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聖歌考 <聖歌は楽譜を見ないで歌うもの>

2014-08-22 08:48:11 | 小論
聖歌考 <聖歌は楽譜を見ないで歌うもの>

1.聖歌(讃美歌)は楽譜を見ないで歌うもの

※ 以下、ここで聖歌という場合は讃美歌も含むもととする。ただし、『聖歌集』は日本聖公会で使用されている歌集、『讃美歌21』は日本キリスト教団で発行されているものを意味する。

使徒言行録に、パウロと同僚のシラスとがフィリピで伝道していた時、突然、官憲によって逮捕され、投獄された記事が掲載されている。その時、パウロとシラスは真夜中の獄中で「賛美を歌い」、他の囚人たちはこれに聞き入っていたという(使徒言行録16:15)。その情景はまるでどこかの静かな別荘のような雰囲気がただよっている。その時、突然大地震が起こり・・・と、物語は意外な展開をする。ともかく、この時、パウロとシラスは讃美歌を手にしていただろうか。おそらく、薄暗い牢獄で、他の人たちが聞き入っていたぐらい、ちゃんと歌ったのであろうが、彼らは楽譜なしで歌ったに違いない。
讃美歌を手にしなければ歌えない、などということはどこか変である。そのような賛美などは、イザという時に力にならないし、他の人々を感動させる歌にはならないであろう。演歌であれ、童謡であれ、民謡であれ、フォークソングであれ、シャンソンであれ、聖歌であれ、楽譜に依存しないで歌うのが本当の心の歌である。
楽譜はあくまでもその歌を覚えるまでのマニュアルである。音符を見ながらその音符に合った音を出せる人は余程、訓練された人であって、歌というものは基本的には「口移し」で覚えるものである。現在では「口移し」の代わりに楽器を用いることが多いが、楽器を演奏できない人は演奏できる人の助けによって覚えるのである。あるいは教会の礼拝で皆んなと心を合わせて歌ったその感動が、その歌を覚えさせるのである。特に讃美歌などは自然に口に出てくるぐらい歌い込んで、初めて「賛美」になる。その意味では、音符をたどりながら、やっと歌うのは「賛美」ではなく、「練習」である。
いつ頃から礼拝での賛美が讃美歌あるいは聖歌集と睨めっこしながら歌うようになってしまったのであろう。原因はいろいろあるのだろうが、その大きな原因の一つが、讃美歌や聖歌が充実しすぎて、曲数が多くなり、同じ歌を繰り返し歌うことが少なくなったからだと私は思っている。
むかし、路傍伝道が盛んであった頃、ほとんど毎週のように野外の公園や街角で太鼓、タンバリン、アコーデオンで、同じ聖歌が繰り返し歌われたものであった。たとえば、その頃よく歌われた歌に「ただ信ぜよ」(福音派の1958年版『聖歌』424番)などがあり、町の人々までもが口ずさむほどであった。また、毎週開かれる伝道集会などでは「いつくしみ深き友なるイエス」という聖歌が定番で、それを歌うときには誰も楽譜など見なかったように思う。それだからこそ、そこに集まっている人々は大声で力強く歌い、それを聞く求道者の人々も感動したものであった。
ところが、現在のように讃美歌や聖歌が充実し、歌うべき歌が増えてくると、ほとんどどの曲も1年に1度ぐらいしか歌わなくなり、そのために礼拝の中での賛美が、中学校の音楽の時間のように、音符をたどりながら頼りなく歌うということになってしまったように思う。しかも、ほとんどの信徒が主日礼拝にだけ出席し、そこで讃美歌を歌う。当然、その讃美歌は常に「初めての歌」で口の中でもごもご歌うのでは、礼拝が盛り上がらないのは当然である。大きな礼拝などでは聖歌隊が促成で結成され、そこで多少「練習」をして礼拝に臨むので、会衆も何とか声を上げて歌えるが、まぁ、普通の礼拝ではそれは無理であろう。

