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ぶんやさんの記録

聖書に記せるごとく〜〜聖公会の聖書観〜〜

2016-12-14 09:24:12 | 小論
聖書に記せるごとく〜〜聖公会の聖書観〜〜

(この論文は、1979年、私が日本クリスチャン・アカデミーの主事を退職して、初めて聖公会の伝道師として四日市聖アンデレ教会に派遣された9月に、私自身の聖公会の聖職者としての姿勢を固めるために書いた論文です。書いたものの、公開する機会もないままお蔵入りして、すっかり忘れていました。この度、ある必要から渡辺善太先生の『正典論』を読み直そうと思い、この論文のことを思い出しました。それで、この度、初めてテキスト化し、書き直したい点も多多ありますが、原則的にはそのまま公開いたします。ここでの祈祷書は1959年版です。2016年12月14日)

日本聖公会の祈祷書において、「聖書にしるせるごとく」 という言葉は早晩祷序式と主教按手式にそれぞれ一回用いられているだけではあるが、聖公会の聖書観を端的に表現した言葉である。祈祷書において「聖書」という言葉が用いられているケースをしらベて見ると非常に興味深い。
主日礼拝においては降臨節第2主日の特祷に「我らを教うるために聖書をしるさせたまいし主よ」というように、ただ一回だけ用いられているだけである。(註:これも1990年版祈祷書においては主日礼拝から外され「諸祈祷」の中にのこされている。)使徒パウロや福音書記者たちの記念日の特祷においてさえ、この言葉は用いられていない。ところが聖職按手式では、まず執事按手式において「聖書は神より与えられ、主イエス・キリストによりて成就されたる神の啓示を我らに伝うるものなりと信じる」と告白し、さらに司祭職につく時には「聖書はイエス・キリストによりて限りなき救いをうるに必要なる教えをことごとく載せたりと信ずる」ことを確認し、また「聖書をもって証明し得ざることは何をも限りなき救いに必要として教えざることを決心」する。
主教の任につく時には、これらの点を再確認した上、さらに積極的に「ねんごろに聖書をきわめ、これを悟らんことを神に祈り、その正しき教えをもって人をさとし、反対者を服せしむることを努むる」と公言する。主教按手式において、もう一つ注目すベきことは司式主教が被選主教に語りかける二つの言葉がいづれも「兄弟よ、聖書にしるせるごとく、・・・・・」「兄弟よ、聖書においても、・・・・・」というように、 聖書とい言葉で語りかけていることである。 この点が司祭按手式と非常に異なっている。後者の場合には、主教自からの権威のもとに司祭を按手するのであるが、前者の場合は司式主教は聖書に基づき、聖書の権威に保護されて被選主教に按手をするのである。
聖公会における主教、あるいは主教制とは、単に三職階制の最上位というだけでなく、また単に監督制とい教会の政治形態を示すだけではない。主教は主によって制定され、初代教会によって定形化された二つの典礼(洗礼・堅信) の「擁護者」であり、同時に三職階制(執事・司祭・主教) によって表現される教会の型そのものを「継承し」、また同時にその要としての役割を担っている。従ってその主教が主教として立たされる時に、聖書を根拠とし、聖書に支えられるということはきわめて意義深く、またその主教の任務が「ねんごろに聖書をきわめ、これを悟る」ことであることも意義深い。ここに教会と聖書との生きた関係が鮮明に描かれている。
とりもなおさず、 聖公会の聖書観は祈祷書で述ベられているこの姿勢に現されている。つまり「神の言」という一般的な表現とは別に、聖書という言葉が用いられている場合には、 職階制と固く結び合わされて、教会の教理の根拠、正当性の保証ということが第一義的に重視されている。それは言葉の厳密な意味での「正典」(キャノン——規準) という意味である。教会はあくまでも人間の集団であり、歴史と文化の制約の中に存在する限り誤りを犯すものである。いかに正当な手続きにより正しく形を整えたとしても、なお誤りを犯すということからはのがれることはできない。そのことを英国教会はローマ教会を反面教師として学んだ。「エルサレム、アレキサンドリアおよびアンテオケの教会が常にその行動と礼拝の仕方においてのみならず、信仰の事柄においても誤ったように、ローマの教会もまた誤りを犯した」(39個条、第19条)。歴史的正統性は内容的正当性の保証ではない。それを正すのが正典としての聖書の役割である。この点が、英国教会がローマ・カトリック教会から独立した時の宣言の重要点である。つまり教会を教会たらしめている土台は、主教に収斂される(あるいは象徴される) 教会の生きた伝承と、書かれ定化された神の言としての聖書とである。
しかし問題は決して単純ではない。聖書は神の言であり、正典であるということも、それ程単純に自明のことではない。明らかに聖書各巻は歴史的文献という性格を強にもっている。つまり人問の言葉である。それがどのような論理で神の言とばれるのだろうか。私たちは執事按手の時、「聖書は神より与えられ、主イエス・キリストによりて成就されたる神の啓示を我らに伝えるものなり」と告白する。そうである限り、私たちはその告白の意味する点を解明する責任がある。

