備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム5.式内社と国内神名帳

2008-06-12 22:38:14 | Weblog
鴨神社三座(赤磐市)の項でも書いたが、備前国内神名帳西大寺本では、旧赤坂郡には鴨布施明神(鴨布勢神社)が2社あるが、式内社鴨神社三座は記されていない。
「式内社」とは、延喜式神名帳に記載された神社のことであり、単にそこに記載された、ということではなくて、延喜式がまとめられた当時(10世紀初頭)に朝廷から官社と認められた神社である。官社とは、毎年2月の祈年祭に神祇官から幣帛を受ける神社のことであり、それがやがて、引き続き上京して神祇官から幣帛を受ける神社(官幣社)と国司から受ける神社(国幣社)に分けられたという。したがって、国内神名帳の本来の趣旨からして、式内社が漏れていることはあり得ないと考えられる。
したがって、西大寺本に鴨布施明神が2社あるのは誤りで、1つが式内社鴨神社三座であることになる。そして、本来1社であるべき、国内神名帳に載る鴨布勢神社であることを主張される神社が2つあることになる。式内社にも同様なことがあり(むしろ一般に式内社のほうが社格が高いと考えられるので、由緒の古さを誇るために主張することが多い。)、「論社」と言って比定の研究が盛んである。是非、式外社も論社の研究をしてほしい。
ところで、この2つの鴨布勢神社については、西大寺本の異本である「明治七年注進本」に、「正四位下鴨布施明神」の脚注に「多賀村」とあり(ただし、上記のように、当社は式内社鴨神社三座を指すと考えられている。)、「正五位下鴨布施明神」の脚注に「上仁保村」とあるのに応じている。

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1 コメント

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国内神名帳 (吉備武彦)
2008-06-14 23:54:16
>>国内神明帳の本来の趣旨からして、式内社が漏れていることはあり得ないと考えられる。

とは考えられません。ご存知のように、式内社の場合、927年に編集が終え完成したしたものです。一方、国内神明帳は年代的に古く見られがちですが、室町時代までは確実に遡れると考えられ、それ以前は推測の領域で、式内社と同時代として対比するのは無理があります。

なお、式外社の研究もしています。
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