十代の頃に観た「ナタリーの朝」(me,Natalie)
という映画が忘れられない。
もう一度観たくて探してみても、
もう絶版なのかどこにもない。
隠れ名作!
わたしにはかなりツボだった映画。
1969年制作のアメリカ映画。
容姿に自信のないティーンエイジャーの
ナタリー。自分を変えたくて田舎町からNYへ。
そこでの出逢いから、自分の中の本当の自分を
発見してゆく。。。
等身大の女の子の描かれ方がとても自然で、
一緒に成長してゆけるような気分を覚えたものだ。
たまたま文庫本で読んだのが最初だった。
高校生の時だったかなあ。
その後、テレビで深夜放映された映画を観た。
リアルタイムを知らなくても、
いつだって女の子にとってたいせつなものは永久不変だ。
POPな60年代終盤のあの色合いがとっても素敵だった。
映画まるごと60年代の女の子文化の象徴って感じ。
あの時代の女の子の部屋を再現したかったら、
あの映画を参考にすればばっちりだわね。
自分探しの原点みたいな映画。
音楽もすごく印象深かったなあ…と思って、
この前調べたらあのヘンリー・マンシーニだったのね。
なあ~るほど、納得。
二十代の頃、レンタルで観たのが最後。
DVD化してくれないかしら~。
もう一度観たいなあ。
今、四十代で観ても、きっと新しい発見があるはず!
今一番料理にハマっているのは六年生の次男坊。
初めてチャーハンも上手に作れた!
お椀にわざわざ詰めてポン。こだわりの盛り付け!
「この形でこそ!だよ!」と得意顔。
洗いもの増えるのに~~って思うのはハハだけね。
彼のレパートリーは、ジャガイモを細長く切って、
小麦粉と塩コショウを振って揚げるだけのポテトフライ。
肉野菜炒めに、具だくさん味噌汁、などなど。
一緒にハンバーグを作った時に、
自分の料理ノートを作る!と言い出して
作り方をミニノートに書き込んでいた。
よしよし。料理が出来る男子はいいぞ~!
春休みのある日、朝ごはんを全部作ってみたいと言うので任せたら、
わたしが起きる前にすっかり朝食の仕度が出来上がっていた!
お得意の豚汁と野菜炒めとベーコンエッグ。
普段の朝ごはんより数倍豪華だよ~!
頼もしいねえ。
将来、主夫でもシェフでもやっていけるわ~
家を建てる時って、なにやらいろいろ儀式があるけれど、
壊す時って、果してだれかが祈ってあげているのだろうか。
わたしは特定の宗教をもっていないけれど、
子どもの頃から、家にはそれぞれの神様がいると
教えられて育った。
母は、台所の流しに熱湯を流す時や
汚れた水を流すときなど、
「台所の神さん、ごめんなさい」って呪文のように
唱えてから流していた。
小さかった弟がお風呂場でおしっこをしちゃうような時は
「お風呂の神さんごめんなさい」って言わされていたっけ。
母もきっとおばあちゃんから受け継いだのだろうなあ。
昔のひとは、物にもこころがあると信じて、
敬う気持ちをたいせつにしていた。
だいじなことだよね。
いろんな神様の宿る家。。。
壊されゆく家は、
誰かに祈ってもらうべきだと思う。。。
住んでいたひとがこころから
ねぎらってあげるだけだっていい。
可哀想なのは、久しく住むひとのない家が
解体されるとき。。。
重機の大きなハサミで壊されていく時の音は、
まさに悲鳴のように哀しく響きわたるよ。
親にとってたいへん気になるところ。
モンスターペアレントってのが
たくさんいるらしいが、
んんん~???な教師だって時々いらっしゃる。
一年間一日中、担任の先生とともに時間を過ごす小学生。
実際、担任の当たり外れによる影響はかなり大きい。
「担任によるよねえ」小学生の子を持つ親は
皆一様にそう言う。
いつだったか、最初の保護者会で
「ハズレな担任だったと言われないようにがんばります!」
と挨拶していた先生もいらした。
よくわかっていらっしゃる。
我が家の六年の次男と三年の末娘、
今年は大当たり~。
次男の担任は、長男が以前お世話になった先生。
あの長男に(!?)「小学校で一番よかった」と
言わしめた、恐いけれど愛のある敏腕女教師!
