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読書記録:溝田悟士『「福音書」解読~~「復活」物語の言語学』

2015-03-15 16:42:16 | 小論
読書記録:溝田悟士『「福音書」解読~~「復活」物語の言語学』(講談社)

プロローグ 複数の「復活」物語
復活についての最古の「言い伝え」はパウロがコリントの教会の信徒たちに宛てた手紙に引用されている。
<最も大切なこととしてわたしがあなたがたに伝えたのは、わたしも受けたものです。すなわち、キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだこと、葬られたこと、また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活したこと、ケファに現れ、その後十二人に現れたことです。次いで、五百人以上もの兄弟たちに同時に現れました。そのうちの何人かは既に眠りについたにしろ、大部分は今なお生き残っています。次いで、ヤコブに現れ、その後すベての使徒に現れ、そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました」(1コリント15:3~8)

パウロ自身はこの「言い伝え」を「最も大切なこと」、つまりキリスト教の核心を示す信仰告白であると認識していたようである。またパウロ自分自身もこれを「受けたもの」だという。おそらくパウロが回心した頃にはキリスト教徒の共通認識であったのであろう。
この言い伝えには「最も大切なこと」として3つのポイントがる。
(1)キリストが「わたしたちの罪のために」死んで、葬られたこと。
(2)キリストが「3日目に復活」したこと。
(3)キリストは復活した後に最初に「ケファ」に現れ、その後、多くの人に現われたということ。
この信仰告白によると復活したキリストが最初に現れたのはケファ、つまりペトロということになっている。おそらくこの信仰告白は典礼や教理教育のために用いられ、これが神学の基礎になった。

さて、ここからが問題である。
パウロ書簡およびパウロの神学の基礎にはこの信仰告白にあったのは間違いない。ところでそれが福音書が語る復活物語においてはどのように取り扱われているのであろうか。

本題に入る前に著者は本書を書く動機あるいは方法論に関することを次のように述べている。
<聖書を議論する学界の関心は、「何がどう書かれているか」よりも「イエスは何者だったか」であるとか、「福音書を記した『著者』の属する社会層や共同体はどんなものか」であるとか「福音書の『著者』はギリシア語の話者だったかどうか」に偏りがちです。 しかし、そのような疑問こそ、福音書におけるイエスという「登場人物」や、その著作背景に「思い込み」を持ち込んでしまう原因ではないでしょうか。たしかに、このような歴史的関心は重要なテーマです。しかし、歴史的関心の赴くままに読みたくなる、その姿勢こそが、まちがいの元なのです。>(7頁)
その上で、本書の方法論について次のように述べる。
<ですから本書では、言語学をはじめとする各種のテクスト研究による方法論を分析に用いました。それは再検証ができる共通の土台を皆さんと共有するためですので、なるべく明確な提示の仕方を心がけたいと思います。>(9頁)

第1章 最初に書かれた福音書
当り前のことであるが、マルコが福音書を書く前には「福音書」と呼ばれる文書は存在しなかった。マルコ福音書が書かれてからもかなりの期間、福音書に類する文書はなかった。従ってマルコが福音書で書いていることはマルコ福音書で解釈するしかなかった。そのようなものとしてマルコ福音書を読まねばならない。
さて、4つの福音書の復活物語を読み比べてまず最初に問題になるのはイエスの復活を告知する登場人物である。マルコでは「白い長い衣を着た若者」(16:5)、マタイでは「主の天使」(マタイ28:2)、ルカでは「輝く衣を着た二人の人」(ルカ24:4)、ヨハネでは「白い衣を着た二人の天使」(ヨハネ20:12)がとなっている。イエスの復活の告知といういわばキリスト教にとって決定的に重要な場面の報告において告知者の表現がそれぞれぜんぜん異なるということは復活物語そのものの信憑性を疑わせる重要な証拠となる。

