オ気楽ナ・・・毎日

休日のドライブや旅先で見つけたモノを紹介しています。
主に、山口県内。たいして珍しいものはないかも・・・

馬島・・その2

2013-09-28 23:49:54 | 山口県の離島

昨日の続きです。

謎の道に突入して行ったのは訳があって、キャンプ場の案内板に、「展望台」というのが書かれていたからなんです。
標識も何もないけど、「これ歩いていけば、たどり着けるんじゃない?」という安易な考え。

想像通り、道は次第に狭くなり、高台へと向かう山道へと変化。
案内板では、展望台がどういう位置にあるのか判らなかったので、簡単な気持ちで登りはじめたのです。

結果から言ってしまうと、展望台があるのは、島で最も高い山の山頂でした。
麓からの距離は5~600m、標高差は100mちょっと。
目的地の場所がわからんので、「あとちょっとだろう・・・」「もう着くだろう・・・」と、ズルズルと歩き続け、着いた頃にはヘロヘロです。

あと、ヤブ蚊が多くて体にまとわりつくので、立ち止まって息を整えることができないのも、辛かったな。

ようやく山頂が見えてきました。
これで、ショボい風景だったら、どうしてくれよう・・・・。

おーーーっ!!
絶景だ。
正面に見えるのは、光市の牛島。
その向こうは、祝島。

本土側の「梶取岬」方向。

こちらは、佐合島、長島方向。
下のほうに、登り口であるキャンプ場が見えます。

馬島と刎島の間の海峡をアップで。
上から見ると、干潮時に現れるという砂州が、うっすら白く見えますね。

展望台そのものは、こんな感じ。
一本だけ木を残して、周囲の景観を遮るような木は、すべて伐採されています。

本土側の、田布施町、平生町方面。
正面に見える「阿多田島」の裏側に、連絡船が出る、麻里府港があります。

沖を走る船を、ちょっと夕景風に撮ってみました。

ひととおり風景を楽しんだあとは、ベンチに座り込んで、ちょっと休憩。
登ってくるのはきつかったけど、結果的に、ここが島一番のスポットだったな。

日没近くまで待って、本物の夕景を見ることができたら、それはまた、綺麗なんでしょうね。
ただ、その時間までここにいたら、帰りの船がないのですよ。
最終の船に間に合うように、でも、膝が笑っているのでゆっくり・・・よろよろしながら下山。

港のほうへ戻ります。

この島は、離島にしては平地が多く、軽トラも何台か走っていました。
でも、フェリーはないし、どうやって島へ運んでくるんだろうな?
あと、ガソリンはどうしてるんだろ?

港の近くで、島の猫をパチリ。
大星山の風車をバックにしてみました。

帰りの船が、港に入ってきました。
港のあたりは島の東側にあたるので、この時間はもう山影に入ってしまって暗くなります。

帰りの船の中から。
水平線に落ちる寸前の夕陽が綺麗でした。

条件があえば、今の季節でも、だるま夕陽も狙えるのかな?


馬島・・その1

2013-09-28 01:02:16 | 山口県の離島

『馬島』は、田布施町に所属する、有人の離島。
本土側の麻里府港の沖合、約1kmにある島です。

連絡船『ましま丸』。
麻里府港・馬島間だけでなく、さらにその先、平生町の佐合島・佐賀港までを往復しています。
料金は、2区間まで160円。

動き出しが遅かったので、午後3時10分の船で出航。

10分弱で、馬島港に到着しました。
港の入口、結構狭いな。

連絡船乗り場前ににあるのは、公民館です。
この島は、キャンプ場や海水浴場があって、夏場はそこそこ賑わうのだそうな。
そのためか、レンタル(?)のリヤカーが何台か置いてありましたぞ。

港のすぐ南側にある砂浜と、砂で繋がった小島。
なかなか、いい風景ですな。
島のあちこちに砂浜がありますが、海水浴場として指定されているのは、もっと先です。

海岸沿いの道路を南に向かって進みますと、見えてきたのが

車えびの養殖池らしいのですが、今も養殖やっているのかなぁ?
なんか、廃れちゃってる雰囲気なんだが・・・・。

さらに進むと、右手に海水浴場の休憩所とトイレが見えてきました。

入江になっていて、波もおだやか。
沖に見えるのは、光市の牛島です。

さらに、細い道を歩いて、島の南端まで出ますと

海の先に見えるのが、『刎島』。
潮が引くと、島との間に砂州が現れ、むこうまで歩いて行けるのだそうですぞ。
残念ながら、この時は満潮でしたので渡れませんでした。

ぶっちゃけて言うと、ここが島の一番の見どころだと思っていたのですが・・・・。

干潮の時間をちゃんと調べてくればよかった。(*_*)

