』と書いてほしい」。しかしピラトは聴かなかった。「わたしが書いたことは、書いたままにしておけ」とは、俺が書かせたものは俺が書いたものだ、の意であろう。このことはピラトがイエスの言葉を重んじ、その内容はわからないまでも彼の国を認めたこと、ユダヤ人はその王を十字架につけてキリストへの希望を捨てたこと、を示すもののようである。後者の点に、ユダヤ人たちからの抗議があったわけである。

(2) 十字架の足元(23~27)
囚人を十字架につけて後、刑執行人が囚人たちが着用していた衣類を分配するのが慣例であった。「その上着をとって四つに分け、おのおの、その一つを取った」とは恐らく頭に被るもの、靴、上衣、スカートに当たる部分であろうと考えられる。下着は縫い目なく上から下まで織った物なので、兵卒どもは籤引きにして分けた。このことは詩篇22:18(70人訳)の言葉の成就だと解説されている。「縫い目がない下着」という言葉はヨハネだけが記している。何か象徴的な意味があったのかも知れない。つまり大祭司の衣る明衣(うわぎ)(出エジプト39:22以下)は同じく縫い目なきものであったと言う(ヨセフス「古代記」9の7:4)。フイローもこれをロゴスの象徴と見、キプリアーヌは分かたれざる教会の象徴であると見ている。
 「イエスの十字架のそばには、イエスの母と、母の姉妹と、クロパの妻マリヤと、マグダラのマリヤとが、たたずんでいた」。イエスの十字架を見守ったのは母と女の弟子たちのみで、使徒たちは恐怖と混乱のために散ってしまったようである。共観福音書の記事と睨み合わせて、若しそれが同一者を指すと仮定すれば「母の姉妹」はゼベダイの子ら(ヤコブとヨハネ)の母、サロメと考えられ、「クロパの妻マリヤ」は(小)ヤコブとヨハネの母マリヤとなる(マタイ27:56、マルコ15:40)。「マグダラのマリヤ」はイエスによって「七つの悪霊を追い出され」て師と弟子の一団に仕えた者であるが(ルカ8:2)、これを罪ある女(ルカ7:37)と同一視する根拠はない。イエスが十字架の上から母を「愛弟子」に託したというこの物語はヨハネ福音書の特有の記事である。「愛弟子」が使徒ヨハネであるという伝説に従えば少なくともヨハネはそこに居合わせたことになるが、これが既に述べたように「理想的な弟子」を類型的に描いているとすれば、右に述べたことが事実らしく思われる。そして母には弟子を指して「婦人よ、ごらんなさい。これはあなたの子です」と言い、弟子には母を指して「ごらんなさい。これはあなたの母です」と告げたイエスの言葉は、マルコ3:34の言葉を思い起こさせる。群集に取り囲まれて語るイエスに向かって、母と兄弟・姉妹とが呼んでいると告げた者のあった時、イエスは周囲にあって彼の教えに耳を傾けていた人々を見廻しまた彼らを指して「ごらんなさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。神のみこころを行う者はだれでも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」と語った。信仰によって結ばれた集団は神の国の民、神の家族の一員であって、地上の骨肉関係以上のものであることを教えたものである。ヨハネの伝えるこの情景、その言葉は事実ではないとは言えない響きがある。恐らく単なる伝統や想像による物語りではないであろう。これを象徴的な解釈、例えば母はユダヤ教を現わし、それがイエスの弟子の家(教会)に住むようになる預言であるというような解釈によって、そのやさしい人間性の一面が曇らされてはならぬと思う(イ・エフ・スコット)。

