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「21世紀はアジアとの時代」 (Jtiro🔴Jpn) SDGs.Webサイト(Editor: K.Yamada)

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■一休和尚(一休禅寺探訪)

2018-03-22 | ●日本の神社仏閣

■■■■■■■■■一休禅寺探訪■■■■■■■■■■■

         山寺の扉に雲あそぶ彼岸かな  飯田蛇笏

一以貫之心をかたちに

余寒が緩み,春の気配が深まると,菜の花や梅が咲き誇る。
彼岸には、
古都の寺では彼岸会が開かれ、人々は先祖の墓に詣でる。
日本の旧き
良きしきたりである。
春が深まると,古都京都の周辺にも訪日外国人の姿が日増しに増えて
くる。 この古都の山寺を訪れる外人は, 総じて何度か日本を訪れた
事のある人たちが多い。
この時期特有の清適さや、自然のもたらすたたずまいを味うために
わざわざこの時期を選んで訪れる、いわゆるこだわりの外国人と言
っていい。
訪日外国人による日本観光の傾向は「西高東低」そして いわゆ
る「モノ消費」より日本の伝統文化に直接触れる [コト体験の旅
が多いという。

しかもそのこだわりようといえば尋常ではない。インターネットで
徹底して事前調査する。だから、その知識たるや驚くばかりである。
中には、そのために日本語を学び、日常会話はぺらぺらという人も
少なくない。それだけに日本の伝統文化に格別興味をもつ人が多い。

査証解禁後わずか5年にして、来日訪問客 (インバウンド)2400
万人という大記録をもたらしたのも、このようなこだわりをもつ外
国人が オピニオンリーダーとして、日本観光を牽引している結果と
見ていい。
   
先日,日本の禅(ZEN)に詳しいチェンマイの知人から,京都の郊外
京田辺にある名跡の禅寺,酬恩庵一休寺について,尋ねて来た。
一休和尚(禅師)で知られる名跡(みようせき)については、話に聞いて
いたが,いまだ訪れた事はない。
現地に住む知人にお願いして早速訪れることにした。

  

大阪から「JR東西線」の快速で,最寄りの京田辺駅まで38分で
着く。この鉄道路線はーーーーー
・JR宝塚線(旧福知山線)
・JR東西線(大阪)
・JR学研都市線(旧片町線)
3路線がつながって運行されるJR西日本ご自慢の
アーバンネット
ワーク
」である。快速電車は,大阪市内をかけ抜けると生駒山系の北端
をまわり,北河内の新興都市を繋ぎ、京都南部の田園地帯を通りぬけて,
やがて関西文化学術研究都市(田辺地区)にアクセスする。

車両はパンタグラフ2基装備の最新車両である。地下鉄東西線区間
は,剛体架線のためパンタグラフ2基が使われるが、他の区間では
パンタグラフ1基が下降して1基使用となる。 
この辺の事は、乗客には解らないが,てっちゃん(鉄道マニア)にとっ
ては,垂涎の話題らしい。

■「臨済宗一休寺
大阪と奈良の県境にほど近い京田辺市に,一休和尚がこよなく愛し
恩庵一休寺がある。
この辺りは,日本屈指の銘茶,玉露の大産地である。
この寺は臨済宗の
高僧大応国師が,鎌倉時代に「妙勝寺」として創建したが、元弘の乱
の戦禍で荒れ果てた寺を,大応国師6代の孫に当る一休禅師が再興し
たと伝えられている。



 

この一休禅師は後小松天皇の落胤で,6歳にして仏門に入り諸国放浪
によって修業を積み,晩年,酬恩庵(一休寺)に定住して,禅師として多

の功績をのこし「一休さん」として万人から慕われたという

一休和尚が生きたのは,応仁の乱(1467~)の頃いわゆる戦乱の時で、
当時の僧侶は総じて保身と蓄財に走り, 禅の教も形骸化していた。
にも拘らず一休和尚
は,禅の持つ気概をもう一度取り戻そうと必死に
考えていたという。

戦乱で飢えた農民を助けるため,たんぱく質が豊富な「一休寺納豆
を開発し,その製法を広く農民に伝えた。その「一休寺納豆」は 今も
休寺名物として多くの人々に愛用されている。
また一休和尚は,説話「一休伽」で評判になり,「頓智の一休さん
と慕われたが「物事はなるようになる。心配するなという
一休禅
師の教えは,混濁の世相が渦巻く今でも未来を拓く人々へのエー
ルとして生きている。

一休和尚は,形式や権力を徹底的に否定し、新たな日本文化の礎を
いたという。
 

一休さんは生前,京都東山にあった茶室造りの「虎丘庵」を,時の戦乱
ら守るために移築。 侘茶の創始者村田珠光や能役者の金春禅竹ら
当時の著名な文化人と交流をふかめた。