海水浴場の近くまで戻って、キャンプ場がある『のんびらんどうましま』を覗いてみます。
門の奥に見えるのは、管理棟。

テントサイトは、広くて綺麗ですね。
他にも、ロッジが並んでいる一角がありました。

で、さっきの門のところから伸びていた、未舗装の謎の道に突入するのですが・・・。

長くなったので、続きは次回で・・・。


田んぼアート・2013

2013-09-25 21:29:43 | 小ネタ

この時期、恒例になってきた、古代米を使った「田んぼアート」観賞。
今年も、何ヶ所か巡ってきました。

まずは、毎年見に行ってる、田布施町の田んぼ。

県道23号線とJR山陽本線に囲まれた田んぼは、こんな具合。
この写真では、ちょっと見づらい奥のほうは

こうなっています。
左端のマークは、田布施町の町章っていうのかな? 町のマークです。
ハートに少し突き刺さっているのがポイントですな。
『WE (LOVE) 田布施』ってことでしょう。

年々、デザインが簡単になっていってる気がするが・・・・(ーー;)

田布施町、定番のもう一ケ所、県道22号線と162号線が交差する所の田んぼ。
上のものと、ほぼ同じ内容か?

今年は、県道沿いに並んでいたノボリもポスターもなく、田布施中学校の生徒は参加しなかったみたいでした。
(以上、9月22日撮影)

こちらは、山口市仁保。
道の駅近くの交差点から、県道123号線を仁保上郷方面に進むと見えてきます。
てんとう虫の絵のようですが、このときはまだ、赤米の穂の色が、よく出てなかったな。
県道側からは、全体が見えないので、道の反対側の土手に上がって撮りました。

さらに良く見えるところはないか・・・と、近くの、お墓がある丘に登って撮ったのがこちら。
この位置からだと、電柱がかぶさってしまい、いまいち・・・。
(9月15日撮影)


次は、岩国市、周東町差川。
米川小学校から、島田川を挟んで反対側のあたりにある田んぼです。

ここは、見学者用に道端に足場を組んで、展望台を作ってあります。

米ぼう(お米のキャラクター?)がサッカーボールを蹴っている絵らしい。
下のほうには、薄いですが「ガンバレ日本」と書いてあります。

展望台に、原画が貼ってありました。(*^^)
(9月24日撮影)


最後は、光市、中岩田の田んぼ。
岩田小学校入口から、南のほう(上岩田のほう)へ少し進み、『上島田⇒』の標識のところを曲がってすぐ。

長州ファイブを題材にしたそうです。

左側が、伊藤博文の顔みたいですが・・・・ビミョウだ・・・。

説明がなかったら、何がなんか、わからんかったかも。(^^;

(9月24日撮影)


凌雲寺跡

2013-09-24 00:57:06 | 山口県の史跡関係

山口市吉敷にある、大内氏遺構『凌雲寺跡』に行ってきました。

山口市内から、美祢市美東町のほうへ向かって国道435号線進み、登坂車線のために道幅が広がるところで、右折。
要所には案内板が出ていますから、それに従って行けば、駐車場までたどり着くことができます。

向こうに見える、木が生えてない丘が、目指す『凌雲寺跡』。
昭和34年に、国の史跡に指定されました。
写真左端に見える、民家の前の小路を歩いていきます。

丘へ登る石段です。
残念ながら、これは、後年造られたもので、当時のものではないようです。

石段を上がると、いくつかの石塔と、案内板。

大内義興のお墓と伝えられている石塔です。
凌雲寺は、この大内義興によって、本人の菩提寺として創建されたものです。

大内義興は、室町時代後期の守護大名、大内氏の第15代当主。
将軍の後見人となって7カ国の守護職を兼ね、大内氏が最も繁栄していた時代の当主でした。

大名として栄華を極めた人物の菩提寺らしく、その敷地は広大なもの。
ですが、大内氏滅亡後に廃寺となります。
廃寺となった時期も理由も、はっきりしていません。
遺構はほとんど破壊され、ごく最近まで水田として利用されており、当時の柱穴や礎石も残っておらず、建物の配置などの特定も難しいのだとか。
わずかに、敷地となった台地の南側に、惣門跡と伝えられる大規模な石垣が残っています。