(3) 臨終(28~37) 
「そののち、イエスは今や万事が終ったことを知って、『わたしは、かわく』と言われた」。全体的に見て、イエスの死についてのヨハネの叙述は共観福音書に比べて静かである。伝説的なものはほとどないと思う。このイエスの言葉もヨハネ独特のものであり、象徴的意味をもつものとして様々な想像を廻らすことも出来るが、恐らく当時有力であったドケティズム(キリスト仮体説)と称する権現思想に対して、イエスの現実的人間存在の事実を印象づけるために記されたものであろう。この語はヤコブの井戸のほとりでサマリヤの女に向かって語られた内容であり(4:7)、愛情を求める心を表している。あの場面では問題のある女性に向かっての渇望であったが、ここでは父なる神への求めが述べられている。「聖書が全うされるため」という著者の解説は詩篇69:21、22:16を指す。イエスの渇くという言葉を受けて、酢いぶどう酒を含ませた海綿をヒソプの枝につけてイエスの口に差し出した。「ヒソプ」とは過ぎ越しの祭りの際に血を家の鴨居その他に注ぐ為に用いられる植物である(出エジプト12:22)。イエスはこの葡萄酒をうけると「すべてが終った」と言って首をたれた。
処刑の行われた日は祭の準備日即ち前日に当たる。祭はその日没から始まるのでそれまでに屍体の取り除かれなければならないと、ユダヤ人たちはピラトの願い出た。日暮れと共に安息日は始まる。「特にその安息日は大事な日であったから」とあるのは、単なる安息日ではなく同時にニサンの月の15日であって祭りの第1日に当たる二重の祭り日だからである(申命21:23)。普通、十字架刑はで日射による渇きと疲労とのために衰弱して死に至るという非常に残酷な刑であり、ある人は十字架上で2日、3日、息絶えないでいた者さえいたとのことである。そのため「安息日に死体を十字架の上に残して」おかないために人為的に死期を早める方法をとることもあったという。それが「足を折る」ことであった。兵卒はイエスと一緒に十字架につけられた2人の者の足を折り、イエスのところに来たが、彼はもう死んでいた。これは彼が自ら、進んでとった死であることを表す。兵卒はそこで足を折らなかったが、真に死んでいるかどうかを確かめるために「やりでそのわきを突きさした」。すると直ちに水と血とが流れ出たという。これは一体何を意味すすのであろうか。第1の解釈は事実をそのまま記したもので、水と血とが別々に流れ出たのは彼の死が心臓の破裂であったことを示していると考える。第2は、天から降った救い主は人間のような体を備えているが、その体は水のみから成っているというマンダ教の主張を否定するために、「水と血」と言ってイエスの人間性を主張しているものと解する。第3は、ヨハネ第1の手紙5:6,8の言葉と関係あると見て、象徴的に、イエスの死の記念として行う聖餐と洗礼とを示すものと解する。
35節以下は、いつものように著者による解説である。「それを見た者があかしをした。そして、そのあかしは真実である。その人は、自分が真実を語っていることを知っている。それは、あなたがたも信ずるようになるためである」。ここに記していることはすべて目撃者の証言によるものであり、本当であるから読者もそれを信じて良いというのである。このことは単に直前の記述だけを指しているのではなく、この福音書全体を指しているのであろう(21:24)。
イエスの足が折られなかったことについては聖句を引用して(出エジプト12:46、民数9:12、詩篇34:20)、それが成就したことであると言う。そこでは過越しの羊はその骨を折ってはならないと記されてあり、イエスは神よりの過越しの羊として十字架につけられたという理解を前提としている。また兵卒の1人がイエスのわきを刺したことについても、これをゼカリヤ12:10の預言と関係させて理解している。この箇所は羊をすてる愚かな牧者(ゼカリヤ11:15)に対比して、善い牧者、無名の英雄を描いてキリスト預言としている。記者はイエスを刺し殺したユダヤ人たちが後に彼を仰ぎ見るに至ることの預言としてこれを引用している(黙示1:7、マタイ24:30)。

(4) 埋葬(38~42)
イエスの死体は、日が沈んだので、急いで埋葬された。引き取り人は「アリマタヤのヨセフ」という人で、この人は金持ちで(マタイ27:57)、サンヘドリンの議員で「善良で正しい人」であったという。彼はイエスを死刑に処すという決議や行動には加わらず、神の国を待ち望んで(ルカ23:50~51)いたという。「ひそかにイエスの弟子となった」、ただ「ユダヤ人をはばかって」このことを公にしなかった人である。またかつて夜、イエスのもとを訪ねたニコデモも「没薬と沈香とをまぜたものを百斤ほど持って」、アリマタヤのヨセフに協力した。彼らはイエスの死体を「香料を入れて亜麻布で巻き」「まだだれも葬られたことのない新しい墓」に葬った。著者はこのことを「ユダヤ人の埋葬の習慣」と説明している。それは本書の読者がヘレニズム世界の人々で、火葬の習慣とは違うからである。ユダヤ地方の墓は岩壁に横に掘られた洞穴であり、ここに香料と亜麻布で巻い死体を次々と並べて納める。勿論これは丁寧な埋葬の場合である。イエスはこのような墓として準備されて未だ用いられてはいなかったヨセフの新しい墓に納められた。それは十字架につけられた処の近くにあったからである。

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