この問題を最初に指摘してキリスト教を批判した人物はプラトン主義者と言われているケルソス(2世紀)である。残念ながらケルソスの文書は残っていないが、ケルソスに対して反論を書いた文書『ケルソス駁論』がある。これを書いた人物こそ、2世紀後半の大神学者オリゲネスである。いわば初期の教会における大権威が反論を書いている。当然、そこからケルソス自身の批判の主旨は読み取れる。
キリスト教徒ではないケルソスは、当時すでに成立していた4つの福音書を読み比べてイエスの復活に関する告知の不一致発見し、これを指摘すればキリスト教に対して決定的な批判ができると考えたのであろう。なかなかの卓見である。
オリゲネスの反論は一口言って、復活の告知者は天使であるということに尽きる。天使であれば、人数のことも服装のこともどうにでもなる。いわば天使は変幻自在である。これに対するケルソスの再反論は資料がないが、それ以後、キリスト教会側ではこの困難な問題は「あれは天使だったのだ」ということで解消され、もはや誰もそれを検討する者はいなくなった。その結果、マルコ福音書における「一人の若者」は天使にされたままで、マルコが言う「若者=人間」は消されてしまった。果たして、それでいいのだろうか。
本書はこの問題に新しい光を当て、大胆にその「若者」の正体はマルコ福音書14:51~52で触れている「亜麻布を捨てて裸で逃げた若者」であるという仮説を立てて、2章以下でこれを論証する。

第2章 あの「謎の若者」は誰だと解釈されてきたか
謎の若者について、最も古い解釈は「イスカリオテのユダ説」である。いろいろな写本に混じってイスカリオテのユダだと考えたらしい写本(5世紀の「アレキサンドリア写本)がある。詳しい説明は省略するが、ある写本者がイエスを捕まえに来たのは「若者グループ」であり、その中の一人が逃げた、という風に解釈史、ちょっとした書き換えをしたらしい。しかしその影響はその後の東方教会に大きな影響を及ぼした。
それに対して西方教会では4世紀のミラノの司教アンブロシウス(アウグスチヌスに大きな影響を与えた司教)は使徒ヨハネこそ、あの若者だという解釈をしている。アンブロシウスの根拠はイエスが最も愛した弟子がヨハネであること、マルコ14:51の「イエスについてきていた」の「ついてきていた」という言葉は、ここと5:37でしか用いられていない単語で非常に親密な間柄を示しているという。いずれにせよアンブロシウスの影響力は大きく、その後のローマ教会ではこの解釈が引き継がれてきた。
当然、この西方教会のヨハネ説に対して東方教会から強い異議が唱えられた。ヨハネがそこにいたということはありえないし、裸で逃げたというのもヨハネのイメージには合わない。むしろヨハネ以外の信仰深い人物がイエスに従っていたが、群衆に捕らえられそうになったので亜麻布を投げ捨てて逃げたのであろう。
そこで次に東方教会の方から新説が出てくる。それは「主の兄弟ヤコブ説」である。この解釈が出てきた経緯はかなり複雑で一言では説明できない。ともかくそういう説もあったということである。
ちょうどそのころ、紀元400年(5世紀)、初めて本格的な新約聖書注解を東方教会のアンティオキアの主教ヴィクトロスによって書かれた。それによると、その若者がどこからイエスに従ってきたのかと問い、最後の晩餐の会場からであろうとし、その会場にはイエスの他に12弟子しかいなかったのであるから、その「若者」とは12弟子の1人であるとされた。
それ以後、12世紀頃まで東方教会では「主の兄弟ヤコブ説」と「12弟子の1人説」とが並列していた。ちょうどそのころ、面白い解釈が登場する。それは最後の晩餐の席から従ってきた若者は12弟子の1人ではなく、マルコ14:12以下の部分に登場する「水瓶を運んでいる男」(14:13)だというのである。この男は最後の晩餐の会場のことについてかなり詳しい。おそらく彼はその会場の所有者の家族か使用人であろうと推測される。おそらく、この説が後に若者「筆者マルコ説」への展開したものと思われる。

第3章「筆者マルコ説」の展開
その後、「筆者マルコ説」が教会の共通見解として展開するが、ここでは省略する。

第4章「秘伝マルコ福音書』の発見
専門的には非常に面白い議論ではあるが、全体の主張にはそれほど大きな影響は与えないし、あまりにも専門的すぎるので、ここでは省略する。

第5章 逃亡する「若者」と墓の「若者」は同じ人物か
第1章で復活論の盲点である「墓場の若者」とは誰かと問い、イエス逮捕の場面での「謎の若者」と同一だという仮説を立て、2章から4章までで「謎の若者」についての解釈史を展望した。
一つの文学作品においてたった2回しか用いられていない「若者」という言葉。2つの場面は全然異なるし、一見したところほとんど関連性は見られない。そして2人の若者は依然として謎のままだ。著者はこの2人の若者を同一人物だという仮説を証明しようとしている。第5章はその証明の基礎作業である。