案内板に従って、惣門跡まで歩いてみます。
この写真に写っている石垣は、たぶん、後年、棚田を作るために農民が積み上げたものでしょうな。

史跡として管理されているせいか、定期的に草刈りをされているのでしょう。
ひろい草原と石垣に、いろいろと想像をかきたてられます。

惣門の石組み跡が見えてきました。
が・・・・その前に。

一つ手前側にあった石組み。
何か違和感を感じませんか?

わかりやすいように、赤い線をひいてみました。
線の上下で、あきらかに石の大きさや積み方が違う、つまり、二重構造になっているんです。
たぶん、ここにも、門のようなものがあったのでしょう。
ここも後年、元の石組の上に小さな石を積み上げて、棚田の為の石垣にしたんじゃないでしょうか。

惣門の遺構として残っているのは、長さ60m、高さ3m、幅2mの石組み。
一つ一つが、数百キロはありそうな巨大な石が使われています。
石が重くて動かせなかったから、解体されることなく、そのままの形で残されてきたのでしょうね。

中央部に切れ込みがあって、ここに門があったのでしょう。
ここの部分は、石組みの断面が見えて、構造がよくわかります。

二層に積まれた巨石の壁の間に、小さな石を詰め込んであります。
こういう、石組みだけで独立して構成した壁というのは日本では珍しく、朝鮮半島の城などで見られる様式らしい。
そもそも、この寺が存在していた場所が、両側を川に挟まれた台地の上で、

周囲はこのような、高さ10mほどの崖になっています。
義興は、寺院としての役割だけでなく、有事の際には城として機能するように設計したのでしょう。

ところが・・・・・。

義興の子、大内義隆の代になって、家臣である陶隆房の謀反により、大内氏は事実上滅亡してしまいます。
謀反の兵に攻め込まれた義隆は、法泉寺に籠りますが、敵を支えきれず、さらに退いて体制を整え直そうと凌雲寺に向かいますが、時の情勢を判断したのか、凌雲寺の僧たちは固く門を閉ざして、義隆主従が入るのを拒否したのです。
つまり、大内氏の財力によって、菩提寺として建てられたにもかかわらず、肝心な時に裏切ったわけですね。

義隆はその後、長門市にある大寧寺まで逃げ、その地で自害することになります。

戦火に巻き込まれたわけでもないのに、この大規模な寺が廃寺になったのは、後にこの地の支配者となった者(おそらく毛利氏)に、そういうところを嫌われたからではないでしょうか?
寺に関しての記録が、何も残っていないのも、そのへんに理由がありそうです。

わずかに残った石垣のみで、発掘調査をしても詳しい事がわからない、往時の姿は謎のままの、「幻の寺」。
崩れた石組みが、歴史のもの悲しさを漂わせます。

 

・・・・と思っていたら、調べると、この凌雲寺の建物が、移築されて残っていました。
しかも、国宝に指定されてる。

広島市東区牛田新町にある、『不動院金堂』がそれ。
戦国時代、毛利氏に仕えた僧、安国寺恵瓊が、凌雲寺の仏殿をこの地に移築したとのこと。
現存する中世禅宗様の金堂としては、日本最大の建物であるらしい。

さすがに、そこまで行ったことがないので、写真がなくて、スミマセン。
検索して貰ったら、壮大な建物であることがわかると思います。
当時は、こんな豪華な建造物が並んでいたんでしょうなぁ。


で、今の凌雲寺跡にあるのは・・・・

この、粗末なお堂だけでございました。(*_*)


長九郎の滝と千年杉

2013-09-22 23:09:47 | お出かけ・島根県

島根県吉賀町(旧柿木村)椛谷に流れる、福川川の支流、白井谷川には『長九郎の滝』という滝があります。

『道の駅かきのきむら』にある町内(村内)案内図に名前が載っていて、ずーっと前に探しに行ったことがあるのですが、そのときに見つけた滝が、後になって勘違いだったことが判明。
長い間気になっていたので、今回、近くまで行ったついでに探索し直してきました。