2.新しい『聖歌集』
日本聖公会では2006年(第56総会)において、それまで用いられていた『古今聖歌集』(1956年第25総会)に代わる新しい『聖歌集』が承認され、それ以後、各教会で使用されている。新しい聖歌集では聖歌580曲、いわゆるチャントと呼ばれる礼拝用の歌が21曲、聖餐式用の歌が40曲プラス、その他に詩編歌が30曲プラス、それに索引その他だけでも85頁が収録されている。
この『聖歌集』の編纂は1971年から始められているので35年かかっている勘定になる。考えてみると『古今聖歌集』が使用し始めてからわずか15年で次の「聖歌集」の編纂が決議され、その後新しい聖歌集が発行されるまで35年かかっている。この15年と35年とをどう考えたらいいのであろう。15年間における人々の音楽意識と礼拝理解の変化よりも、その後の35年間のそれとは比較できない。この35年間の日本全体における音楽に対する意識も大きく変わっているし、礼拝理解も大きく変わっている。当然、編纂にかかり始めた頃と完成した頃との意識のギャップは決して小さくない。その間には、編纂に関わった人々も入れ替わったことだろう。もちろん、私たちは新しい聖歌の編纂に直接関わった人々の努力を認めるとともに大きな感謝をするが、次々と発表される「試用聖歌」を眺めながら、辛抱強く完成を待った聖職・信徒の忍耐も大したものである。
完成された『聖歌集』はA5判で、厚さ3センチ、重量885グラム、両手で抱えてもどっしりしている。
さて、ここからは現実的な話。こんなにかさ張り、重たい聖歌集を抱えて教会に来て、礼拝では起立して、どっしりした『聖歌集』を両手で捧げて歌う。昔、悪戯をした児童が両手に水の入ったバケツを持たされて廊下に立たされている図を思い起こす。まるで何か苦行を強いられているようである。悪いことに、私などは老眼鏡が必要で、聖歌集を丁度見やすい高さに持ち上げ、焦点を合わせて持たねばなりませんので、それ自体が苦痛以外の何ものでもない。もう声を張り上げて歌う元気もでない。こういうものを礼拝用具として出版し、買わせるというセンスが理解できない。
一般信徒にすると、1年間でどれだけの聖歌を歌うのであろうか。もちろん個人によって聖歌の用い方はいろいろあり、一概に言えないが、一応、この『聖歌集』は主日礼拝用だと想定するとして、主日礼拝等への出席回数は年に最高でも約55回程度、一回の礼拝で4曲歌うことを基準とすると、年間で延べ約220の聖歌が歌われる。毎主日、違う聖歌を歌うとしても220曲もあれば十分である。つまり600曲のうち実際に使われるのは220曲、そのために毎主日885グラムの聖歌と祈祷書、聖書日課を抱えて教会に通うことになる。(余談:従ってほとんどの教会では礼拝出席者の数を推測してその部数を教会で購入することが多く、その場合、多くの信徒は個人用の聖歌を購入しない。そしてますます「聖歌離れ」が進むことになる。)
日本聖公会の法規によると、「公祷、聖奠、その他の諸式の執行は総会の認許した」聖歌を使用しなければならないことになっている。ということは、日本聖公会の『聖歌集』は想定されるあらゆる場合に備えていなければならないことになるので、そのためにほとんど使用されることもないような聖歌やチャントなどを網羅することになる。その意味では膨大なものになるのは必然である。
では、どうしたらいいのか。分冊化も考えられるが、そこにもいろいろ問題があるのであろう。次に、そのことについて考える。

3.選集のすすめ
『聖歌集』が重いということに対する解決策として、毎礼拝毎に歌う聖歌をコピーして出席者に配布するとか、他教派などでは讃美歌や聖書のテキストをスクリーンや壁に投射しているところもある、等々のご意見が寄せられた。いずれにしても、そのための予算とか、礼拝堂の形や配置を考えるなどかなり具体化には問題があるであろう。
