時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

文を綴ること

2010-01-15 | essay
このエッセイ・ブログを姉もいつも読んでくれていて
「あんた、相当溜め込んでたんだね~」といわれた。

そうなのだな~。いろいろ想うことが溢れそうになって、
文章を綴ることがちょうどいい突破口になったみたいだ。

母を亡くしてから数年経つものの、
時間が止まったままでいるわたしと
生きている者のために頑張っているわたしとの
ちょっとした時差みたいなものを感じはじめていた。
こういう隙間が広がれば広がるほど、何か良くないものが
入り込んで病気になってしまうのかもしれないね。

この微妙な時差を埋めるには、自分の中のいろんな自分と
ちゃんと向き合わなきゃいけないな、と気付いた。

そう気付くまでは、くじけたら簡単に鬱になりそうで
本当は怖かった。しかるべき機関にカウンセリングを
受けに行くべきなのかなって思ったこともある。

でも、頭でシュミレーションしてみても、
プロとはいえ赤の他人に、時間制で話をすることで
こころが解かれるとはどうしても思えず、
その方法はわたし向きではないなと自分なりに結論を出した。

こうして、自分の過ごしてきた時間を辿り、
記憶の引き出しをひとつひとつ開いて
眠っていた想いを文章に綴ることが
わたしにはちょうどいいセルフセラピーだったようだ。

それがわたしのこころに風を通し、陽に当てることとなり、
徐々に自分の本来の歩調を取り戻すことが
できてきたように思う。

母の死はわたしにはあまりに大きい出来事だったから
歩調が乱れるのは自然なことだよねって、
自分に納得できるようにもなった。

そして、文を綴るうちに、母の歩いた道を
わたしもまた歩いていることに気付かされた。
いつかわたしの三人の子どものひとりでも
わたしの歩いた道のりや、何を想って歩いてきたかを
懐かしんで読んでくれたりしたなら、
こんな嬉しいことはないなあと思うようにもなった。

ともだちに、「ブログ、時々遺言みたいでコワイし!」
って言われた
日々はびゅんびゅん過ぎゆくから、
こころを言葉に置き換えて残しておきたくなったのだな。
それは確かに遺言に近いのかもねエ!

光陰矢の如し!
たいせつなものは今たいせつに。

ひとつぶひとつぶの時間のしずくを慈しみながら、
拙い文章ではあるけれど、
これからも想うままに綴ってゆけたらいいな

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