旅の恥は上塗り EX

日帰りから泊まり
尚且つ
鬼有名所からウルトラマイナースポットまで
九州(主に北部)を拠点に
ダラダラ動きます。

USA ⑥「ペルーん」

2017-03-30 | 絶景

さてこれから帰路ですが
その途中でもいろんな
寄り道スポットに寄りまくり。




「宇佐神宮」から
「道の駅いんない」に向かう
国道387号線の途中の
「鳥居橋」に寄ります。





大分県は全国で最も石橋の
多い地域でもありますが
中でも、ここ宇佐市院内町は
75基もの石橋が残されていて
そのうちアーチ橋(眼鏡橋)は
64基あり日本一らしいです。

この辺に石橋が多い理由は
ひとつは地形にあるようです。

深い渓谷で
その流れも急であることから
頑丈で流されない石橋を
必要としたこと。

ふたつ目は
石橋造りに必要な材質となる石が
豊富に採石出来たこと。

もうひとつは
生活に必要不可欠な
棚田や石垣を組む技術を持った
スペシャリストが
多かったことのようですね。

その中でも
「石橋王」と呼ばれていた人物が
この「鳥居橋」を作ったらしいです。

説明書きには
「天に延びる細く長い橋脚から
『石橋の貴婦人』と称され
リズミカルな5連アーチの
美しさを見せる
院内町を代表する石橋」

歯が浮きそうですが
架設当時から幾度となく
台風による洪水に耐え抜いてきたそうで
完成度の高さを改めて感じさせます。





ちょっと渡ってみました。(゚∀゚)








「鳥居橋」から5分ほど。





「道の駅いんない」です。


さすが「石橋の里」だけあって





こんなのありました。

いやいや、
桁以外は鉄筋やんけ。

まぁ、それはいいとして
ここの「エビスのからあげ」が
美味しいらしくて。

「エビス」ってなんやろう?





なんのことはない
「エビス」って屋号でした。笑

おばちゃんにからあげを注文すると
「出来てるヤツでいいですか?」
と訊かれ
これから揚げるのが面倒なのか?
とも思いましたが
時間も遅くて悪いかなと思ったし
保温機に入ってるので
まぁいっかと仕方なく了承。


そこからが地獄の始まり。

保温機のヤツって思ったほど
温かくない!

と、ここで
数年前に佐賀有田でも
同じ目に遭ったのを思い出しました。

その時は
「冷めても美味しいアピール」かと
思ったんですが、やっぱ違う!



むむむ。



いや、ここはからあげ屋ではなく
己の学習能力の無さを
悔いるよりあるまい。。。

そう噛み締め





からあげ完食。



ふと
土産売り場の方を見ると
「オオサンショウウオ」と書いた
幟や看板があるので中へ。


おぉ!






これは剥製ですが
この辺は「オオサンショウウオ」の
生息地でもあるらしいです。

剥製の目の前に水槽がありますが
そこには





剥製よりも
ひと回りカイデーな
「オオサンショウウオ」が。

ちょっと鳥肌が・・・

からあげ先に食べといてよかった。






ここから更に南下。


今度は
「大分にもあった世界遺産!」
的な場所があると言うことで
向かった先が、同じく院内町の





「宇佐のマチュピチュ」


南米ペルーにある世界遺産
空中都市とも言われる
「マチュピチュ」に
クリソツだと言うんです。

そこまで言われちゃ
行かないわけにもいかんと思い
やって来た次第です。





こんな展望台があります。

ここからの風景が







うーん・・・



クリソツとはいかないまでも
似とるっちゃあ似とるな。


因みに現場にあったモノホン写真。





ペルーに行った気にはなれんけど
これはこれでイイ感じ。


それにしても
なんちゅう秘境だ。


国道387号線沿い
この看板が目印よ。









さらに更に南下して
玖珠町の豊後森駅付近。





「豊後森機関車庫」へ。

ここでも蒸気機関車です。
「9600型29612号」で
「キューロク」と言う愛称で
大正初期から昭和50年くらいまで
走ってたようです。


その後ろに






「扇形機関庫」と「転車台」が。



「コロッセオ」ではないですよ!

