オ気楽ナ・・・毎日

休日のドライブや旅先で見つけたモノを紹介しています。
主に、山口県内。たいして珍しいものはないかも・・・

今度は南の端・・・八島、その3

2013-10-04 23:18:30 | 山口県の離島

島からの帰りの船が出るのは、夕方の5時10分。
時間はたっぷりあるので、山越えの前にちょっと、海水浴場の近くにある神社に寄ってみます。

きれいに草取りがされている境内を通って

こちらが拝殿です。
かなりの規模の立派な神社で、港の近くにあった小さな社とは大違いですね。
人が住む集落から、かなり離れていますが、きっと島を代表する氏神様なんでしょう。

ですが、ここ、むちゃくちゃヤブ蚊が多くて、落ち着いて写真撮ることも、ままならない。
「こりゃたまらん」と、走って逃げだし、風通しのいいところで、体の止まるヤツを30匹ぐらい叩き潰したのですが、その後、山を越えるまでずっと、数匹がついてきました。

参った・・・・。

さて、また1時間かけて山を越え、島の中央の砂州部分まで戻ってきました。
ここには家も耕作地もなく、広い平地部分が、見渡す限りの荒れ野原になっています。
(後で調べたら、奥のほうにヘリポートがあったみたい)

昔は、和牛を飼育する牧場があったみたいで、赤く錆びた鉄骨だけになった建物が、草に埋もれて残っていました。
牛舎の跡かなんかでしょうか?

ちょっと高くなった土手の部分には、ずらっと石仏が並んでいました。

島の東側の海岸まで出て、堤防の陰でちょっと一休み。
遠くには、うっすら、四国の山並みが見えます。
さすがに疲れたので、波の音を聞きながら、30分ほど、うとうとしていました。


休憩後、港まで戻ってきましたが、船の時間まであと1時間もある。
その時間を使って、集落の中を歩いてみましょう。

大きな石垣の上に、立派なお屋敷。

一軒一軒が、かなり大きなお家です。

石垣の間を縫うような、細い道。

かなりの高台まで、石垣は続きますが、串の歯が抜けたように、草ボウボウになった空き地も目立ちます。
建物は残っていても、人が住んでない家も多い。

お寺も、住職さんが島にいなくなったのか、庭が荒れ始めていました。

高台から港の方向を見たところです。
景色はきれいなんだけど、その手前に写っている土地は、荒れ果ててしまっています。
美しい集落も、このまま消えていく運命なのでしょうか・・・。

港に戻る途中、道端に大きなシュロの木が2本。
幹に寄生して生えた木(ハゼの木かな?)の赤い葉っぱが、飾り付けたみたいで、少しだけ華やかさを演出していました。

5時すぎに、帰りの船がやってきて、これで島とはお別れ。
いやいや・・・一日中歩きまわって、疲れた。

今度来るときは、海水浴場に船が寄る、夏にしよう。(;^_^A


今度は南の端・・・八島、その2

2013-10-03 22:52:21 | 山口県の離島

八島には、これといった観光名所などないのですが、唯一、島の北部に海水浴場があって、そこは風景もいいらしい。
船着き場もあって、夏場の7・8月のみ、連絡船が立ち寄るようになっています。
ですが、今の時期にそこに行くには、歩いて山越えするしかありません。

港から南側、つまり集落のほうには、車が走れるような道はないのですが、北側には立派な車道がのびていました。
向こう側に見える山を、今から越えていくわけですが、道は心配なさそうだな。

集落の側を振り返って見たところ。
海辺は砂浜ではなく、こぶし大の丸石が積み重なったような浜です。
波が寄せるたび、石どうしがぶつかって、「カチカチ・・・」というような音がしていました。

島をつなぐ砂州部分を抜け、山へ上がっていく坂をのぼります。
標高差は約120m。
道は荒れていませんでしたが、暑さを避けて木蔭に寄ると、クモの巣にひっかかってしまうのに参りました。

1時間かけて山を越え、ようやく目的地が見えてきましたよ。

まず目に入ってきたのは、島から砂州でつながっている、『与崎』と呼ばれる岩場。
いくつものピークを持つ細長い岩場で、地図で見ると、長さは約1kmもあるみたい。
その昔、壇ノ浦の合戦で入水した安徳天皇が、赤間関に向かう途中、八島に立ち寄った際に、「よい崎」と褒め称えたことから、「与崎」と呼ばれるようになったそうです。
砂州は、幅3~40mで、海水浴場になっているのはこの反対側。