この問題に対する、私の具体的な提案は各教会でその教会独自の「聖歌選集」を作成したらどうかということである。これは「言うは易く、行うは難し」ということの典型的な問題で、どの聖歌をどの基準で選び、何曲程度を選ぶか、等々、議論を始めるとキリがない。それで、ここでは問題を明瞭にするために、チャントや聖婚式や葬送式等の特殊な礼拝を除いて通常の主日を中心にした聖餐式、朝夕の礼拝を中心に考えることとする。(日本聖公会では「聖婚式」や「葬送式」等の場合のためには別に式文が用意されており、そこには聖歌も刷り込まれている。)
前回も触れたように、聖公会の公祷(以下、単に「礼拝」という)においては総会で認許された「聖歌」を用いるということが定められており、当然ここでは580曲の中から選ばれることになる。つまり1回の礼拝では通常4曲程歌われるので580分の4の選択ということになる。おまけに、降臨節や降誕節、大斎節、復活節等では歌うべき歌がかなり絞られるが、それも年間で歌われる220曲のうちに含まれる。従って極端に考えると、1年間の主日等の礼拝はすでに決まっているのであるから、(聖書日課でさえ決まっている)、1年間の各礼拝で歌うべき聖歌を予め決めてそれを「選集」としてもいいわけである。それでもマキシマム220曲程度の「選集」ということになるが、それもかなり問題がないわけではない。1年に1回しか歌わないということになると、このシリーズの第1回目で述べた「讃美歌は楽譜なしで歌うもの」という問題に対する解決にならない。1年に1回しか歌わない歌を誰も覚えない。というより、その歌の良さが伝わらない。心に残り、唇に残り、鼻歌のように口ずさむことにはならない。極端な話(何ごとも、極論すると問題点が明瞭になる)1年間のすべての主日礼拝を季節感を無視して同じ歌を歌ったら、4~5曲を繰り返すことになり、嫌でも覚えてしまうであろう。そこまで極端にならなくても、何曲か年間に数回同じ歌を歌うと、その歌はその教会の「十八番(オハコ)」として身につくようになると思う。「オハコ」を漢字で書くと「十八番」、よく出来たものである。一人の信徒のオハコが5~6曲、一つの教会のオハコが20曲程度。この程度なら、オルガン前奏でメロディを聴けば、暗唱とまでは行かなくても、その歌に親しみを持って歌うことができるであろう。
仮にミニマム何曲ぐらいの聖歌があれば1年間の礼拝ができるか、考えてみた。
一つの礼拝で歌う歌には4つないしは5のパターンがある。私の計算では次のようにおおよそ30曲もあれば何とか出来るのではないか。
(1)参入・賛美系 7曲
(2)昇階・福音系 7曲
(3)奉献・奉仕系 7曲
(4)陪餐・感謝系 2曲
(5)派遣・宣教系 7曲
7曲の根拠は年間12回歌う歌が2曲、8回歌う歌が2曲、6回歌う歌が2曲、3回歌う歌が1曲。(これはおおよその目安である)。私はそれを仮に「基礎聖歌30選集」として選曲している。聖歌には汎用性の高いもの、季節感や聖書テキストとの結びつきが強いもの等々かなり個性が強いものとがある。それで、一応基礎聖歌にはできるだけ汎用性の高いものを選んでいる。
と同時に、この選集には、オーガにストの育成という課題も視野に入れている。現在のところ、どれほどの技術があれば教会でオーガニストとして奉仕ができるのかという基準がほとんどない。非常に高い技術と信仰とを求める教会もあれば、一本指でもいいからというレベルまでいろいろある。それでせめてこの30曲が弾けたらOKというベーシックな基準となればいいなぁと考えている。

4.基礎聖歌30選集