末娘のほうは、一年生でもお世話になっただいすきな先生。
お仕事ながら、児童と一緒の時間を楽しんでいらっしゃることが
伝わってくる元気な先生だ。
「せんせい」だって、ひとりの人間だから、
多くを望みはしないけれど、
子どもが軽快なこころで教室に向かうには、
先生を「すき」って思えるかどうかは重要だよね。
先生側とすれば、子どもとの相性ってものも
もちろんあるのでしょうけれど。
それでも、小学校の先生はやはり信頼第一。
よくわからない先生ってのは、
信頼のおける要素が足りないってことだと思う。
勉強もそりゃあ大切だけれど、
やはり子どもを相手にする以上、
先生方には、ちゃんと子どもひとりひとりに伝わる
「愛と情」だけは失くしてほしくないものだなあ。
ひとりの親として、わたしが望むのはそれだけ。
子どもが三人、小学校に通うということは、
単純計算でも、述べ人数18人の担任の先生に
お世話になるということだ。
まあそりゃあね、
当たりもハズレもあるってことだわネ
バイクで。と言っても、二輪免許のないわたしは
荷物と共に彼のバイクの後ろ。
週末になると、オフロードバイクにテントや寝袋、
最小限の自炊道具を積み込み、
あちこちの山や、温泉のはしご旅へ気の向くままに出掛けた。
後ろに乗って揺られていると
風は心地よく撫でてゆくし、
ちょうど大きな荷物がいい背もたれとなって
何度もうっかり居眠りまでしちゃったものだ。
彼は、学生時代の頃からともだちと
北海道一周のバイクの旅に出たり、
ひとりでもよくぶらっとテントを持って旅していたなあ。
もともと、一匹狼的で鉄砲玉のようなひと。
思えば、今はよく納まっているものだ。
[気ままなマイペース]は、今も相変わらずだけど。
バイクの気ままな旅も、まだふたりだったから出来たこと。
今や五人の大所帯。気の向くままってのは
さすがにムズカシイ。
昔、旅先の山奥で、やっと見つけた民宿に立ち寄り
お風呂だけお借りしたときに、
庭先にいた宿泊客の中年男性が
「いいねえ、若くて身軽で!僕も昔はバイクで旅したもんだよ」
と声をかけてきた。
今はもうこうよ、ってなことを言いつつ、
後ろに気配のある奥様やお子さん達をちょっと振り返りながら
苦笑いしていた。
そんな一瞬の光景が、ぐるりと時間を超えて、
今度は我が身の上に合わさる。
ああ、そうかあ。。。
あの時のオジサンは、今のわたしたちと同じ世代。
確かに、十二分に「ささやかにしあわせ」なんだけれど、
置いてきたもの、失くしてきたものも数知れず・・・。
あの時のオジサンの微妙な笑顔の内訳が、
今はとてもよくわかるよ。
「もし」とか「たら」とか、悔いるのはキライだけれど、
自分の歩いた道のりを振り返って、いろいろと物想う
お年頃なのかもしれないね、40代って。
でも、前進するための後方確認は、たいせつなことだよね。
ガレージに眠っているあのオフロードバイク。
子どもたちがもう少し大きくなって親離れしたら、
整備して、またふたりで気ままな温泉はしご旅に出よう
しかし、居眠りしないようにしなきゃね。
今度こそ眠りこけて転げ落ちそうだ~
近所の鶏肉店のおばさん。
朗らかなお人柄や明るい笑顔や
くるくる動く瞳や、
犬や猫のカレンダーの写真を切り取って
あちこちに貼るところなど、
なんだかとてもわたしの母と似ていて、
勝手に親しみを覚えて通っていた。
けれど、母を亡くした後、
よく似ているおばさんの顔をみると
涙が出そうで、お店から足が遠のいてしまった。
一周忌を過ぎた頃、もう大丈夫、と
娘と鶏肉を買いに行った。
「まあー!久しぶりね、どうしてたの?」と
やはりよく似た笑顔で優しく話しかけてくださるおばさん・・・。
母を亡くしたこと、よく似ているおばさんにお逢いするのが
何だか辛くてなかなか来れなかったこと…
などを説明しているうちに、
あろうことか、不覚にも店先で号泣してしまった。
そんな客、そうそういないよねえ
おばさんだって、困っちゃったでしょうに、
「わかるわよ気持ち。わたしで良かったらいつでも話してね」
と一緒に涙ぐみながら、これまた優しく慰めてくださった。
側では、4歳だった娘が、
わたしの涙をハンカチで拭いてくれるわ、
涙は止まらないわで、
お肉を買えたのかどうかもよく覚えていない。
その後半年くらい、今度は泣いたことが恥ずかしくて
またまた顔を出せなくなっちゃった!