一瞬、イタリアの世界遺産と
見間違えそうですが
結構違います!







帰る途中に寄ろうと思ってた
お食事処が臨時休業だったので
泣きたい気持ちを抑え抑えて
他に店を探すんですが
さすがに山道だと
開いてる店が殆どない!

阿蘇の「そば街道」とか行っても
夕方くらいで閉まっとる。



仕方ないので






途中、「大観峰」に寄って
嵐な気分を半分味わい
家の近所にある






「浜ん小浦(はまんこら)」と言う
キワドイ名前の魚料理屋さんに
行きました。

「みやび鯛」をはじめ
海鮮の美味しい店です。

刺身やアラ炊きもいいですが
この日は1日
揚げもんの気分だったので







「みやび鯛カツ丼&サラダバー2回戦」で
締めてみました。


丼のタレが鬼ウマ!

やっぱ揚げもんは落ち着く。












おしまい



























.

USA ⑤「総本宮 USA神宮」

2017-03-29 | 神社仏閣

ここ最近に出来た






「道の駅なかつ」でひと休み。






そこから30分弱。







「宇佐神宮」に着きましたよ。


鳥居付近には





「形式10の26号蒸気機関車」が。

「クラウス号」と言うらしいですが
形式10と聞いても
鉄道マニアではないので
何のことやらわかりませんが
見た目はスゴくカッチョイイです。

明治・大正にドイツや日本で
活躍してたようですね。





参道を歩き始めてすぐに





「黒男(くろお)神社」がありますが
パッと見、なんか
泣いてるように見えるんですけど・・・

神社の名前はたくましいのに。




しかし
ここ「宇佐神宮」は参道が長い。

暫く平地を歩いて更に





こんな石段があるんです。

その石段の終わりがけ
神殿のちょっと手前辺りに
「夫婦石」と言うのがあります。

夫婦やカップルは手を繋いで
左右の石を一緒に踏むと幸せに
独身なら両足で二つの石を踏むと
良縁が舞い込むと言う話。

人間とは悲しい生き物で
こういった縁起物には
すがりついてしいます。

しかし周りに人が居たために
出来ませんでした。(;Д;)

その「夫婦石」がこれ。





「宇佐神宮」行った方なら
見た事あるんじゃないでしょうか。




そこから神殿は
もう目の前ですよ。





ここも国宝です。





「宇佐神宮 上宮」

3ヶ所あって3つとも
祀られてる神様が違います。

説明書きによると

「宇佐神宮は全国八幡宮の総本宮
勅祭の大社であり
歴代天皇は伊勢の神宮につぐ宗廟
我朝の太祖として
ご崇敬になられています」


誰か意味がわかる方
教えて下さい。(@_@;)





もちろん
3つとも参拝しましたよ。

左から




一之御殿



二之御殿



三之御殿



真ん中なせいか
二之御殿がいちばん
ゴージャスな気がします。




これから下に降りるんですが
「宇佐神宮」には
今、参った「上宮」と
ここから少し下に
「下宮」があります。

この二つの神域は
共に同じ御祭神を祀ってあり
古くから「上宮」は国家の神
「下宮」は民衆の神として
皇室をはじめ国民より
篤い崇敬を集めてきたそうです。

なので
「宇佐神宮」に来た際は
『方参り』にならいように
両方とも参拝した方が
いいそうです。



なので





「下宮(御炊宮)」へ。

やはり二之御殿がゴージャス。

合計6箇所とも同じ額の
お賽銭を入れて参ったので
財布のお札入れが寂しいです(嘘)。

酒でも飲まないと
やってられんですよ。









西参道に繋がる場所に
「呉橋」が架かってます。





昭和初期まで
こっちが表参道だったようです。

創建年代は不詳で「呉(中国)」の人が
架けたと伝えられてます。

この様式は
中津市の「薦神社」にも見られる他
全国にも少ないそうです。





おぉ!
さっきのヤツかぁ!( ̄▽ ̄)







