▲ 鎌田慧 『反骨 鈴木東民の生涯』 1989 講談社 当時定価1553円+税 講談社文庫にも入った。
鎌田慧 『反骨 鈴木東民の生涯』 1989 講談社 ほか
鎌田慧 『反骨 鈴木東民の生涯』 1989 講談社
▲ 鎌田慧 『反骨 鈴木東民の生涯』 目次1
▼ 鎌田慧 『反骨 鈴木東民の生涯』 目次2
▲鎌田慧 『反骨 鈴木東民の生涯』 目次2
▼鎌田慧 『反骨 鈴木東民の生涯』 目次3
▲鎌田慧 『反骨 鈴木東民の生涯』 目次3
この本は、鎌田慧による、鈴木東民の生きた時代・彼の社会との関係、鈴木東民の遺した記事、著作を、解読する。鈴木東民を知る人々へのインタビューなど、取材を通して、現代日本のジャーナリズム史、読売新聞労働争議、釜石市長3期市政などに強い記憶を遺した鈴木東民の破天荒な生涯を活写している。
鎌田慧にとって、ジャーナリズムとは何か、日本とは何か、日本現代史について、鈴木東民の生涯の追跡を通じて、鎌田慧自身の現代史の問いと重なっていくところが惹かれ、妙味であであり、凄みであると思う。
問いというのは私とは何か、わたしはどこにいるか、というものとうり二つなのである。鈴木東民が怒り、行動し、失敗を重ね、反芻し、なおも果敢に疾走するのは、鎌田慧その人なのではないだろうか。
この本のタイトルの一部ともなっている「反骨」というキーワードが、鈴木東民のジャーナリズムの報道姿勢、事件追及のありかたなどが、鈴木東民の記者時代の記事、回顧録、近親者の証言などから、炙り出されてくるのである。
わたしは、以前、といっても、20年近い前のことだが、鎌田慧の大部な大杉栄論、『大杉栄 自由への疾走』 を『へるめす』という雑誌で連載していた頃、大杉栄の熱情が鎌田慧にのりうつったかのような書きぶりに驚き、それまでの彼のルポルタージュ記事からうけていた、記者の印象が一新された記憶があった。
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ある日、私はナチス・ヒトラー政権の掌握過程を調べようとあれこれと探索しているうち、ドイツ国会議事堂炎上事件が、ナチスの政権掌握を確固とするために仕組んだ陰謀の疑いが浮上し、四宮恭二の著作にたどり着き、このブログでも、紹介したことがあった。ここ ▼
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上の本を読んで、ドイツ国会議事堂炎上事件のあった時に、四宮が、ドイツに留学生として、ベルリンにいて、事件に遭遇していたことを知ったのだが、そのとき、ベルリンには多くの日本人が滞在し、この議事堂放火事件の記憶を持っていた人がいたのである。鈴木東民もその一人だった。
鈴木東民は、大正デモクラシーの吉野作造門下で、ジャーナリズムを学び、朝日新聞社に勤務していたが、吉野作造の推薦もあって、戦前の電通で公募した、国際ジャーナリスト養成のための奨学推薦を受け、ベルリンに滞在し、その後、自費で稼ぎながら、ドイツで日本向けの記事投稿などをして暮らしていた。
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そのとき、ちょうどナチス・ヒトラーの台頭、首相・政権獲得があり、政権掌握後、1ヶ月も経たないで、「ドイツ国会放火炎上事件」が起きたのである。
鈴木東民は、東大の吉野作造門下で学んでいる時、関東大震災が起き、火災炎上し東大にも一部類焼したとき、吉野研究室の蔵書の避難に力を出したことがあった。その帰り道、朝鮮人虐殺が荒れ狂い、鈴木東民は、通行人に厳しく詰問している知人に遭遇している。また、帰り道の交番には早々と朝鮮人の危険を煽る張り紙を目撃していた。
この日、大杉栄以下、家族も虐殺され、井戸に放り込まれた。労働運動家も虐殺され、朝鮮人多数が葬り去られた。
そのような記憶を持つ、鈴木東民のことであるから、「ドイツ国会放火炎上事件」には、ピンときたらしく、裁判の公判の傍聴もして、日本の新聞、雑誌に多くの記事を寄稿している。戦前の「ドイツ国会放火炎上事件」の記事では、事件を伝える正確さについては出色のものであったと思われる。
戦前刊行した鈴木東民の『ナチスの国を見る』 1934年 福田書店 は古書店にもなく、入手していない。国立国会図書館では、デジタル化して国会図書館と連携している地方の基幹図書館では閲覧・ダウンロードできるようであるが、わが地方の図書館では、入手できないので、この本についてのコメントは、入手以後になってしまうが、仕方がない。
それではと、古書店で、ようやく入手したのが、下の本『デミトロフ 法廷闘争』 1949年 五月書房
▼鈴木東民 『ディミトロフ 法廷闘争』
▲ 鈴木東民 『ディミトロフ 法廷闘争』 1949年7月10日 五月書房 当時定価100円
▲ 鈴木東民 『ディミトロフ 法廷闘争』
この本の刊行日は1949年7月10日である。この頃、東西冷戦が激化しており、また日本国内で社会不安を煽るような、不穏な動きが連続して明らかになってきた時である。下山事件が起きたのは、この年の7月5日~7月6日にかけてであるから、この本のあとがきで鈴木東民は「戦後、特に日本においてはファシズムの傾向が顕著となってきたにつけても、近代政治上最大の疑獄であった、このファシズムの挑発事件に対して、勤労大衆の新たな関心を喚起する必要を感じたのである。」と書き付けていた。
社会不安を煽る暴力事件、鉄道脱線事件などを念頭に、ナチス・ヒトラー政権下をも現地でつぶさに目撃し比較できる希なる時間と空間の交差点に鈴木東民は舞い降りてしまったのだと言える。
彼の社会の不正、政治の暴力に抗する激情・反骨は、日本の関東大震災以後の日本ファシズム化とナチス・、ヒトラー政権の目撃によって生まれた身体に深く刻み込まれたDNAと呼ぶべきものであるかも知れない。
鈴木東民は、ある事件、ある事項に直面すると、抗しがたい激情と反骨精神に見舞われてしまうのだ。
彼の、旧制高校時代の遊学時代、印刷所アルバイト時代の宮沢賢治との出会い、職業遍歴、戦後読売新聞社組合争議、政治党派の変遷、釜石市長時代、故郷からの脱出・・・・・・・・・
400ページを越える鎌田慧『反骨 鈴木東民の生涯』 の大部な評伝に最初から挫折しそうな人は、下の10人のジャーナリスト評伝のうちの宮武外骨の「過激にして愛嬌あり」の笑いとユーモアで喜色満面になって、体の緊張と筋肉をほぐしてから紙のつぶてに挑戦するのもいいだろう。ジャーナリストの社会への取り組み方でも、猪突猛進型、エロス型、過激なる愛嬌・ユーモア型と、いろいろな挑戦方法があることが分かる。
▼ 鎌田慧 『反骨のジャーナリスト』
▲ 鎌田慧 『反骨のジャーナリスト』 2002年 岩波書店 定価740円+税
▲ 鎌田慧 『反骨のジャーナリスト』 目次
つづく