![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/3a/94/4acfc82e3afca49e942f6edd2e7d6a68_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/4a/13/6afccec070364768f227238bf386eddf_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/79/a5/9f9e6224c62186dfd82e9943fe2f8490_s.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/thumbnail/5b/ee/1ce72cec95d4999a71181f8c4ba46c87_s.jpg)
四国霊場第16番札所「観音寺」此の寺の縁起によれば観音寺が弘法大師によって創建され、大師自ら千手観音像を彫造して本尊にした事、また脇像に悪魔を降伏する不動明王像、鎮護国家の毘沙門天像を刻んだ事や、阿波藩主の蜂須賀綱矩公が新築、移転に協力した事などが詳しく記されている。此の縁起とは別に、寺伝では聖武天皇(在位724~49)が天平13年、全国68箇所に国分寺・国分尼寺を創建した時に、行基菩薩に命じて勅願道場として建立した由緒ある古刹とされて居る。弘法大師が此の地を訪ねているのは弘仁7年(816年)の頃で本尊などを彫造し再興し現在の寺名を定めたとされている。
其の後、他の阿波各地の霊場と同じ様に栄枯盛衰の運命を歩み「天正の兵火」(1573~92)にも罹災、蜂須賀家の帰依を受けて万治2年(1659年)に再建、現在に至り遍路道に面した和様重層の鐘楼門は(最初の写真)昔の面影を残し堂々とした風格がある。現在は近隣に人家が建ち並び駐車場に苦労すると思ったが直ぐ東隣に駐車場があり安心してゆっくりと納経をする事が出来た。