前回述べた「基礎聖歌30選集」はあくまでも私の個人的な私案で、日本聖公会の『聖歌集』のケースを取り上げているが、これは『讃美歌21』についても当てはまるとことと思う。(現時点での30曲のほとんどが『讃美歌21』と重なっている)
なぜ、私がこんなことを考えるに至ったのかということについて、一言説明しておくべきであろう。
聖職としての現役を完全に離れ、教会での礼拝においても会衆席に身をおくと、いろいろなことが見えてくる。その最も顕著なことが礼拝における賛美の大切さである。頭を上げ、声高らかに、賛美をする人の姿が稀である。そこからは「感謝」の響きがない。何故だろう。皆んなが、聖歌集を手にして、必死になって歌っている。いや、歌になっていない。これは「他人事」ではない。私自身のことである。
そこで思い出す。私が2年間(月に1回)礼拝奉仕をさせていただいた、恵楓園内の菊池黎明教会での礼拝のことである。人数はそれほど多いわけではない。中には完全に目が見えなくなっている人、だんだん見えなくなりつつある人、この施設内で生活している人たちは、いつの日か見えなくなるかもしれないという恐れを感じている。ここでの礼拝においては古い『古今聖歌集』を使っている。なぜなら、ここにいる何人かは聖歌をほとんど暗唱しているからである。驚くべきことに番号まで覚えている人がいる。この人たちが大きな声で、堂々と聖歌を歌っている。ここでの礼拝に参加すると参加する人たちが皆、大きな声で歌うようになる。聖歌だけではない。式文も覚えている。だから、新しい『聖歌集』に切り替えることができないのである。このような経験の中で、聖歌とはソラで歌うものだということを痛切に学んだ。
今年の6月、私は78歳の誕生を期して一つの決断をした。それはオルガンの練習である。私がオルガンとピアノの練習をやめて60年になる。それまでの数年間、つまり、中学と高校時代、私の一日は音楽漬けであった。特に高校の3年間は、日に5~6時間はピアノの前に座っていた。私は音楽の道に進みたかった。しかし中学から始めたピアノの実力では音楽学校は無理で、音楽の道は諦めた。それでも教会でのオルガン奉仕や、ピアノの練習、YMCAのコーラスや、朝日コーラスの団員は続けていた。1年間浪人生活を送り、神学校に進むことを決意した時、私は音楽への道をきっぱりと諦め、それ以後ピアノやオルガンの練習は一切やめてしまった。実に幼稚な信仰ではあったが、聖職への道のために「音楽を捧げた(捨てた)」という気持ちであった。
という訳で、今、どの程度オルガンが弾けるのか、試しに自宅の電気ピアノの蓋を開け、弾いてみた。当然、ほとんど弾けない。それでも1時間、2時間と弾いているうちに、だんだん指も動くようになてきた。早速、天神の楽器屋で教則本をあさって、『教職課程のための大学ピアノ教本~バイエルとツェルニーによる展開』を見つけた。家に帰って弾いてみるとこれなら「いけそう」ということで練習開始、約1ヶ月かかってある程度進んだところで、音をピアノからオルガンに切り替えて、聖歌を数曲弾いてみた。スムーズには弾けないが、何とか弾ける。じゃ、聖歌580曲の中で何曲ぐらいなら弾けそうなのかと、約1ヶ月かかって全曲をチェックすると、どうやら少し集中したら弾けそうな曲が約150曲ほどあった。それで簡単そうなのから10曲ほどを選び出し、集中して練習し、1曲マスターするともう1曲加えるという風にして、のろのろと進んでいる。その過程で選び出したのが基礎聖歌30選である。

5.聖歌・讃美歌の伴奏について
聖歌の四声部のあの形(スタイル)がどこから出てきたのか、どう考えるのか、どなたかご専門の方に伺いたいと思う。
