ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

筑豊御三家

2010-04-01 15:56:20 | ときのまにまに
福岡・北九州には「筑豊御三家」と呼ばれる地方財閥がある。それぞれ筑豊の石炭産業で蓄財し、それを元手に世界や他の産業へと展開している。麻生家、貝島家、安川家である。
麻生家が炭坑事業を始めたのは麻生太郎のは曾祖父麻生太吉の時で、その頃現在の飯塚市の村長のような立場であったが、採炭事業で成功し石炭鉱業連合会会長、九州水力電気社長、衆議院議員、貴族院多額納税者議員等を歴任した。

        

同じ頃、黒田藩の下級武士であった安川敬一郎は、東京で勉学し、帰郷後、芦屋(福岡県)で石炭の販売、流通部門に関わり経済基盤を確立する。次男健次郎はペンシルベニア大学で財政経済学を学び、帰国後、父の炭鉱業に参画する。伯父松本潜の養子となる。安川・松本の親子タッグは明治紡績、安川電機、九州製鋼(のち八幡製鐵所が買収)、黒崎窯業を設立する。また、技術者育成のために明治専門学校(現九州工業大学)を創設する。

        

貝島の祖、貝島太助は直方の貧農の出身で炭坑夫を経て成功し「筑豊の炭坑王」という異名を取った。貝島は政治家井上馨を顧問格として迎え、その関係で日産コンツェルン(現日産自動車)の創始者、鮎川義介と縁戚関係にあった、といわれている。鮎川は旧満州国の重工業の開発に深く関わった。
飯塚の伊藤伝右衛門も同じく貧農から身お起こし「炭坑王」と呼ばれたが、「筑豊の御三家」と呼ばれる場合には、どういうわけか、伊藤家は数えられない。

        

さて、筑豊の御三家のうち、安川家の松本健次郎の自宅であった旧松本邸は現在、社団法人西日本工業倶楽部の所有となり、国の重要文化財の指定を受け、往年の美しさが維持されている。この建物は、東京駅や日本銀行本店などを設計した明治時代の代表的な建築家、辰野金吾(1854~1919)の設計による。

        

昨日、ここでピアノ・コンサートが開催されるということで招かれて出かけました。開会前に1時間ほど支配人夫人によって邸内を案内していただきました。庭の植木類から、インテリア、調度品に至るまで、「昔のまま」に維持されていました。

        

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