ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

断想:聖霊降臨後第3主日(特定5) (2018.6.10)

2018-06-08 09:41:44 | 説教
断想:聖霊降臨後第3主日(特定5) (2018.6.10)

人びとの噂 マルコ3:20~35

<テキスト>
20 イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。
21 身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。
22 エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。
23 そこでイエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。
24 国が内輪で争えば、その国は成り立たない。
25 家が内輪で争えば、その家は成り立たない。
26 同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。
27 また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。
28 はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。
29 しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」
30 イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。
31 イエスの母と兄弟たちが来て外に立ち、人をやってイエスを呼ばせた。
32 大勢の人が、イエスの周りに座っていた。「御覧なさい。母上と兄弟姉妹がたが外であなたを捜しておられます」と知らされると、
33 イエスは、「わたしの母、わたしの兄弟とはだれか」と答え、
34 周りに座っている人々を見回して言われた。「見なさい。ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。
35 神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、姉妹、また母なのだ。」

<以上>

1.噂
今日の福音書のテーマはいわゆる「噂話」である。テキストに入る前に、三木清の『人生論ノート』から「噂について」というエッセイを紹介しておく。
三木は噂について「噂は不安定なもの、不確定なものである。しかも自分では手の下しようもないものである。我々はこの不安定なもの、不確定なものに取り巻かれながら生きてゆくほかない」という。もう、ほとんで敗北宣言のような言葉である。
また、こうも言っている。「噂は評判として一つの批評であるというが、その批評にはいかなる基準もなく、もしくは無数の偶然的な基準があり、従って本来なんら批評でなく、極めて不安定で不確定である。しかもこの不安定で不確定なものが、我々の社会的に存在する一つの最も重要な形式なのである」。
そして最後にこう締めくくる。「噂は誰のものでもない、噂されている当人のものでさえない。噂は社会的なものであるにしても、厳密にいうと、社会のものでもない。この実体のないものは、誰もそれを信じないとしながらも、誰もそれを信じている。噂は原初的な形式におけるフィクションである」。(以上、三木清全集第1巻、384~385頁)
三木先生は純粋の哲学者だから、そこまでは仰らないが、噂には自然発生的なものの他に意図的に、誰かを陥れるために「作られた噂」もある。三木先生も世間の噂にずいぶん悩まされたに違いない。そしてその生涯の最後は「作られた噂」によって投獄され、終戦後間もないときに獄中で病死されたのである。

2.人びとの噂
イエスご自身も噂によってずいぶん誤解もされ、悩まされたことだと思う。しかしキリスト教会成立後、生前のイエスの「噂話」が集められ、福音書が形成されたのである。従って、噂を軽く見るわけにはいかないし、多くの噂話を通して、その真実を掘り起こすことによって、私たちのイエス像は形成されているのである。
本日の福音書では、イエスをめぐる「2つの噂」が問題になっている。一つは、「あの男は気が変になっている」という噂であり、この噂を聞いたイエスの家族の態度が報告されている。もう一つの噂は、「あの男はベルゼブルに取り付かれている」という噂である。

3.第1の噂に対するイエスの態度
これらの噂に対するイエスの態度がおもしろい。第1の噂については、そんな噂をまともに信じて「心配する」家族(母親と兄弟」に対して、「そんなつまらない噂をまともに信じる家族」が本当の家族か、という態度を示しておられる。このイエスの態度は、「噂に悩まされる」私たちにとって非常に示唆に富んでいる。息子や兄弟の悪い噂を聞いて心配するのは、ごく自然のことである。しかし、その噂の真偽を確かめもしないで、ただ悪い噂があるというだけで息子や兄弟を「取り押さえにくる」ということは、いったいどういうことであろうか。それは単に噂を増長させるさせるだけで、かえってイエスを信じていないということを明らかにしているだけである。
同じようなことがある。まさか「取り押さえ」にはこないが、親切そうに噂を本人に、伝えに来る人間がいる。その場合はほとんど、その人間は本人のことを心配しているのでもなく、ただ単に噂を楽しんでいるだけである。本当に心配しているなら、その噂をまき散らしている人に対して「そんなことは有り得ない」ということをはっきり言えばいい。

4.第2の噂に対するイエスの態度
第2の噂はイエスの行動に対する「解釈」が入っている。しかも、それは非常に「悪意に満ちた解釈」である。これは単なる噂というより、噂という形をとったイエス反対キャンペーンである。これがいわゆる「作られた噂」である。
これに対してはイエスも積極的な態度をとっておられる。ベルゼブル論争である。そして最後に「聖霊を冒涜する者は永遠に赦されない」と激しく攻めておられる。
イエスのこの言葉の意味はご自分がなさった行為、ここでは「悪霊を追放する」といういわゆる悪魔払いの行為は聖霊による行為であり、この行為を悪魔によるものであるという解釈は赦されないということが述べられている。このイエスの言葉において注意すべき点は、これがただイエスの行為にだけ当てはめられる言葉ではなく、悪魔払いという現象すべてに当てはまるということであろう。

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