どう考えてもソプラノ、アルト、テナー、ベースのあの形は不思議である。普通は、合唱曲の形だと思われているが、実際に歌ってみると、とても合唱曲とは思えない。アルト部はともかくとしてテナー部からベース部まで低音に行くほど動きが鈍くなり、ベースパートなどは誠に気の毒で、下の方で唸っているだけという感じである。とは言っても、あれが伴奏曲の形とも言えない。しかし、ほとんどの教会のオーガニストは非常に苦労してあれを伴奏曲として弾いている。オルガン伴奏の場合はまだましだが、あれをピアノで弾いたら少しも盛り上がらないし、一見簡単そうであるが、案外難しい曲である。本当のことを言うと、一つ一つの聖歌について、ピアノ伴奏とオルガン伴奏のための楽譜を作ってもらいたいと思う。それにギターのための伴奏などがあると便利であろう。
聖歌のあの形は、ちょっと乱暴な言い方をすると、要するにメロディーラインを助けるための和音を示す印のようなものだと考えればいいのではないか。オルガンの場合ならばその和音を響かせ続ければいいし、ピアノの場合には低音から高音までを自由に分散させて演奏するための目印のようなものであろう。時にはリズムを補強する役割をする場合もあるが、基本的にはメロディラインを浮き上がらせる役割を担っている。つまり、あまりそのままに弾くということに拘る必要はない。ただ、近年になって作曲された聖歌や讃美歌の場合は必ずしもそうではないことも多い。
昔、小学校の先生が右手はメロディライン一本で、左手はドミソ、ドファラ、シレソの主要3和音だけを弾いて児童たちに音楽を教えていたことを思い起こせばいい。私自身は数回、夕の礼拝の時に複音ハーモニカで聖歌の伴奏をしたこともあるが、中々気持ちが良かったと思う。要するに、あれでいいのである。重要なのはメロディラインであり、これを間違わなければ大丈夫。会衆がノッてきたら、もうメロディさえも不要になる。後は和音だけを間違わないように注意して、リズム楽器のように演奏するば、盛り上がってくること間違いなしである。
以上が聖歌・讃美歌の伴奏の基礎の基礎であって、後はその人の技術によっていくらでも展開したらいい。アメリカではその種の楽譜が多数出版されているらしい。
最後に一言、礼拝における聖歌の伴奏者として心得ておかねばならないことは、先ず自分が歌えること、出来たら空で無伴奏で歌えることである。そして余裕があれば、礼拝の時、自分自身も歌いながら伴奏を弾けたら、申し分ない。

6.『基礎聖歌30選集』の内容
祈祷書の聖餐式文においては、聖歌を歌うべきところが4箇所ある。
(1)最初の聖歌は、聖餐式の始まりの部分で一同は起立して「ここで聖歌を用いてもいい」と書かれ、それに続いて「また、参入唱または聖語を教会暦に応じてまたは自由に用いてもよい」と規定されている。つまりここで歌われる聖歌は「参入唱」の代わりである。従って、聖歌もそれに相応しいものでなければならない。私はこれを「神を讃える聖歌」と解する。それでここでは次の7曲を選んだ。(以下カッコ内は『讃美歌21』)
  200(351)、311(13)、323(361)、452(457)、484(474)、491(475)、519(434)
(2)次の聖歌は、旧約聖書、使徒書の朗読の後で、「ここで昇階唱または聖歌を用いてもよい」とある。つまり第2の聖歌は「昇階唱」に代わるものである。昇階唱とは使徒書と福音書の間、というより福音書朗読の前で、福音書朗読では会衆も全員起立して福音書の方に向かう、いわば「み言葉の礼拝のクライマックス」である。従って、私は神の御子イエス・キリストの言葉と行為を聞く心構えの歌であると解している。
  356(289)、357(280)、367(482)、386(343)、391(390)、444(156)、482(493)
(3)第3の聖歌は、いよいよこれから聖餐式が始まるという感謝聖別の直前で、先ず神の前に自己自身を捧げる。ここでは「奉献唱、(中略)あるいは聖歌を歌ってもよい」とされている。つまり、キリストの血と肉とを頂く前に自分自身を捧げる、信仰の決断、奉仕への決意の歌であると解している。
