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■致良知

2021-06-18 | ●北條語録

■■■■■■■■■■■■良知の世界■■■■■■■■■■■■

 
     ・北条俊彦
        ●経営コンサルタント ●前 住友電工タイ社長


■「ドナルド・キーンと日本文化の出会い
渡辺崋山といえば私はドナルド・キーンを直ぐに連想する。
ドナルド・キーンはご承知の通り東北大震災を機に日本に帰化
した日本文学・文化研究の第一人者である。

日本名はキーンドナルド、通称“鬼怒鳴門“は日本の肖像画を大
きく変えた画家でもある思想家渡辺崋山を一番知りたか
ったと
云い2006年に英語で「渡辺崋山」を著している。

    ●文化勲章を受章したドナルド・キーン博士
新日曜美術館「この人が語る“私の愛する画家”」では渡辺崋山
への思いを熱く語っている。

著書「渡辺崋山」では彼の日本文化の研究遍歴と崋山の人生
重ね合わせて語られており興味深い。翻訳本は翌2007年

新潮社から発刊されている。


キーンドナルドの日本文学に興味をもつたきっかけはウエーリ
の「源氏物語」との出会いからだが、96歳で日本人として
亡く
なるまでの生涯において数多くの翻訳や著作を手がけてい
る。


ドナルドキーン著作集(全15巻)」も発刊されており、少
しでも
キーンドナルドの作品に触れ日本文化の恩人である彼の
偉大
な業績を振り返って頂ければ彼の愛読者として甚幸である。

因みに私は彼の著書では「渡辺崋山」と共に「足利義政」が
好きである。現代に連綿と続く日本人の美意識を形成した東山
文化が、政治的に無能な将軍によってどのようにして生
まれた
のか鋭いタッチで描かれており興味深い内容となっている。


渡辺
崋山への想い
渡辺崋山は私が最も尊敬する代表的日本人の一人である。
愛知県渥美半島に位置する石高1万2千石譜代の小藩、田原藩
の家老であり、画家でもあった。
彼が画業を始めたのは小禄故
の極貧の中、生活を支える
ためであった。
絵画の師は谷文晁であり、崋山代表作の「鷹見泉石像」は国宝
となっている。学問にも優れ18歳の時、昌平坂学問所
では佐
藤一斎から教えを受け、後には松崎謙堂からも教えを
受けてい
る。

田原藩は当時財政破綻し、倒産寸前であったが、崋山は家老
として藩政改革に取り組んだのである。
藩内では綱紀
粛正と倹約の徹底、格高制の導入、そして、佐藤
信淵に
農学を学び積極的な地域産業振興で増収を図っている。
領民救済のため農政学者大蔵永常を田原に招き、農作物の品種
改良と害虫駆除対策を行った。
また、飢饉時の救民のための義
倉「報民倉」を築き、天保
の大飢饉では藩内から一人の餓死者
や逃亡者を出すこと
なく乗り切り、後に幕府より、唯一田原藩
だけが顕彰され
ている。
また尚歯会のメンバーとして、当時一流の洋(蘭)学者、儒学
者達との交遊を重ねた(メンバーであった韮山代官江川英龍な
どは崋山から砲術を学んでいる)。


その後、モリソン号事件を受け著した「慎機論」が幕府の
逆鱗
に触れ罪に問われた(蛮社の獄)。師の松崎謙堂の
赦免運動も
あり蟄居処分となったが、謹慎中の極貧生活
の中で絵を生業し
ているとの讒訴を受け藩への迷惑を慮り
「不忠不孝渡辺登」と
遺書を残し自害する下りは
皆さん良くご存知のことだと思いま
す。
因みに遺書では長男立に祖母や母への孝行と飢死るとも
二君に仕ふべからず」と藩主への忠誠
と奉公を尽くしなさいと
言い遺している。