土産屋参道で





「梅田家」に寄り
名物「宇佐飴」を買おうと思ったら
なんと
「宇佐飴」「宇佐餅」「宇佐だんご」と
三種類もありました。

全部「宇佐名物」らしいので
なら「宇佐だんご」だろう!
と言うことで





糯粉、水飴、きな粉、砂糖、黒糖、醤油

原材料が書いてあります。

黒糖と醤油?


どうでもいいけど
これ、美味すぃー!





帰りに





「葱屋本舗」で
ねぎ焼きを食べようと思ったんですが
閉まってました。












お腹空いた。(´- ̯-`)


























.

USA ④「ざわわ~ざわわ~」

2017-03-28 | 神社仏閣

さて、
中津に来た目的が
もうひとつあります。


かれこれ20年以上の
付き合いになる仲間に
これから会いに行きます。


なんか映画のタイトルみたいですが
そんなコジャレたもんじゃ
ありません。


本人には何も伝えてないですが
自営でこの日が仕事と言うのだけは
知っているので。

まぁ、
あんまりいきなり過ぎても
気の毒いかなと思い
朝からSNS等で近くにいることを
匂わせてはいたんですが
全く気付きやがらんので
ここは強硬手段に出ます。



店に到着。

店の前の駐車場にクルマをとめ
店の中を覗きます。

完全にアヤシイやつです。

誰も居ない。

さっきまでお客人が居た
形跡はある。
時間も時間だから昼ごはんか?

とりあえず
アクションをかけてみる。

しかし
なかなか既読にならない。


5分経過。。。


まだ未読。


まさかシカトか?


10分経過。


まだまだ未読。



オノレの店の前のにおるんじゃ的に
店の写真を録って更に畳み掛ける!



音沙汰なし。


仕方ない、最終手段の電話だ。

電話は相手の時間を取るから
あんまり好きじゃないんですがね。


そう思ってると「ガチャッ」と
扉が開いて出て来た。

どうやらケータイで
店の材料の注文をしてたらしい。


おいおい。
店の材料の注文とワシ、
どっちが大事か天秤にかけるまでもなく
ワシやろがい!

と、心の中で叫びながら店内へ。


30分ほど他愛も無い話をした後
まだ行くとこがあるので
出発すると言うと
「行かないで!」とすがられますが
断腸の思いでそれを振り払い
次に行った先が





「中津からあげ もり山 万田本店」


食い物こそ正義ですよ。


ここは
なかなかの人気店です。

僕は基本醤油ダレ派なんですが
ここは塩ベースです。

それでも
かなりイケます!





これまた大分名物の鶏飯つき!





小腹を満たした後は
わりと近くにある





「薦(こも)神社」へ。


全国八幡宮の総本宮である
「宇佐神宮」の祖宮と言われる
古社らしいです。





なんか壊れたんかな?


参道には





巨樹があります。





見えてきました。






参拝します。











更にもう一社。

「薦神社」からクルマで
10分ほど離れた所の





「八幡鶴市神社」へ。





なかなかの門構えです。

しかも





階段がえげつない。(@_@;)