先ず初めに著者は両者を同一視する見解が今までにもなかった訳ではないとし、ジョン・ノックスという人の論文を紹介するが、問題点が少しずれている。日本の学会ではほとんど取り上げられていないが、『口語新約聖書略解』(1955、日本基督教団出版部)で、高柳伊三郎氏がマルコ16:5の注解で、墓の中の右手に、真白な長い衣を着た若者」について、「14:51の『ある若者』だという者もある」と、わずかにかすっている。おそらく高柳氏は『略解』執筆前にノックス以来の議論を知っていたのであろうと思われる。
もう1人この問題に興味を抱いた牧師がおり、「キリスト教入門書」で次のように述べている。
<マルコ福音書は「白い衣を着た若者」と天使をイメージさせるような表現を避けています。さらにマルコ福音書では「若者」という言葉は、あの逃げ去った若者とこの箇所に出てくる若者だけにしか用いられていません。もし推測くたくましくすれば、着ていたものを捨て裸で逃げ去ったあの若者がここで「白い衣を着て」ふたたび登場していると見ることもできます。>上林順一郎

以上の2人が例外的に取り上げているだけで日本の学会ではほとんど完全無視の状態である。

さて、一つの文学作品において、ほとんど無関係に登場する2人の「若者(ネアニコス)」が同一人物(単語)であるということを証明する言語学的方法は「冠詞」の用法にある。2回目以後に同一人物(単語)が現れた場合、定冠詞を付けるのが普通である。ところが墓の中のネアニコスには定冠詞は付いていない。従って両者の同一性は否定されるという言語学からの批判がある。
ここから複雑な言語学の文法理論が展開される。じっくり読めばわかることであるが、非常にややこしいので省略する。要するに結論は「そういう場合もある」ということで、同一性の否定は否定される。

第6章 テクストとしてのマルコ福音書
5章では逃げた若者と墓の中の若者との同一性に対するの否定に対する否定であり、それは積極的に同一であるという論証にはならない。この章において著者は言語学の方法(スペルベルとウィルソンの関連性理論)を用いて両者の「関連性」を論じる。いわば、本書の山場である。「関連性」とは「文脈効果」と言い換えることができる。要するに、一般的な表現としては推理小説などで用いられる「伏線」ということである。

著者は先ず文脈を以下のように整理する。
a.イエスが人々に捕らえられ、弟子たちが皆イエスを見捨てて逃げる。(14:43~50)
b.ある「わかもの」も、着ている亜麻布を捨てて逃げる。(14:51~52)
c.イエスが死刑の判決を受け、十字架につけられて、息を引き取る。(15:6~41)
d.ィエスの遺体が亜麻布で巻かれ、墓に納められる。(15:42~47)
e.安息日が終わり、婦人たちが墓に行く。(16:1~2)
f.「若者」が墓の中で白い長い衣を着て、右側に座っている。(16:5)
g.その「若者」がイエスの復活を宣言し、婦人たちが墓を出て逃げ去る。(16:6~8)

ここでは「逃亡する若者」(a,b)、「イエスの死と埋葬」(c,d)、「空虚な墓物語」(e,f,g)の3つの場面があり、これらを「亜麻布」と「着る」の2つ単語が結びつけている。
a.「亜麻布」を「着ている」「若者」が「亜麻布」脱ぎ捨てて逃げる。(14:51,52)
b.イエスの遺体が「亜麻布」で包まれる。(15:42~47)
d.白い長い衣を「着ている」「若者」が登場する。(16:5)

ここで「亜麻布」を「死装束」という語に置き換えることができる。

a’.「若者」が「死装束」を脱ぎ捨てて逃げる。
b’. イエスが「若者」が脱ぎ捨てた「死装束」を身代わりに着て死ぬ。
c’.「若者」は「死装束に」を「白い長い衣を」を「着て」登場する。
ここで明らかに「白い長い衣」は復活を意味している。
さて、ここから「死」と「復活」との交換が起こっている。
以下、非常に複雑な分析がなされるが、あまりにも細かい議論なので、本文を読むしかない。

著者は本章の結論的な部分で「そもそも『若者』は誰なのか」と問い、これまでの議論を次のようにまとめている。
A 逃亡する「若者」と墓の中の「若者」とは同一人物である。
B マルコ福音書が最初に書かれた福音書であるので、他の福音書の記述は根拠とならない。
C 従って、墓の中の「若者」は、天使ではなく、人間である。
D 墓の中の「若者」は、婦人たちが来る前から墓の中にいた。
E 墓の中の「若者」は、イエスが復活したことを宣言している。
F 従って、「若者」は、最初にイエスの復活を知った人間である。

