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■晩夏の歳時記(異国慕情)

2021-09-03 | ●歳時記2)

■■■■■■■■■■■■晩夏■■■■■■■■■■■■

■「9月(長月)の歳時記
●季句   秋ちかき心の寄やよ四畳半  芭蕉  
    秋近し黄な斑出来て葉鶏頭  龍之介

季語 残暑、秋暑、秋めく,金秋、三秋、秋立つ、秋澄む、重陽
●時候 白露 秋分 秋社、仲秋 秋めく 秋涼 秋の夜 秋長 
    ・秋は、秋分から12月23日ごろまで
祭事 震災記念日(1日)敬老の日(17日)秋分の日(23日)
     逆髪祭(陰暦23日) 運動会、学園祭、秋行楽 

味覚  かぼちゃ、枝豆、葡萄 栗 無花果 秋茄子、里芋,オクラ、
草花  秋桜、金木犀 芙蓉 萩の花、萩、野菊、すすき
●挨拶  新涼の候、初秋の候、涼秋の候

  
■■■■■主な日本内外の行事(長月)■■■■■■■■
  1日     八朔) 献茶祭・宇治神社 新学期、 
   1日  (防災の日)二百十日
   5日      ●東京パラリンピック閉会式
   7日  白露
   9日  重陽の節句
10日 二百二十日
13日 十五夜
14日 ●国連総会開幕(ニューヨーク) 
16日    ゴルフシニアオープン(山梨)
19日 彼岸の入り
20日   体験型観光の世界会議(北海道)
20日 敬老の日 
21日    十五夜
23日 秋分の日
25日    国民体育大会(三重)
26日 彼岸の明け 
26日   ドイツ連邦議会と下院選挙
30日 管総理任期満了
 
■■■■■タイの行事■■■■■■■■■■■■■■■■
●ナラティワート祭り(ナラティワート県)

 

■■■■■■■■■■■■チェンマイ慕情■■■■■■■■■■■■


●最後にチェンマイを訪れてから、早や5年が経つ。
1999年にチェンマイ・ロングスティプロジェクトに取り組んで以来、
15年の間にほぼ25回ぐらい往復した。想い出は
尽きない。
チェンマイはタイ第2の都市と言われ、タイ北部を代表する古都である。
街の二方を低い山岳で囲まれ、京都と趣を一にする。
人口はチェンマイ県が約160万人、その中のチェンマイ市が約16万人、
の街には
今、米国人約5千人、欧州人約5千人、日本人約4千人の外国人
が定住する世界でも珍しい先進的な国際都市でもある。


その端緒と言えば、古く1955年に始まったベトナム戦争にある。南北ベ
トナムの統治をめぐるこの戦争は、北はソ連、南は米国を巻き込んだ
南北
陣営の代理戦争となり多くの若い米兵が参加した。
彼らは暫くベトナムで戦闘すると、
1ヶ月の休養のために隣国タイの北部
チェンマイの病院やホテルで過ごし、生気を養ったうえで
再び戦場に戻る。
その戦争の死者は、両陣営で数百萬人
と言われるが、米国は1972年のパリ
協定でベトナムから撤収し、長い戦争は終結した

このベトナム戦に参加した若者達は、米国に帰って仕事につき、やがて定年
を迎える。そして
青春時代を過ごしたチェンマイを懐かしんで、ここを
第二の故郷として住み始めるという。


様々な海外の人々の思い出を秘めた古都チェンマイは、古い城壁に囲ま
れた旧市街を中核にして、
四方に広がる。

 
 



この城壁の中には、由緒ある仏閣が200寺程あり、観光には事
欠かない。

 
 

北の山麓には、世界的なリゾートホテルが散在し、欧州や中東の王侯
や富裕層のひとびとが
長期滞在する。

街から南へ車で20分ぐらいのところに、旧い2階建てのチェンマイ空港
がある。
朝早くから夜遅くまで毎時、首都バンコクまで大型機が発着する。
所要時間は約70分、この空港で国際便の搭乗手續もできる

 
街の東側を南北にピン河がながれる。これまた京都の鴨川に似たたたず
まいである。
ピン側の周辺には、東南アジア一を誇る花市場があり、早朝
から朝市で賑わう。



ピン側川の東側には、アートギャラりーやカフェの古い町並みが旅愁を
誘う。
チェンマイの伝統的な雰囲気を伝える「ワロット市場」も異国情緒
で素
晴らしい。

 

 

  

  


NGOタイ国際財団とタイ政府観光庁の肝いりで、世界の旅行業者を招き
毎年のように「チェンマイ・ロングスティのセミナー」が開催され、私も
講師として参画した。その後は分化会が開かれ、日本のシニア事情につい
て市場データを分析しどうすれば市場が拡大するか、戦略的な討議が続いた

タイロングステイ最盛期の、想いでに残るロングスティセミナーの数々である。

 

  

因みに、タイ貨幣バーツの円との兌換率は、嘗ては日本円が、バーツの
約3倍だった。10万円で30万円の現地生活ができるというメリットが
あったが、いまは、タイの中進国化とタイバーツがドルとリンクしている
ため円安に振れると、たちまちタイでは兌換率が落ちて暮らしにくくなる。
まさに国際都市が国際経済の罠にはまるケースが起きて、チェンマイロング
ステイの魅力が失せるという悲しい現実が噴出した。


定年後の老後をチェンマイロングスティに託した人たちは、その後20年

経て 果たしてどうなったか、詳しく知る由もないが、この5年間政府の施策
は、海外の移住政策から、国内の地方移住に大きくシフトしてきた。
かくして、伝統を秘めた古都チェンマイにも、コロナパンデミックの潮流が
押し寄せ、かって栄華を誇ったロングスティの時は去り、また静かな古都の
たたずまいに戻る感じである。其処には、言葉で言い表せない哀感が漂う。
アフターコロナには、もう一度、チェンマイを訪ねたい。

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