2.聖書の正典性と文献性
私たちがここで正典的権威を承認している聖書とは、聖公会大網(39個条) の第6条にしるされているように 「その権威が教会で未だ疑われたことのなかったところの以下にしるす新旧約聖書」のことである。つまり、そこではプロテスタント教会において一般に用いられている旧約39巻と新約27巻が列記されている。なぜ、これらが正典的権威をもち、他の文書がそれをもたないのか、ということについてはだれも決定的な答えを出すことはできない。 ただ言えることは、長い歴史をかけて色々な討議を経て、旧約については西暦90頃パレスチナのヤムニアで開かれたユダヤ教のラビの会議で決定されたということ。 新約については397年にカルタゴで開催された教会会議において決定されたということ、である。しかもその決定は必ずしもすんなりとなされたのではなく、決定後もかなり論争は続いたようであるが、 結局は現在の形におさまたのだ、 ということである。その意味では、聖書の正典的権威は教会の公会議の権威に基づき、それに依存している。また、神学的にはK. バルトのいうように「聖書はそれ(=正典) として自身を迫ったことにおいて正典である」としかいえないし、私たちはただ教会が正典を決定する際に、聖書各巻の正典としての自己主張に充分に耳を傾けることができるように聖霊が働いた、ということを承認するだけである。
従って、私たちは私たちの目の前にあるこの66巻の聖書が正典であるということからしか出発できない。 そして、元来歴史的文献であるこれらの文書が正典的権威をもっているという事実の論理を解明することにより、それらを正典として読む解釈学が成立し、それを基礎として教会の神学が形成されるのである。その際付随的に聖書以外の文書がなぜ正典でないか、という意味も明らかにされるであろう。
さて以上に論じたことからも明らかなように、聖書は正典であると言っても、それはあくまでも教会に対して、さらには教会の交わりの中に生きる人々にとってそうだ、というのであり、聖書各巻それ自体はあくまでも歴史的文献である。いかなる文書、あるいはその断片であっても、それが意味をもっている文献である限り、たとえ全く異なった状況(コンテキスト)に移し変えられたとしても、その原初的意味から自由ではない。時には私たちはその原初的状況とその意味とを知り得ない場合もあるが、それはただ私たちが知り得ないだけであって、その文献自体がそれから自由であるという訳ではない。特に聖書の諸文書に関して、その歴史的文献的研究の成果を省みる時、それらの諸文書はその原初的意味から切断されて正典とされたのではないことは明白である。そのことは単に個々の文書においてだけではなく、それらの諸文書を構成している断片的な諸文献(諸資料) においても同様である。それらの諸文献の原初的意味とその展開の歴史を知ることにより、その正典としての意味に重みと深みが加えられて来ることは、私たちが普段に経験することである。
その意味で、教会が聖書を正典として受け取り、読むとしても、決して学問的な文献批判的解釈と対立的に解釈するというのではあり得ない。むしろ、教会的解釈つまり正典的神学的研究は科学的(歴史学的))文献的研究を基礎研究とするのである。
その点で、渡辺善太博士がその聖書正典論において、歴史的文献的研究と正典的神学的研究とを否定媒介的に理解しているのは疑問である。むしろ、これらは相互媒介的、あるいは重層的にとらえなくてはならないのではなかろうか。

