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■能楽を嗜む

2022-05-09 | ●北條語録

■■■■■■■■■■■■能楽を嗜む■■■■■■■■■■■


北条俊彦
経営コンサルタント・前 住友電工タイ社長
■■「能楽 事始め
私は学生時代に能を少しかじった。流派は観世流である
友人に能楽師の子息もおり、特に謡いには性根を入れて互いに
鍛えあったものである。おかげで今も声は良く出る。

時代劇などでサムライが夜道に悠然と謡う姿を見た方もおられ
るだろうが、我が学生時代も友人と夜、大学からの
帰り道、扇
を手に謡いに興じることが多々あったがご近所
から苦情を言わ
れることはなかったと記憶している。
今と違い世の中いたって
おおらかだった。

学生時代の自演会では「小鍛冶」を演能したことは今も強く
憶に残っている。

“蛙の子は蛙“ 友は今能楽師になっているが、学生時代に黒澤明
監督映画「影武者」で能のシーンに出演したのが 
プロになろう
としたきっかけのようだ。
能の演目は「田村」で
武田信玄が野田城攻めの陣で薪能を鑑賞
するシーンで
あったと記憶する。


能の演目の多くは前場と後場の二部構成になっており、前半部
分の静かな雰囲気と後半部分の激しい動きの差
を楽しむことが
できる。

前場では主役(シテ)はあまり動かず、語りが先立ち謡いの
かせどころが多く、ゆっくりしたリズムを奏でる囃子は心地

いが、未熟な私はよく心地良い眠りに誘われた(笑)。


前場は全体として静かで哀しい雰囲気を醸成している
後場は主役(シテ)の動きが激しく、力強い謡いとテンポの
い囃子に合わせた主役(シテ)の舞は躍動感あり見どころ
も多
い。

静から動)“その変化の醍醐味は中々のものである。
船弁慶、土蜘蛛は変化の醍醐味を楽しめる演目である。


私は「俊寛」が特に好きである。
「俊寛」は「平家物語
に描かれた俊寛僧都の悲劇を舞台化し
た能である。
俊寛は平家打倒の陰謀が密告により露見し鹿ヶ谷
で捉え
られ、藤原成経、平康頼と共に異界の地鬼界ヶ島に配流
なる。
流人生活に打ち沈む日々の中、俊寛は同志の存在
だけが心の拠
り所となっていた。
京の都を懐かしみ赦免の日を心待ちに、水
を酒になぞらえ
同志と酌み交わす俊寛は、配流地での悲惨な日
々の中
にわずかながらも心のゆとりを見出すのであった。

ある日、
待ちに待った赦免船が都から使わされてきた。赦免と
都へ
の帰還を期待した俊寛であったが、瞬時にしてその期待は
裏切られた。赦免状には彼の名前だけが記されていなかった
である。
何度も赦免状を読み返すが、やはりどこにも彼の名
は無く俊寛
はただただ悲しみに打ち震えるばかりであった。


 やがて、同志とも別れ孤島に独り取り残され、絶望の淵に突き
落とされた俊寛の究極の哀れさは、我々観るものの心
を深く打
つ演目である。

主役(シテ)の被る能面は俊寛の心の全てを映し出しており、
また その静かな主役(シテ)の動作ひとつひとつに寂寥、孤独、
疑心、期待、悲しみ、絶望といった 心の変化が象徴的に表現
れている。是非、ご鑑賞頂きたい。



■■「風姿花伝
能楽とは式三番(翁) 能と狂言を包含する総称であるが、
能楽は江戸時代迄猿楽と呼ばれていた。その源流は奈良時代
遡り、大陸から渡来した「散楽」が多様な芸能として進化し、
日本風に「猿楽/申楽(さるがく/さるごう)」と呼ばれるよう
になり
時代の変化のもと世相を捉えた風刺笑劇として発達、後
々狂言
に発展していった。

一方、鎌倉時代に農村部から生まれた「田楽」が流行し、猿楽
互いに影響しあってきたが、室町時代に観阿弥・世阿弥親子
登場により、より芸術性の高い舞台芸能へと大成されたので
ある。

特に世阿弥は、将軍足利義満の庇護も受け、父の志した「幽玄
を理想とする歌舞主体の芸能に磨き上げ「複式夢幻能」という
スタ
イルを完成させている。

観阿弥がこころざし、世阿弥が完成させた「幽玄(ゆうげん)」
とは
物事の趣が奥深くはかりしれないこと
またその様(さま)
を表現する言葉として文芸・絵画・芸能など
日本文化の基層
となる理念の一つで、日本人の精神的支柱とな
っていることは
周知の認めるところである。