砂浜というにはやや粗めの、小石が積み重なったような浜ですが、水はとっても綺麗ですね。

浜から見て『与崎』と反対側にある堤防の先に、夏場に連絡船がとまる船着き場。

砂州の付け根部分は、かなり広い平地になっています。
元はキャンプ場があったらしいのですが、2009年に廃止となりました。
『古浦』という地名もついているようですし、元々は集落があって人が住んでいたのではないでしょうか。

いまは広大な荒れ地になっていて、高台にある神社の鳥居と常夜灯だけが目立ちます。

電柱の根元に石碑・・・と思ったら、これお墓じゃないの?
なんで、ポツンと一つだけあるんだろ?

堤防の上を通って、船着き場のほうに行ってみましょう。

船着き場にある岩場に、いい具合な日陰ができていたので、ここでちょっと休憩しましょう。
1時間半、歩きっぱなしで、汗びっしょりになっていました。
岩陰に座ると、海風が吹いて、気持ちいい。

ここからの景色も最高。(*^^)

てな感じで、靴まで脱いでリラックスしていたのですが、とある事に気づく・・・。

これって、背後の岩が崩れて、落ちてきたんじゃないの?

こんなのに直撃されたらたまらんので、あわてて陰から逃げだしました。

よく見ると、岩場には小さな祠もありました。
神聖な岩なのかもしれないのに、お尻つけてゴメンナサイ。(罰があたらんでよかった・・・)

誰もいないところで、素晴らしい景色を一人占め。
いやいや、1時間以上かけて歩いて来た甲斐があったな。

名残り惜しいけれども、キリがないので、そろそろ港のほうへ戻りましょう。

 

『八島』、もうちょっと続きマス。


今度は南の端・・・八島、その1

2013-10-02 21:43:00 | 山口県の離島

このあいだ、山口県の東の端、『情島』に行ってきたので、今回は山口県の南の端、上関町の『八島』に行ってみることにしました。

上関町の室津港を、10時に出る定期船に乗ります。
これまた、漁船のような小さな船ですな。

上関大橋の下をくぐって外洋に出ると、ここから『八島』まで、約30分の船旅。

結構揺れるな・・・と思ったら、並行して走っていた漁船の、航跡で出来た波にあおられていたみたい。
漁船の向こうに見えるのは、『平群島』のようです。

島の西側にある、八島港に到着しました。
さすがに水が綺麗だな。

ここで、『八島』についてご紹介。

上関港から南に12kmの沖、瀬戸内海に浮かぶ、山口県最南端の離島。
人口は37人(平成25年4月現在)。

人が住む集落や港がある南側の島と、それよりやや小さめの北側の島、屏風状に岩が並ぶ『与崎』の3つのパーツからなり、それぞれが砂州でつながって、南北に長く伸びる形状になっています。
つながった一つの島だけれども、角度によって、いくつもの島が重なっているように見えることから、『八島』という名前がついたのだとか。

最南端を目指してきたわけですが、島の南側は高い崖になっていて、陸から近付くのは無理。

地図上では、集落の裏手にある高い山の、山頂近くを通る林道があって、島の南側まで行けるようなのですが・・・。
調べてみると、長い事使われておらず、道とはわからないぐらい荒れているらしい。
そんなところに入り込んで、山の中で迷ったりした日にゃ、確実に遭難です。

なので、そっちの道はパス。

集落の中を抜け、海岸沿いに、行けるところまで南に進み、最南端ということにしましょう。

船着き場のすぐ近くには、小さな神社。

島で唯一の商店?

