この写真は、非常に珍しい鶉石(うずらいし)がある南海岸近くからの摺鉢山の写真です。
この南海岸は米軍が上陸をした海岸としても有名です。今でも狭い海岸ですが、戦後の隆起でかなり海岸の浜は広くなっているはずだと言われます。当時はもっと、狭い海岸に大勢の米軍が上陸しようと押し寄せた、その狭い場所を、日本軍の砲撃、火器が襲ったのですから、米軍兵たちもたまったものではない非常に激烈な戦闘による惨状であったろうと思います。米軍は犠牲者と負傷者の数に呆然としただろうと思います。執拗な艦砲射撃と航空機による爆撃で上陸前にかなりの日本軍の戦力は奪ったと思っていて上陸を開始したところ、日本軍はまだ沈黙をしていなかったのに驚いたということは、どの程度までであるにしろあったと思います。 ここに来るといつも、狙い撃ちされる米軍兵たちの恐怖はいかばかりだったかと、映画の画面(ジョンウェイン主演の硫黄島の映画や、場所は違いますが同じ上陸戦の場面がある「史上最大の作戦」など)が思い浮かべてしまいます。
日本兵にとっても表現できないほどの悲惨で苦しい戦闘でしたが、米軍にとっても厳しく激しい戦闘だったと思います。(このブログは戦争についての考えを紹介するという目的ではないので、このあたりまでにしておきます。)
この南海岸には寄って浜にまで降りていける時間を取ってもらえる回と、時間が取れずに寄れない回があります。昨年は、1日目のグループでの出身集落への里帰りで元山集落グループで硫黄ヶ丘に行った後に余った時間に寄ってもらいました。今年は二日目に皆で、鎮魂の丘から摺鉢山へ行く途中で寄ってもらうことができました。
正味15分ほど、鶉石(うずらいし)最終をすることができました。
この南海岸は米軍が上陸をした海岸としても有名です。今でも狭い海岸ですが、戦後の隆起でかなり海岸の浜は広くなっているはずだと言われます。当時はもっと、狭い海岸に大勢の米軍が上陸しようと押し寄せた、その狭い場所を、日本軍の砲撃、火器が襲ったのですから、米軍兵たちもたまったものではない非常に激烈な戦闘による惨状であったろうと思います。米軍は犠牲者と負傷者の数に呆然としただろうと思います。執拗な艦砲射撃と航空機による爆撃で上陸前にかなりの日本軍の戦力は奪ったと思っていて上陸を開始したところ、日本軍はまだ沈黙をしていなかったのに驚いたということは、どの程度までであるにしろあったと思います。 ここに来るといつも、狙い撃ちされる米軍兵たちの恐怖はいかばかりだったかと、映画の画面(ジョンウェイン主演の硫黄島の映画や、場所は違いますが同じ上陸戦の場面がある「史上最大の作戦」など)が思い浮かべてしまいます。
日本兵にとっても表現できないほどの悲惨で苦しい戦闘でしたが、米軍にとっても厳しく激しい戦闘だったと思います。(このブログは戦争についての考えを紹介するという目的ではないので、このあたりまでにしておきます。)
この南海岸には寄って浜にまで降りていける時間を取ってもらえる回と、時間が取れずに寄れない回があります。昨年は、1日目のグループでの出身集落への里帰りで元山集落グループで硫黄ヶ丘に行った後に余った時間に寄ってもらいました。今年は二日目に皆で、鎮魂の丘から摺鉢山へ行く途中で寄ってもらうことができました。
正味15分ほど、鶉石(うずらいし)最終をすることができました。