ここで最も古いキリスト教の「言い伝え」に結びつく。つまり、その人間とはケファ、つまりペトロである。
以下、著者の復活信仰に関する思いを「ノン・アカデミックな言葉で」、次のように述べている。少し長いが、そのまま引用しておく。

<このように見てくると、マルコ福音書におけるペトロは~、かなり重い役割を背負わされていると思われます。ですから、最初のイエスの復活の証人で、当時の教会のもっとも重要な人物であるぺトロまでも殉教したという「衝撃」が、マルコ福音書が書かれる動機だったかもしれません。
一般的には、マルコ福音書にはぺトロの殉教は描かれていない、と考えられています。新約聖書の文書のなかで、ぺトロが殉教した(する)と「明示的」に描かれている文書は、後になって成立したヨハネ福音書だけだからです(ヨハネ21:18~19)。しかし、マルコ福音書においてすでにぺトロの殉教が描かれているのだとすれば、∃ハネ福音書の著者がマルコ福音書の「若者」の記述からぺトロの殉教という内容を引き継いで自分の福音書を作成した~、と考えることができます。これは、じゅうぶん納得できる説明となるはずです。つまり、福音書は殉教者の名を隠した殉教伝を内容的に含んでいると推測できるのです。殉教者であるペトロの名前を伏せたのは、キリスト教的な慎重さから人間である殉教者を崇拝対象の英雄とする可能性を回避する目的があったのかもしれません。しかし、ぺトロの殉教は、キリストの十字架での刑死に匹敵する痛ましい悲劇だった、ということです。殉教したペトロの姿を通して、キリストの十字架を垣間見たのが、マルコ福音書の著者であり、殉教したペトロの名前を伏せることで、キリストとぺトロを重ね合わせた物語を構成したと考えられます。
もしマルコ福音書が殉教したぺトロの死後の復活を確信させるための文書であったとすれば、あとに残された信者たちに、キリスト教の基本である復活信仰に立ち返ることを促していると思われます。つまり弟子たちの悲惨な殉教に際して、その弟子たちを愛した読者たちが復活への希望を持つことによって、永遠の別離だと思われがちな「死」という現実から立ち直る契機となるはずだ、と考えたのだと思われます。たとえ、ぺトロが「死」んだとしても、彼はイエスのようにいずれ「復活」するわけですから、悲しみはこの世だけのものであり、いずれ癒されるものだと考えることができたでしょう。また、読者たち自身も現世で死の恐怖にさらされているわけですから、死んでも後で復活するのなら、愛するぺトロと再会できる希望がある、復活の後に再会するために、過酷な現実のなかでも死に直面しつつも生きることに希望を見出すことを促していると思われます。おそらく、マルコ福音書のテクストが謎めかされて難解である理由も、読者がそういう隠された内容を発見するという体験をすることによって、より鮮烈に「復活」の希望を感じてもらいたかったからなのかもしれません。>(150頁)

第7章 マルコ福音書の文学構造
「復活する」を意味する2つの動詞の使い分け。
マルコはこの2つの動詞を意識的に使い分けている。(9:25~27)
「復活」と訳されているエゲイロー系(「起こす」)━━14:27~28、16:6~7
「手をとって」との組み合わせの場合━━1:31、5:41、9:27、(参照:ルカ8:54)
「三日後の復活の予告」アニステーミ系(「立ち上がる」)━━8:31、9:31、10:34

ちなみに最古の復活告白文(1コリント15:4)では「三日目に復活したこと」はエゲイローである。
さて、ここで重要な問題に気づく。
エゲイロー系の復活については、予告と成就が見事にセットになっているが、アニステーミ系の復活については予告が3回もなされているのに成就が欠けている。このことをどう考えたらいいのか。著者はこのこととこの福音書が中途半端な終わり方をしていることから、この福音書は読者が再読することを期待しているという。そしてマルコ福音書の最初の部分と終りの部分との関連性を探る。イエスが十字架上で息を引き取った時に「神殿の垂れ幕が上から下まで真っ二つに裂けた」(15:38)とイエスの洗礼の際に「天が裂けた」(1:10)の「避けた」という単語の結束性、不在のイエスの墓に向かう婦人たちの場面(16:1~5)と「朝まだ暗いうちにイエスを探す弟子たちの場面(1:35~37)との関連性。「あなたがたより先にガリラヤに行かれる」(16:7)から「イエスはガリラヤへ行き」(1:14)へのつながり等々、マルコ福音書は「再読構造」になっている。

第8章 削除された「若者」━━マタイ福音書とルカ福音書━━

本題とは余り関係がないので省略する。

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