ここ「八幡鶴市神社」の
名前の由来は
「鶴」と「市太郎」母子の
悲し怖すぎる「人柱伝説」に
あるようです。。。



―――――――――――――

宇佐神宮の神領だった沖代平野は
7人の領主が支配してましたが
耕作のために築いてた井堰が
洪水のために毎年のように
決壊されてたそうです。

そこで対策を練るんですが
協議の結果、人柱を立てることに
なったようです。


怖い・・・


7人の領主は船に乗り
袴を水中に投げて
一番最初に底に沈んだ袴の持ち主を
人柱に決めると言うことで
1人の領主が人柱に決定。

直ちに一室に籠り断食をしていた中、
家臣の娘「鶴」が
「先祖よりの恩に報いるにはこの時」と
身代わりを申し出ました。

その決意は固く1歩も譲らぬ姿に
遂にその思いは受け入れられます。

母子は1週間ほどの断食のあと
白無垢に身を清め輿に乗り井堰へ。

人柱の犠牲の上に井堰は
領民の祈りを込めて強固に作られ
以来洪水にも決壊することなく
母子の霊は八幡神社に合祀され
「八幡鶴市神社」となったそうです。


―――――――――――――




悲し過ぎる。。。(T_T)




ブルブル身体を震わせながら





参拝致しました。


因みにここには
社務所的な所がありませんでした。

見つけきらなかっただけか?













.

USA ③「福澤少年」

2017-03-27 | ぶらぶら。

「中津城」から10分ほど
テクテク歩きます。



城下町なので
マンションの敷地の外壁が






こんな感じです。

シャレオツぅ~。









「福沢諭吉旧居」です。





これですね。

福沢諭吉が生まれて間もない頃に
父親が亡くなったため
母子6人で大坂の中津藩蔵屋敷から
藩地の中津に帰って来たそうです。

最初に住んだ家は
残ってないようですが
この地に残されてる旧居は
晩年に移り住んだものらしいです。


では、入居。





入ってすぐに





「福沢諭吉」の胸像が。


諭吉先生、ごきげんよう。







中は結構広めで
母子6人でも充分な感じですね。


隣には





「土蔵」がありました。

ここの二階で
勉強してたようですね。

中に階段があります。





こう書いてないと
いきなり見てビックリする人が
居るからでしょうね。


結構な急階段ですが・・・






おわっ![°□°]







諭吉が居るとわかってても
階段滑り落ちそうなくらい
ビックリしました。

写真撮るのがちょい怖かったので
実際に見てお確かめ下さいね。



「福沢諭吉記念館」も
併設されております。

館内撮影禁止だったので
お見せできませんが
一万円札の1号劵が
展示してありました。

日本銀行の好意で
中津市に贈られたようです。

他にも記号違いの1号劵が
あるようですが
日本銀行と慶應義塾にも
保存されてるらしいです。
詳しくはよくわかりませんが。






「福沢諭吉記念館」を出て





「福澤通り」を歩きます。


10分ほど歩くと





「渓月堂」が見えてきます。

ここでの目的はコレです。





「壱萬円札お札せんべい」

せんべい自体は
フツーのせんべいですが
中津土産には持ってこいですよね。


自分用の。


右上のは
「豊のころ柿」と言って
干し柿の中に白餡が入ったお菓子です。

柿はあんまり好きではないんですが
「中津銘菓」とか書いてあったんで
ついつい手を出してしまいました。

お、意外とイケる。
柿も甘いし白餡の舌触りもサイコー。

なんだー、柿おいすぃーやん

ヘラヘラしてたのも束の間


「カリッ・・・」






(; ̄ー ̄)...ん?





口から出してみると
種らしき物体が。。。


これはわざとなのか?
若しくは異物混入か?


まぁ、種なので
誤って入ったとしても
なんの問題もないんですが
多分わざと入れてあるんでしょう。


要するにアレでしょ?
骨の周りについた肉がウマイのと
同じ感じで
種の周りの実がウマイ的な。



やっぱり柿は
好きになれんのー。








更にもう1軒。


「渓月堂」から5分のところに





「栗山堂」があります。

ここの「ういろう饅頭」が
美味しいと聞いて
やって来た次第です。

見ての通りの老舗ですよ。

中に入ると
おばあちゃんが出てきます。

「ういろう饅頭」を注文すると
今、出来たのがあるから
ちょっと待っとれと言われ
僅かな待ち時間で
他にどんな商品があるのかと
見回してると
「岡田准一さん来店」と
写真付きで飾ってありました。

慌ててそれを
写真に撮ろうとすると
おばあちゃんが戻って来たので
仕方なくカメラをなおし
財布を出しました。


その「ういろう饅頭」が





これです!

