
■■■■■■■■■■一休禅寺探訪■■■■■■■■■■■
山寺の扉に雲あそぶ彼岸かな 飯田蛇笏
■「一以貫之」(心をかたちに)
●余寒が緩み,春の気配が深まると,菜の花や梅が咲き誇る。
彼岸には、古都の寺では彼岸会が開かれ、人々は先祖の墓に詣でる。
日本の旧き良きしきたりである。
春が深まると,古都京都の周辺にも訪日外国人の姿が日増しに増えて
くる。 この古都の山寺を訪れる外人は, 総じて何度か日本を訪れた
事のある人たちが多い。
この時期特有の清適さや、自然のもたらすたたずまいを味うために
わざわざこの時期を選んで訪れる、いわゆるこだわりの外国人と言
っていい。
●訪日外国人による日本観光の傾向は「西高東低」そして いわゆ
る「モノ消費」より日本の伝統文化に直接触れる [コト体験の旅」
が多いという。
しかもそのこだわりようといえば尋常ではない。インターネットで
徹底して事前調査する。だから、その知識たるや驚くばかりである。
中には、そのために日本語を学び、日常会話はぺらぺらという人も
少なくない。それだけに日本の伝統文化に格別興味をもつ人が多い。
査証解禁後わずか5年にして、来日訪問客 (インバウンド)2400
万人という大記録をもたらしたのも、このようなこだわりをもつ外
国人が オピニオンリーダーとして、日本観光を牽引している結果と
見ていい。
●先日,日本の禅(ZEN)に詳しいチェンマイの知人から,京都の郊外
京田辺にある名跡の禅寺,酬恩庵一休寺について,尋ねて来た。
一休和尚(禅師)で知られる名跡(みようせき)については、話に聞いて
いたが,いまだ訪れた事はない。
現地に住む知人にお願いして早速訪れることにした。
●大阪から「JR東西線」の快速で,最寄りの京田辺駅まで38分で
着く。この鉄道路線はーーーーー
・JR宝塚線(旧福知山線)
・JR東西線(大阪)
・JR学研都市線(旧片町線)
3路線がつながって運行されるJR西日本ご自慢の「アーバンネット
ワーク」である。快速電車は,大阪市内をかけ抜けると生駒山系の北端
をまわり,北河内の新興都市を繋ぎ、京都南部の田園地帯を通りぬけて,
やがて関西文化学術研究都市(田辺地区)にアクセスする。
車両はパンタグラフ2基装備の最新車両である。地下鉄東西線区間
は,剛体架線のためパンタグラフ2基が使われるが、他の区間では
パンタグラフ1基が下降して1基使用となる。
この辺の事は、乗客には解らないが,てっちゃん(鉄道マニア)にとっ
ては,垂涎の話題らしい。
■「臨済宗一休寺」
●大阪と奈良の県境にほど近い京田辺市に,一休和尚がこよなく愛し
た酬恩庵一休寺がある。
この辺りは,日本屈指の銘茶,玉露の大産地である。この寺は臨済宗の
高僧大応国師が,鎌倉時代に「妙勝寺」として創建したが、元弘の乱
の戦禍で荒れ果てた寺を,大応国師6代の孫に当る一休禅師が再興し
たと伝えられている。
この一休禅師は後小松天皇の落胤で,6歳にして仏門に入り諸国放浪
によって修業を積み,晩年,酬恩庵(一休寺)に定住して,禅師として多く
の功績をのこし「一休さん」として万人から慕われたという。
一休和尚が生きたのは,応仁の乱(1467~)の頃いわゆる戦乱の時で、
当時の僧侶は総じて保身と蓄財に走り, 禅の教も形骸化していた。
にも拘らず一休和尚は,禅の持つ気概をもう一度取り戻そうと必死に
考えていたという。
●戦乱で飢えた農民を助けるため,たんぱく質が豊富な「一休寺納豆」
を開発し,その製法を広く農民に伝えた。その「一休寺納豆」は 今も
一休寺名物として多くの人々に愛用されている。
また一休和尚は,説話「一休伽」で評判になり,「頓智の一休さん」
と慕われたが「物事はなるようになる。心配するな」という
一休禅師の教えは,混濁の世相が渦巻く今でも未来を拓く人々へのエー
ルとして生きている。
●一休和尚は,形式や権力を徹底的に否定し、新たな日本文化の礎を
築いたという。
一休さんは生前,京都東山にあった茶室造りの「虎丘庵」を,時の戦乱
から守るために移築。 侘茶の創始者村田珠光や能役者の金春禅竹ら
当時の著名な文化人と交流をふかめた。
なかでも,能,,蓮,茶の湯など 日本を代表する芸術や文化は 一休さんに
よって大きく華開いたといわれる。