  446(433)、451(449)、456(434)、470(463)、485(505)、496(483)、548(495)
(4)第4の聖歌は「陪餐のときに、陪餐唱または聖歌を用いてもよい」とある。「陪餐のときに」という表現が曖昧である。ここで聖歌を歌わない教会も結構多い。
私の個人的意見としては、古い祈祷書にはあったが現行ではなくなった「陪餐後祷」の意味も含めて、ここでの聖歌は、聖餐式毎に毎回同じ聖歌でもいいのではないか。私が信徒時代に所属していた教会では、だいたい常に聖歌244が歌われていた。それでここでは2曲選んでおいた。
  244、506(513)
(5)聖餐式の最後の聖歌には特に規定はない。しかし現実的には執事または司祭の「ハレルヤ、主とともに行きましょう」という言葉を受けて「ハレルヤ、主のみ名によって アーメン」という言葉の延長として聖会を歌う教会が多い。つまり、ここでの聖歌には派遣されて宣教に出かけるという意味合いが強い。
  403(402)、409(355)、457(507)、462(459)、498(484)、520(461)、521(510)
前にも触れたように聖歌には汎用性の強いものと、特殊性の強いものとがあるが、「基礎聖歌」では出来る限り汎用性の高いもの、また伴奏にもそれほど高い技術を必要としないものを選んだつもりである。そのことを配慮して司式者はこれらの中から選べば、支障はないと思う。また、聖餐式でない礼拝においても、これらの中から適当なものを選ぶことができる。
蛇足になるが、以上の30曲は私の個人的な選曲であり、自由に差し替え、減らしたり、加えたりして、その教会独自の「オハコ聖歌」になることを願っている。

7.歌詞版のすすめ
最後に、最初の問題に戻って「聖歌は楽譜なしで歌うもの」(以下、「聖歌」という言葉には「讃美歌」も含むこととする)ということについて再考する。
「聖歌は楽譜なしで歌うもの」と言っても、すべての聖歌を暗唱できるものではない。個人レベルで言うと、せいぜい数曲であろう。でも、不思議なことに歌詞は思い出さなくても曲だけは聞いたら、知っている歌か、知らない歌か、すぐにわかる。そこが歌の不思議な点である。
聖歌の場合やはり歌詞が重要であるが、その聖歌を思い出すのは曲である。その意味では歌というものは歌詞と曲とが切っても切れない関係にある。聖歌においても同様で、歌詞と曲とが一体になって成立している。
その関係を分析すると、曲が歌詞を呼び出すと言えるのではないか。そして歌詞がその歌を覚えた時の気分を思い起こさせる。特に聖歌の場合は事柄が人間の内面に関わる「信仰」なので、その関係は密接である。つまり聖歌を歌う(リ・プレイ)することによって、その聖歌によって受けた感動が再生(リ・プレゼント)される。
だから聖歌を歌うとき、決して歌詞を「読んでいる」のではなく、曲によって歌詞を「呼び出し」、それによって「信仰」を再生しているのである。その意味では歌詞は心のどこかの引き出しに収められているのであり、目や耳で外から受けるのではない。もっとも、こういう状態になるためには、それまでに何回も繰り返し聞き、歌うことがなければ、そうはならないであろう。その場合には、楽譜など不要である。曲は身についている。