右側の新しいのは、診療所と公民館を兼ねた建物。
左側の小さい建物には、郵便局があります。

診療所のお医者さんや、郵便局の職員さんは、本土から船で通って来るらしい。
と、いうか、ワタシが乗ってきたのと同じ船に、乗ってらっしゃいましたね。(^^;

近くにあった半鐘。
もの凄く年期が入ったモノでしたが、柱はえらく新しかった。

小学校跡です。

それとわかる遺物は、創立100周年の記念碑だけ。

敷地内にある、真新しい物体は、放射能を測定する「モニタリングポスト」でした。
ここは、愛媛県の伊方原発の、半径30km圏内に入っているのです。
国の指示で、県が今年になって設置したらしい。

小学校跡の先には大きな墓地があり、その中を抜けて海岸沿いへ。
細い道が南のほうへ続いていますが・・・

歩いて行けるのも、ここが限界。
山側から雑草が浸食してきていて、これ以上は進めません。

よって、この場所を、(歩いて行ける)山口県の南端とさせていただきます。

さて、せっかくやって来たのですから、これで帰っては勿体ない。
今度は島の北側を目指します。

・・・・長くなるので、続きは次回に。  m(_ _"m)ペコリ


馬島・・その2

2013-09-28 23:49:54 | 山口県の離島

昨日の続きです。

謎の道に突入して行ったのは訳があって、キャンプ場の案内板に、「展望台」というのが書かれていたからなんです。
標識も何もないけど、「これ歩いていけば、たどり着けるんじゃない?」という安易な考え。

想像通り、道は次第に狭くなり、高台へと向かう山道へと変化。
案内板では、展望台がどういう位置にあるのか判らなかったので、簡単な気持ちで登りはじめたのです。

結果から言ってしまうと、展望台があるのは、島で最も高い山の山頂でした。
麓からの距離は5~600m、標高差は100mちょっと。
目的地の場所がわからんので、「あとちょっとだろう・・・」「もう着くだろう・・・」と、ズルズルと歩き続け、着いた頃にはヘロヘロです。

あと、ヤブ蚊が多くて体にまとわりつくので、立ち止まって息を整えることができないのも、辛かったな。

ようやく山頂が見えてきました。
これで、ショボい風景だったら、どうしてくれよう・・・・。

おーーーっ!!
絶景だ。
正面に見えるのは、光市の牛島。
その向こうは、祝島。

本土側の「梶取岬」方向。

こちらは、佐合島、長島方向。
下のほうに、登り口であるキャンプ場が見えます。

馬島と刎島の間の海峡をアップで。
上から見ると、干潮時に現れるという砂州が、うっすら白く見えますね。

展望台そのものは、こんな感じ。
一本だけ木を残して、周囲の景観を遮るような木は、すべて伐採されています。

本土側の、田布施町、平生町方面。
正面に見える「阿多田島」の裏側に、連絡船が出る、麻里府港があります。

沖を走る船を、ちょっと夕景風に撮ってみました。

ひととおり風景を楽しんだあとは、ベンチに座り込んで、ちょっと休憩。
登ってくるのはきつかったけど、結果的に、ここが島一番のスポットだったな。

日没近くまで待って、本物の夕景を見ることができたら、それはまた、綺麗なんでしょうね。
ただ、その時間までここにいたら、帰りの船がないのですよ。
最終の船に間に合うように、でも、膝が笑っているのでゆっくり・・・よろよろしながら下山。

港のほうへ戻ります。

この島は、離島にしては平地が多く、軽トラも何台か走っていました。
でも、フェリーはないし、どうやって島へ運んでくるんだろうな?
あと、ガソリンはどうしてるんだろ?

港の近くで、島の猫をパチリ。
大星山の風車をバックにしてみました。

帰りの船が、港に入ってきました。
港のあたりは島の東側にあたるので、この時間はもう山影に入ってしまって暗くなります。

帰りの船の中から。
水平線に落ちる寸前の夕陽が綺麗でした。

条件があえば、今の季節でも、だるま夕陽も狙えるのかな?


馬島・・その1

2013-09-28 01:02:16 | 山口県の離島

『馬島』は、田布施町に所属する、有人の離島。
本土側の麻里府港の沖合、約1kmにある島です。

連絡船『ましま丸』。
麻里府港・馬島間だけでなく、さらにその先、平生町の佐合島・佐賀港までを往復しています。
料金は、2区間まで160円。

動き出しが遅かったので、午後3時10分の船で出航。

10分弱で、馬島港に到着しました。
港の入口、結構狭いな。

連絡船乗り場前ににあるのは、公民館です。
この島は、キャンプ場や海水浴場があって、夏場はそこそこ賑わうのだそうな。
そのためか、レンタル(?)のリヤカーが何台か置いてありましたぞ。