そして 反骨の気概で常識にとらわれない一休和尚のもとには,いつも
多くの文化人が集い,一休寺は 中世日本の文化サロンの様相を呈した
という。
●今に伝わる一休寺の名刹たる所以は、
・北庭の禅院枯山水、
・蓬莱庭園
はじめ枚挙にいとまがない。
加賀藩主前田家が寄進した方丈や玄関の唐門,
当時江戸初期の先端的な文化人が作庭した方丈庭園、
中でも虎丘庵を背景にした南庭は,四季おりおりの自然美を取り込ん
だ禅苑庭園として,訪れる人たちを悠久の侘び寂びの絶妙の境地に誘
ってくれる。
庭に沿う欄干に佇んで,枯山水の禅苑を見つめていると,はるか鎌倉か
ら室町へと移ろう戦乱の頃に、一休禅師が多くの人々のために説いた
「物事はなるようになる」という達観した禅の境地が,読めてく
る。
■「洗心」(禅を求めて)
●「全ての西洋文明に対して,言葉以前の世界にもう一度戻ろうとする
こと、それが禅だと思う」生物学者の福岡伸一さんは、語っているが、
全てが色彩に覆われる騒雑な中に生きる海外の人びとは、静寂な無を
求める禅に触れることで、何処までも深淵な空間の中に研ぎ澄まされた
空(くう)の世界を発見して,改めて心への回帰を自覚するという。
私が訪れたころ,ここを訪れていたのは、年配の日本人と欧米人だった。
いまよく言われる 訪日外国人の「コト志向」 の典型的な事例に思え
てきた。
京都や奈良市中の著名な名刹と異なり,郊外の小さな古い禅寺に世界
から観光のまなざしが向くというのは, 極めて異例の事でうれしい限
りである。
●「今をいかに生きるか」
その答えを探す鍵が「禅」にあるといわれる。
一休寺では,訪れる人たちのために住職による座禅会や,特別法話を定
期的に開いているという。
禅画,座禅で心を洗いそして[やめない。考えない。迷わない」
いわゆる禅の教えの手ほどきを受けて,新しい心の眼を大きくひらく
事を海外の知人にも勧めたいと思う。
●1481年,88歳で他界した一休和尚は, 後小松天皇の落胤として,この
一休寺の参道の一角にある菊の御紋輝く宮内庁墓所に眠る。
1982年ヒットしたテレビアニメ「一休さん」は、大人が子供に見せた
いアニメとして,常に第1位の座を閉めた事でも有名だが,後に海外でも
放映され,これを見て一休寺を訪れる外国人も多いという。
●いま日本のシニアの間にリカレント(学び直し)の波が押しよして
いる。中でも格別、日本史はじめ世界史や地政学が人気だと聞く。
文明開化の明治維新から150年、戦後73年の戦後史など特に世界の中
の日本の足跡を詳しく理解し把握しないと、これからの日本やこれか
らの暮らしの行方が読みずらいという事だろうか。
海外の人達が,単なる観光ではなく「コト志向」で日本を何回となく
訪ねる本当の理由がよくわかってきた。
■「禅の言葉」(禅語)
●禅は,人生の処方箋といわれる。禅では言葉より実践が大切と説く。
特に謂れある古寺を訪ね,禅僧の生き方を学び偲ぶのもよかろう。
茶道、華道,能や狂言、精進料理など日本文化として根ずいている
ものには、禅に由来するものが多い .
最近では,海外の先進国でも心への回帰を求めて日本の禅の教えや禅
語を学ぶ経営講座が人気だという。
●[心をかたちにする禅の言葉](基本用語)
・「日々是好日] (にちにちこれこうじつ)いつの日もいい日と言えますか。
・「照顧脚下仏](そくしんぜぶつ) 各人の心がそのまま仏である。禅の核心、
・「警覚策励」 (けいかくさくれい)座禅、励ましで修行僧を打つ樫の棒、
・「公案」 (こうあん) 禅問答の問題, 禅の「境地をふかめる、
・「看話禅」 (かんなぜん) 公案に答える事で悟りの境地を深める事、
・「只管打坐」 (しかんたざ) ただひたすら座禅に打ち込む
・「師家」 (しけ) 修行僧の師となる僧のこと、
・「法堂} (はっとう) 禅宗の伽藍の中心的建物、
・「喫茶去」 (きっさこ) 嫌いな人にも一杯のお茶を差し出す余裕。
・「明珠在掌」 (めいじゅたなごころにあり)あなたは幸せをつかんでいるのに。
・「我逢人」 (がほうじん) 人と逢うことから全てが始まる。
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