私が高校生の頃、歌声喫茶が流行っていた。ウイキペディアによると「(歌声喫茶の)発祥については諸説あり、1950年(昭和25年)ごろ、新宿の料理店が店内でロシア民謡を流していたところ、自然発生的に客が一緒に歌い出して盛り上がり、それが歌声喫茶の走りになった」と言われている。これが当時の労働運動や学生運動における「うたごえ運動」と結びつき、当時の若者たちの心を掴んだ。ここで歌われた歌ははロシア民謡であったり、唱歌であったり、童謡や労働歌、反戦歌などで、多くの人がどこかで聞いたことのある歌が主であった。歌は何人かのリーダーの「司会・指導」によって歌われ、伴奏楽器は主にアコーデオンであった。だんだん流行るにつれて各店によって、歌う歌の傾向があり、その店で独自の歌詞だけの歌集を作り客に配っていた。それも葉書を半分にした程度(つまり片手の掌に入る程度)の、今見たら貧相な印刷物(大半はガリ版刷り)であったがファンたちはそれを宝物のようにして保存し、それぞれがその歌集を手に自分好みの店に通い、大声で歌っていたのである。本当に楽しかったことを覚えている。「カチューシャ」とか「ともしび」「トロイカ」「ペチカ」等を聞くとその当時の興奮がそのまま思い出される。私の書棚には『青春の歌声喫茶愛唱歌全集』(CD10枚)が入っている。これは私の青春の記念である。(実際にはあまり聞く機会もないが)
「歌声喫茶」と「うたごえ運動」が盛り上がった一つの理由は、そこで提供された小さな「歌集」にあったと私は思う。歌は身体で覚え歌うものであるが、歌詞は中々そうは行かないので、補助的に歌詞集が必要なのであろう。
礼拝で使う聖歌が音符が付いていなければ歌えないということが、そもそもおかしいのではないだろうか。と言っても、『聖歌集』に収められているすべての聖歌の歌詞版を作るのも無駄であり、その必要はない。各教会でその教会独自に「歌詞版」を作ればいい。それも30曲ぐらいから初めて少しづつ増やしていけばいい。だから葉書を横にした程度の大きさで、縦書が望ましい。1曲1頁を原則にして、ファイル閉じにしておくと便利であろう。要するに、教会で歌う聖歌は歌詞だけで十分という文化が形成されなければ、聖歌が実生活に密着しない、と私は考えるのだが、その考えはおかしいのだろうか。
歌詞について触れた序に、歌詞の「書き換え」について一言触れておく。歌詞は「詩」なのである。詩人が、あるいは信仰者が、少々大袈裟に言うと「心血を注いで」作詞したものである。これは海外の歌詞の翻訳についても言えることである。むしろ外国の歌詞を日本語の歌詞にするということには、字数の問題、イントネーション、リズムの問題等様々な障害を乗り越えて、原作者の心を読み取り、それを日本語の歌詞にしている。それはもはや通常の「翻訳」のレベルを超えた、創作に近い営みであるとさえ言えるであろう。それを「読んで、分かり難い」からという理由だけで、簡単に改作していいものであろうか。また、その聖歌によって信仰を豊かにされた信徒たちも多く存在している。それらの問題を簡単に無視していいものだろうか。分かりにくければ、説明すればいいではないか。いずれにせよ日本語ではないか。古い言葉遣いも日本語の枠内のことで、その聖歌を通して日本におけるキリスト教の歴史を感じればいい。私は歌詞と曲とは一体化していると思っている。もし、歌詞を改変したら、それはもはや元の聖歌とは異なる歌になっている。「荒城の月」にせよ、「この道」せよ、「どんぐりごろごろ」にせよ、「一寸法師」にせよ、歌詞を書き換えたらその歌の生命は死んだものになる。それだけの「覚悟」をして聖歌の口語化をしているのだろうか。(ここでは、あえて各聖歌の対比はしない)
ともかく、主日礼拝に出席して、一曲も心から感動して歌う聖歌がないということは本当に寂しい。何か、中学や高校の時のつまらない音楽の時間を思い出す。読めない楽譜を無理矢理に読まされて、たどたどしく歌っている信徒の姿を見ると、やりきれない気がする。(完)

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