さすがに今はもう大丈夫。
以前のように時々買いに寄らせてもらっている。
この前、お店の奥に
小さな女の子がちょこんと座っていた。
お嫁に行った娘さんのお嬢さん。
おばさんもやっぱり優しくてかわいい
「おばあちゃん」なのね。
久しぶりに、おばさんの顔と母の面影が重なってみえた。
あぶないあぶない。また泣いたら、
美味しい鶏肉がまたもや買えなくなっちゃうよ。
「時間」は何よりもよく効くクスリ。
いまだに娘には「お母ちゃんが泣いたお店」
って言われちゃうけれどね
ものを書くのがすきだった母は
ちゃんと子ども三人分それぞれのノートに
あれやこれやと綴ってくれていた。
初めてこんなの食べたとか、
あんなことをしたとか、
体重が増えて嬉しい、夜泣きがひどい。などなど。
ノートのあちらこちらには、
幼いころのわたしのなぐり描きも。
一番、印象深いくだりは・・・
「この子は難しい子だ。」と、
おちゃめな姉と比較して、断言しているページ。
ごまかしが効かないってなことも書いてあったなあ。
母の育児日記を見て育ったせいか、
わたしも妊娠中から自然にそれぞれ三人分、
ノートを付け始めた。
母の育児日記の、そのくだりを想い出したのも、
自分が次男の育児日記に
「頑固でムズカシイ子だ・・・」って
書いていた時。
わたしと次男は、ともに同じ真ん中っ子。
挟まれて微妙な立場の真ん中は、
やっぱり「もの想うコドモ」なのねえ(?)
いや、ただ気難しいってだけかな~。
次男の不器用なところや、癇癪持ちなところを見ていると、
自分のこども時代をイヤでも思い出させられるよ。
う~ん、見ていて歯痒いけれど、それも彼の試練。
親にとっても何でも初めての上の子と
まだ手の掛かる下の子に振り回されているうちに
知らぬ間に育つ真ん中の子。
え~?いつの間に六年生ー!と
親ながらにして、ある日ハタと成長に気付く。。。スマン。
がんばれ、真ん中っ子
昔、派遣で一時的に新橋の大きな会社に勤めていた頃、
朝出社すると、仲良くなった同僚が
「みてみて、サワガニ!」
と一匹の沢蟹を突き出した。
なんと、新橋の街のド真ん中を歩いていたと言う。
料理屋も多いので、厨房から逃げ出したのか、
はたまた配送中にトラックの荷台から
逃げ出したのか??
なにはともあれ、唐揚げにならずに
逃げ出して生き延びた沢蟹をみんなで称え、
名前まで「フランソワーズ」とつけて
ご飯粒やパンくずを食べさせながら
しばらく皆で飼っていた。
連休に入るのをきっかけに、
自然に帰してあげようということになって、
どこに逃がしてあげたらいいのか、
動物園の相談室に電話をかけてみた。
その相談室のオジサンは
「それはそれは、いいことをしてあげましたね。」
と子どもに言うように褒めてくださって、
水のきれいなところならどこの沢でもいいんですよ、
と教えてくれた。
どういうわけか、わたしがその役目を
引き受けることになり、
休日に彼(今は夫)とドライブしながら
沢を探して山へ向かった。
そのころ、ひとり暮らしをしていた品川の
下町から千葉方面へ。
けれど、なかなか自然の沢なんて見つからず、
結局、暮らしてゆけそうなぴったりな沢を
見つけたのは、出発してからなんと
半日以上経った、勝浦の山の中。
(途中ほとんど観光状態だったけれど!)
そっと夕暮れの沢のそばに放してやると、
もぞもぞと歩き去ったフランソワーズ。。。
あれから仲間に出逢ってしあわせに暮らしただろうか??
「蟹の恩返し」はいまだにないけれど(?)、
小さなサワガニ、フランソワーズとの思い出。。。
あれもひとつの縁だったんだよねえ。
いまでも子孫があの沢で
元気に暮らしていることを祈ろう
おともだちNちゃんの特注品。
旦那様の使わなくなったネクタイで
トートバッグ。
オシャレなご主人の、たくさんのネクタイの中から
想い出深い八本のネクタイを厳選。
(いろんな想い出が詰まっているのネ~)
ちょうどいい幅にずらしながら交互に縫い合わせ、
裏布をつけて革の持ち手をカシメで止める。
いたってシンプル。
数年前に、夫のネクタイで思いつきで作った
マイ・ネクタイバッグをNちゃんが絶賛してくれて、
今回、N家・ダーリンバージョンで
お作りすることになったわけなのだ。
ネクタイはとてもいい生地で出来ているから、
捨てちゃうのはもったいないのよね~。
ほどいて開いてリメイクするのをテレビで見たことがあるけれど、
めんどくさがりなわたしには、ちょっと気が遠~くなる。
それで、そのまんまネクタイなバッグを考え出したわけなのだった~。
柄合わせがこれまた結構たのしい作業なのだなあ。
Nちゃん、気に入ってくれてすごくウレシイよ。
ダーリンネクタイをお伴に
お買いものでも行っておくれ
こちら、究極のそのまんまネクタイバッグも愛用中
ドラマの小道具やニュース番組のバックなどで
よく見かけるアメリカの百科事典アメリカーナ。
子どもの頃からうちの本棚にも小道具のように並んでいた。
父が揃えたものだが、父が読んでいるところを見たことはない!
