ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 02/26~03/03

2012-03-11 07:11:20 | ローズンゲン
losungenj 2012.02.26(sun)
わたしは彼ら(捕囚の民)に目を留めて恵みを与え、彼らを建てて、倒さず、植えて、抜くことはない。(Jer24:6)
大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、成長させてくださる神です。(1Cor3:7)
私の黙想
ここにも神が「目を留める」という言葉が出てくる。神が目を留めれば何かが起こる。神は何かをするために「目を留める」。神は全体を支配すると同時に「細部」にも目を留める。神は単に「細部に宿る」だけではない。

losungenj 2012.02.27(mon)
地の果てまですべての人が主を認め、御もとに立ち帰り国々の民が御前にひれ伏しますように。 (Ps22:28)
神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。 (1Tim2:4)
私の黙想
結局、今日の聖句は主の祈りの「みこころが天に行われとおり地にも行われますように」と同じ趣旨の祈りである。これがキリスト者の、いや全人類の究極の祈りである。同時に、このことの実現を妨げている人間の問題性の告白でもある。そのためには先ず私自身が神の御心を行う人間にならなければならない。

losungenj 2012.02.28(tue)
偽りの神々に従う者たちが忠節を捨て去る。(Jon2:9)
金銭の欲は、すべての悪の根です。金銭を追い求めるうちに信仰から迷い出て、さまざまのひどい苦しみで突き刺された者もいます。 (1Tim6:10)
私の黙想
「偽りの神々」とは単純にいって偶像のことであろう。この場合「忠節を捨て去る」とは人間の側での操作可能性を意味する。人間は神を作り出巣ことは出来ないが、偶像を作ることは得意である。偶像の良いところは操作可能性ということで、人間の言いなりになってくれる「ありがたい神」である。

losungenj 2012.02.29(wed)
人は女から生まれ、人生は短く苦しみは絶えない。 (Job14:1)
蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活するのです。 (1Cor15:43)
私の黙想
ヨブは不条理な災害の中で「わたしは裸で母の胎を出た。裸でそこに帰ろう。主は与え、主は奪う。主の御名はほめたたえられよ」と言う。しかし、こう言えている間はまだ「よい子」だ。神に対して「何故だ」と言えるようになってやっと一人前の人間になる。

losungenj 2012.03.01(thu)
この神は世々限りなくわたしたちの神、死を越えて、わたしたちを導いて行かれる。 (Ps48:15)
約束してくださったのは真実な方なのですから、公に言い表した希望を揺るがぬようしっかり保ちましょう。(Heb10:28)
私の黙想
この「死を超えて」とは「世代を超えて」という意味であろう。古代ユダヤ人の神殿信仰には民族としての永遠性が含まれている。彼らの信仰の強さはここにある。まさにこれが個別的生命を超克する「永遠の生命」であろう。ここで「自爆思想」の根がある。

losungenj 2012.03.02(fri)
神は闇にひそむものを知り、光は御もとに宿る。 (Dan2:22)
隠れているもので、あらわにならないものはなく、秘められたもので、公にならないものはない。 (Mak4:22)
私の黙想:
ダニエルはネブカドネツァル王の見た夢を言い当て、解釈する。ここでの「闇にひそむもの」とは人間(王)の心の中の(秘密の)願望。人間は光の神の前に出た時、自分自身の心の闇(野望)を知る。王にとってダニエルは「光(神の人)」となった。

losungenj 2012.03.03(sat)
神は、いにしえよりのわたしの王、この地に救いの御業を果たされる方。 (Ps74:12)
村でも町でも里でも、イエスが入って行かれると、人々は病人を広場に置き、せめてその服のすそにでも触れさせてほしいと願った。触れた者は皆いやされた。(Mk6:56)
私の黙想 :
神が「わたしの王」と王が「わたしの神」とは似ているが全然異なる。前者は「いにしえから」の関係であるが、後者は「たまたま」そういう関係になっているというだけのことである。というよりも、そうあってはならない不純な関係である。

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