話は少し逸れるが、蛮社の獄は、時代劇の悪役スター鳥居甲
斐守耀蔵が大きく関わっている。
耀蔵は儒学者林述斎の子であ
ったが、生来保守的
な思想の影響を大きく受けておりまた江戸
湾測量
時に江川英龍との対立から、江川英龍=洋学者として憎
悪し、目付役として多くの洋学者を徹底的に
捕縛弾圧した。

彼は陰湿で奸謀を繞らし、また、密偵(狗)を使って洋学者を
徹底的に且つ執拗に取り締まり、耀蔵自身
幕府の走狗とし化し
ていたのである。

南町奉行となった同時期、江戸庶民に人気の“金さん“北町奉行
遠山左衛門尉景元と比較され、鳥居耀蔵
は官名の甲斐守と耀蔵
を捩って“耀甲斐(妖怪)”と
渾名され江戸庶民からはひどく嫌
悪された。

幕府の走狗として暗躍した耀蔵だが、幕府内での
権力闘争の結
果、返り咲いた老中水野忠邦により、
後に職務怠慢・不正を罪
状として全財産没収の
上、讃岐丸亀藩へ永のお預けとなってい
る。
後に明治新政府より恩赦を受けるまで実に20年間、讃岐
丸亀に幽閉されていた。
幽閉中に妖怪が“讃岐饂飩“を食べたか
どうかは定か
で無い。


田原城二の丸跡には、崋山に関係する作品や資料などを展示
収蔵する田原市博物館が存在する。

2017年よりキーンドナルドが名誉館長に就任していたが、収
蔵品の中で私は「一掃百態図」が好き
であった。江戸庶民の生活
百態を描いたスケッチ集
だが崋山26歳の作である。人の動き
1つ1つが描き
得て絶妙なのだ。是非、ご覧あれ。
崋山の墓は田原城下南端の城宝寺に彼の句碑とともに立つ。
“見よや春 大地も享(とお)す 地虫さえ” 
彼の覚悟と気魄
の伝わってくる、崋山26歳の作である。

田原ハ 武ヲ講シ徳ヲ敷キ 天地ノ間ニ独立致 掌大ノ地ヲ
百世ニ存候様御工夫第一也 何テモ徳ニ無之テハ
危シ(崋山)」
これは、崋山が田原藩国家老に宛てた
天保9年の手紙の一節だが、
今の時代を生き抜くため
には、小藩とはいえ「文武両道を範とし、
立派な人格の道を広げ、世界の
中で自治独立し、小さな土地では
あるが永世に存続できるよう
工夫する事が第一である。また何を
するにも 徳が行われ
なければ危うい」と説いている。

佐久間象山を通して繋がる越後長岡藩家老河合継之助は薩長新政
府に対抗し「獨立特行(中立)」を主張、北越戦争
(戊辰戦争)
で領国を焦土と化し、領民に塗炭の苦しみを与
えてしまった。
しかし崋山は「治世の基本は武ではなく徳」、即ち「修身斉家
治国平天下」を説いている。当然ながら崋山の
治世において徳
の対象はあくまでも領民である。この理念
は現代経営において
もおおいに参考にすべきであろう。

■「深まる
忠恕の心
人間が人間が本具する「良知」とは意識や自覚なき中で人が
真実
と正義なるものを求める事。そしてこれを「致す」即ち、
完成する、
発揮する、実践する。王陽明の唱えた「致良知」で
ある。
朱子学のいう観念の世界ではなく、現実の中で実践する
致良知」=「知行合一」が崋山治世の骨格をなすものであ
る。

最後に「経営に必要なことは?」との問いに、私は必ず先程
の崋山の国家老への手紙の一節を紹介している。

何となれば 崋山の政治観は経営の基本に通じるものであるから。
また 次のことも合わせてお話させて頂いている。
経営には論語
に云う「忠恕の心」が大切である。

自分の心に忠実であり、他人に対する思いやりの深さ
である
恕の心」とは、「仁の心であり人の道」である。

世の中において、人の従うべき規範を道といい、それを体得して
こそ徳と成ると言われる通り、道徳とは道を説き、
道を解くこと、
また、道を得ることそして徳と成る事。
経営もまた同じかと。 

         

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