![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/ce/5e09f144908cde08ccdda4b53f87cfae.jpg)
▲ 『国会炎上 1933年 ドイツ現代史の謎』 四宮恭二 1984年 日本放送出版協会
ヒトラーは「国会炎上」 の急報に 「しめた!」 と叫んだ と言われる。それはなぜか。
これは政権奪取のための世紀の大陰謀だったのか。四宮は事件当時ドイツ留学生としてベルリンに住み、風のうわさも含め、入手できる多くの資料を駆使し、国会放火事件を同時代を生きた目撃者ならではの筆致で事の全貌に迫る。
1933年2月27日。それはヒトラー政権成立の1月30日から数えて、ちょうど28日目だった。この月曜日の夜、ヒトラーはゲッペルス邸の晩餐に招かれて、かねてからのお気に入りのゲッペルス夫人を交え静かなウィーン好みの室内楽の流れるなかで、三人は、ワインの杯を合わせながら、雑談に花を咲かせていた。9時30分の少し前のことだった。電話があり、ゲッペルスは、席を立っていったが、間もなく足音高くただならぬ様子で、席に戻るや、総統に「国会大火」 の急報を伝えた。とたんに、ヒトラーは思わず、「しめた!」と叫んだというのだが。
『国会炎上 1933年 ドイツ現代史の謎』 四宮恭二 1984年 日本放送出版協会
目次構成
1 焔は知っていた
2 オーベルフォーレン事件
3 消されゆく「関知者」の群れ
4 最高法廷で何が解明されたか A
5 最高法廷で何が解明されたか B
6 ファン・デル・ルッペをめぐる謎
7 地下道をめぐる謎
8 参考文献 ・索引
著書は1984年刊行で、近年再版していないようなので、大きめの公的図書館か、大学図書館、古書店で探すしかない。ときどき古書店に出るようだ。
本文411頁、参考文献11頁、人名索引5頁のボリュームのある書物である。
事件当時四宮は、ドイツのベルリンにいて、留学生だった。国会炎上の報はアパートの部屋で、下宿屋の主人が大声で知らせてくれたと書いている。下宿の主人は見に行こうといってくれたが、四宮は、風邪気味だったので遠慮して、ラジオで国会炎上の報を聞いたという。四宮恭二 『ヒトラー・1932~1934 ドイツ現代史への証言』
四宮の前作 『ヒトラー・1932~1934 ドイツ現代史への証言』は政権掌握過程に力点をおいたもの。
前作では深く立ち入れなかった国会炎上の謎をこの著作で深く掘り下げている。
1 焔は知っていた
ヒトラー政権28日目の怪事
国会放火事件のあった1933年2月27日は、ヒトラー政権誕生の1月30日から数えて、僅かに28日目の事件。
3月5日の国会選挙を目前に、まるで事件を待っていたかのようなゲッペルス邸の晩餐。そこへ国会放火の報である。3月5日の総選挙を前に、選挙戦のため、一番繁忙の時期に晩餐会を開催している不思議さがある。
この日の事をゲッペルスは日記にこう記す。
「「密集している人垣を突破し・・・その途中でゲーリンクに会う。ほどなくパーペンもつく。多くの点で、放火なのが確認される。共産党の悪あがきだ。放火とテロで民心を戦慄させ、混乱に乗じて権力を奪取しようとしたことに、一点の疑いもない・・・・」 西城 信訳 『ゲッペルスの日記』 」 (本書引用13p)
「また国会議長兼プロイセン内相のゲーリンクは、いち早く現場で総指揮をとっていたが、ヒトラーに会うなり「事は共産主義者の組織的政治行動」であることを報告したが、すでに部下の政治警察長官、ルードルフ・ディールスには、「これは、共産主義者の蜂起だぞ! 今に襲いかかってくる。一分の猶予もできない」と、指示・厳命していた。(本書引用 フェスト 『ヒトラー』下 )」
こうして、ヒトラー、ゲッペルス、ゲーリンク三人の事態に対する認識は、申し合わせたように、一致していた。」(本書13p)
事件当日警察の発表
消化活動がまだ行われている間に、警察から現場の記者団に発表があった。夜9時過ぎ、国会議事堂内で上半身裸の男を逮捕、名はマリヌス・ファン・ルッペという、オランダ共産党員で、放火を自供し、動機は「国際資本主義への復讐」であり、「放火は、まさに革命への狼煙」だと申し立てた。自分の単独行動と主張。」 本文15p
ベルリン消防隊総監の発表
検証結果の発表 国会事務局長の、ガレーも立ち会ったらしい。
ゲムプ総監の記者団とのインタビューでは次のようなはっきりとした発表があったという。
「厳正な専門技術的検証によって、
液体燃料撒布の痕跡二十数ヶ所が確認されたこと、
これから察すると相当量の燃料が持ち込まれたに相違ないこと
単独犯では、すべての犯行が到底不可能であること
どうしても複数人による分担犯行とみるほかないことなどを断言した」 (本文15p)
ベルリン消防隊側の複数犯説発表と、警察が現行犯逮捕したマリヌス・ファン・ルッペという、オランダ共産主義者の単独犯行供述とがあり、当日から2つの大きく隔たった見解があった。
これが後日、国会放火裁判として、国際的注目の中で裁判闘争となっていく。
続く