なかでも,能,,蓮,茶の湯など 日本を代表する芸術や文化は 一休さんに
よって大きく華開いたといわれる

そして 反骨の気概で常識にとら
われない一休和尚のもとには,いつも
多くの文化人が集い,一休寺は 中
世日本の文化サロンの様相を呈した
という。

 
 今に伝わる一休寺の名刹たる所以は、
北庭の禅院枯山水
蓬莱庭園
はじめ枚挙にいとまがない。
加賀藩主前田家が寄進した方丈や玄関の唐門,
当時江戸初期の先端
的な文化人が作庭した方丈庭園
中でも虎丘庵を背景にした南庭は,四季おりおりの自然美を取り込ん
だ禅苑
庭園として,訪れる人たちを悠久の侘び寂びの絶妙の境地に誘
ってくれ
る。

庭に沿う欄干に佇んで,枯山水の禅苑を見つめていると,はるか鎌倉
ら室町へと移ろう戦乱の頃に、一休禅師が多くの人々のために説いた
物事はなるよ
うになる」という達観した禅の境地が,読めてく
る。

■「洗心禅を求めて
全ての西洋文明に対して,言葉以前の世界にもう一度戻ろうとする
こと、それが禅だと思う
生物学者の福岡伸一さんは、語っているが、
全てが色彩に覆われる騒雑な中に生きる海外の人びとは、静寂な無を
求める禅に触れることで、何処までも深淵な空間の中に研ぎ澄まされた
空(くう)の世界を発見して,改めて心への回帰を自覚するという

私が訪れたころ,ここを訪れていたのは、
年配の日本人と欧米人だった。
いまよく言われる 訪日外国人の「コト志向」 の典型的な事例に思え
てきた。
京都や奈良市中の著名な名刹と異なり,郊外の小さな古い禅寺に世界
から観光のまなざしが向くというのは, 極めて異例の事でうれしい限
りである。

●「今をいかに生きるか
その答えを探す鍵が「」にあるといわれる。
一休寺では,訪れる人たちのために住職による座禅会や,特別法話を定
期的に開いているという

禅画,座禅で心を洗いそして[やめない。考えない。迷わない
いわゆる禅の教えの手ほどきを受けて,新しい心の眼を大きくひらく
事を海外の知人にも勧めたいと思う。
1481年,88歳で他界した一休和尚は, 後小松天皇の落胤として,
一休寺の参道の一角にある菊の御紋輝く宮内庁墓所に眠る。


1982年ヒットしたテレビアニメ「一休さん」は、大人が子供に見せた
いアニメとして,常に第1位の座を閉めた事でも
有名だが,後に海外で
放映され,これを見て一休寺を訪れる外国人も多いという。
 
いま日本のシニアの間にリカレント(学び直し)の波が押しよして
いる。中でも格別、
日本史はじめ世界史や地政学が人気だと聞く。
文明開化の明治維新から150
年、戦後73年の戦後史など特に世界の
の日本の足跡
を詳しく理解し把握しないと、これからの日本やこれか
らの暮らしの行方が読
みずらいという事だろうか。
海外の人達が,単なる観光ではなく「コト志向」で日本を何回となく
訪ねる
本当の理由がよくわかってきた


   
禅の言葉」(禅語)
禅は,人生の処方箋といわれる。禅では言葉より実践が大切と説く
特に謂れある古寺を訪ね,禅僧の生き方を学び偲ぶのもよかろう。
茶道、華道,能や狂言、精進料理など日本文化として根ずいている
ものには、禅に由来するものが多い .
最近では,海外の先進国でも心への回帰を求めて日本の禅の教えや禅
語を学ぶ経営講座が人気だという。


[心をかたちにする禅の言葉](基本用語)
・「日々是好日]  (にちにちこれこうじつ)いつの日もいい日と言えますか。
・「照顧脚下
](そくしんぜぶつ)    各人の心がそのまま仏である。禅の核心、
・「警覚策励」  (けいかくさくれい)座禅、励ましで修行僧を打つ樫の棒、
・「公案」    (こうあん)      
禅問答の問題, 禅の「境地をふかめる、
・「看話禅」   (かんなぜん)         公案に答える事で悟りの境地を深める事、  
・「只管打坐」  (しかんたざ)    ただひたすら座禅に打ち込む
・「師家」    (しけ)          修行僧の師となる僧のこと、
・「法堂}    (はっとう)        禅宗の伽藍の中心的建物、   
・「喫茶去」   (きっさこ)     嫌いな人にも一杯のお茶を差し出す余裕。
・「明珠在掌」  (めいじゅたなごころにあり)あなたは幸せをつかんでいるのに。
・「我逢人」   (がほうじん)      人と逢うことから全てが始まる。

   


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