乗り込んだ小笠原丸のデッキから撮影した硫黄島の釜岩の上陸地点の写真です。この撮影した時間の少し前に、この地点から、艀に乗り込んだ場所です。既に艀を使っての小笠原丸への乗り移りは完了して、片付けが始まっている時点です。小笠原丸でも出航に向けての慌しい作業が続きます。
小笠原丸で硫黄島を離れる前です。私たちの乗船が終わって、ブイを外して回収したり、その後で艀を小笠原丸に乗せたりという作業が続きます。漁師の人が艀から飛び込んでブイに乗ってロープを外したり、クレーンで艀を吊り上げたりというめったに見れない珍しい光景を見ることができます。この写真は、船尾側で作業をしている艀と、その向こう側に見えるのは、硫黄島と陸続きになって岬になっている釜岩の先端部分です。釜岩は隆起で硫黄島とつながる前の戦前には、沖合いの小島でした。
乗り込んだ直後の小笠原丸のデッキから、間もなく離れる硫黄島の摺鉢山を撮った写真です。夕方ですが、まだ日没までは時間があるこの時間は慌しいです。乗り込んですぐに船室に荷物を運び、猛暑の中での1日の硫黄島での活動で汗と泥まみれですので、小笠原丸船内シャワーを浴びます。その後、艀やブイなどを回収したりして出航に備える作業の様子を見て写真に撮ったりしながら、出航に備えます。この後、小笠原丸が動きだすと1時間ほどかけて硫黄島を一周して、その間に船上から慰霊の献花をして、英霊の御霊のご冥福をお祈りして、また来ることを誓います。
艀から降りて、ここから小笠原丸に乗り込みます。小笠原丸の左舷の船尾側のここに、艀が横付けされて、まずは、海の上に浮いているフロート部分に飛び移ってから、ゆっくりと落ち着いて開口部から船内に入ります。昨年は船の揺れが大きかったので、フロートから開口部を通って船内に入るタイミングが難しかったです。海面に浮いているフロートに対して船が左右に揺れると開口部が上下に大きく上がったり下がったりしていたからで、タイミングを間違えると大変なことになりそうな状況でした。今年は揺れがなかったので、楽に乗り込むことができました。手伝って下さる方を含めて大変な乗り降りだと思いますが、実際には落ち着いて指示に従えば、私たちにとっては、どうということはありません。もっとお年寄りで90歳近い足腰も弱ってきている参加者も、毎年、無事に乗り降りできています。
硫黄島の釜岩から艀で沖合いに停泊している小笠原丸に送ってもらっている時に撮った写真です。今年は、波やうねりが無くて海面は静かでしたが、かなりのスピードで進む艀は揺れますので、なかなかまっすぐな写真を撮るのが難しいです。何枚も撮ったうちの、うまく撮れた1枚です。このような小笠原丸の雄姿の写真を撮れるチャンスは貴重ですので、これも自分でも気に入っている写真です。
硫黄島をいよいよ離れて、釜岩から小笠原丸まで、艀で送ってもらっている時に、対岸の沈船群を撮った写真を紹介します。これも以前は海中にあったものが隆起で陸上に出てきたものです。このコンクリート船は、戦後に米軍がこのあたりに埋め立て工事をして港湾設備を建設しようという狙いで埋め立てる基礎とするために持ってきて沈めたものと言われています。その後、この辺りの潮の流れが激しくて港湾建設には不向きと断念されて放置された残骸だそうです。今でも、硫黄島には港湾がありません。
ここが、私たちが、硫黄島に上陸する時には小笠原丸から乗せてきてくれた艀から上陸して、硫黄島を離れて小笠原丸まで送ってもらう時には艀に乗る場所です。重機なども出て安全に乗り降りができるように整備してもらっています。私たちの訪問の時以外にも、この釜岩という場所から建築資材などを陸揚げしているようです。毎年、少しずつ場所が変わっていますので、都度、行く直前に整備をして下さっているのだと思います。一泊分の荷物や、島で採取した植物などのお土産など、かなりの荷物を持って、艀に乗り込みます。