柿木村中心部から山口県鹿野へと向かう、県道3号線をたどっていき、「白井⇒」と看板があるところで枝道に曲がります。
曲がったところから500mも行かないうちに、道端の雑木越しに滝を見つけました。

全体像がよく見えませんが、かなり立派な滝。
案内板も何もないけど、これが『長九郎の滝』でしょう。

滝の前に出る道を探してみましたが、なかったので、30mぐらい下流側に下って、道の防護壁沿いに谷に降ります。
3mぐらい下からは、平坦な地形が滝の前まで続いていて、さほど苦労もなく到達できました。

これが、正面から見た『長九郎の滝』。
落差は10m弱。8~9mぐらいかなぁ。
水量も多く、立派な滝壷を持った、なかなか姿形がいい滝です。

なんで、前回来たときに、これに気がつかなかったかなぁ・・・・。


ちなみに、以前見つけて勘違いしたのは

この滝。
『長九郎の滝』の上流200mぐらいのところ、道路脇にあります。
これでも、落差は5mぐらいあるのです。
ただ、コンクリートの壁が景観を台無しにしてますな。

さらに上流、小さいですけど、形がいいこんな滝も。
ここ、なかなか、いい感じの渓流なんだけどなー。

さて、道の終点には、『愛宕神社』という小さな神社があって、境内への石段脇に、巨大な杉の木があります。

樹齢は千年といわれていて、通称『千年杉』。
大きさの比較のために、根元にワタシが使っているカメラバッグを置いてみました。

通常、樹齢が千年クラスの杉は、根元がゴツゴツしていたり、洞ができていたり、ぐねぐね曲がっていたりするもんですが

この木は、根元まで綺麗な円柱形で、上にも真っ直ぐ伸びています。
普通に見る杉の木を、そのままの形で10倍ぐらいに拡大したような感じ。
昔の巨大木造建築物には、現代ではとても手に入らない、巨大な丸太が使われていたりするそうですが、こういう木でないと、そんな建材にはならないんだろうな。

説明用の標柱は倒れておりました。
幹回りが6.3mだそうです。


で、こっちにあるのは

○ンポ梨。  

・・・・・・・・・・・・Σ( ̄Д ̄;)なぬぅっ!!

あ・・・ケンポ梨だったのね。


「デカマル君の大先輩」と沈下橋

2013-09-20 23:14:21 | 近代遺産

岩国市美川町にある、『錦川第2発電所』。

錦川水系で現役で動いている水力発電所は、全部で10ヶ所あるのですが、その中でも二番目の出力があり、また、二番目に古い発電所です。

周南市金峰にある取水口から、山中を貫いた、長さ8kmの導水管を使って水が送られてきます。
で、ここで一気に100mほどの落差を使った水の勢いを利用して、タービンを回し、発電する仕組み。

発電を開始したのは、昭和2年ということですから、90年近くも前に出来た施設なんですね。
昔の建物って、独創的な装飾なんか施されて面白いんですが、外から見た限り、ここにはそういうものはなかったな。

素通りするつもりだったのが、この看板のフレーズが気に入ったので、立ち寄ってみました。(^^;

他の発電所にも、こういった愛称のようなものが、用意されているのかな?
今度、別のところにも行ってみよう。

発電した電気を送るための、巨大な鉄塔と高圧線。
山を越えて、どこに送られていくのでしょうね。

 

さて、錦川第2発電所のすぐ前には、錦川を渡る沈下橋、『長走橋』があります。

実は、これが本来の目的だったりする。
車で、この橋を渡ってみたかったのです。

橋を渡る前に、一回、車をとめて深呼吸。(笑)

コンクリートの橋げたが新しめに見えますよね。
実は、何年か前の台風のときに橋げたが折れちゃって、手前側半分は新しく作り直したんです。

気持ちを落ちつけて、いざ突入っ!

いやいや。結構、怖いっす。
車の両側、20cmぐらいは余裕があると見たんだが、脱輪したらシャレにならんので、プレッシャーかかるなぁ。

一気に渡れば、まだいいんだけど、写真撮ろうと思って橋上に止まった瞬間、怖さが3割増し。
良い子は決してマネをしないでね。

でも、川の流れは綺麗だったなぁ。
バカなマネしないで、歩いて渡って、風景を楽しめばよかった・・・・(;-_-)


俊道様

2013-09-19 23:49:36 | お出かけ・山口東部

錦町須川の古江地区には、『俊道さま』という有名なスポットがあります。

詳しくは、説明板を読んで貰って・・・と思ったのだけど、字がちっちゃくて見づらいな・・・。

簡単に言うと、昔、とっても偉いお坊さんがいて、亡くなるときに『私の死後、墓に酒を持って参れば、必ず下半身の病気は治してやろう』と遺言したのだそうな。
その遺言を信じてお墓にお参りする人があとを絶たず、効果も高いと評判なんだとか。

ワタシも、長いこと腰痛と足首や膝の関節痛に悩んでいる身。
ぜひ救っていただきたいっ!!

