黄昏叔父さんの独り言

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四国八十八箇所霊場・第七十六番札所「金倉寺」

2020年01月12日 07時15分51秒 | 四国88箇所霊場

 

        

 

 「金倉寺」(こんぞうじ)は、香川県善通寺金蔵寺町に在る寺院で鶏足山宝憧院金倉寺(けいそくざん・ほうどういん・こんぞうじ)と号し四国八十八箇所霊場の第七十六番札所で本尊は薬師如来、宗派は天台寺門宗。

 

 寺伝に寄れば、宝亀5年(774年)に景行天皇の子孫の和気道善(円珍の祖父)が金輪如意(如意輪観音)を祀って一堂を建立し自在王道と呼ばれていた。仁寿元年(851年)道善の子である和気宅成の上奏に寄り、自在王道を官寺とし道善寺と名付けた。其の後、宅成の子である円珍が承和元年(846年)に入唐、天安2年(858年)帰朝した後、故郷の当寺に訪れて長安の青龍寺に倣した伽藍を造営、薬師如来を彫像して本尊とした。861年、伽藍の造営を終え、落慶の斎会に円珍が再訪する。延長6年(928年)醍醐天皇の勅命に寄り金倉郷(かなくらごう)から名前をとり現在の「金倉寺」、山号は釈迦十大弟子の釈葉尊者が入定した山名の「鶏足山」と改め隆盛をきわめた。

 

 其の後、幾多の兵火に寄り重要文化財の自画像と本尊などの宝物以外は焼失、慶長11年(1606年)其れまで無住寺と成って居たが、近くの真言寺院に後見して貰い一時期、真言宗に成るが、窮状を知った高松藩主の松平頼重に寄り、天台宗に戻り再興、慶安4年(1651年)には、智証大師御影堂を始め、諸堂や客殿、庫裏に至るまで再建し現在に至る。

 

 此の地は入唐8家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)で讃岐5大師(弘法・道興・法光・智証・理源)であり延暦寺第五代座主を868年より24年間務め、天台宗寺門派の宗祖である円珍(智証大師)の生誕と知られ、また乃木希典が明治31年(1898年)から3年間、当寺の客殿を仮住まいして居り乃木所縁の品々が展示され、境内には銅像や乃木将軍妻返し松などがある。

 

 



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