頼子百万里走単騎 "Riding Alone for Millions of Miles"

環境学者・地理学者 Jimmy Laai Jeun Ming(本名:一ノ瀬俊明)のエッセイ

11年ぶりに下諏訪南小同級会

2024-05-20 00:42:36 | 旅行
なんて日だ。
12:00発のあずさを予約してあったので、この時間にはすでに乗車済み。御茶ノ水から乗ってきた中央線車両が事故ったか。今あずさは徐行中。秋葉原駅で変なおばちゃんに絡まれたので外国人を装って振り切った。スケジュールより1時間早めの移動で正解。ゴルゴ



霧ヶ峰合宿→白馬・野沢温泉合宿となってから6年間来なかった。チェックイン前に協力隊員の皆さんに取材させていただいた。






霧ヶ峰合宿以降6年ぶりにここへ。宿のオーナーが替わって、現オーナーKさんはうちの親父の教え子さんだった。下諏訪小学校1年8部。小生は4部だった。昨夜は2年〜4年6部の同級会(11年ぶり)。みんなまだ十分若い。当時の会場は今さら地に。








6年前、平沢町にある居酒屋「台北」に行ったら、カウンターのお姉さんは1970年下諏訪小学校入学、つまり同学年。当時は名前も聞かず、今回ママさんに聞いてみたが、彼女も通称しか知らなかった。



「台北」でI医院のスタッフさんにもお目にかかった。現院長の弟さんは大学入学同期(理科三類、現ハーバード大学)、彼もその妹さんもうちの親父の教え子だった。
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2 コメント

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Unknown (本人)
2024-05-20 23:20:12
小学生時代の自覚は「のび太君」。テストで0点をとって親に隠したり、というのではない。競争してトップになろうなんて全然考えていなかった。運動神経もゼロに近い。野球はしたが守備はボロボロ。柔道教室も4級どまり。50年たった今、同級生からの印象を聞いてみると、「こだわったことにはとことんこだわって突き詰めるタイプだった」そうだ。それが勉学に向かったのが中学に上がった直後だった、ということ。そしてその後の人生が規定されたというわけか。一度「のび太君」をやめると、二度と「のび太君」には戻れない。てか、バカバカしくて戻れないわな。
もちろん、東大(教養課程前期)や今の業界で相対的「のび太君」だったか、と問われると、、、
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Unknown (本人)
2024-05-23 13:15:32
小学校1年次に下諏訪町役場の前で車にはねられ、市ノ瀬医院に担ぎ込まれました。同じ「いちのせ」なので、親と連絡とったところ、お嬢さんの担任の長男(小生)だった、という故事も思い出しました。
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