OUR HOME ISLAND - いおうとう(硫黄島)

戦前に在住していた島民が、戦後の小笠原返還後も故郷に帰ることが許されていない硫黄島についての情報発信をいたします。

2010年3月 硫黄島 慰霊墓参訪問(11) 総括、擂鉢山山頂の硫黄島戦没者顕彰碑の写真

2010年04月01日 | 硫黄島・小笠原村
これは擂鉢山の山頂にある「硫黄島戦没者顕彰碑」の写真です。岸信介元首相の書だとあります。前にこの碑の隣にある「慰霊」の文字の入った碑の写真を紹介したことがありましたが、そちらの方は、小泉純一郎下首相のものです。二つの碑は隣り合ってあります。


入間基地から輸送機での日帰り慰霊墓参に、昨年の9月と今回の3月の回と、運良く二回連続で参加して硫黄島を訪問することができました。
運良く二度続けて行くことができました。

繰り返しになりますが、硫黄島に行って思うことは、
「この島は自然に恵まれ戦前の生活は豊かだったろう。」ということと、
「この島で、先の大戦の時の激戦地になった時に、あまりに多くの命が奪われてしまった。」ということです。


今でも、多くの犠牲者のご遺骨が残ったままになっている島です。
米軍の犠牲者では、ご遺骨が見つけられていないのは、従軍記者で犠牲となった人が一人残っているだけだと、今回説明を担当して下さった自衛隊員の方が解説してくれました。

日本人の犠牲者2万1900人の内、戦前に硫黄島に在住していて軍属として島に残らされた82人が戦死しました。その82人の犠牲者は、15,6歳から壮年の年齢層の人たちだったそうです。残らされた人たちも生きて帰れないことは分かっていたでしょうし、地獄のような先頭の中で犠牲になりましたが、兄弟や子供や親や、従兄弟、甥などの家族、親戚を残して内地に帰ってきた人にも、また、地獄のような心の苦しみが残ったと思います。
誰が死に至る先頭のために残らされて誰が強制疎開で内地に戻ることができたかの選択にも、悲喜こもごものドラマがあったと思います。


このたび、ブログ「ミッドウェイ環礁&北西ハワイ諸島」の「かんの」様から、二度にわたって、このブログにコメントをいただきました。
とても共感させられる内容の、戦争についても勉強なさっていて博識で非常に優れた洞察力をお持ちの方からのコメントで、考えさせされ非常に参考になりました。本当にありがとうございました。
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