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戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2010年3月 硫黄島 慰霊墓参訪問(7) 擂鉢山の山頂からの全景

2010年03月28日 | 硫黄島・小笠原村
擂鉢山の山頂の、米軍の記念碑の裏、硫黄島戦で米軍が国旗を立てた箇所を示す場所あたりから撮影をした、硫黄島の全景です。

写真の右側が、米軍が上陸をした、鶉石が取れる浜がある海岸です。
右側が沈船群から釜岩(私達が小笠原丸で訪問するときの上陸地点)方面です。


ブログ「Midway and Western Hawaiian Islands 北西ハワイ諸島 ミッドウェイ環礁」
http://midwayhawaii.blog131.fc2.com/blog-entry-5.html
から、トラックバックをしていただきました。

硫黄島について、米軍が上陸した海岸の写真を掲載して下さっていて、硫黄島は返還後も旧島民の帰還が許されていないことにも触れて下さっています。ありがとうございます。
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1 コメント

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はじめまして! (かんの)
2010-03-28 17:31:56
はじめまして!
「ミッドウェイ環礁&北西ハワイ諸島」のブログから来ました。コメントでご挨拶しなくてと思っているうちに、トラックバックが先になってしまって失礼しました。

ご縁があって硫黄島に行く機会がありましたが、島から帰った当初は、旧島民を含む2万6千人の方々の戦死の重さと、水のない状況での苦しみなどを受け止めて、ずっしり重たい気持ちになっていたのですが。

しばらくして、硫黄島の光景を懐かしく、魅力を含めて思い出すようになり、ここに住んでいた方々にとっては、ふるさとであり、楽園だったのではと思い当たりました。そうしているうちにこちらのブログに出会いました。

世間からの受け止められ方で、硫黄島とミッドウェイ環礁には、共通点がありまして、長い歴史の中では短い時間になる「戦い」だけで認識、議論されてしまって、島そのものであったり、今であったり、人であったりを知り、語ろうとされないことです。

たとえば、ミッドウェイでは、環礁という地形すらなかなか認識されないのに、「攻撃隊の発進が5分早ければ」「爆撃隊だけ先に出せば」の議論だけが延々と続きます。島として何に使われて、かつて小学校があったことなどは知られていません。ようやく海鳥や野生生物などについて関心を持つ方が増えてきました。おがさわら丸の硫黄島3島クルーズの参加者でも鳥好きの方は多そうですね。アホウドリや海鳥というのも、鳥島を中心に小笠原とミッドウェイの関心を結ぶキーワードではあります。

アメリカ人には、硫黄島を忘れてはいけない島と考える方々がいますが、日本人からは、硫黄島は忘れ去りたい存在であるように感じます(必要以上に美化されることも)。

硫黄島を見てしまった者として、戦前の暮らしがあったこと、今のこと、僭越ながら伝えていきたいと思っています。でも戦前のことを知る資料になかなかたどりつきません。ぜひこれからもいろいろ教えて頂けましたら嬉しいです。

今後ともどうぞよろしくお願いします。
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