見た目はそのまんま外郎です。
中には何も入ってません。

饅頭と言うから
中に餡子が入ってるかと思ったので
多少のガッカリ感は否めないですが
さすがに美味しい。

何個でもイケる!

「わんこそば」ならぬ
「わんこういろう饅頭」があれば
フォーエバーで
食べ続けられるんじゃないか?















それはムリか。











.

USA ②「お前はもう死んでいる」

2017-03-26 | 神社仏閣

お地蔵様を後にして
そこから走ること約1時間。




大分県は「中津市」に到着。



時刻は午前8時半。


福岡県と大分県の
県境に流れる一級河川「山国川に
架かる「山国大橋」付近にある





「コメダ珈琲店」にIN❗


因みにこれが





「山国川」ですね。




ご注文がお決まりになりましたら
ボタンを押してお知らせください



そのボタン





こんなとこにあります。笑



モーニングで付いてくる
「小倉トースト」が好きなので
たいして味もわからんくせに
ヒーコーを注文します。





「小倉トースト&ヒーコー」です。


そして更に





「フィッシュフライバーガー
&飲みかけヒーコー」です。


いやぁ、
ここに着くまでに
えらいグーグー言うてたので
これくらいは良いでしょう。


食べ盛り並に胃袋が大きいと
何かと得ですわ~笑

バンズのフワッと感
フィッシュのサクッと感も
然ることながら
酸味の少ないソースが
好きなんです。






(´。`)ふー。





さて、活動開始といきます。




クルマで3分。





「中津城」に着きました。





ホントは
砂利とか砂地の駐車場には
とめたくないんですが
神社とか城の駐車場は
コレでいいんです!



先ずは駐車場から入って
すぐにある





「中津大神宮」を参拝。


「中津城跡」の敷地内にあり
伊勢の神宮の大神様の
御分霊を奉斎し
「豊前国の伊勢神宮」として
親しまれてるようです。


ただ今
社務所にて御朱印お願い中です。








次は「中津城」行きます。

って言っても
同じ敷地内なので歩いて1分です。


敷地内には参道の途中にも
幾つか神社はあります。





あれは「城井神社」ですね。











(メ・ん・)?











こっ、これは・・・(* ̄□ ̄*;








シンか⁉



シンの仕業か⁉





おのれ南斗聖拳。。。














天守が見えました。

やはり天守にのぼるには
これくらい血圧上げた方が
いいでしょう。




入口付近には





「黒田官兵衛資料館」もあります。


初代城主の「黒田官兵衛」は
豊前入国当初
「馬が岳城(福岡県行橋市)」を
居城としてましたが
山城では城下町が作れないために
平地に移すことを考え
中津城の築城を開始したそうです。

中津は豊前の国のほぼ中央にあり
周防灘に流れ込む山国川に面していて
川を自然の堀として使える上の
水陸交通の要地だったようです。

「黒田官兵衛」が築いた中津城は
日本三大水城でもあります。


因みに他の二つは
両方とも四国にあり
香川県の「高松城」と
愛媛県の「今治城」です。

勉強になりましたね。( ̄▽ ̄)




では、入城。





天守内は
ほぼクロカン一色でした。
数年前の大河ドラマの時には
かなり盛り上がった感があります。
主演だった岡田くんの写真も
デカデカとありました。


これが
いちばん上からの眺めです。





天守から観る眺めは
いつもながらサイコーですが
周りに高い建物がないと言うのも
またいい感じです。











さて
クロカンの次は
これまた有名なあの人です。


























.