ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 03/11~03/17

2012-03-19 10:32:35 | ローズンゲン
losungenj 2012.03.11(sun)
主の御名は力の塔。神に従う人はそこに走り寄り、高く上げられる。 (Pro18:10)
イエスの言葉:わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。(Luk6:47-48)
私の黙想
今日の聖句からは何のイメージも出てこない。むしろ今日は「あれから1年」である。人間の無力さを徹底的に知らされた1年である。知らなければならなかったのに、何も知らなかったことを悟った1年である。政治不信、官僚不信、学者不信の1年である。日本全体の土台が崩れた1年である。「岩」だと思っていた土台が砂地であるということがわかった1年である。

losungenj 2012.03.12(mon)
主は、孤児と寡婦の権利を守り、寄留者を愛して食物と衣服を与えられる。あなたたちは寄留者を愛しなさい。(Deu10:18,19) わたしたちはこのような(よそから来た)人たちを助けるべきです。そうすれば、真理のために共に働く者となるのです。(3Joh8)
私の黙想:
同胞内の弱者、共に住んでいる寄留者に対する態度でその国民の民度が計られる。社会的格差を作り出し、自分たちだけの豊かさを求める社会は決して豊かな社会ではなく、ただ共有の富が偏っているだけである。そのような社会においては構成員全体の心まで歪になる。

losungenj 2012.03.13(tue)
我々の神、主よ。我々はあなたを待ち望みます。(Jer14:22) わたしたちは、祝福に満ちた希望、すなわち偉大なる神であり、わたしたちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望みます。 (Tit2:13)
私の黙想:
ローズンゲンは文脈から離れて聖句そのものを黙想しでいるが、今日は、そうはいかない。この言葉は「干ばつに見舞われたとき」にエレミヤに望んだ主の言葉であるという。自然災害をコントロールできるのは神だけだという素朴ではあるが熱い信仰がここにはある。

losungenj 2012.03.14(wed)
モーセとアロンはファラオのところに行き、彼に言った。「ヘブライ人の神、主はこう言われた。『いつまで、あなたはわたしの前に身を低くするのを拒むのか。わたしの民を去らせ、わたしに仕えさせなさい。』」(Ex10:3) 神は、高慢な者を敵とし、謙遜な者には恵みをお与えになる 。(1Pet5:5)
私の黙想:
見よ、モーセの堂々たる態度を。彼はその時未だ独立していないがやがて独立しする一つの民族の首長になっている。民族が独立するとはこういうことである。ああ、私たちの国は本当に独立国なのか。アメリカ政府との関係は合衆国の州以下である。嘆かわしいことだ。

losungenj 2012.03.15(thu)
どうか主が民に力をお与えになるように。(Ps29:11) あなたがたはキリストに結ばれ、あらゆる言葉、あらゆる知識において、すべての点で豊かにされています。 (1Cor1:5)
私の黙想:
「力をお与えください」という祈願文はキリスト者にとって非常に便利な常套句。この力とは何かをする能力。何事かをお願いして最後に「~~の力をお与えください」という文章を添えることによって「らしく」なる。

losungenj 2012.03.16(fri)
わが子よ、あなたの心をわたしにゆだねよ。喜んでわたしの道に目を向けよ。(Pro23:26) イエスは彼を見つめ、慈しんで言われた。「あなたに欠けているものが一つある。行って持っている物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」 (Mak10:21)
私の黙想:
今日の箴言は平凡に訳しすぎている。文語訳の「わが子よ、汝の心を我に与え、汝の目に我が途を楽しめ」の方がはるかに趣がある。これは格言であるからそれらしく訳さねばほとんど無意味になる。私には「主の道は道楽(趣味)である」と聞こえる。もちろん、いい意味で。

losungenj 2012.03.17(sat)人の子らは空しいもの。人の子らは欺くもの。共に秤にかけても、息よりも軽い。(Ps62:10)キリストの言葉:はっきり言っておく。子供のように神の国を受け入れる人でなければ、決してそこに入ることはできない。」 (Mak10:15)私の黙想:新共同訳では「人の子」という訳語が繰り返されている。フランシスコ会訳では「身分の低い者」と「(身分の)高い者」とを対比させ「みな合わせても」といい、口語訳では、どちらも、どっちこっちだという。要するに階級の対立や相異という人間界の事柄は絶対者の前では「息よりも軽い(ゼロに等しい)」。

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