2010年代の欧州出張記録はほぼ完璧に残っているが、たとえば2002年洪水後に行ったプラハの記録はほとんど残っていない。この時は写真もあまり撮らなかった。市内は電話回線が不通(モルダウ河沿いの観光地区)。地下鉄も不通(3泊4日の滞在最終日に開通)。東ヨーロッパに入ったのは初めて。有名な博物館、宮殿、橋、時計台は見た。グルメはチェコビール(ピヴォ)とクネーデル+グヤーシュ。昼間っから酔っぱらって景色が回った。中国料理店、ベトナム人や香港人ではなく、北京語の通じる中国人がフロアーにいた。小生を非華人と理解できたのか、最初は「プロシーム(please)」とチェコ語でメニューを出してきた。街の高齢者にはドイツ語が普通に通じて便利だった。クリスタルと共産趣味のグッズをお土産にゲット。タクシーはほぼボッタくり。今日のノルマは800円だからお前800円払えみたいな感じ(怒)。印象深いのは、スーパーマーケットに売っていたローカル新聞。後ろから数ページにわたり、顔だけ隠した女性の写真がずらり。国籍、年齢、身長、可能な言語、住所(建物と部屋番号:電話番号はないので、直接訪問してブザーを押せということ)。数年後に同僚が行ったときは、もう売られてはいなかったようだ。
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