旅の恥は上塗り EX

日帰りから泊まり
尚且つ
鬼有名所からウルトラマイナースポットまで
九州(主に北部)を拠点に
ダラダラ動きます。

ランランタンタン ②「もうひとつの原爆ドーム」

2018-03-01 | ぶらぶら。

さぁ
今年も路面電車の一日乗車券を
アプリ購入して乗り倒します!


そして
足の裏に出来るマメが
潰れるくらい歩きます!



賑橋電停で下車。

「本古川通り」を歩いてると
奇妙な光景が。





鳥居の後ろに建物があり
その2階にも鳥居が・・・

多分
ここに神社がありましたよ~
的な感じなんでしょうが
赤鳥居の意味はようわからん。



「思案橋」辺りまで行き





「白水堂」へ。





「かすてら巻スティック」を
買ってしまいました。

スティッキーなカステラ
しかも五三焼き。
フツーのカステラと違い
ザラメ部分が無いので
ベタベタしないんですが
やはりザラメがないと・・・

もちろんコレはコレで
食べ易くて美味しいんですがね。




「白水堂」から歩いて5分。





「八坂神社」へ来ました。





相変わらず
神社の階段はハードです。


1638年に鍛冶屋町辺りから
この場所へ移転したようで
明治維新の時に「祇園社」から
「八坂神社」に名称を
変更したらしいですね。





では参拝。

思案橋電停の通りは
すごい賑やかなのに
ちょっと入り込むだけで
こんなに静かになります。








再び古川町周辺に戻り





「とんかつの店 文治郎」へ。

ここは長崎市民には
評判が良いらしく
ぜひ行ってみようと思いまして。





フェアをやってたので
この時とばかりに注文した
「上ロース定食」です。

衣も僕好みの色です。
テーブルに置いてある
甘口、辛口のソースとは別に
オーガニックなソースも
付いてきました。

何がオーガニックで
何が違うのかは僕には分かりませんが
このオーガニックなソース
結構イケました。
このソースだけで充分でした。

入った時間がラッキーだったのか
僕が入店して10分もしないうちに
店内がいっぱいになりました。
アブナイアブナイ。


因みに
最近はどこの店もそうですが





お腹いっぱいどうぞ。(^-^)





ちょっとブラブラします。





この時期なので
街中がランタンにまみれてます。
昼間はあんまし
目立ちませんけど。


浜町アーケード前の
「中央橋」交差点から
「大波止」に向かう大通りを
1本外れた所にある





「長崎雑貨 たてまつる」
と言う雑貨屋さん。

オリジナルの長崎雑貨を
扱うお店ですね。

この店のオリジナル商品は
ファンが多く、観光客にも
リピーターが多い隠れた名店!

と言う
ネットの噂を鵜呑みにして
やって参りました。笑


ここいらは江戸時代
長崎奉行所があった場所に因み
奉行所の「奉」の一文字をとって
「たてまつる」に決めたそうな。

長崎の観光地や風景をモチーフにした
手ぬぐいやガーゼ、トートバッグ等
センスの良いものが
たくさん置いてありました。

中でも目を引いたのが
カステラの箸置き&眼鏡橋の箸置き。

特にカステラの箸置きは
一斤使ってあり
半分をカットした状態です。
一発で長崎土産とバレる逸品です。

カステラ狂いの僕には
もってこいですな。

値札を見ると1,000円超だったので
持つ手が震えましたが





一目惚れで買ってしまいました。

もひとつ
デザインが気に入って買った





弁当箱が入る
チャイチーなバッグ。
弁当男子には良いアイテムです。

イイ感じの店でした。





またまた電車に乗り「松山町」へ。


「平和公園」や「爆心地」がある
電停です。

その間の道を進んでいくと





見えてきました。
「浦上教会」です。

「浦上天主堂」と言った方が
わかり易いですよね。


この教会の下には





石垣があるんですが
この石垣は
爆心地からたった500mと言う
至近距離にもかかわらず
その激烈な爆風に耐えて
今でもその姿を保ってます。

画像では分かりにくいですが
熱線で赤茶けてるのがわかります。
それでも
崩れる心配はないんですって。


その並びに





「浦上天主堂旧鍾楼」もあります。

川いっぱいにハマりこんで
堰き止めていたので
信徒たちが取り除こうとしましたが
なかなか取り除けず
地主と相談した結果
北側に川を通しかえて
土手に半分埋もれた
今の姿になったそうです。




「旧鍾楼」から
階段を上った先にあるのが





幻の世界遺産
「浦上天主堂」です。

アジア最大規模のキリスト教会の
ひとつだったらしいです。


広島に続き
2つ目の原爆が長崎に落とされ
浦上地区の上空で爆発し
教会は破壊されました。

教会の廃墟は
広島の原爆ドームと同様
後世に原子爆弾の悲惨さを伝えるために
保存されるはずだったようで
少なくとも市議会では
保存する方向で評決が
一致してたようです。

市長さんも前向きで
建築家に色々と調べて貰ったり
してたそうです。

が、
その市長さんがアメリカの招待により
約1ヶ月の視察旅行に出かけ
帰国した時には別人のように
廃墟の取り壊しと撤去を主張。

と同時に
教会には新教会の建設費用にと
莫大な寄付金が集められ
そして終戦から13年後
もとの教会は取り壊され
建て替えられたそうです。

アメリカで
何があったんでしょうね。

若しも教会の廃墟が残ってたら
原爆ドームのように
今頃世界遺産に
登録されてたかもしれませんね。

もちろん
「負の世界遺産」と
呼ばれるでしょうが・・・



































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