3.聖書を正典たらしめるもの——渡辺聖書学を手がかりとして——
日本の聖書学界において果した渡辺善太博士の業績は決して小さくない。 彼の米寿記念のために寄せられた論文集「渡辺善太——その神学——」(1972年、 キリスト新聞社) の諸論文の質の高さとその幅広さを見ても明らかである。渡辺の聖書学における功績は、彼が入信時に経験した素朴な聖書観に出発する聖書の信仰的神学的研究と、近代主義的学問論に基づく聖書の歴史的文献的研究との矛盾対立関係の狭間に立って、聖書の正典性の確立ということで苦闘したという点である。
渡辺正典論における要は「一巻の書として聖書は正典である」ということである。つまり、今わたしたちの 目前にある聖書はもはや66巻なのではなく一巻の書であり、その配列とその範囲を含めて正典であると主張される。従って、66巻を解体する方向で研究される歴史的文献的研究は、66巻を統一体として解釈しようとする正典的神学的研究とは、相互に否定的に対立する、と渡辺は考えるのである。
問題は、 それでは歴史的文献としては、その内容、文体、思想は勿論のこと言語においてさえ多様な諸文書を統一し、一巻の書としているものは何であろうか。つまり、それが聖書を正典として読ますものである。 渡辺はこのことについて、結論として、次ぎのように述ベている。
「その書物の『全貌』、または『全体』をそうあらしめている、これを統一している『もの』——結論的にいうが『信仰』を解釈者がもっていなければ、結局それはほんとうに解釈はできない」。
ここで彼のいう「信仰」とは何であろう。単に「聖書を正典と信ずる」ことであろうか。 それでは単純なトートロジーである。当然のこととして、聖書を正典として解釈させるまたは読むためには、聖書側の要因と解釈者側の要因とがある。これらが出会うことによってはじめて正典としての聖書が機能する。渡辺正典論においては、主観の側の要因としては上に述ベたように「信仰」があげられているが、それも非常にあいまいではあるが、ともかく理解できる。ところで客観の側の要因は何であろう。かなり渡辺自身の著書を読み込まないと明確にならないが、自身はそれを「正典としての場」と考えているようである。正典としての「場」が聖書各巻を正典とする、というのである。従って、66巻の配列までもが正典的意味をもつとまで主張される。聖書各巻は正典という場に置かれて新しい意味を獲得する。そして彼の正典的神学的解釈とは、 正典という場の構造を問い、そこに置かれた各巻の意味を解釈し、統一体としての聖書の語りかけを神の言として聞く、ということである。非常に具体的であり、また驚ろくほど単純である。単純な論理には単純な疑問がでて来る。
渡辺正典論においては、解釈者の「信仰」と正典という「場」とは、一体どのように関係するのだろうか。 聖書を正典として結集した教会と、教会を教会たらしめている聖書との相互依存関係が、正典論では無視されているのではなかろうか。
この点で無視できないことは、聖書を正典たらしめているものと解釈者を信仰者(キリスト者)たらしめているものとの共通性ということである。つまり主観と客観とをつなぐ共通性があってはじめて呼応関係が成立し、 解釈者は聖書を正典として了解する。言い換えるならば、解釈者は聖書に相対することによって、聖書を聖書たらしめているもの(それを統一するもの)を直感し、それに対する主体的応答を迫まられる、それが信仰である。そこで重要な点はこの直感を成立させる条件である。それはその解釈者が教会という場で生きている、ということである。ここに、単なる人間の集団をキリストの体なる教会たらしめている論理と、諸文書を正典たらしめている論理とが同一の論理である、ということがあらわになってくる。その意味で、聖書は教会の本質の疎外体(見えない本質が見える形で表現されたもの)——書かれた本質——なのである。
八木誠一が「仏教とキリスト教の接点」の中で、「事柄」と「文献」と「解釈者」との関係について述ベていることは、この点で非常に興味がある。八木はほほ次ぎのように三者の関係を論じてしいる。
まず、解釈者は文献を通して事柄に触れる。そしてこの事柄において実存的変革を経験する。しかし、この過程だけでの解釈者の事柄理解は決定的に文献によって規定されており、解釈者は文献の言葉でしか事柄を表現できない。つまり解釈者は文献に縛られているのであって、充分に理解したとはいえない。そこで解釈者はしばし文献から離れ、直接事柄に対し、事柄と関わり、自分自身の事柄理解を得る。ここから、はじめて事柄について語っている文献を了解する、という方向がでて来る。しかし、ここで解釈者は了解不能な文献の言葉に突き当り、再び新しく事柄について文献に教えられることになる。
かくして、解釈者——文献——事柄という過程と、解釈者——事柄——文献という過程とは一面、相互否定的でありつつ、他面、相互媒介的である。
八木が提示している解釈の仕組みは、渡辺のそれより、はるかに事実に即しているし、説得力がある。ただ、正典としての聖書の解釈の場合これら三者の関係は複雑に交錯する。この場合、解釈者とは信仰者個人という場合もあるし、その場合でも教会の交わりの中で生きるという条件を考えるならば、解釈者というのは教会自体であるというベきであろう。また、教会を教会たらしめている論理と聖書を聖書たらしめている論理とが同一の論理であるという事情もある。それはまた、信仰の論理ともいえよう。

