あいにくの天気でしたが、周南市(旧熊毛町)の三丘に、以前から気になっている場所がありましたので、行ってきました。
『毛利元就公歯廟』
なんで、毛利元就の歯が・・・? と思いませんか?
「戦で苦戦を強いられていた毛利元就が、折れた歯を吐き出したところ、そこから龍が現れて味方の軍勢に加勢し、たちまち勝利に導いて・・・・」
なんていうような勇ましい話があるんじゃないかと、勝手に妄想しつつ行ってみたのですが・・・・。
実際は、元就の七男、毛利元政がこの地の領主になったときに、丁度、元就の33回忌であったため、肌身離さず持っていた元就の遺歯を収めた供養塔を建てた・・・ということらしいです。
さて、この場所「広末地区」は、今でこそ三丘の中心から離れ、幹線道路からも外れた、のどかな田園風景が広がる地区ですが・・・。
先に出てきた毛利元政、その後に領主となった宍戸家(毛利家の重臣)の屋敷があった所で、文化財がそこかしこに存在します。
で、狭い道を適当に行ってみましたら、『貞昌寺』というお寺に着きました。
えらく年期の入った石垣と石段。
そして、その下に続く参道。
下まで降りてみましたら、石仏や石塔が乱立状態。
古い石垣と、参道の長さと、古い時代を感じる形式に感じいっていましたら、実はこれには秘密がありました。
ここは、中世の山城、『三丘嶽城』の大手門だったのだそうです。
大内氏の時代・・・ということですから、室町時代の遺構が、そのまま残っているわけ。
それにしても、綺麗に草刈りしてあるからこそわかる情緒ですよね。
お寺がされているのか、はたまた檀家の方がされているのか・・・・。
頭が下がる思いです。
お寺のほうは、曹洞宗のいたって真面目なお寺でございました。
宍戸家歴代当主の墓もありまして、それを囲む土塀がまた、素朴でいい味を出していましたよ。