姉や弟と、ペラペラ開いては
ヘンな写真を見つけ出す遊びをよくしたものだ。
父は仕事柄か、またはミーハーなだけか、
よくアメリカの雑誌を定期購読していた。
「NATIONAL GEOGRAPHIC」「TRAVEL & LEISURE」など。
読めなくても、写真を観るのだけはすきだったなあ。
届くのを父よりわたしの方が楽しみにしていたものだ。
中学一年の頃、美術のちぎり絵で、
家にあった「LIFE」数冊をちぎって使っていたら、
美術の先生が珍しそうにのぞき込んで
「君んち、お父さんがLIFE読んでるの?
破く前にちょっと見せて」
と、持って行っちゃって読んでいた。
あの頃の「LIFE」なら、むしろ今観たいなあ。
ちぎらないで持っていればよかったなっ。
AMERICANAは、引越しの時に父が処分しそうだったから、
なんだかもったいなくてわたしが引き取ったもの。
今はうちの本棚で、やっぱり景色の一部になって鎮座している。
あ、時々拾った葉っぱを挿んで
ペタンコにするのには使われているかな。
久しぶりに開くと、独特な匂いがふわり・・・。
匂いでタイムスリップしてしまいそうだ。
たまには開いて、英語の長文読解のお勉強として使おう。
長男も来年は受験だし、(関係ないけど!)
わたしも久しぶりに英検、受けるぞ~!
と決意する春であった。
年長さんくらいのちいちゃい子から
高校生くらいのおねえさんまで。
わたしには異次元世界のHIP HOP DANCE☆
みんな可愛く上手に踊っていて、
観ていたら自分も踊れるような気になっちゃったよ。
(いや、現実には絶対あんなに早く動けません)
それにしても、いろんな世界があるんだなあ。
応援のママ達のサポートもすごい!
親の方にもノリが必要なのね~~
いやはや、しかしあれだけ関節を回していれば
肩こりは治るに違いない。(目線が違う?)
娘にダンス習ってみたくなった?と聞いてみれば、
「無理無理無理」とブンブン手を振るムスメ。
おともだちに花束を渡しに前へ出るのがやっと、
なシャイな子なのだ~。
ま、それはそれで「奥ゆかしさ」も美徳!?
ということにしておこう。
わたしは、HIP POPとは言わないが、
何か運動したくなっちゃったなあ
というか、しなくてはいけないよね!
完全に万年運動不足~~!
うちの子どもたち、自然の中に放っておけば
いくらでも遊んでる。
夏にいつも行く名栗の上流に
春には初めて遊びにいった。
山はやはりまだ気温が低く、
大人はダウンジャケットがちょうどいいくらい。
長男がたき火を始めて、皆で小枝を拾ったり
長い枝をぽきぽき折ったりして火にくべる。
たき火はいいねえ。
そういえば、長男は小さい頃から
公園で木を拾い集めては山盛りにして、
よく「たきびごっこ」をして遊んでいたっけ。
人間の本能??
まだテントはさすがに寒いので、
秩父の丘の上に建つ「農園ホテル」に一泊。
ここは何度か利用させてもらっている。
お値段もお手頃な上に、
自然食のバイキングもなかなか美味しい。
翌日、予報がいい方に外れて前日より天気が良く、
「川!川!」と子どもらからまたもや川コール。
予定を変えて、行ったことのない奥秩父の中津川方面へ向かう。
かなりクネクネと山を登り、渓流の上流へ。
自然を満喫~。
滝の近くのこの大岩からは、山の湧水がぽたぽたと。
暫し佇む三人、の図。
男衆はおじいちゃんに借りて持ってきた釣り竿で
釣りを始める。が、釣れない。
こんな人里離れた山奥で出逢った、
たったひとりの釣り人のオニイサンが
話しかけてきてくれて、
息子らにコツを教えてくれる。
さっき釣れたという大きいヤマメの写メまで
見せてくださった。
こういう気さくなオニイサンに
息子らも育ってほしいものよ・・・
なんて想いながら、寝転んで
ぐんぐん流れる雲をのんびり眺める。
空気もキレイ。。。
こころも水音に洗われていくよ。
でも、自然は危険と隣り合わせ。
ここは遊歩道のようになってはいるけれど、
大きい落石もあちこちにごろごろ。
娘と沢蟹を探していたら、パラパラっと
音がして、山から落石が…!
幸い小さい石だったけれど、当たったら大変ね。
本能に耳を澄まして楽しまなきゃっ
まちを離れて、自然の中にこころを解き放つのは
わたしたち一家にはとてもたいせつな、必要な時間。
家ではケンカばかりの兄妹も
自然の中ではなんて仲良し!
いっそ田舎に移り住みたいくらいだわ~。