オ気楽ナ・・・毎日

休日のドライブや旅先で見つけたモノを紹介しています。
主に、山口県内。たいして珍しいものはないかも・・・

中往還『クズシ坂』の石畳道

2013-10-17 21:47:43 | 山口県の史跡関係

先日の記事にも訂正を入れましたが、周東町上長野の道端にある石畳道は『クズシ坂』ではないと判明しました。

元々は、『淡海道』について調べていたときに、淡海和尚は他にも『クズシ坂』に石畳を敷いたという記述を見て、ワタシが勝手に『石畳坂』=『クズシ坂』と勘違いしたための間違い。
道が伸びている方向が『御上使峠』の方向と違うので、疑問に思って、周東町図書館に行って郷土資料を調べてみたところ、実は淡海和尚が手掛けた石畳道は、数か所残っているらしいのです。

とにかく、間違えがわかってしまったからには、そのまま放っておくのは気持ち悪い。
正しいものを探してみようと、再度現地に行き、目を皿のようにして探してみたところ、道端に小さな標柱を見つけました。

写真で見てわかるかな?
左側の石垣の先に立っている、小さな杭のようなヤツです。
場所は、このあいだの石畳坂から200mぐらい手前。

近寄って確認すると、「右 川越」「左 樋余地」と彫ってある。
樋余地の方向に進むなら、『御上使峠』に至る道、すなわち『中往還』である可能性が高いぞ。
でも、道はどっちだ?
標柱そのものは、昭和になって立てられたものらしいし、「左」を素直に受け取ると、国道2号線の方向なんだが・・・いくらなんでも、それはないだろ。

と、なると、小川沿いに棚田の間を抜けて登っていく、この細い野道かな?
半信半疑で、徒歩で上がってみます。

棚田の部分を抜け、植林された杉林の中に入った頃から

道に石を敷いたような形跡が出てまいります。

このあたりではまだ、確信は持てなかったのですが・・・

小川に架かる橋も、このあいだ見た道のように、石柱を並べて架けた頑丈なもの。
これは、あたりだったかな?

この辺まで来て、探していた石畳道、『クズシ坂』であろうと確信しました。
単に石を敷いてあるだけでなく、急坂を登りやすいように、石段状にしてありますね。

ここから先100mほどは、幅1mほどの石畳が状態良く残っています。
と、いうより、歴史的遺産ということで、役所なり地域の方なりが、定期的に落ち葉を掃いたり倒木を除去したりして、手入れをしているんだろうな。

それならば、入口に看板の一つでも立てておいてほしかった。
あれじゃ普通、気付かんぞ?

坂をのぼりつめたところで、短い折り返しが2つ続いて、小さな尾根を越えます。
このあたりも、石が敷いてあったっぽい。
はっきり地表に出ていない部分も含めて、石畳である区間は、全部で150m~200mぐらいか?
歴史的価値があるものなのに、埋もれてしまっているのは勿体ないな。

尾根を越えると道は平たんになり、竹林の中を抜けていきます。

途中にあった、石碑のようなもの。
表面が削れてしまったのかもしれませんが、文字らしきものは確認できませんでした。

林を抜け、むこうに車道が見えてきました。

車道にあがって、振り返ったところ。
小さな橋を渡って、道の左側からあがってきます。
表示は何もなし。
こちら側からは、絶対わからないな。

ちなみに、この車道は国道376号線の旧道。
見えている方向に200mほど進んで右折し、山へ登っていくと『御上使峠』です。

車道の反対側にも、道の痕跡を見つけましたが、完全なヤブ。
突っ込む勇気も体力もないので、このあたりで引き返しましょう。

急坂を降りていくのは辛いので、遠回りだけど、車道を歩いて帰ります。
下から登りはじめて、一周して戻ってくるまで、ゆっくり歩いて1時間弱でした。

車道を歩いて戻る途中に、落差4mほどの小ぶりな滝が、道から見えました。
それよりも、はるか下の谷底で数か所、轟音が聞こえます。
木々の隙間からちらっと姿が見えるのですが、少なくとも2ヶ所、それなりの規模の滝があるみたい。

いつか、そっちのほうも確認してみたいもんですが・・・・。