本来は仏教や老荘思想で用いられた漢語であったようだが、歌人
藤原俊成により、和歌を批評する用語として、有心(
うしん)とと
もに歌道の理念として用いられた。

その後、能楽・禅・連歌・茶道・俳諧など中世・近世以降日本の
芸術文化に影響を与え続けている。

世阿弥元清は、観阿弥の息子として生まれ、才能豊かな能役
として、また作者として幽玄の美を追求する優れた演目を 数
多く世
に残している。世阿弥が生み出した「複式夢幻能」 形式
は、時間が
過去と現在に自在に交差しうる高度な作劇法である。
世阿弥は、政治的権力に翻弄され  後に佐渡へ配流となり悲運な
晩年をおくるが  「風姿花伝」「花鏡」「申楽談義」など多くの
伝書を
残している。

風姿花伝」は世阿弥が記した能楽の理論書で世阿弥の残した
21種の伝書のうち最初の作品である。父観阿弥の教えを基に能の
修行法・心得・演技論・演出論・歴史・能の美学など    世阿弥が
会得
した芸道の視点から解釈を加えた著述になっており 「幽玄」
「花」「物
真似」といった能の神髄を語る表現はここにその典拠
がある。

能は演劇として現在も演じられる世界で最も古い舞台芸能と
して
現在、ユネスコ無形文化遺産に登録されているが その典拠
には
「源氏物語」「平家物語」「義経記」「伊勢物語」「大和
物語」
「今昔物語」「曽我物語」等がある。また、主役(シテ)
の役柄に
よって能は大きく、
(しん)」
(なん)」
(にょ)」
(きょう)」
(き)」
の5つに分類される。


能舞台でのもう一つの主役「能面」は曲の演出を左右する重
要な
存在で、能役者は「おもて」と呼び大切に扱う。
面をつけるのは主役
(シテ)の特権である。素顔で演じる曲もあ
るが、その場合では「直面(
ひためん)」と呼び役者は面をつけた
つもりで演じる。面は 生きた人間の
表情を表現し、人間の魂と心
が宿っていると考えられている。

 
面は大きく7種類に分けられるが、細分すると200種にものぼる
そうだ。

また、能囃子を構成する四種楽器の役割も大きい。
 
能笛(のうてき、
能管ともいう)」は、唯一のメロデイ楽器で吹
く強さによってオクターブの
音階がでる。
小鼓(こつづみ)」は、その日の天気で音が変わるデリケート
な楽器で馬の皮と櫻の胴で出来ている。
大鼓」は、小鼓と同じ材料でできているが、周りをリードする
男性的な
楽器で大皮(おおかわ)とも呼ばれる。
太鼓」は、ここ一番で登場し曲のクライマックス部分に活躍、
他の打楽器
と違い牛の皮を使用している。この四種楽器を「四
拍子(しびょうし)」という。


■■「
幽玄に浸る
能楽堂は演能の舞台として、独特の雰囲気を醸し出し観客を
幽玄」の
世界へ誘ってくれる。屋内でも屋根があり、舞台の
大きさは6m四方で、
大きく張りだした舞台と廊下のような「橋
がかり」の部分からなっており、主人公の登場のときなど 遠近
感がより出し易くなっている。
観客席を見所(けんしょ)といい舞台を正面・脇・斜めからの3
方で取り
囲む独特の造りとなっている。  


 
外国要人(国賓・公賓等)の接遇に日本文化の粋を集めた“おも
てなし”で能や歌舞伎などを催すことが多いが、
タイのプミポン
前国王夫妻が1963年に国賓として我が国を
訪問されたとき薪能
を鑑賞されたと記録にある。

 
● タイの伝統芸能にも、仮面を被って踊りつつお芝居をする
仮面
舞踏劇(コーン)があり、古くから王室の重要な催しで
演じられ
てきた。
神、王、女性の役以外は仮面を被り、その豪華絢爛な衣装と眩
いばかりの金の冠(仏塔を表現)は実に美しい。

また「指先の技術」と言われ指や指先の繊細な動きはタイ舞踏
の大きな特徴の一つであり、美しい指先と身体全体の
曲線美で
あらゆるものを表現するのである。

代表的な作品にはインドの叙事詩「ラーマーヤナ」を題材に
した「ラーマキエン物語」が有名である。
新型コロナウイルス感染拡大の影響はタイの芸術文化にも及んで
おり、伝統舞踏劇を観劇しながらデイナーを楽しめた
「サイアム
ニラミット」が昨年、残念ながら完全閉鎖になってし
まったよう
だ。

                 

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