港のすぐ南側にある砂浜と、砂で繋がった小島。
なかなか、いい風景ですな。
島のあちこちに砂浜がありますが、海水浴場として指定されているのは、もっと先です。

海岸沿いの道路を南に向かって進みますと、見えてきたのが

車えびの養殖池らしいのですが、今も養殖やっているのかなぁ?
なんか、廃れちゃってる雰囲気なんだが・・・・。

さらに進むと、右手に海水浴場の休憩所とトイレが見えてきました。

入江になっていて、波もおだやか。
沖に見えるのは、光市の牛島です。

さらに、細い道を歩いて、島の南端まで出ますと

海の先に見えるのが、『刎島』。
潮が引くと、島との間に砂州が現れ、むこうまで歩いて行けるのだそうですぞ。
残念ながら、この時は満潮でしたので渡れませんでした。

ぶっちゃけて言うと、ここが島の一番の見どころだと思っていたのですが・・・・。

干潮の時間をちゃんと調べてくればよかった。(*_*)

海水浴場の近くまで戻って、キャンプ場がある『のんびらんどうましま』を覗いてみます。
門の奥に見えるのは、管理棟。

テントサイトは、広くて綺麗ですね。
他にも、ロッジが並んでいる一角がありました。

で、さっきの門のところから伸びていた、未舗装の謎の道に突入するのですが・・・。

長くなったので、続きは次回で・・・。


情島の風景

2013-09-13 00:06:52 | 山口県の離島

前回の続きで、情島の島内をご紹介。

最東端の岬からは、海岸沿いの道をたどって、別の集落に向かって歩いてみましょう。
これ、海が荒れたら、モロに海水かぶりそうだな・・・・。

島には4つの小さな集落があり、すべてこの道で繋がっているのです。
でも、車は一台もないみたい。

次にあるのが、「情島小学校・中学校」がある、大畑の集落。

中学校の校舎は、耐震工事中でした。
小学校8人、中学校は12人の生徒が学んでいます。
人口が100人弱の島にしては、子供が多いんだな・・・・と思ったら、ほとんどは島の外から来た子供たちなんだそうな。
学校のすぐ横にある児童施設『あけぼの寮』で、親元から離れて暮らしているのだそうです。

学校の前の海にある、小さな波止場。
生徒たちは、放課後にここでここで釣りをしたりするんだそうです。
さすがに水は綺麗。(*^^)

大畑の集落からは道が坂になり、丘を越えて次の集落へ。

小さな港と

その奥に、伊の浦の集落。
道は、ここまでで途切れています。
定期船の着く本浦の港からここまで、1km弱。

特に何もないので、木蔭で一服してから、道を引き返します。

本浦まで戻ってきました。
道の山側に残っている石積みは、昔の岸壁の跡なんだろうな。

集落の中にある路地も、いい味出しています。
路地の真ん中にあるのは、井戸でしょう。
金属製の蓋をかぶせてありますね。

「ふたば慰霊の碑」のすぐ近く、高台の上にあるのが、情島神社。
戦国時代に活躍した村上水軍の将、村上武吉が、1601年に建立したとの言い伝えがあるそうです。
見晴らしがいいのを期待して、急な階段を登ってみたのですが、藪に囲まれて周囲の景色はよく見えなかった・・・・。(>_<)

本浦の集落を通り過ぎて、佛の浦の集落へは、島で唯一のトンネルをくぐります。
幅、高さともに4mある、トラックでも楽々通れそうな立派なトンネルですが、島に車は走っていません。
したがって、トンネルの中は島民の憩いの場所になっていて、椅子の他に、ベッドまで置いてあったぞ。
実際、トンネルの中は風通しがよく、涼しくて気持ちよかったな。

佛の浦は、家が7~8軒だけのミニ集落。
その先、防波堤の突当たりから、さらに

岩場に沿って細い道が続き

小さな浜の先から、山のほうに野道が伸びていましたが、さすがにその先に進む気にはなれませんでした。
帰ってきてから、Google Earthで確認したら、丘の上に畑があるみたいですね。

