ぶんやさんち

ぶんやさんの記録

今週のローズンゲン 7/4

2010-07-11 06:15:42 | ローズンゲン
7月4日(日)
主よ、わたしの力、わたしの砦、苦難が襲うときの逃れ場よ。(エレミヤ16:19)
パウロの手紙:わたしたちは、四方から苦しめられても行き詰まらず、途方に暮れても失望しない。(2コリント4:8)
私の黙想
「場としての神」。一番分かりやすい「神イメージ」。「御翼の影」でも「アブラハムの懐」でもいい。わたしが憩い、安定する場所としての神。キリスト教では「人格神」が強調されすぎている。人格関係はしんどい。大人の関係。

7月5日(月)
わたしはお前たちを初めのときよりも更に栄えさせる。そのとき、お前たちはわたしが主であることを知るようになる。(エゼキエル36:11)
あなたがたはキリストに結ばれ、すべての点で豊かにされています。(1コリント1:5)
私の黙想
今朝のローズンゲンについては、ただ一言「アーメン」とだけ言っておこう。

7月6日(火)
まことに、我々の主なる神に、イスラエルの救いがあるのです。(エレミヤ3:23)
わたしたちは皆、この方の満ちあふれる豊かさの中から、恵みの上に、更に恵みを受けた。(ヨハネ1:16)
私の黙想
今日の聖句の直前に、「まことに、どの丘の祭りも、山々での騒ぎも偽りにすぎません」という言葉があり、今日の聖句と対になっている。預言者の言葉とは逆に、当時にイスラエルには多くの宗教が流行っていたようである。それらを必死になって否定する預言者の姿。

7月7日(水)
天の神は一つの国を興されます。この国は永遠に滅びることがありません。(ダニエル2:44)
召されていること、選ばれていることを確かなものとするように、いっそう努めなさい。実践すれば、決して罪に陥りません。こうして、わたしたちの主、救い主イエス・キリストの永遠の御国に確かに入ることができるようになります。(2ペトロ1:10-11)
私の黙想
「永遠に滅びることがない国」とはこの世のものではない。「この王たちの時代に」という言葉が省略されている。ダニエル書特有の終末論的幻想。イエスはピラトに「わたしの国は、この世に属していない」と明言。(ヨハネ18:36)この世に属していない国とは何か。

7月8日(木)
主の慈しみは決して絶えない。それは朝ごとに新たになる。(哀歌3:22-23)
主の憐れみは代々に限りなく、主を畏れる者に及びます。(ルカ1:50)
私の黙想
本日の聖句に続く句がいい。「あなたの真実はそれほど深い」。この句がセットになって前の句に深みが出てくる。日常性そのままが「信仰」。思わず地平線から揚がってくる「太陽」を拝みたくなる「信仰」を馬鹿にしてはいけない。

7月9日(金)
祭司の唇は知識を守り、人々は彼の口から教えを求める。彼こそ万軍の主の使者である。(マラキ2:7)
語る者は、神の言葉を語るにふさわしく語りなさい。奉仕をする人は、神がお与えになった力に応じて奉仕しなさい。それは、すべてのことにおいて、イエス・キリストを通して、神が栄光をお受けになるためです。(1ペトロ4:11)
私の黙想
ああそうか。イスラエルでは祭司も神の言葉を語り、人々に教えるのだ。預言者と対立するはずだ。

7月10日(土)
虐げられている人に、主が砦の塔となってくださるように。苦難の時の砦の塔となってくださるように。(詩編9:10)
貧しい人々は、幸いである。神の国はあなたがたのものである。(ルカ6:20)
私の黙想
こういう文章は「祈願文」に翻訳するより、叙述文にする方が迫力がある。祈願文では他人事のように響く。因みに、日本聖公会の祈祷書では「神は虐げられている人の砦、悩みのときの支え」と翻訳している。この方がスッキリする。

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