と、いうわけで、お参りしてきました。

国道434号線を宇佐方面に向かって進みますと、須川トンネルを抜けた先、左手の橋の上に看板が見えます。
この橋を渡るわけですが、その前にちょっと、お参りに必須のお酒を購入しなくては・・・。

通り過ぎて、1kmぐらい先に、小さな酒屋さんがありまして、『俊道様参拝用』とのノボリが立っています。
お店の人に、「俊道さまに・・・」と言って、出して貰ったのがこれ。

小さなピンに2合ぐらい入っていて、1本、320円也。
あ、いや、340円だったっけ?(←よく覚えてないらしい・・・)

お酒も手に入りましたから、橋まで戻って、渡ってすぐ左折します。

100mほど先にある、この『江龍寺』の境内。

入って右手にあるお堂の中に、『俊道様』のお墓があるんです。

お墓ですから、むやみに写真を撮るわけにもいかず、お堂の中を撮ったのはこの一枚のみでした。

中央の円筒形のが墓石で、土台はコンクリート製の桝に玉砂利を入れたような感じ。
参拝用に持ってきたお酒は、中身をこの玉砂利にかけていきます。

お参りする人が絶えないのは、お墓の前の空ピンの数や、記帳ノートでわかりますが、その分だけのお酒もお墓にかかっているわけですわ。
お堂の奥のほう、けっこう臭いがしたな。
お酒の臭いというより、フルーツが熟しすぎて腐っちゃったような臭い。
小バエの数が、凄かったぞ・・・・。

それでも、お参りした人からの感謝のお手紙なんか貼られていますから、信じる人は救われるのです。
お酒をふりかけ、線香もあげて、近年では一番心をこめて、お祈りしてきました。

 

さて、『俊道様』には直接関係ないのですが、江龍寺のすぐ近くに

「観光情報」なる立て看板があったんですが、その中に・・・・

おじいさんの生誕地・・・・ですか。・・・・・そうですか。


六日市側の岩日線遺構

2013-09-18 23:20:05 | 近代遺産

以前、錦川清流線に乗ったときの記事に書いたのですが、錦川清流線の前身である国鉄岩日線は、当時の終点である「錦町駅」から先、六日市の駅までの軌道は、ほとんど完成していました。
ですが、国鉄再建策によって、事業は凍結。
一度も使われないまま放棄された軌道跡は、わずかに、錦町駅から雙津峡までを「とことこトレイン」という形で、観光用の自動車を走らすことで活用しています。

錦町側のほうは、国道434号線沿いに車を走らせますと、並行して伸びる軌道跡をいやでも見る事ができるわけですが、六日市側がどうなっているのか、ちょっと気になりました。

で、やってきたのが『道の駅むいかいち温泉』。
ここの敷地が、岩日線の「六日市駅」になる予定だった場所なのです。

ここから「六日市ずい道(トンネル)」まで、岩日線(になる予定)だった軌道跡には、遊歩道があるらしい。
売店のおばちゃんに場所を聞き、第3駐車場の奥から、敷地の東端へ細い道を歩くと

温泉施設のプールの脇に出てきます。(矢印のように出てきます)
見えている側が、駅の予定地だったわけですな。

で、後ろ側は、遊歩道になります。
向こうに見える坂が、鉄道にしては不自然な急こう配。
そして、手前のほうの敷地の幅が広いことを考えますと、このへんは土盛りした土手の上に、線路を通す予定だったのでしょう。
その土手を削ったあとに、遊歩道がある感じですね。

少し先まで歩いてみます。
坂の手前に、遊歩道の案内板がありました。

全長747m。
往復で1.5kmかぁ・・・。
ちと、歩くの辛いな。

ってことで、駐車場に戻って、車で遊歩道の終点近くまで行きます。
県道沿いの「こうやまきギャラリー」のところで曲がると、高速道の下をくぐるところで、裏側から遊歩道へ上がれるようになっていますよ。