一通り探索は終わったので、2時半の船に間に合うように、また本浦まで戻ります。


≪島の猫≫

瀬戸内の離島は、だいたいどこも野良猫が多いのですが、この島では、それほどたくさん見なかったな。

親子でしょうか?
子猫のうち一匹は、シャム猫の特徴がよく出ていて、島の猫には珍しいな。


≪島で唯一≫

島で唯一のポスト。

島で唯一の自動販売機。
って、稼働してんのかな?
コンセントは、ささっていたけど・・・・。

島で唯一の商店。
外から店の中が見えない、一般的な商店の概念とは、かけ離れた店舗。
実は、定期船で運んできた商品を、移動販売車を使って、各集落に売りに行き、残ったものを店に置いているのだそうな。

こちらが、その移動販売車。
荷台がついたトラクターみたいなやつでした。(^^)


≪飛行機≫

ところで、島の上空をやたら飛行機が・・・しかもかなり低空で飛んでくる。

どうやら、海上自衛隊の哨戒機みたい。
別のカラーリングの、救難艇も見ました。
このあたりは、訓練海域になっているのかな?


≪帰りの船の中から≫

島の周囲は潮の流れが早く、鯛やメバルなどの高級魚の宝庫。
漁船や釣り船が、たくさん出ていました。

遠く南のほうに、愛媛県の由利島が見えました。(矢印のところ)
某テレビ番組で使われている『DASH島』ですね。

 


 


東の端を目指して

2013-09-11 22:59:55 | 山口県の離島

山口県で最も東にある場所を地図で探すと、周防大島の先端から海峡をはさんで、『諸島』という島が、それにあたります。
でも、『諸島』は有史以来人が住んだ記録がない無人島。
人が住んでいるところで東の端を探しますと、『諸島』のすぐ北にある『情島』になるみたい。

調べてみますと、本島側の伊保田港から、町営の定期船が一日5往復しているようです。
5便もあれば、行き帰りの時間も計画が立てやすいので、行ってみることにしました。

11時20分発の船に間に合うように、周防大島の先っぽのほうにある伊保田港へ。
船の乗り場がよくわからないので、港内にある役場の事務所で教えてもらい、乗り場へ向かいます。

え~~~~っ。これ?

定員23名の小さな船、「せと丸」が、『情島』への定期船。
もっとも、このサイズの船だからこそ、一日5往復が可能なんでしょうね。
運賃は、片道280円で、船長さんに直接支払います。

釣り客や工事現場の人、島民の方など、15人ちょっとを乗せて、定刻に出発。
島へは、本島と情島のあいだにある海峡を抜け、島の東側にまわりこむような航路をとります。

周防大島の東端、瀬戸ヶ鼻です。

海峡に入ると潮の流れが速く、潮目に大波が立って、いきなり揺れが激しくなりました。
船に乗る時に、船長さんから「ケガをするから、写真撮ろうとして立ちあがったりは絶対するな」と注意を受けていたのだけれど、このことを言ってたんだな。

15分ほどで、島にある本浦の港へ到着です。
島で使う生活物資などは、すべてこの船で本島のほうから運ぶみたい。
桟橋では、物資を運ぶリヤカーが待っていました。

港を出て、右のほうへ。
海岸沿いに細い舗装路が伸びていますが、これを200mほど歩くと

道の脇に立派な石碑と、細い岩場のような小さな岬があります。
ここが、島の東の端。
つまり、(人が住んでいる場所では)山口県の東端になるわけですな。

先ほど、船から見た、岩場の全景。
できれば先端まで行きたかったのだけど、足場はなく、かなりの冒険になりそう。
何より、周囲には漁船がたくさん浮かんでいて、「変なおっさんが、岩場にしがみついてるぞー」って騒ぎになったら大変なので、やめておきました。

岩場の先、海のむこうに見えるのが、本当の東の端になる『諸島』です。

東の海の先には、愛媛県の『津和地島』『怒和島』が見えますね。

岬の根元にあった石碑は、昭和51年に島の近くであった海難事故の慰霊碑です。
宮崎県から広島に向かっていたフェリー『ふたば』が貨物船と衝突し、フェリーは沈没。
その際、情島の住民が総出で救助にあたり、被害を最小限にとどめたのだそう。
碑の裏に、事故の顛末が彫られています。


さて、帰りの船まで時間もあることだし、島内をうろうろしてみましょうかね。
長くなるので、島の様子については、また次回に・・・・