4.聖書の論理
聖書を一巻の書として統一するもの、それはキリスト証言であるといわれる。つまり、イエスはキリストである、ということを指示証言するものとして、聖書は統体性をもち正典であるといわれる。それはこの単純なテーゼが単なるテーゼではなく、イエスが生前語っておられた「神の国」の意味がイエスの死後弟子たちに開示されたこと、つまりイエスと弟子たちとの交わりの生活そのものが実はイエスが語っておられた「神の国」であること、そして他でもない、そのイエスが今弟子たちの間に生きているということ、つまり教会がキリストの体であるということ、これら全体がこのテーゼの中に含められている。この「神の国」の奥義が旧約と新約とを結ぶ生命管、母体と胎児とをつなぐ管である。
キリスト教会にとっての旧約聖書の意義がしばしば問われる。その答えは、イエスにとってもまたその弟子たちにとっても、さらにいうなら初代教会の信徒たちにとっても、それは聖書であった、ということ以上の答えがあろうか。主イエスとその弟子たちの交わりそれ自体が旧約聖書の主題である「神の国」の実現である。しかし、弟子たちがそのことに開眼したのは、彼らの師イエスが十字架上で死んで後のことである。 しかも彼らがそのことに気付いたのは、彼ら自身の交わりの中であった。彼らの交わりの中に「主イエス」を発見したのである。これが教会の誕生の秘密である。
教会はその誕生以来今日に至るまで、主イエスと弟子たちとのこの原初的交わりとの呼応関係において存在し、発展してきた。従って、この原初的交わりが世々の教会に対して規準的(正典的)意味をもっており、聖書全体はそれを指示することにおいて正典なのである。
また、ここに聖書は書かれた教会の本質である、という意味もある。文書になっているということは、とりもなおさず定化(ソリッドステート)ということである。人間の歴史はその本質として動的であり継続的である。それに対して、聖書は固定的であり、また聖書が指示する原初的交わりというものも完結している。従って聖書が語る原初的交わりの歴史は教会の全歴史に対して枢軸性(the Axis)をもつているとされる。 「聖徒たちによって、ひとたび(hapax)伝えられた信仰」(ユダ3) とは、それを指す。

結び
かくして聖書は誤りやすい人間の言葉によって書かれたものであり、しかも人間の必要から書かれ結集されたものであるにもかかわらず、むしろそれだからこそ現実性をもって、その指示する事柄それ自体の権威により、私たちにとって神の言である。
聖書を通してしか、あの原初的交わりを知り得ないし、それを知らずして、現在の教会の交わりの深みを経験できない。もしわたしたちの教会の交わりが通常の人間のつき合い以上のものでないとしたならば、あの厳粛な聖餐式もむなしい。この聖餐式があの原初的交わりにおける貧しかったかも知れない食事と呼応することによって、このパンとぶどう酒は主イエス・キリストの体と血になるのである。私たちはその奥義を実際の教会生活と聖書を通しで悟った。 (1979年9月3日 四日市にて)

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