道の駅の方向。

で、こっちは遊歩道の終点方向。

トンネルの50mほど手前で、遊歩道は終わり。

伸びかけの雑草を踏み、トンネルに近づきます。
入口にはフェンスが張られ、中には入れないようになっています。

トンネルの長さは、4679m。
錦町側から、この長大なトンネルで山脈を貫き、一気に六日市側に出る予定だったみたい。
トンネルそのものは完成していて、その昔、六日市の子供が、歩いて錦町側に出てきて、大騒ぎになったこともあるんだって。

写真ではよく写っていませんが、奥の方はレールを敷くための溝をつけたコンクリート舗装になっています。
トンネルの中は全く荒れてなく、綺麗なもんだな。(未使用ですしね)

トンネル脇に埋め込まれたプレート。
完成したのは、昭和52年。
以後、30年以上放置されているわけです。

勿体ないというか、なんというか・・・・・。
何かに活用できないもんですかね。


彼岸花2013・その2

2013-09-17 21:27:31 | お出かけ・島根県

彼岸花といえば、やはり押さえておきたいのが、島根県吉賀町の『彼岸花まつり』。
今日は、そっちの咲き具合もチェックしに行ってきましたよ。

今年の『彼岸花まつり』は、今週末の21日(土)22日(日)だそうです。

県道から中のほうに入ったところにも、駐車場が出来ていました。
料金は100円です。

・・・・って、一台も停まってないんだが?

駐車場入り口の橋のところに箱があって、この中に料金を入れる仕組み。

あれ? 橋の中に・・・・

「ど根性」彼岸花が伸びてるー。
踏みつけられないと、いいけどなぁ。


さて、肝心の花の咲き具合ですが

日陰になってる部分は、けっこう咲いてきてるのに対し、

日なたは、まだ全然・・・・って感じかな。

これなんて、完全に木の陰に沿って、茎が伸びてるよ。

ま、それでも、部分的に切り取れば

それなりに、写真は撮れる状態でした。

『彼岸花まつり』の頃には、ちょうどいい状態になっていると思われます。

黒アゲハかな?
黒い羽に陽の光が当たると、青緑色に光って綺麗だったのだけど・・・・

写真ではまったく表現できませんでした。(>.<)


ゆらめき回廊

2013-09-17 01:19:50 | お出かけ・山口中部

彼岸花を見たあとは、山口市の香山公園へ移動しました。

この日は夕方から、『山口ゆらめき回廊』があったのです。
雨が降るのを心配しましたが、なんとかもってくれました。

駐車場が埋まってしまう前に・・・と、少し早めの5時過ぎに行って、公園内を散策して時間潰し。

白いきのこが、たくさん生えていました。
後で調べてみたら、「シロタマゴテングダケ」といって、猛毒きのこ御三家と呼ばれるものの、ひとつなんだそうな。
これ一本食べただけで、人が死に至るぐらいの毒らしいですぞ。

暗くなりだした頃から、ボランティアの方々が、ろうそくに灯をともしていきます。
プラスチックの容器の中に水を入れ、水に浮かぶ特殊なロウソクを浮かべてあるんです。
ですが、台風の影響なのか、風が強くて、点けたものが片っぱしから消えていく・・・・。
何度も何度も、チャッカマン片手に往復して、大変そうでした。

ご苦労さまです。

星型に並べたのもありましたが、これも、すぐに灯が消えちゃう。
ボーイスカウトの子供たちが一生懸命火をつけてくれて、さっと退いてくれたところから消えるまでの30秒ぐらいの間に、周囲の人間が一斉に写真を撮る・・・って感じでした。

やはり、五重塔は構図に入れたい・・・と思って頑張ったのですが、手持ち撮影では、これが限界でした。(>_<")
三脚使わないと、まともな写真にはならないのは、わかっています。
ただ、人が沢山訪れるイベントですから、三脚を立てて、通行を邪魔したり、場所を独占したりとか、したくなかったんです。

ま、でも、カメラに執着しなかったぶん、幻想的な風景を、目で見て楽しむことができたかな?

帰り道、一の坂川でもやっているということなので、寄ってみました。

こちらは、竹筒を使って、より幻想的でした。
でも、写真では何が何だか、わからんな・・・・・。